アイヌと自然デジタル図鑑

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ID
D003
氏名
川上シンさん

川上シンさん
平取町

プロフィール
 1915(大正4)年3月10日、札幌に生まれる。生後まもなく沙流郡平取町字荷負に移り、当地で結婚、生涯を過ごした。ヤイサマ(即興歌)の歌い手として著名で、また儀式(エポタラなど)についての詳しい知識を持つ伝承者として知られた。有形、無形を問わず、アイヌ文化に関する知識は多岐にわたる。
 祖父は川上アリマキナ氏、祖母はアンモン氏(長知内出身)。アイヌ語の多くは祖母の語りの中から身につけた。
 媼には1978〜79年に当館のアイヌ文化保存事業にご協力いただいた。その際、当時アイヌ民族博物館学芸課長であった岡田路明氏が同媼の宿舎において聞き取り調査をおこなった。
 その後、媼は病の床につかれ、長い闘病生活の末、1990年10月17日永眠された。
ID
D004
氏名
山川 弘さん

山川 弘さん
帯広市

プロフィール
 大正3(1914)年9月21日、十勝川と猿別川が合流した止若市街(現在の幕別町)の小中島で生まれる。当時、家族は帯広市伏古(現在の西帯広)に住んでおり、母親だけがお産のために止若にきて翁を生んだ。このため、生まれてすぐに伏古へ戻り、13歳まで伏古コタンで過ごした。翁のアイヌ文化についての知識の多くは、このときいっしょに暮らした母方の祖母から得たものである。
 9歳から13歳まで日新尋常小学校に通うが、このときの担任はアイヌ文化研究者の吉田巌氏であった。小学校卒業後、農家の奉公や牧夫などの仕事を経て、帯広市大正に移り、山猟や出稼ぎで生計を立てた。
 第二次大戦中は、召集で旭川や千島に出征し、帰郷後は農業や山猟のかたわら帯広市のアイヌ文化の伝承保存に力を注ぎ、帯広市や幕別町の祖先供養祭や池田町のカムイエロキ祭、上士幌町のオッパイ山大祭などで祭司を務め、十勝における儀式の中心的な役割を果たしてきた。また、昭和54年に伏古でおこなったイヨマンテ(クマの霊送り)でも祭司を務めた。
 しかし、昭和63(1988)年11月15日、突然の病で帰らぬ人となった。(写真:樋口隆信氏撮影)
ID
D006
氏名

黒川セツさん
平取町

プロフィール
 1926年1月5日、沙流郡平取町に生まれ育つ。祖父イコアンレキらが日常行っていた様々な伝統的風習を見聞きしながら育った。1970年代になるとアイヌ文化伝承者として各地で伝統文化やアイヌ語教室講師を勤めるようになる。代表的なものはアイヌ無形文化伝承保存会編「アイヌと四季の暮らしシリーズ第3、4巻」。アイヌ民族博物館の聞き取り調査にも協力、アイヌ文化教室の講師を勤めるなどした。1999年アイヌ文化振興・研究推進機構のアイヌ文化奨励賞を受賞する。若い頃から様々な病気を乗り越えたが、晩年は長い闘病生活の末2015年1月没。
ID
D007
氏名
新井田セイノさん

新井田セイノさん
むかわ町

プロフィール
 1917(大正6)年、静内町(現在の新ひだか町)に生まれ、1919(大正8)年鵡川町へ移住。鵡川アイヌ文化伝承保存会の設立当初から中心的役割を担い、地域の後継者育成に取り組んだ功績などにより、1995年には北海道文化財保護功労賞、鵡川町文化賞受賞、2001年にはアイヌ文化賞を受賞した。またアイヌ民族博物館主催の「カムイユカラの夕べ」でカムイユカラを口演するなど、アイヌ語の伝承・保存活動に取り組んだ。2011 年11月没。
ID
D010
氏名

西島テルさん
平取町

プロフィール
 1896年4月10日、沙流郡平取町荷負本村に生まれ同町貫気別で育つ。1960年代からアイヌ語の語り手として知られた伝承者で、萱野茂が同氏の散文説話や神謡を聞き取り「ウウェペケレ集大成」「萱野茂のアイヌ神話集成2」で音声資料を公開している。アイヌ民族博物館の調査には1985、1986年に協力し、中には決して多くは採録されていない女性伝承者の英雄叙事詩が語り残されている。1988年没。

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