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伝承記録7 葛野辰次郎の伝承

 

伝承者紹介

 

葛野辰次郎

 

 1910年(明治43年)4月10日,北海道静内郡静内町東別に生まれる。現在91歳。

 1985(昭和60)年,北海道文化財保護功労賞,1997(平成9)年には第一回アイヌ文化賞を受賞。受賞理由となった『アイヌ民俗文化財緊急調査』(北海道教育委員会)ほか多数の調査に協力し,記録映画『アイヌの四季と暮らしシリーズ』(アイヌ無形文化伝承保存会)等にも度々出演している。現在,年齢的にも最長老の伝承者であるとともに,とりわけアイヌの信仰と儀式に関する博識と実践は,名実ともに「エカシ」(長老)と呼ぶにふさわしい。

 アイヌ民族博物館においても,博物館地鎮祭(1983),博物館新築祝い(1984),守護神の送り儀礼(1988,1991),イオマンテ(1989),ポロチセ新築祝い(1997)など,当館の節目となる重要な儀式には必ず葛野エカシの指導を得ており,当館伝承事業にとってかけがえのない財産となっている。

 しかし,葛野エカシの業績で特筆すべき点は,エカシ自身が考案したアイヌ語表記に基づくノートの執筆であり,『キムスポ1〜5』(1978〜1991)をはじめとする自著の存在である。本書第三部及び『資料編』に収録した祈り詞の多くもノートをめくりながら詠唱する方法が採られている。言うまでもなく,エカシはノートがなくても十分にアイヌ語は堪能である。しかし,祖先から受け継いだアイヌ語とその精神を絶やすことなく,一言一句確実に後世へ残すことが自らの責務と考えておられるように見える。

 「言葉はたくさんアイヌのエカシも持ってるけど,情けないけど文字がなかったの。だからそれを俺が,昔のエカシの代弁として,文字に書いて残しておこうかと思って,そして(ノートを)持っておくんだ」「絶対間違ったおかしなことは残すなよと。だから,おかしな,曲がったようなことを残したら駄目だと」(本書p.18)。

 「俺はこういうこと考えてるの。北海道に先住民族という民族がおったそうだが,自然界に対する感謝の気持ちがあったものかなかったものか。またその言葉というのはあったものかなかったものか。何代か後になったらそういうこと野郎共ら(研究者)が——口悪いけどな,野郎共らが研究する。だから〈先住民族というものは自然界の恩恵でもって生きてるんだ!〉って」(p.19)

 本書をまとめるにあたって御自宅を訪れた時,葛野エカシは病床にあった。「もう2,3年も前に来てくれればな」と繰り返し,幾度も咳き込んで話を中断しながらも,「いや,まだ俺は終わらん」と益々かすれた声をふり絞りながら,枕辺での長時間の調査に根気よく付き合って下さった。そうまでしてエカシが語りたかったのは,録音マイクの向こうにいる新しい世代の同族たちに対してであり,本書を学ぶ人々に対してである。

 「〈あのエカシはこうやって言ったけど,まあいいわ〉じゃだめよ。上手であろうが下手であろうが一生懸命やってると,そのうち〈あんたの言うことはこの辺が下手だ〉〈ここをどうかうまく,神々の心の満足するように〉とやってもらうことが俺のひとつの願いよ」(p.69)

 「だからね,アイヌのお祭りはね,それこそ神主の養成所」(p.92)

 アイヌの精神世界に生きた91歳のエカシの言葉である。肝に銘じつつ一層のご長寿を祈りたい。イヤイライケレ。

(安田 益穂)

 

※2002年3 月27日、91歳で逝去された。→「葛野辰次郎エカシを悼む」(『アイヌ民族博物館だより49・50号』所収)pdf(172KB)

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