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私はエカシ(おじいさん)に大切に育てられていた。夜、エカシは私を抱いて寝て、朝になるとどこからか干し魚を持ってきてそれを煮て私に食べさせてくれた。家は崩れそうなほどのボロ屋で、エカシには「気をつけて遊びなさい」と言われていた。エカシはいつもどこかにでかけるので、私は庭で遊んでいた。やがて、少し成長すると、私はエカシがいつもどこへ行くのか知りたくなり、ある日、その後をつけることにした。おぼろ月夜の晩だったので、エカシの影を見ることが出来た。エカシは川原に出て、何かを言っているようだった。それを私は遠くの木陰から見ていた。やがて開き干しのサケが空中を回転しながら舞い降りる様子が見えた。私はそれを不思議に思い見ていた。やがてそれはエカシのそばに来たので、エカシはそれをとった。そしてそれを服で包んで家路についた。私は「どうしてあのようなことをしたのだろう」と思ったが、エカシには何を言わず、エカシもまた何も言わなかった。
しかしやがて、エカシが私のそばに来て、私を撫ぜながら涙ながらにこう話した。「お前は人間の子で、ここまで大きくなるまで私はお前を育ててきたが、私は人間ではない。実は私は飢饉の神なのだ。お前の父はこの石狩のコタン(村)の立派な村長だった。そして「私の子孫が残るように、どうか神様方、我々の赤子をお育てください」と祭壇に向かって祈りを奉げたのだ。そういい残してお前の両親ほか村人は疫病でみな死んでしまった。しかし祈りを奉げられた神々は、「人間の子どもなんて」と言ってみな窓を閉めてしまった。それを見た私は「お前の両親ほど心の清らかな人たちはいないのに」と思って気の毒になり、人間の姿になって人間界に降りてお前を育ててきたのだ。しかし私は飢饉の神なので、猟場でクマやシカをとってお前を養うことが出来ない。そこで私はあちこちのコタンをまわっては食料を奪ってお前を育ててきたのだ。今晩も湧別の上流の村で食料を奪ってきた。その様子をお前は見たのだ。その様子を見られた以上、もうお前と一緒にいるわけにはいかない。かといって私は猟場で食料を得ることもできない。だから今日限りで、お前を育てることはできない。明日私は天上界のカムイ(神)の国に帰る。お前は一人になってしまうが仕方がない。この石狩川の上流に大きな山があって、それを登ると、頂上に沢が流れている。その沢の上流に行くまで私はお前を守るから、恐れず、泣かず、お前は足も速いので急いで沢を下りて、沢の中流までくだり、私がお前に授けるこの弓矢で、その沢を流れてくるものを射抜け。それを背負って下り、大きな川に出たら、それに沿って下ると、大きなコタンがあるだろう。そのコタンから私は食料を奪ってきたのでそのコタンでは煙が立たないほどだ。だからお前は沢で射たものをそのコタンの村長のところへ持って行け。そこには村長のほかに息子が二人と村長の夫人と年老いた母親がいるだろう。そしてお前が射止めた獲物をその場で肉にして汁を作り、みなに食べさせればその量がたとえ不十分で村の大部分の人は死んでも、少数の人は生き延びることができるだろうからそのようにするがよい。そうしてお前が人間たちに受け入れられて暮らすようになれば私も何も心配事がなくなり、私もカムイの世界で暮らすことができる。
私はこれまでお前を育て、これまで一緒に暮らしたが、もうお前は一人前だから、酒やタバコで私を祀り、私のカムイとしての格が上がるようにしてほしい。そうすれば私はカムイの世界からお前を守護するだろう。もし何か懸念すべきことがあれば夢に現れてお前に知らせるとしよう。」とエカシは泣きながら私に言い含めた。私も私がエカシの後をつけたばかりにこのようなことになってしまったと自分を責めた。するとエカシは「お前が悪いのではない。私はそもそも人間の世界の住人ではないのだ。お前のコタンが絶滅してから、方々のコタンから食料を奪いお前を育てていたので、そうしたコタンの人々にも(食料を奪い)気の毒なことをした。お前が悪いのでは決してないのだぞ。今晩は一緒に寝よう」と言いながら泣きながら抱き合った。
翌朝、エカシが起きると私もすぐに起きた。エカシは煮炊きをしてくれて一緒に朝食をとった。そして「私はお前が旅立つのを見守ることしかできない。これから私はカムイの世界に旅立つが、決して寂しいと思ってはいけない。お前はもう一人前なのだ。だから遅くなってもいいから、必ず私にお供え物をするように。」と言った。そして私の道中の食料を背負わせ、エカシは外に出て、何度も振り向きやがてカムイの世界に旅立って行った。私も悪いことをした、と思いながらも川の上流に向かって行った。
すると本当に大きな山が聳え立っていて、その山を登って行った。やがてその山の頂に到達した。そして見渡すと、エカシの言ったとおりの沢が流れていた。その沢沿いに山を下るように言われていたので、そのようにした。やがてお腹が空いたので川原で休んで食事をとり、水を飲んだ。それから私は跳ぶようにして先を急いだ。やがて何か前方のほうに沢を流れていくものが見えた。それは木にも何もひっかからずにどんどん流れて行くので、私も様子を見ながらその後を追った。やがて前方で沢が大きな川になりそうなところで私はそれを射止めた。そして私はそれを背負ったのだが、小さいにもかかわらずそれは大変な重量だった。これで目的のコタンにたどり着けるだろうかとも思ったが、休み休みしながら先を急いだ。
やがて前方にコタンが見えてきたが、それは(エカシが言ったとおり)コタンの半分の家は煙が絶え、半分からはうすい煙が上っているに過ぎなかった。コタンの中央には大きな家があり、エカシが言ったとおり私はその家に立ち寄った。すると左座には息子と思える人たちが座っていて、右座には年老いた夫婦と思える人たちが座っていた。さらに左座には若い娘が方ひざを立ててその上にあごをのせて座っていた。私は炉辺に進み出て、私も疲れていたのでそこで伸びてしまった。村長は私の方を向いてこう言った。「どこから来た童だろう。力があるのであのように重い荷物を背負ってこれたのだろう。さあ、息子ども、仕度をしなさい」。そして村長は私のほうに這い出て私のうしろ首の下に手を伸ばし撫でてくれた。そして「さあ回復するのだ。息をするのだ」と言った。すると私は起き上がり、そこに座った。村長は「お前はどこから来て、どうやってここにたどり着いて、あの獲物を持ってきたのか。おそらく何かのカムイが私たちを助けるために遣わしたのだろう。」と言って私を撫で、かわいがってくれた。そして息子たちは上座側の窓の下まで、妹と三人で獲物をずるずる引きずって行こうとしたがあまりに重いのでやっとのことで運び出し「この童がどうやってこんなに重いものを持ってこれたのだろう。きっとカムイが手助けをしたのだろう」といいながら拝礼を重ねた。そして村長も拝礼を重ねた。そして「どのカムイのお恵みであろうと、きっとたくさんの供え物をして御礼申し上げます」と言った。そして息子たちは獲物を肉にし、妹は大きな鍋を用意してその肉を切り刻んで煮立たせた。その汁を椀や鍋に移して外に運び出した。そして自分たちもその汁を口にして、ようやく一息ついたと言いながら、泣きながら無事を喜びあい、私をかわいがった。そしてようやく口がきけるようになると、私をかわいがり、私に食べさせてくれた。
私はそこにしばらく逗留した。そしてその獲物の肉を煮て、起き上がることもできない人たちに届けていた。やがて弱りきった人たちがやってきてお鍋で煮た汁を吸った。そして口々に一息ついた、と言った。そして私が背負ってきた獲物である小さなシカのところに行ってみると、村長がいて祈りを奉げていた。すると、「この猟場にはウサギでも鳥でも何でもいるぞ、さあ息子ども、(食料の確保に)精を出すがよい」と言うので、息子どもがそのようにすると、最初は小さな獲物しかいなかったが、やがてシカやクマもいると言い出した。川には魚もいると言ってたいそう喜んだ。こうしてかつては大きなコタンだったが、半分は飢饉で死に絶え、少ないほうの半分は生きながらえた。村長の家では、私がカムイであると言って、大変かわいがってくれた。私が来たおかげで生きながらえることができた。もう少しのところで死ぬところを助けてもらったのだ、と言った。そして私はその村長の家に厄介になっていたのだが、村長はかつて私のエカシがしてくれたようにたいそう私をかわいがってくれた。私はもう大きいのだが、寝るときもかわらず抱いて寝てくれた。そして村長の子どもたちに向かっては「兄さん」「姉さん」と呼びかけて過ごした。やがて私は一人前と呼べるほどまでに成長した。
ある日、私の父(村長)が私の素性について私に尋ねたので私はこう答えた。「私の父親はこの石狩川の上流の村の村長だったそうだが、私は見たこともない。その村は疫病で全滅してしまったのだが、父は死ぬ前に『私の息子が私どもと死んでしまっては人間界に子孫がいなくなってしまうので、ヌサ(祭壇)のカムイよ、どうか私どもを哀れんで私の息子をお救いください。私の息子が生き延びれば石狩川の上流のコタンを復興させることができるでしょうから、どうかよろしくお取り計らいくださいますように』と言った。そして私を母の下着と自分の衣服でぐるぐる巻きにして、(見つからないように)私のうえにヌサをかぶせた。するとヌサのカムイは私を守ってくれた。また母の下着を嫌って疫病のカムイは私をまたいで去っていったおかげで私は生き延びた。しかし父が祈りを奉げたカムイたちは「人間の子どもは汚い」と言ってみな戸や窓を閉ざしてしまった。そこで、私は天上界にいる飢饉のカムイであったが、これでは子どもが生きることができないと思い、人間に姿を変えて人間の世界に下り行き、お前が大きくなるまで育てていたのだ。私は飢饉の神なので、コタンから食料を奪ってはお前を育てていた。そのため私に食料を奪われた村々では魚がいなくなり、人々は空腹のため次々に死んでいった。しまいには、天上界の神々から、「人間の子一人を育てるのに何人の人間を犠牲にするのだ」と談判されるようになってしまった。そこで私はそれ以上育てることができなくなり、天上界に戻り、子どもを守護することにした。そして、湧別川の上流に心の清らかな村長がいるので、そこで育ててもらうように取り計らったが、そのコタンからも食料を奪ったので、半分の村人は飢え死にし、半分は生き残っている様子だった。そこで私は川に獲物が流れるように取り計らい、それを子どもに持たせてコタンに向かわせた。それを食料にすれば村は復興するだろう。そしてお前が十分に成長しすれば、その村の人々と石狩の上流の村に向かい、カムイノミ(儀式)をし、先祖供養をすることもできるだろう。村にはお前の家が一軒だけボロ屋となって残っているだろうが、その家にイナウ(御幣)を奉げ、また人間の魂に祈りを奉げて供養することができるだろう。そしてお前がやがて妻を娶り子をもうければたとえほかの場所にいても血筋が絶えることはなく、父親も安心するだろう。」と私のエカシが涙ながらに私に語ったのですよ。川を流れてきた獲物もエカシが私に力を貸してくれたからこそ射止め、運び去ることができたのです。エカシがいたおかげで今の私がいるのです。」と私は言った。
それを聞くと村長も子どもたちも拝礼を重ね、喜んだ。そしてこう言った。「神々が嫌がってお前を育てなかったのを、飢饉の神がお前を育てたのはお前の心が清らかだったからだ。息子どもよ、これから私の子と、ここの村人半分を連れて一緒に石狩の上流の村に行き、一軒残っているという家のカムイを供養し、カムイノミをし、まず家を建ててそれから村の復興にとりかかるがよい。」それを聞いて私は大変喜び、何度も拝礼した。そして「これから子や孫を増やせば、小さな村でも大きくすることができる。そして飢饉の神に祈りを奉げ、先祖供養をすれば村を復興させることができるだろう。」と父は言った。そして早速酒を作り、イナウを作って飢饉の神を祀った。さらに私の父母の供養もした。そして村人を半分割いてもらい、石狩川上流の村に来てみると、屋根も壁も崩れそうな家があったが、まだかろうじて立っていた。そして何とか残っている半分の家で煮炊きをし、さっそく先祖供養とカムイノミをした。そしてコタンの入口のところから家を建てて人々が住めるようにした。そして、数は少ないが良い土地を選んでは家を建てて、次第にその数を増やしていった。
私の兄たちは猟にでかけ、猟場がよかったので獲物をたくさん獲ってきた。シカでもクマでも何でもいたので、それからは何の心配をすることもなく暮らすことができた。そして年下のほうの兄に、「村人と私を連れてきてくれたのでどうか村長になってください」と言ったが、兄は「ここは元はお前の父親の村だったのだから、お前が村長になるがよい」と言い、人々も私を村長と呼ぶようになった。猟場には獲物がたくさんおり、女どもも仕事に精を出した。そして私はまだ若かったが、村長なので、一人でいるのはよくないと兄が言って、湧別川からついてきた若い娘に私の世話をさせた。そして酒やイナウを作っては飢饉の神を祀った。先祖供養も行った。そうして飢饉の神とご先祖様の両方が私たちを護ってくれた。そして今はまだ若い村だが、私たちが子どもをもうければ、私の父親の時代のかつての繁栄を取り戻すことができるだろうと思った。
やがて石狩の上流の村では食料が豊富にあるという評判が立ち、若い夫婦や、子どもをもうけたばかりの夫婦がやってくるようになったので、私は大変喜んで、彼らを手伝い、家を建ててやった。しばらくして私は湧別の上流の村の両親を訪ねることにし、食料をたくさん持ってたずねると、「神の子よ」と言ってたいそう喜んでくれた。そして湧別の村もかつての繁栄を取り戻していた。そして疫病がやってきても、飢饉の神が忠告してくれ、私たちは臭いの強い木や臭いの強い様々なもので村を護って存続させることができた。やがて湧別の両親も年老い、無事にあの世に旅立たせてやることができた。それからも石狩の村と湧別の村は良好な関係を保って人々は行き来した。人々は安心して暮らしていた。私は親のたった一人の忘れ形見だが、飢饉の神がいたおかげで生き延び、今の繁栄を得ることが出来たのだ。だから子どもたちよ、飢饉の神への供養を決して忘れるでないぞ。そうすれば飢饉の神が末代までも護ってくれるだろうよ。それから兄たちにも子どもがたくさん生まれ、村はますます繁栄した。やがて湧別の兄たちが私より年上なので先に亡くなり、やがて私も歩けなくなるほどまで年老いた。私はこれから先祖のところに旅立つが、子どもたちよ、私たち先祖への供養と飢饉の神への祈りは決して欠かさないようにすればいつまでもお前たちを見守るぞ、私は年老いたからこう言うのだぞ、と言った。
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