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第三部 凡例
1.原資料について
第三部に収録した音声資料は,個室でノートを見ながら詠唱している録音と,儀式の実況録音の2種に大別される。
1−1.「葛野ノート」の詠唱
葛野辰次郎氏の祈り詞は,その多くが自筆のノートに書きためられており,一部は自著『キムスポ』などに収録されている。本書収録資料の過半もまたノートを見ながらの詠唱だが,当館にも葛野家にもノートが存在しないため,音声資料から文字化した。ただし,「30208 札幌鮭祭り」は『キムスポ』(pp.329-346)に収録されており,それを参照した。
実際の録音ではかなり頻繁に録音機を止めてやり直している。スイッチノイズが耳障りなため『資料編』のCDでは可能な限り除去したが,録音が連続していないことは本書に必要な情報と考え,当該箇所に(編集痕)と明示した。また,祈り詞の途中でテープエンドとなったり冒頭が欠けている資料も少なくないが,基本的にすべての情報を記載するよう心がけた。
1−2.儀式の実況録音
儀式場での録音は録音機を回しっぱなしにする場合が多く,祈り詞だけが録音されているわけではない。また,録音状態が悪かったり小声で祈っているために聞き取れない場合も少なくない。第三部では,原音声資料の中から葛野氏の祈り詞だけを取り出し,ほぼ全体を聞き取ることができたもののみを掲載した。
実況録音の場合ももちろん音声資料からの文字化だが,「30209 ポロチセ新築祝い」の「1.火の神への祈り」「2.ハルエオンカミ」の2編については,若月亨(1998)のカタカナ表記と和訳を参照した。
2.文字化の方法
本文は,頁の左から,行番号,カタカナ表記,和訳,ローマ字表記,逐語訳(下行)の順に配列した。
2−1.行番号
祈り詞一編ごとに3ケタの数字を付した。『資料編』DVD-ROMとの同期をとるためのもので,DVD-ROMでは[資料番号][INDEX番号][行番号]の順に配列した。行の区切りは本書のレイアウト上の都合によるもので,特に意味を持たない。
2−2.カタカナ表記
基本的に『アコロ イタク AKOR ITAK[アイヌ語テキスト1]』(北海道ウタリ協会,1994年)の表記法にならった。分かち書きは語を単位として区切った。
2−3.和訳
直訳に近い訳としたが,「私が」など人称接辞の訳は省略した場合が多い。人称接辞や語の原義については逐語訳を参照のこと。
2−4.ローマ字表記
基本的には現在一般的に用いられている音素表記によるが,音素表記にない記号類を併用している。これは奥田統己氏考案の「アイヌ語テキストデータベース標識付け(ATDM)仕様案1版」を参考にしている。仕様の詳細は「計算機処理による語彙データベース作成のためのアイヌ語テキストデータベース」『「北方ユーラシア先住諸民族の言語文化の資料データベース作成とその類型論的研究」研究成果報告書第4分冊 北方ユーラシア言語文献論集』(文部省科学研究費補助金(基盤研究A,研究代表者:金子亨)報告書,1998年3月)を参照されたい。現在のところ,http://www.sgu.ac.jp/hum/ningen/staff/okuda/ayntxt10.htmでもWeb版を閲覧できる。
なお,音素交替情報の標識付けは同論文の「方式2」を用いている。
以下に第三部で用いた記号類の定義を示す。テキストをパソコンで処理する必要上,ローマ字表記では英数字・記号を含めてすべて半角(1バイト文字)を用い,カタカナ表記,和訳,逐語訳ではすべて全角(2バイト文字)を用いる。また,本書では一般的なローマ字表記に親しんでいる読者に配慮して,記号類は小さく下付文字で示した。
……
acehikmnoprstuwy' アイヌ語本文の表記用文字。「'」(声門破裂音)は,語頭と母音間では省略した。
空白 語の区切り
= 人称接辞と語幹の区切り
- 語の内部の区切り。索引ではここで区切らない形と区切った形の両方を見出し語とした。
A-Z 音素交替,本来存在する音の脱落を示す。
例:koR rok > konrok(korのrがnに変化して発音されていることを示す)
Hene > ene(Hが脱落し,eneと発音されていることを示す)
この原則により,人名,地名などの固有名詞に関して,最初の1文字を大文字にすることはしない。
@ 人称接辞をマークする。
# 言いよどみなど,不完全に発話された語の不完全な部分を示す。
! 索引において見出しとしない構成要素をマークする。
0-9 同音異義情報を示す。本書「第四部 アイヌ語語彙索引」及び奥田統己編『アイヌ語静内方言文脈つき語彙集(CD−ROMつき)』(札幌学院大学,1999)の見出し語と対応している。
例:ka1「…も」,ka2「上」,ka3「糸」……
本書「アイヌ語語彙索引」の見出し語に付した数字が連続していない場合は,奥田(1999)に現れるが本書にその語が現れないことを示している。
2−5.逐語訳
基本的に前後の文脈に関係なく原義を記した。ただし,レイアウトの制約から簡略化した場合があるので,詳細は「第四部 アイヌ語語彙索引」を参照されたい。
なお,逐語訳では以下の全角(2バイト)記号を用いた。
・ 人称接辞と語幹の区切り。
〜 目的語を取る動詞の目的語を示す。従って,逐語訳に「〜」が1つあれば2項動詞,2つあれば3項動詞であることを示す。
# 虚辞 語調を整えるための音で,意味を持たない。
+ キki1 「〜をする」が原義だが,動詞に後続して助動詞的に用いられ,意味を変えない。
% アa2 一般には過去のことやすでに完了したことを示す助動詞で,「(…し)た」と訳されるが,本書では過去以外のことにもしばしば用いられている。
* ロクrok2 同上。
キki1,アa2,ロクrok2 の3語は,1単独で用いられる場合のほか,2キ ロク アki1 rok2 a2,3ロッ キ アrok2 ki1 a2,4ロク アrok2 a2などの形をとり,ひとまとまりで助動詞的に用いられることが多い。語調を整える働きのほかに,語り手と相手,表現対象との関係を表現する敬語的表現(謙譲,丁寧,尊敬)と推測する。
3.母音の有無の判断
祈り詞や歌のような節つきの口頭文芸の場合,閉音節を開音節のように発音することが珍しくない。例えば「ピリカpirka」(美しい)という語であれば,「ピリカpirika」と歌うことも,本来母音がないはずのリrの音を伸ばして「ピリーカ」と歌うことも許される。つまりピリpirとピリpiriは音からは判断できないことになる。その場合,「ピリカpirika」は節なしで発音すれば「ピリカpirka」となることが周知の事実であることから,音素表記で文字化する際には「ピリカpirka」と記す。
しかし未見の語彙の場合や,モシリmosirとモシリmosiriのように所属形と概念形の両形が存在し,かつどちらか判断がつかない場合には発音通り文字化した。
4.人称接辞
4−1.一般的な出現例
本書には実際の儀式の場での実況録音と,個室でノートを見ながらの録音の二種類があることは「1.原資料について」で述べたとおりである。第三部に出現する人称接辞を以下に列記したが,日常会話において一般に「私が」「私を」を表すクku=,エンen=は実況録音にだけ現れ,ノートを見ながらの録音では単数・複数とも主格はア@a=,アン@an1=,=@an2,同じく目的格はイ@i1=であった。
@ku= 私が/の(実況録音にのみ現れる)
@en= 私を(実況録音にのみ現れる)
@an1= 私が(実況録音には現れない),私達が/の,不定の人が,あなたが
@a= 私が(実況録音にも現れる),私達が/の,不定の人が,あなたが
=@an2 私が(実況録音にも現れる),私達が,不定の人が
@i1= 私を,私達を
@ci= 私達が(聞き手を含まない)
この違いは無意味なものではなく,儀式の具体的な状況に即して語っているか否かの違いから生じるものと考えられる。実際の儀式の祈り詞では,「私が言葉を語る」と言った場合には行為者が「私」(ク@ku=)であることは疑いがなく,イタッ クイェitak @ku=ye(言葉を私が言う)と言える。しかしノート原稿が介在する場合には,その祈り詞を語るのは別人であることもあり得る。
また,ノート原稿の場合には,ア@a=,アン@an1=,=@an2が誰を指すかは確定できない場合が少なくない。たとえば,アンアシ ロッ キ ア イナウan=asi rok ki a inaw(私(達)が立てた木幣)とあった場合,実際の儀式では「私が」木幣を立てたのか,「私達」みんなで立てたのかは明らかだが,ノート原稿では想像の域を出ない。だからこそku=ではなくア@a=,アン@an1=,=@an2,が用いられるとも考えられる。従って本書の逐語訳は編者の仮の解釈に過ぎないことをお断りしておく。詳細な検討は今後の課題としたい。
4−2.[1項動詞+@an+ki1]の形
「私が,私達が」などを意味する人称接辞アン@anは,沙流方言では原則として1項動詞(自動詞)に接尾するが,静内方言では2項以上の動詞に接頭する形と,1項動詞に接尾する形の両方がある。葛野氏の祈り詞では,動詞の後に語調を整えるためのキki1が続く例が多く,「1項動詞+@an+ki1」の形では以下のア.イ.のどちらの解釈も成り立つ。
ア.[1項動詞]=@an2 ki1 例:onkami=@an2 ki1 私(達)が拝礼する
イ.[1項動詞(動名詞)] @an1=ki1 例:onkami @an1=ki1 拝礼(すること)を私(達)がする
本書では,人称接辞との結びつきがより強いと思われる動詞に接辞させ,統一はしなかった。
4−3.[@a=[2・3項動詞]=@an2]の形
また,次のような用例も現れる。
ウ.@a=[2・3項動詞]=@an2 例:@a=porse=@an2 私(達)が〜を話す
エ.@ku=[2・3項動詞]=@an2 例:@ku=porse=@an2 私が〜を話す(1例のみ)
この場合,1項動詞以外の動詞にアン@an2が接尾しており,4−2に示した原則に沿わないが,アンanに独立した働きを認められないため人称接辞と解釈した。ウ.を例にあげれば,アポロセ アンキ@a=porse @an1=ki1の形からキki1が省略されたものと解される。
このような解釈は本書が初めて提示するものではない。奥田統己対訳による葛野辰次郎氏の祈り詞を収めた「カムイノミ,カムイユカラ,ユカラ」(『アイヌ文化に学ぶ』札幌学院大学生活協同組合,1990)に3例見られる。奥田氏との個人的な情報交換によれば,ある語幹の前と後ろとの両方について全体で一つの意味を表す接辞を「接周辞」といい,アイヌ語は接周辞的なものを許容する,上記の対訳では1つの解釈の提案として接周辞のように表記した,とのことである。
4−4.[2・3項動詞 @an1=ki1]
主たる2・3項動詞に接頭すべき人称がつかず,後続するキki1に接頭することも少なくない。
オ.例:rikin-te2 @an1=ki1 〜を上げることを私がする(=@a=rikin-te2 私が〜を上げる)
この場合は,アリキンテ アンキ@a=rikin-te2 @an1=ki1の形から冒頭のア@a=が省略されたものと解される。
4−5.[2・3項動詞=@an2]の形
次の場合も4−2に示した原則に沿っていない。
オ.[2・3項動詞]=@an2 例:o3-sir-epa-re3=@an2 私が〜を終える
この場合,ウ.の用法からさらに一歩進んで,@a=osirepare @an1=ki1の形からア@a=とki1の両方が省略されたものと考えざるを得ない。出現例は,いずれも語構成が比較的複雑な動詞に限られる。
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