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物語や歌

C0151. イクレスイェとカラス神

あらすじ


 私はイクレスイェという名の者で、大きな村の一員です。一人で忙しく毎日を過ごしていました。とても狩りが得意で、毎日山に行ってはクマやシカをたくさん獲っていました。猟場で獲物を解体すると、私の周りにお腹を空かせたカラスが集まってきます。人間だけでなく、カラスだってお腹が空くのだからと肉を切って分け与えて帰ることが度々ありました。肉を家に持って帰っても一人では食べ切れないので、村の中の子どものいる家庭やお年寄りの家におすそ分けして喜ばれてもいました。そして春に一回、秋に一回は裸の山の下を通って懇意にしている和人のいる町に交易にも行きました。

 そうして一人忙しく暮しているうちに結婚したくなったので、村の女の子達のいるところへ行き、その中で「この人だ」と思う女の子がいたので、その父親のところに行き、結婚を申し込みました。すると父親はこれほどいい話はないと言って喜びました。

 妻となる女性を連れて、私の家に戻り、一緒に暮らし始めました。妻は働き者で家事も上手です。

 秋になると私はまた舟に荷物を積んで、交易に出かけることにしました。出かける前に妻には火を大切にし、自分を大事にするように言い聞かせておきました。交易先では結婚したことを話し、妻のためのタマサイ(首飾り)や着物、食べ物や酒、タバコを手に入れ、妻の両親のためのものも手に入れました。

 帰ってから、その品々を妻に見せると、とても喜びました。それから、交易に行っている間にカラス達がお腹をすかせているのではないかと心配になったので、山に行ってシカを獲って食べさせました。その晩は交易の報告に義父のところに行き、泊まりました。夜はとても冷えたので、「もう春まで舟は使わないから、明日は山に行かないで舟を上のほうに移動させよう」と思い、そう妻に告げて翌日出かけました。

 舟の置いてあるところまで来ると、私は例の裸の山の方へどうしても行きたくなり、我慢できず、舟に乗ってしまいました。すると、何かが引っ張っているかのように舟が水の上を滑るように進み、その山の下まで来ました。舟から下りるとどうしたらいいのかわからずにいましたが、日暮れ時になっても帰りたい気持ちになりません。どこからか声がし、カラスが集まってきました。そして、たくさんの生肉や生魚をくわえてきては私のそばに置いていきました。夜寝るときもカラス達が私の頭からつま先までとまってくれ、そのおかげで私は寒さを感じることもなく、ぐっすりと眠ることが出来ました。朝になると、カラスはどっかに行ってしまいました。けれど、それでも私には帰ろうという気持ちが起きませんでした。そうして、それからというものは同じように毎日を過ごし、寒さが厳しくなっても、私はカラスのおかげで凍死することも、飢え死にすることもありませんでした。

 暖かくなったある日、カラス達の中でもひと際大きなカラスが私のそばに留まり飛び跳ねると、「よく聞いてくださいね。私はカラスたちのリーダーのカララㇰトノです。あなたはいつも猟場で獲物が獲れると私たちにまで分け与えてくれるので、日頃とても感謝していました。どうにかしてお礼がしたいと思っていたところ、あなたが海の悪いカムイ、コシンプに狙われているのがわかりました。飢えか寒さであなたが死んだら、魂を取ってトゥムンチの村まで持っていって夫にしようとしていたのです。そこで私はあなたを助けました」と話しているかのように聞こえました。これを聞いて私はカラス達が助けてくれなかったら自分は死んでいたと知り、何度も礼拝しました。

 そして、カラスに案内されて家に戻りました。庭にそのカラスがとまっていて「奥さんはあなたが死んでしまったと思って、食事もせずに臥せっています。私は天に向かいますが、私に感謝しているなら、イナウや酒で祭ってください。そうしてくれたら、あなたの子孫まで見守りますよ」と言いました。

 家の中に入ると妻が臥せっていて、私が帰ってきたことがわかると泣いて飛びつきました。義父にも事情を話すと、「そういう話ならば、すぐ、カララㇰトノを祭らなければならないよ。村人達よ、協力し合って酒の準備をしなさい」と言い、私の祭壇に大きな棚を作ってそこに酒粕やイナウ、肉などをたくさん用意して祭りました。

 それからは山で獲物が獲れると、カラスに助けてもらったことを思いながらカラスのために肉をたくさん残して置きました。また、私も村人もカララㇰトノにもお祈りをし、村全体を守ってもらい、穏やかに暮らし、子どもにも恵まれました。春と秋には交易に行きますが、もうあの場所を通っても恐れるものはありません。子どもが大きくなってからは私の代わりに子どもが交易に行くようになりました。

 「仲良く協力し合って暮らしなさい。私がいなくなってもカララㇰトノをお祭りして、この村を見守ってもらっていることを忘れるのではないぞ」ということを仲間に伝えて暮していましたが、今はもう歳を取りました。

そうイクレスイェニㇱパが語りました。

 

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