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物語や歌

C0170. 伝染病で生き残った男の話

あらすじ


 石狩の村に、わたしは暮らしていました。着物の袖をかじりながら、昼になると村中を歩き、食べ物を乞うていました。夕方になると、崩れ落ちた家で横になり、寒さに泣いていました。
 ある日、誰か食べ物でもくれまいかと思いながら村を行くと、わたしより少し年上の女の子が外で遊んでいました。通り過ぎようとしましたが、その娘は、わたしの手を掴んで「遊ぼう」と誘い、離してくれません。そうやって二人で立っていると、その娘の母親らしき人が家から出てきて、わたしの頭を撫ぜ、「お前たち、遊ぶなら家に入りなさい」と言います。女の子は、わたしの手を握って家に入りました。暖かさにほっとし、女の子と一緒に遊んでいると、さっきの奥さんが入って来て、お椀をわたしに差し出し、「たくさんお食べ。食べ終えたら、また一緒に遊んでね」と言いますので、ふたりでそれを食べてから、また一緒に遊んでいました。
 日暮れ時には、家の主人が帰ってきました。わたしが女の子と一緒に遊んでいるのを見て、ご主人も奥さんも笑っています。もう寝場所へ戻らなくては、と外に出ようとしますと、ご主人が「どこへ行く?」と言います。「寝場所です」と言うと、「行かずに、火に当たっていなさい。眠いなら、ここで寝なさい」と言われました。奥さんにも同じように言われました。
 こうして、わたしはその家で女の子と一緒に遊びながら暮らしました。家の人たちも、わたしを大切にしてくれます。ご主人は、「うちは一人娘だから、遊び相手もなく寂しくしていたが、お前が一緒に遊んでくれるなら、一緒に育てるぞ。だから、ここにいなさい」と言ってくれました。そこで、わたしはこの家で女の子と一緒に遊んで、よい暮らしをさせてもらいました。わたしが「お父さん。お母さん」と呼ぶと、なお可愛がられました。
 そうして可愛がられながら、毎日父と一緒に山に行ってはその手伝いをして暮らしていますと、ある晩父は、娘とわたしに結婚するように言いました。そこで父の言うとおりに、娘を嫁にもらって一緒に暮らしていました。3人の子供も授かりました。
 わたしの子供たちも速く歩けるほどに大きくなったころです。ある夕方、外に出ていた父が顔色を変えて帰って来るなり、「流行り病のカムイが来たようだ。わたしたちは年寄りだから良いが、後継ぎであるお前たちは逃げなさい」と言いました。母は立ち上がると、古いモウルや父の古い褌を取り出して、わたしの子供たちに巻きつけると、「こうすれば、流行り病のカムイの目もごまかせるだろう。それから、お前たちを守ってくれるだろうから、ひとつだけ宝物を持って逃げなさい」と言って、小さなシントコに褌を巻き、モウㇽをかぶせて渡してくれました。
 子供たちと妻の5人で外に出て、石狩川を上流に行きます。一所懸命行くうちに、水源地に着き、その向こうに見えた沢に沿って下りました。沢尻の近くに着きますと、猟場の広い、すばらしい場所があったので、「ここなら、野草も獣も手に入るだろうから、ここに落ち着こう」という話になり、小さいけれど綺麗な家を建てて住みました。妻は毎日野草を摘み、わたしは猟場を歩いてシカでもクマでも捕まえて、暮らしていました。しかしこれからわたし達がどうなるかはわからないので、必要最低限の食料しか捕ることはしませんでした。
 ある日、猟場から帰ると、いつもなら料理の煙が出ているはずなのに、その日は煙も出ていません。不審に思い、家の外に荷物を置いて入ると、どうしたわけか、わたしの妻も子どもたちも全員死んでいます。わたしは、泣き喚いたあげく、眠ってしまいました。すると、先に死んだのであろう父が「なんとかして生きのびて欲しかったが、娘も孫たちも我々の後から来てしまった。供養をしてくれる人がいないので、全員が先祖の国にたどりつけないでいるのだ。お前も助からないかもしれないから、その前に誰か見つけて事情を話して供養をするようお願いしておくれ。それから、お前は肉親なのだから、死んだ家族に言葉をかけてはいけない。お前の妻や子供たちは埋めるだけにして、供養のための言葉は、あくまでもよその人に頼むのだぞ」と、わたしにいろいろ言って聞かせる夢を見ました。
 目が覚めると、家の中で光がピカピカ瞬いていて、自分の体を動かすこともできませんが、「どうせ死ぬなら、他所で倒れるより、自分の家で妻や子供と死ぬほうがいい」と思ったので、外に出ないでいました。夜が明けると、ピカピカ光るのも見えなくなり、体も動くので、父に言われたように葬送の言葉はかけずに、ただ穴を掘って、妻と子供の墓を作りました。そうして、泣きながらいるうちに、火のそばに倒れていました。
((ここから、叙述者変更))
 ユペッで、わたしは年老いた父と一緒に暮らしていました。
 ある日、獲物がとれずに、でたらめに歩いていたら、どこかの猟場につきました。すばらしい猟場でしたが、火の匂いがするので、そちらへ歩くと、林の中に綺麗な小さい家があります。煙もないので不審に思って窓から覗くと、立派な若者が火のそばで倒れています。驚いて起こすと、その人は起き上がり、わたしを拝みながら、自分の身の上を話しました。「どこかの旦那さん、わたしは生きている身ではありません。もう死んでいるのですが、お伝えしたいことがあるので起き上がったのです」といいました。そして自分の身に起きたことをすべて話し、自分の家族を供養してくれるようにと頼んで来ました。そして「ひとつだけ持ち出したシントコのせいで流行り病の神に居所を知られ、わたしの家族は死んでしまったのですが、死んで初めてわかったことは、流行り病の神は食糧がないため既に退散してしまったのです。もうこの先そのシントコを持って行っても悪いことは起きません。あなたの運気は上がるばかりでしょうから、どうぞこの神の宝物をお持ちください。そしてそれ以外のものは全てこの家と共に燃やし、わたし達があの世で不自由なく暮らせるようにしてください」それだけいうと、その男性はまた倒れてニ度と起き上がることはありませんでした。わたしは泣きながらその人のいう通りにし、それから何度もその人達の家族を供養し、無事に先祖の国に行けるように祈りました。家に帰ってからは父も村人たちもその人たちに同情し、ことあるごとに供養をするよう心がけました。するとまた夢にあの死んだ男性が出て来て、無事に家族と共に先祖の国に着いたことに感謝をし、これからはわたしの村に悪いことが起きないように守ると言ってくれました。それからはその人のくれたシントコを大切にして暮らしたところ、本当に私の村には流行り病が流行ることもなく皆元気に暮らすことができ、私は長者になりました。
 父は年老いて亡くなり、子供達も大きくなったので私も死んで行くのですが、あのシントコは長男に譲ることにしました。他の兄弟にも、兄と一緒にこのシントコを大切にすると、よその川筋にかつていた神のような立派な男性が私達を守ってくれるのだと言い残して死んで行きます。
と、ユペッ川の上流に住む人が物語りました。

 

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