ヘッダーメニューここまで
ここから本文です。
(オタスッの村に住む女性が語る)
私は姉に育てられている娘でした。姉とふたりきりで、宝物の並ぶ立派な家で暮らしていました。小さい頃からひとりで遊び、姉が出かけるときは留守番もできる、姉のいいつけを守る子が私でした。
少し大きくなると、姉は私に針仕事を教えてくれました。小さな袋などを作って姉に見せると「上手だ」といって褒めてくれました。でも翌朝外に出ると、私の作った物で姉が鼻を拭き、捨ててあるのを見つけました。泣きながら「嘘つき」と姉にいうと、姉はとぼけて「そんなことは知らない。早く針仕事の練習をしなさい」といいました。
それからまた一生懸命練習をして、私もすっかり針仕事が上達しました。着物を縫って掛け竿に掛けると、姉の縫った物も上手ですが、私が縫った物はそれ以上に上手であることが自分でもわかりました。縫い物以外にも、女の仕事を毎日姉と一緒にしながら暮らしていました。
私が一人前の娘に成長した頃、姉はこのようにいいました。「オタサㇺの村には、おまえの許嫁(いいなずけ)として育った男性がいるのですよ。父さんや母さんが生きていた頃から、ふたりは結婚する約束をしていたのです。その人のために手甲や脚絆を作りなさい」と言って、作り方を教えてくれました。一生懸命作って出来上がると、姉はそれを持って「弟に渡してくる」といって出掛けていきました。帰ってくると「オタサㇺの村のおじさんおばさんはもう死んでしまって、おまえの許嫁はもう一人前の男性に成長していた。おまえの作った物を渡したら喜んでいたよ。今度は着物を作りなさい」というので、その許嫁のために色々な物を作って、ためておきました。
春が来た頃、姉が突然こういいました。「今日おまえを許嫁のところに連れていくから、顔を洗って準備をしなさい」。そこで顔を洗い、きれいな着物を着て、許嫁のために作ったたくさんの縫い物を荷づくりしました。そして私の家の火の神様や戸口の神様に守ってくれるようにと祈り、いずれ旦那さんと一緒に家を訪ねてくると約束しました。姉について外に出て川を下っていくと、前方に海が見えてきました。海を見るのは生まれて初めてで、姉が「ここで休みましょう」というので荷物を降ろして休みました。景色を見たり波が打ち寄せるのを見て楽しんでいると、突然に姉が私を蹴飛ばし、髪の毛を掴んでこういいました。「私が年上なのに、おまえが先に結婚するのは面白くない。殺してやる」。そして私をひどく殴ったり蹴ったりして暴行しました。「なるほど、姉さんが年上なのだから先に結婚すればいい。私は家に帰ってひとりで暮らすから、どうか命ばかりは助けてください」。そういっても姉は暴行をやめないので、私はとうとう気を失ってしまいました。
何かの物音で気がついたのですが、息が苦しくてまた気を失ってしまいました。また意識が戻ったときには、何と私は白い大きな犬になってしまっていたのです。悲しくて泣こうと思っても、「クンクン」「ウォー」という犬の声しか出てきません。荷物も全部なくなってしまっていました。家に帰っても、あの悪い姉が様子見に来ていたらと思うと恐くて戻れません。泣きながら川を遡っていくと、東のほうで川が本流にぶつかりました。その川をなおも遡っていくと、上流には神が住むかと思われるような立派な家が建っていました。私は疲れと空腹で、その家のゴミ捨て場に転がり落ちてしまったので、そこで泣いていました。
陽が落ちる頃になると、山から帰ってきたのでしょうか、人の気配がしました。目を開けてみると、神のような立派な男性が雄ジカを背負って立っていました。私を睨んでいるように思ったので、殴られるか殺されるような気がしましたが、死んでもいいと思ったのでそのままふね寝をしていました。するとその男は優しい声で「まだ寒い時期なのに、なぜそんなところにいるのだ。家の中に入りなさい」と声をかけてくれました。食事の準備をしながら何度も何度も呼んでくれるので、はっていって戸口のところで体を丸めて座り込みました。男は炉の近くに来るようにいってくれましたが、そのままそこで丸まっていると、男は鉢いっぱいに肉を料理した物を出してくれました。でも犬なので手で受け取ることもできず、口を鉢の中に突っ込んで食べるのも恥ずかしかったのですが、男が見ていない間に隠れて肉を食べ、舌でペロペロと汁をすすり、少し元気が出ました。男は「ひとり暮らしで寂しかったので、犬さんが来てくれて嬉しい。明日からどこにも行かず、留守番をしていておくれ」といってくれました。
翌朝まだ暗いうちにふたりで食事を済ませ、男は外にいってしまいました。お椀の端をくわえて家の隅にかたづけ、水を入れる樽を見ると水がありませんでした。そこでひしゃくをくわえ、川に走っていって水を何度もくみ、樽をいっぱいにしました。忙しい男であるらしく、まきもないので、森を駆け回って、乾いた木を選んでひきずってきて、玄関のわきにたくさん積んでおきました。人間だったならば掃除も炊事もできるのに、何の苦労もないはずのことも犬の体では本当に大変で、何もできずにいました。そこに男が帰ってくると「おまえは本当に働き者だ、ありがとう」と言って喜んでくれました。「ここにいれば何も恐ろしいことはないのだよ」そう言って、男と一緒に何ヶ月かそのまま暮らしていました。
ある夜寝ていて、伸びがしたくなったので足を伸ばしてみると、人間だったときのように伸ばすことができました。ふと見ると白い犬の毛皮が私のそばに落ちていて、私は人間の姿に戻っていたのでした。嬉しくて座って泣いていると、あの男の人も起きてきて、どういうことなのかと訊かれました。今までのことを全て話すと、男の人は了解し、これからもここにいれば、何も心配することはないからといってくれました。それからは食事をするのもかたづけるのも以前のように人間らしくできるので、家の仕事をしながら留守番をして暮らしました。
男の人は山から帰ってくると家の中や外がきれいに掃除されていて、食事の支度もできているので「こういう暮らしにあこがれていたのだ。女性が作った物を食べられるのはありがたい」といって喜んでくれました。男の人は人間ではなく何かの神で、一日中人間の暮らしを見回って暮らしているのではないかと想像しました。
しばらくすると、男の人は酒をつくって儀式の準備をするようにといい出しました。神々を招待するので、ごちそうもたくさん作るようにとのことです。それから忙しく酒をつくり、香りが家中に立ちこめる頃に、山のようにおいしい料理を作って、旦那さんは木幣も作り、すっかり準備が整ったところで、男の人は驚いたことに、私を姉のもとに使いに出すと言い出したのです。「川を下っていって、以前姉に襲われたところを通り過ぎ、オタサㇺ村の川を遡っていくと村がある。オタサㇺの勇者の家に何も考えずに入っていって、そこにいる夫婦、オタサㇺの長者とあなたの姉に、ご招待しますと言いなさい。そしてすぐに帰ってきなさい」。恐ろしかったけれど、神々が守っているから大丈夫だと励まされ、言う通りに出掛けていきました。
オタサㇺの勇者の家に入ると、奥さんになっている姉はひどく驚いて私を睨みつけました。招待しますと伝えて家を出るときには、姉の顔から血の気が引いていました。追いかけてくるような気がして恐ろしかったので、急いで走って帰ってきましたが、男の人はその様子がおかしくて笑って見守っていたのだといいました。そして男の人は上等の着物や装飾品を出してきてくれたので、私はそれで着飾ると、自分でも驚くくらいに神々しい姿になりました。そのうちに招待された神々が家にやってきたので、忙しく応対して料理をふるまっていると、オタサㇺの勇者と姉も入ってきました。オタサㇺの勇者は、私を見るとあまりの美しさに驚き、姉は戸口のところで私と目も合わさずにかしこまって座っていました。私は心の中で姉は幸せになったんだと思い、喜んでいました。
招待した神々が全てそろったところで、あの男の人は神々にこのように切り出しました。「儀式の前に、神々にお話をしておかなければならないことがあります。オタスッの村に、ふたりの姉妹がおりました。ある時、私が人間界を見回っていると、なんと姉のほうが妹を殺して、捨てていったところに遭遇したのです。驚いて死んだ娘の魂を追いかけてつかまえ、もとに戻しました。でも人間の体であったなら娘が姉を恐がるだろうと思ったので、私が犬の姿に変えたのです。そして私のもとに呼び寄せて一緒に暮らしていたところ、この娘は本当に働き者のいい娘であることがわかりました。この話を皆さんに報告してから、私はこの娘と結婚しようと思っています。ご意見をお聞かせください」。そういうと神々は皆結婚に賛同し、私の縫い物を自分の作った物だと偽り、オタサㇺの神をあざむいて結婚した姉のことを悪く罵りました。
それから儀式が始まると、オタサㇺの勇者は姉をつついて一緒に外に出ていってしまいました。姉の「私が悪うございました。旦那さま、どうか命ばかりはお助けください」という声が響きわたり、声はだんだん小さくなり、やがて聞こえなくなりました。姉はオタサㇺの長者から痛めつけられたようでした。
神々は大いに飲んで食べて楽しみ、私が働き者なのを喜んでくれました。そして「ここにいれば何も心配することはない。安心して暮らしなさい」と口々に言って帰っていきました。それからは神の勇者である夫と結婚して幸せに暮らしました。男の子が生まれ、次に女の子が生まれ、夫婦でかわいがって育て、子供たちが家の手伝いをするくらいに大きくなると、夫はある日私に話があるといってこう切り出しました。
「妻よ、じつは私は天の国のオコジョの神なのである。私の仕事は、一日も休まずに人間の世界を見守ることであったのだ。その途中で、おまえが殺される現場に遭遇した。おまえを生き返らせ、結婚して今まで幸せに暮らしてきたが、最近は神の国にも悪いことをするものたちが増えたので、天の国から帰ってくるように急かされている。そこで、今日帰ることにしたのだ。これからは天の国から神としておまえたちを守ることにする。おまえの姉は悪いことをしたので、オタサㇺの神に殺されてしまった。オタサㇺの神はおまえを想って寝込んでいるけれど、悪い者と結婚してしまったのだからどうしようもない。今さらおまえと結婚することもできないのだ。そして子供たちがそれぞれ結婚したら、おまえを天の国に呼び寄せるから、そのつもりでいなさい。そして今日からはオタスッの家に帰って暮らしなさい」。言い終わると夫は外に出ていきました。息子たちが「父さんどこにいくの」といって後を追いかけると、「母さんのいうことを聞き、母さんを大切にして暮らしなさい。父さんは天の国に帰るのだよ」そういうと、大きな轟音とともに夫の姿は天に昇っていきました。子どもたちは驚いて家に逃げ込んでしまいましたが、私は音が東の空に消えていくまで夫を見送りました。
家に帰るために荷物を背負って外に出て、私たちの家を振り返ってみると、家だと思っていたのは、植物のツルが巻きついて屋根のようになっていた場所なのでした。それから私は子供たちを連れて生まれた家に帰りました。長く無人だった家の中や外を掃除して、そこで子供たちと暮らしました。子どもたちには、天のオコジョの神である父に祈ること、そうすればいつまでも守ってもらえるということを教えました。子どもたちにそれぞれ男の仕事、女の仕事を教え、ふたりとも一人前になり結婚をしました。そうすると夫が言った通りに、天の国から呼ばれて私は死んでいくように思うので、子どもたちにこれからは人が通りかかったら引き留め、村人を増やしていきなさい、そして忘れずに神に祈りなさいと言い聞かせ、年を取り切らないうちに死んで天の国に行きますと、オタスッの女性が物語りました。
本文ここまで
ここからフッターメニュー