ID | 氏名 | プロフィール |
---|---|---|
D001 |
![]() 織田ステノさん 新ひだか町静内 |
1902年、静内町(現在の新ひだか町)に生まれ育つ。1994年没。戸籍名はステ、自称をステノとする。十代から叔父らとともに農業に従事し、第二次大戦後は農地を得て経営を中心となって支え、地域社会でも積極的に活動した。1970年代以降は、アイヌ語、アイヌの神事、口承文芸、生活文化などについて積極的に後進を指導し研究者に協力した。当アイヌ民族博物館においても様々な伝統的技術、特に女性に関わる知識を継承し、イオマンテ(熊の霊送り)などの伝統儀礼などで指導的役割を担い、聞き取り調査にも積極的に協力するなど音声資料を数多く残した。同様に静内町教育委員会の業務にも従事・協力し、『静内地方の伝承―織田ステノの口承文芸』全五巻が刊行された。1984(昭和59)年には北海道文化財保護功労賞を受賞するなどその功績が広く認められている。 |
D002 |
![]() 川上まつ子さん 平取町 |
1912(大正1)年9月20日、現在の沙流郡平取町荷負のペナコリで生まれる。1988年没。祖母であるウワルスッから受け継いだアイヌ語の能力は、同世代の女性の中でも卓越したものとされ、日常会話のみならずカムイユカラ(神々の物語)やウウェペケレ(人間の物語)などのアイヌ口承文芸にも精通していた。また、伝統的な生活文化についても造詣が深かった。1983年からはアイヌ民族博物館に常勤し、様々な伝統的技術を次世代へ伝授した。特に聞き取り調査に積極的に協力し、146本もの音声資料を残した。1999年には「アイヌ民族博物館伝承記録4 川上まつ子の伝承 植物編1」、2002年には「アイヌ民族博物館伝承記録6 川上まつ子の伝承 植物編2」が刊行されている。 |
D017 |
![]() 栃木政吉さん 恵庭市 |
1896もしくは1898年4月13日、夕張郡長沼町に生まれ、農業に従事した後、恵庭市中央に暮らす。晩年は「千歳のエカシ」と呼ばれることもあった。儀式や男の仕事について詳しく、祈り言葉も堪能だった。アイヌ民族博物館では1970年代後半にイヨマンテの祭主を3度務めたほか、丸木舟やチセコㇿカムイ(家の守り神)等の資料を残した。また聞き取り調査にも協力し、祈り言葉や英雄叙事詩等の録音資料が残されている。1985年4月18日没。 |
D009 |
![]() 上田トシさん 平取町 |
1912(大正1)年10 月3 日、現在の沙流郡平取町荷負のペナコリに生まれる。姉の木村キミさん、幼なじみの川上まつ子さんなど、後に伝承者として知られる人々に囲まれて育ったが、父親がアイヌ語を使うことを嫌っていたこともあり、幼いころには全くアイヌ語を話さなかったという。 その後,平取町旭(上貫気別)に入植、農業に従事していたが、75歳になる1987(昭和62)年の秋から冬にかけて,最晩年の姉木村キミさんからウウェペケㇾ(散文の物語)を教わる。その後、次第に伝承者として知られるようになり、博物館や研究者への協力、口演会、記録資料作成などに精力的に活躍された。 1996(平成8)年、姉に続き、北海道文化財保護功労者賞を受賞。2005年7月24日逝去。 |
D005 |
![]() 葛野辰次郎さん 新ひだか町静内 |
1910(明治43)年4月10日、現在の北海道日高郡新ひだか町静内東別に生まれる。1985年、北海道文化財保護功労賞、1997年には第1回アイヌ文化賞を受賞。多くの調査に協力、記録映画にも度々出演している。特に信仰と儀式に関する博識と実践は同年代の中では際立っており、アイヌ民族博物館でも新築祝いをはじめ、当館の節目となる儀式には必ず指導を仰いだ。特筆すべきは自著『キムスポ』や「葛野ノート」と呼ばれる自筆原稿と関連音声資料であり、アイヌ語の「活保存」に後半生を捧げた。2002年3月27日没。 |
D003 |
![]() 川上シンさん 平取町 |
1915(大正4)年3月10日、札幌に生まれる。生後まもなく沙流郡平取町字荷負に移り、当地で結婚、生涯を過ごした。ヤイサマ(即興歌)の歌い手として著名で、また儀式(エポタラなど)についての詳しい知識を持つ伝承者として知られた。有形、無形を問わず、アイヌ文化に関する知識は多岐にわたる。 祖父は川上アリマキナ氏、祖母はアンモン氏(長知内出身)。アイヌ語の多くは祖母の語りの中から身につけた。 媼には1978〜79年に当館のアイヌ文化保存事業にご協力いただいた。その際、当時アイヌ民族博物館学芸課長であった岡田路明氏が同媼の宿舎において聞き取り調査をおこなった。 その後、媼は病の床につかれ、長い闘病生活の末、1990年10月17日永眠された。 |
D004 |
![]() 山川 弘さん 帯広市 |
大正3(1914)年9月21日、十勝川と猿別川が合流した止若市街(現在の幕別町)の小中島で生まれる。当時、家族は帯広市伏古(現在の西帯広)に住んでおり、母親だけがお産のために止若にきて翁を生んだ。このため、生まれてすぐに伏古へ戻り、13歳まで伏古コタンで過ごした。翁のアイヌ文化についての知識の多くは、このときいっしょに暮らした母方の祖母から得たものである。 9歳から13歳まで日新尋常小学校に通うが、このときの担任はアイヌ文化研究者の吉田巌氏であった。小学校卒業後、農家の奉公や牧夫などの仕事を経て、帯広市大正に移り、山猟や出稼ぎで生計を立てた。 第二次大戦中は、召集で旭川や千島に出征し、帰郷後は農業や山猟のかたわら帯広市のアイヌ文化の伝承保存に力を注ぎ、帯広市や幕別町の祖先供養祭や池田町のカムイエロキ祭、上士幌町のオッパイ山大祭などで祭司を務め、十勝における儀式の中心的な役割を果たしてきた。また、昭和54年に伏古でおこなったイヨマンテ(クマの霊送り)でも祭司を務めた。 しかし、昭和63(1988)年11月15日、突然の病で帰らぬ人となった。(写真:樋口隆信氏撮影) |
D006 |
黒川セツさん 平取町 |
1926年1月5日、沙流郡平取町に生まれ育つ。祖父イコアンレキらが日常行っていた様々な伝統的風習を見聞きしながら育った。1970年代になるとアイヌ文化伝承者として各地で伝統文化やアイヌ語教室講師を勤めるようになる。代表的なものはアイヌ無形文化伝承保存会編「アイヌと四季の暮らしシリーズ第3、4巻」。アイヌ民族博物館の聞き取り調査にも協力、アイヌ文化教室の講師を勤めるなどした。1999年アイヌ文化振興・研究推進機構のアイヌ文化奨励賞を受賞する。若い頃から様々な病気を乗り越えたが、晩年は長い闘病生活の末2015年1月没。 |
D007 |
![]() 新井田セイノさん むかわ町 |
1917(大正6)年、静内町(現在の新ひだか町)に生まれ、1919(大正8)年鵡川町へ移住。鵡川アイヌ文化伝承保存会の設立当初から中心的役割を担い、地域の後継者育成に取り組んだ功績などにより、1995年には北海道文化財保護功労賞、鵡川町文化賞受賞、2001年にはアイヌ文化賞を受賞した。またアイヌ民族博物館主催の「カムイユカㇻの夕べ」でカムイユカㇻを口演するなど、アイヌ語の伝承・保存活動に取り組んだ。2011 年11月没。 |
D010 |
西島テルさん 平取町 |
1901(明治34)年、沙流郡平取町荷負本村に生まれ同町貫気別で育つ。1960年代からアイヌ語の語り手として知られた伝承者で、萱野茂が同氏の散文説話や神謡を聞き取り「ウウェペケㇾ集大成」「萱野茂のアイヌ神話集成2」で音声資料を公開している。アイヌ民族博物館の調査には1985、1986年に協力し、中には決して多くは採録されていない女性伝承者の英雄叙事詩が語り残されている。1988年没。 |