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ID | 氏名 | プロフィール |
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D004 |
山川 弘さん 帯広市 |
大正3(1914)年9月21日、十勝川と猿別川が合流した止若市街(現在の幕別町)の小中島で生まれる。当時、家族は帯広市伏古(現在の西帯広)に住んでおり、母親だけがお産のために止若にきて翁を生んだ。このため、生まれてすぐに伏古へ戻り、13歳まで伏古コタンで過ごした。翁のアイヌ文化についての知識の多くは、このときいっしょに暮らした母方の祖母から得たものである。 9歳から13歳まで日新尋常小学校に通うが、このときの担任はアイヌ文化研究者の吉田巌氏であった。小学校卒業後、農家の奉公や牧夫などの仕事を経て、帯広市大正に移り、山猟や出稼ぎで生計を立てた。 第二次大戦中は、召集で旭川や千島に出征し、帰郷後は農業や山猟のかたわら帯広市のアイヌ文化の伝承保存に力を注ぎ、帯広市や幕別町の祖先供養祭や池田町のカムイエロキ祭、上士幌町のオッパイ山大祭などで祭司を務め、十勝における儀式の中心的な役割を果たしてきた。また、昭和54年に伏古でおこなったイヨマンテ(クマの霊送り)でも祭司を務めた。 しかし、昭和63(1988)年11月15日、突然の病で帰らぬ人となった。(写真:樋口隆信氏撮影) |