アイヌと自然デジタル図鑑

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アイヌ語辞典

日本語名:エゾノウワミズザクラ

アイヌ語名:キキンニ

利用:食用、薬用、祈り、嗜好

植物編 §206 エゾノウワミズザクラ Prunus Padus L.

(1)kikinni キキンニ [kiki(身代わりに出て危険を追っ払うもの)ne(になる)ni(木)] 茎 ⦅北海道、樺太⦆
 注1.――kik(-i)は、危害を加えようとして襲って来るものに対して、被害者の身代わりに立ってその危険な襲来者を追っ払うものを言う。だから時には賠償物、身のしろ、の意味にもなることがある。kikiはその第三人称形で「何々の身代わり(になって危険と戦いそれを追い退けるもの)」の義。例えば伝染病が襲って来たのに対してkotan kiki kar(村・の身代わりを・作る)、あるいはkotan kiki raye(村・の身代わりを・押し出す)と言えば、具体的にはヨモギで作った草人形だとか、棒幣だとかを作って立てることで、そうすればこの草人形や棒幣が襲い来る病魔と戦って、それを追っ払ってくれるのである。「キキンニ」は、おそらくkiki(身代わりに出て戦うもの)-ne(になる)-ni(木)がもとであったろう。ここでkikiと言っているのは棒幣(situ-inaw 病魔を追っぱらうために立てる棒状の幣)をさす。別言すればinaw-ne-ni(幣・になる・木)、あるいはinaw-ni(幣の・木)というのに等しい。現に、ナナカマドをも「キキンニ」というが、同時にそれを「イナウニニ」、あるいは「イナウニ」と言っている地方がある(§223参照)。ここで「イナウ」(幣)と言っているのは、もちろん「シトゥ・イナウ」(棒・幣)の意味である。
 注2.――上にあげた例で、inaw-niと言って、situinaw-niと言わないのは、inawというものは本来situ-inawだったからである。そしてそのsitu-inawはもともと狩猟及び闘争用のsitu(こん棒)だった。もともとそのようなこん棒だったからこそ、魔を威嚇して遠ざける機能をもち得たのである。今でこそ「イナウ」は「カムイ」(神)に捧げる土産品と考えられているが、もとは魔を追うためのものだった。「カムイ」という語そのものが、地名だとか植物名だとか、古い用語例では魔を意味する場合が多い。それが後に文化が進んで神の観念が確立して来ると、「カムイ」はもっぱら神をさすことになり、魔は特にwen-kamuy(悪い・神)だとか、nitne-kamuy(頑固な神)だとか、限定詞を付して呼ばれるようになる。そのようにkamuyの観念の内容が魔から神へと変わって行くと共に、「イナウ」もまた魔を追うためのこん棒の観念から、神を喜ばすためのお土産という現在の幣の観念に変わって来たのである。その好個の一例が鮭を殺すに用いる打頭用のこん棒において見られる。
 注3.――サケを捕らえた時その頭を叩いて殺す打頭棒は、アイヌはそれを「イ・サパ・キク・ニ」i(それの)-sapa(頭)-kik(打つ)-ni(棒)、あるいは「イ・パ・キク・ニ」i(それの)-pa(頭)-kik(打つ)-ni(木)と言っている通り、言葉の上では-ni(棒)として表される。これは、それが本来は鮭をとるための漁労の具たる「シトゥ」(こん棒)に過ぎなかったことを示すものである。ところが、実物の形式を見ると、幣の削りかけが付けてあって、もはや単なるこん棒ではなく、まさにれっきとした「シトゥ・イナウ」(棒・幣)なのである。しかも、実際にそれで鮭の頭を打つ時には「イナウ・コル(木幣を・持って行け)! イナウ・コル(木幣を・持って行け)!」と唱えながら打つのでも知れる通り、今は神へ贈る「イナウ」(幣)と考えられているのである。situ→situ-inaw→inawの進化がみごとに完成されているのである。打頭棒については、§102のミズキの解説の中でも詳しく述べておいた。

(2)kikin キキン 果実 ⦅名寄
 注4.――木の名称は果実の名称から生じている例が多い。maw(ハマナスの果実)→maw-ni(マウの生じる木)。setar(エゾノコリンゴの果実)→setan-ni(セタルの生じる木)。このような例から逆に類推して「キキンニ」をkikin-ni(キキンの生じる木)と解し、kikinを果実とした。いわゆる逆成(back-formation)によって形成された語の一例である。
(参考)この木は一種独特の香気を有し、我々にはむしろ爽快にさえ感じられるくらいだが、病魔には堪えがたい悪臭と感じられるらしく、そこにアイヌは除魔力を認めて、治療に魔よけの呪法に広く用いた。悪疫流行の際は、この枝を取って来て火にくべ、水樽にもこの木の木片を六片浮かべ、戸口にその枝を立てておいた(天塩)。この木の皮とイブキボウフウの根とを袋に入れて、門口にかけて魔除けにした(幌別)。この皮はまた乾かし貯えておき、病気流行の際ばかりでなく、ふだんも煎じてお茶に飲んだり、粥に入れたりした。また風邪や腹痛の際にも飲んだ(幌別)。ただれ目(「シシ・チャプシ・ピッセ」sis-capus-pisse〔目の・唇・ただれる〕)に、この木のかき綿ぱ「ロチ」roci)を水に浸してそれで洗った(白浜)。風邪を引いた時は、この木の枝を鍋に入れて煮立たせ、その上に風呂敷をかぶせ、そこへ頭をさし入れて発汗させた。それを(「ヤイ・ス・マウ・カレ」yay-su-maw-kare〔自分で・自分に・湯気を・当てさせる〕)と言った(美幌)。

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