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父と母がいて、私は兄とふたり兄妹でした。兄は父に教わりながら山へ行って男の仕事を覚え、私は母に教わりながら針仕事や炊事、畑仕事など女の仕事をして暮らしていました。
やがて兄も私も一人前になりました。父母からいつも言われるとおり、ひとに親切にし、困った人がいたら面倒をみてやり、空腹の人がいたらあるだけ食べさせてあげました。兄も山を歩いてクマでもシカでもとってくれば村人たちに少しずつでも分けてやりながら暮らしていました。
父母も年老いて働き手は兄と私だけになったので、女の私も山へ行ってまきを切って運んだり男以上に働きます。家では女の仕事でも母以上にこなし、老父母の世話も何でもやります。私は男勝りに働くので、「あそこの娘は男みたいだ」と村人は悪口を言いましたが、聞かぬふりをしていました。
自分も年頃になり、兄も早くお嫁さんをもらえば働き手が増えて自分も助かる、父母も孫の顔を見せれば安心すると思い、それをたまに兄に言っては怒られていました。
ある晩、どうしても寝つけず、真夜中に急に小便に行きたくなりました。私は、小さいときから夜に小便に起きたこともなかったのに、と不思議に思いながらも我慢できず外へ用を足しに出たところ、自分の小便をしたところから赤い虹が立って天まで続き、村はずれの大きな殿さまの家の屋根まで弧が伸びています。不思議なことだ、ただ事ではないと思ってただただびっくりしていました。
家に戻ってからもどうしたことだろうといろいろ考えて寝付けず、翌朝も父母にそのことを言わなければと思いながら、その日もその次の日も仕事に追われ、言いそびれていました。
何日かたって聞いた話では、村上の殿様のひとり息子が急病で寝たきり、水も飲まない、何も食べないでいるとのこと。年頃の若殿だから、嫁さんでも欲しくてそうしているのかと、村人が心配して若い器量の良いおとなしい娘さんたちに頼んで身の回りの世話をさせますが、若殿さまは見向きもしません。
毎日毎日、村の娘さんたちが頼まれて交代で行きますが、相変わらず見向きもしないで、生きているのか死んでいるのかわからないような調子なので、頼まれて行く娘さんたちも皆あきれ果てて帰ってしまうのでした。
私は父母に、あの晩のできごとを言わなければと、今日こそ、今こそと思いながらも、仕事に追われたり忘れたりで言いそびれていました。
また何日かして聞いた話では、若殿さまは何日も食べずに今にも死ぬばかり、かろうじて心臓が動いているばかりになっているとのこと。殿さま夫婦も泣き暮らし、「少々器量が悪い女でも、息子に食わしてくれる女はいないか」と言っているそうです。「器量が良い娘と最初は言っていたのに、しまいに器量はどうでも良いなんて」と私は腹を立てていました。
そんなことが続いたある日、殿様のお屋敷では、「村はずれに器量は悪いが男勝りの娘がいるそうだが、なんとか頼んでみてくれ」と言っているという話を聞き、人を馬鹿にしていると私は腹を立てていました。いつ頼みに来るか、頼みに来ても行きたくないと思いながら、皆も寝て、これからどうなるんだろうと思って私もその日はめずらしく深い眠りにつきました。
すると、立派な神様が私の枕元に立ち、こう言いました。
「私がこれから言うことをよく聞きなさい。お前はただの人ではない。私がこの村の上を通ったとき、ここのおじいさんやおばあさんが、それはそれは人の良いやさしい人間で、そのふたりが『男の子と女の子がいればなあ。ふたりいれば寂しくないのになあ』と心に考えているところに私が通ったので、その願いを聞いてお前が生まれたのだ。
一方、村上の殿さまは子どももなく、夫婦で『男の子でも女の子でも、子どもがほしい』と寝ても覚めても考えているのを、この村の上を通ったときにかわいそうに思って授けたのが殿様のひとり息子だ。
ふたりとも年頃になって縁談の話も聞こえてきたので、お前たちを夫婦にするために、お前が小便をした時に、村上の殿さまの家まで虹がかかったのを見て、お前が父母に言うだろうと思ったので、お前が言おうとするとあれこれ仕事を作ってお前に言わせないようにしていたのだ。村上の殿さまの息子のほうはといえば、村にも器量良しの娘がいっぱいいるので、私は神なので死なない程度に息子を病気にして、娘たちが次々に世話をしに行っても見向きもしないようにしたのだ。
さあ、明日の朝、村上の殿様の使いがお前を迎えにくる。お前は器量が悪いと言われて腹も立つだろうが、わざと他の人には器量悪く見えるようにしているのだから、言われるままに屋敷へ行って、息子に薬や飯を作って食べさせなさい。息子はそれを機嫌よく食べるでしょう。食べて安心したら家に帰りなさい。息子は『あの娘のおかげで助かった。あの娘でなければ嫁にもらわない』と言うでしょう。お前たちが一緒になれば何の苦労もない。私がお前たちの身の上を守ってやるので、私が言った通りにしなさい」という夢を見て私は驚きました。神様が人間を惑わしていたのか、それで私はずっと男勝りの女、器量が悪い女とばかにされてきたのか、と思い腹が立ちました。
朝起きて、兄や父母に食べさせ、掃除も終わったころ、村上の殿様のところから人が来て、「自分の村の殿様の息子は今にも死ぬばかりになっている。頼むからここの娘が行って、水の一口でも飲ませてくれまいか」と言います。父母も事情を聞いて起きてきて「行ってきなさい」と言うものですから、私は器量が悪いと言われて面白くないので、わざと顔も洗わず髪もぼさぼさのままで男たちについて行きました。
村上の殿様の家のそばまで行くと、村人たちが黒山になって若殿さまの葬式のしたくをしています。家に入れば年寄りのおばさんや若い娘やらがいっぱいいます。本当に選ばれた立派な娘たちが座っていて、「きたならしい格好をした男のような娘が食事や薬を運んだところで見向きもするはずがない」と陰口を言っています。私は聞こえないふりをしてやりすごし、食事をこしらえ、「食べなければ死んでしまうから食べなさい」とお椀を差し出すと、今にも死にそうだった息子は床で目を開けてにっこりと笑い、おかわりまでして食べたのでした。
私は自分の家へ帰ると、父母も心配して聞くので「あれは病気でも何でもない、病気のふりをしていただけだ」と答えると、父母は「それは神様がお前たちを結ぶためにしたことなのだから、使いが来たら断らずに行くのだよ」と言います。
二三日したころ、迎えの者がやってきて、息子が「器量が悪くても自分を助けてくれたあの娘でなければだめだ。どうしても嫁にほしい」と言っているといいます。器量が悪いと言われて腹立ちが収まりません。
また二三日して朝、顔を洗ったところ、かぶとか袋のようなものが顔から取れました。父母や兄が起きてきて驚いて言うには、「今までは器量が悪い、男勝りと笑われていたけれど、神様の言う通り、娘にかぶせたかぶとを脱いでしまったら、自分の娘でもまぶしくて見られない」と手を合わせています。兄も「ほんとうに私の妹か」と言って神に感謝して拝みます。「人間は悪い気持ちを持つものでない、良い気持ちをもって、そうすれば神様が見守ってくれる」と父母も涙を流しながら言い合いました。
そこへ元気になった若殿さまや連れの人たちが来て、家に入って私を見ると、私のあまりの美しさに驚くばかり。父母も「これも神様の計らいなのですから、いやとは言いません。飯炊きにでも何にでもつれていってください」と言います。迎えにきた人たちも「こんな立派な嫁さんであったか。すまない、すまない」と謝ります。
私は支度して連れられて行くと、器量が悪いと笑っていた村人たちもびっくりしてわざわざ私を見に来て「いや、これは別人だ」と言い張る者もいれば、恥ずかしくて家に戻る人もいます。親戚の人たちは手を合わせて「ありがとう。だんなさんを助けてくれた上にわざわざ来てくれてありがとう」と口々に感謝します。姑さんたちも手を突いて頭を下げたきりまともに私の顔を見ることもできません。
神様の考えたことなので私もそれを考えて、やがて子どももたくさんでき、若い頃は器量が悪いと言われて、男勝りのきかない性格でしたが、人を助け、親切にすれば神様がちゃんと見てくれて幸せに暮らせるんだから、と子どもらに言い残して、ある村の娘さんが死んだというお話。
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