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物語や歌

C0157. 和人になった兄

あらすじ


 私には父がいて母がいたが兄弟がおらず、両親と3人で暮らしていた。昼は近所のこどもたちと遊んだが、夜は両親しかいないので寂しくすごしていた。やがて大きくなり、父と猟に出かけるようになり、山で猟を教わり、父を手伝って鹿やクマをとった。村の人たちは交易に出かけ酒や立派な着物を得ていたのを見て、羨ましく思っていた。というのも、父は一度も私を交易に連れて行ってくれないからだ。私はしびれを切らして、いつになったら交易に連れて行ってもらえるのかと父に聞いた。しかし父は交易しなくても食べ物も何も不自由ないのに、なぜ交易に行くのかと言うばかりだった。そのうち両親は年老いて、父は猟に行けなくなったので私一人で猟にでかけるようになった。そして、どうしもて交易に行きたいので、山に行っては毛皮などの交易品の準備をしていた。父には相談しないで交易に行くことにし、山で大きな舟を彫った。そして夜、その舟を進水させてみた。村人に和人の町まで案内してもらおうと思ったが、「何かあったらお前の父に悪いから」と言われ、拒否された。そこで仕方なく父を説得した。父は「それほど行きたいなら行ってもいい。ただし、行った先で、自分の村のことを決して明かしてはならない。誰に聞かれても隠し通せ」と言われた。父が許可してくれたので、私はたいそう喜んだ。

 翌朝、食事の支度をしてもらい、それから両親は船出の準備を手伝ってくれた。そしてワッカウㇱカムイ(水の神)に「道中どうかお守りください」と祈願し、出発した。私は交易に行く村人たちの舟のあとを、一番最後からついていった。すると日が暮れるころ、大きな町についた。村人はめいめい知り合いの和人の家に入っていく。しかし私は初めてなので、知り合いが誰もいない。かといって知らないところで悪い和人と交易しては損をすると思ったので、大変心細かった。私は毛皮など交易品を背負って、見知らぬ町を心細く歩いていった。すると町の真ん中に立派なお屋敷があり、大勢の足軽が出入りしていた。やがて一人の足軽が近寄ってきて、オッテナ(成人男性の呼び方のひとつ)にぜひわが主が会いたいので、ぜひ寄って欲しいと言う。そこで私は言われるままに屋敷に入り、荷物を解いて足を洗った。家の中を見回すと、家の主が微笑みながら私を見ていた。私は恐縮して中に入り、主と挨拶をかわした。すると主がこう言った。「日が暮れると息子が来るのでその前に話しておかないと、驚くだろう。私には一人息子がいて、子どものころから大事に育ててきたのだが、大きくなると次第に気性が激しくなった。子どもだからと思っていたが、今では親の私たちも何も言えなくなってしまうほど、恐ろしい。息子は朝になると鳥を獲りに行くと行って鉄砲を持って外出し、一日中外にいるが、一度も鳥を獲ってきたことがない。せっかくオッテナが我が家に寄ってくださったのに、息子のことで気を悪くされないよう、前もってあなたに教えるのですよ。息子に何を言われてもどうか怒らないでください。もうどうしようもないのです」といった。和人の奥方も泣ききながらに、「お酒を出すので、それでどうかオッテナの憑き神に祈ってお願いしてください」と言う。そして酒が出されたが、私は酒を飲んだことがなかったのでたいそう心細くなった。こういうことがあるから、父は私を交易に連れ出さなかったのだと思った。そこで私は和人の火の神や、海のカムイや、父が家で祈りを奉げている神々に祈りを奉げた。祈りを終え、祈りに使った酒杯を主にあげると、大変喜ばれた。奥方は、「心細くとも、オッテナはアイヌだから憑き神が強いので、息子の悪い気性も負けるだろう」と言う。

 しばらくすると息子が帰ってきた。主が言うには、息子だから寝食を共にしたいが、息子が恐ろしくてそれもできない。私は息子と挨拶を一通り交わし、息子は別の部屋に行った。そのとき、息子は「アイヌオッテナ、こっちに来なさい」と言った。主も、「どうか何を言われても怒らないでください」と言うだけだ。私はたいそう恐ろしかったが、息子のところへ言って挨拶をし、やがて酒と食事が出されたので、酒は飲んだことがないが、それを飲んで酔っ払うのも怖い。しかし息子は私にどんどん酒を勧める。もう飲めないのでやめると、今度は食べろという。そこで食べながらしばらくいると、「どこの村から来たのか」と聞く。私は父親の言いつけを思い出し、答えないでいたが、しつこく何度も聞いてくるので「シムカップから来たものです」と(ウソ)を答えた。息子は「本当か」と何度も聞くので、「本当だ」とそのつど答えた。やがて息子は「ならばよい」と言った。そこでまた食事を勧められるままに食事をし、やがて「今日は私のとなりで寝るが良い」と言うので、怖かったが断るわけにもいかずそうした。息子はやがていびきをかいて寝たが、私はいびきをかいて寝入るのが怖いので寝ずにいたためたいそう疲れた。しかしやがて眠りについてしまったようで、翌朝、足軽たちの働く音で目が覚めた。起きてまた食事が運ばれてきたのでそれを食べた。すると息子が「家にいてもたいくつなので、山に山仕事に行くことにしている。この町のはずれに沢がある。おれはそれに沿って山に入るので、お前も弁当二人前を持っておれの足跡を辿って来い」という。そして鉄砲を持って外に出た。私は震え上がるほど恐ろしくなり、主夫妻に聞いたが、「アイヌは憑き神が強いというので、それを信じて何とか自分の村に無事に帰ることだけを考えてください」という。

 そこで二人分の食事と荷物を背負わされて外に出た。町外れには確かに沢があって、私はそれに沿って山に入った。小さな沢と思っていたが、なかなか上流は遠かった。そして道中、水の神や猟場の神に「どうか無事に帰れますように」と祈りながら進んだ。やがて、前方に、小さくいがこぎれいなアイヌ式の家屋が見えた。まだ新しいようで、中から煙があがっている。しかし私は怖いのでゆっくりと進んだ。そばまで行くと、中で若者が大変上手にシノッチャを歌っている。私は驚いてそれに聞き入っていると、やがて歌声がやみ、「入りなさい」と声がした。中に入り、荷を解いて食事をすると、その若者はどうも先ほど和人のところにいた息子だったようだ。それから息子がこう話し始めた。「私は悩みの多い少年時代を過ごした。和人のところでは言えないので、お前をここに来させて言うのことにした。私はに幼いころ弟がいた。そして一家で交易のために和人の町に出かけた。そこでこの町に来て、今の両親のところに来た。私は交易を終えたらすぐ帰ると思っていたのに、両親はなかなか帰らず、しかも泣いてばかりいる。何日もいたある晩、寝ておきると、そこには両親も弟もいない。私は一人きり残されたのだった。私はたいそう驚いて、それから毎日泣いていた。和人の両親は私を慰めようといろいろおもちゃを持ってくるが、私はそれを投げ捨てて、泣いて暮らした。それでも和人の両親は私を大事に育て、読み書きや刀の使い方を教えるところに私を通わせた。アイヌだからできないといわれるのが嫌だったので、私は読み書きでも刀でも何でも上手にできるようになった。しかしどうしても家族に会いたいと思い続けていたので、鳥を獲りに行くと言っては猟場に出かけ、天気のいい日は毎日ここに来て泣いていた。そして、昔を思い出して、昔住んでいたようなアイヌ式の家をここに建てた。私はここに来ては泣いたりシノッチャ(歌)をし、日が暮れると家に帰った。そんな暮らしをしていたが、私ももう成人したので、和人の父は私に嫁をとるように言うが私は拒んだので、それも言わなくなった。そこにお前が来た。私は、もしやお前は私の弟ではないか、お前は一人っ子だというし、もしお前が私の弟なら、お前だけに両親がいて大切に育てられ、寂しい思いもしなかったのだ、と思ったので、お前の出身の村を聞いたのだ。もし私と同じ村の出身なら、お前を殺し、私も死のうと思っていた。だがお前はシムカップから来たといったので、私の出身とは違うようだ。だからお前を殺さなかったが、ここに来させてこの話を聞かせ、私の気も晴れた。今晩からは両親の言うことを聞き、両親が嫁をとれというならそうするし、これからは和人として生きようと思う。これで決心がついた。私の和人の父は私を育ててくれ、立派な人だ。だから私も父のように立派な和人として生きる決意をした」と泣きながら話した。私もそれを聞いてもらい泣きしたが、別の村の名前を言ったおかげで命拾いしたと思った。こういうことがあったから両親は私を交易に行かせなかったのだ。息子は今度は顔に笑みを浮かべながら、「今まで鳥を獲らなかった、今日は獲って帰る」と言って鳥を数羽獲った。それを私に背負わせ、私たちは帰途についたが、道すがらも上機嫌で話しをした。自分が和人の村で育ったことについて、私に語って聞かせ、私も涙ながらに聞いていた。やがて、「お前はお前の村に帰るが良い」と言われた。

 やがて二人で家に帰ると、息子は「今日はオッテナがいたおかげで、はじめて鳥を獲ることができた。」と笑みを浮かべながら両親に言った。両親はそれを見て、息子が機嫌がいいことを見て泣いて喜んだ。息子は、「オッテナが来てくれたおかげで、猟場でオッテナが祈りを奉げたおかげで、私の悪い根性もなおった」という。そして両親のところにいって膝をさすった。両親も「オッテナが来てくれたおかげで息子がよくなった」といって私に何度も拝礼した。奥方も泣きながら私に何度も頭を下げた。そしてその晩は私も安心して寝た。翌日、私は何度も引き止められ、両親のことを聞かれたので、自分には老いた両親がいて、私が養って親孝行していて、いつまでも帰らないと心配するから今日帰りたいことを伝えた。すると、「ではまたきてください」と言われ、足軽たちが私の舟に山のように交易品を運び入れたので、私はたいそう驚き、別れの挨拶を交わして出発した。

 家に着くと、父は、もう村のほかの連中は帰っているのに、なぜ帰っていないのか心配したと言った。私は父に、なぜ私を今まで交易に行かせなかったのか問いただした。父は、「昔、お前のお兄さんも母も連れて交易に出た。そして私のお得意様の和人が、どうしも子どもが欲しいというので、何度も断ったが、しつこく言われたので、とうとうお前の兄さんを置いて私たちだけ帰ってきてしまった」と言った。私は両親をなじり、「そのせいで兄さんは大変な思いをしたのだ」と話した。しかし両親もつらい思いをしたのだと思い直した。兄さんは和人のところで嫁をもらって立派な和人とのになると言ったが、いつか私の村人が交易で行って、私の存在が知れて殺されるのが怖かった。それで私はそれ以後一度も交易に出なかった。そして両親を非難しても気の毒なので、以後は親孝行につとめた。やがて私も妻を娶り、子もでき、やがて両親も老いて亡くなった。兄さんが私のこと忘れずに思っているのだと思ったが、怖いのでそれ以上交易に行かなかった。そして私ももう年老いたので、子どもらよ、交易に行っても、私には違うところで育った兄がいるのだ、ということを私はもう年老いたので言うのですよ。

 

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