植物編 §032 ツリガネニンジン エゾツリガネニンジン Adenophora verticillata Fisch. Adenophora Thunbergiana Kudo
(1)mukekasi ムケカシ [muk(→§34、注1)ekasi(祖父、翁)] 根 ⦅北海道全地⦆
(2)moskarpe モシカルペ 茎葉 ⦅名寄⦆
注1.――オオバイラクサの茎と葉をmoseという。それを刈り取ること、それに限らず一般に草を刈り取ること、それをもmoseといい、あるいは「モセカル」(mose-kar)、さらになまって「モシカル」(moskar)という。モセウシという地名が各地に見出されるが、それには、1)mose(イラクサ)-us(群生する)-i(所)、2)mose-us(いつもそこで草を刈る)-i(所)、この2つの場合があるのである。moskarの方は、例えばホリ(産卵穴)を掘っている鮭の雄魚をikuspe-tuye-p(柱を・切る・者)というのに対して、雌魚をmoskar-pe(草を刈る・者)と称する。この場合のmoskarは産殿の屋根や壁を葺くカヤ草を刈る意味である。→補注(12)。
mosekar、moskarは、獲物(山幸や海幸)を安置するために草を刈り取ること、およびその目的で刈り取った敷き草、あるいはそれで編んだ敷物、などの意味にもなる。
沖から魚を積んで舟が帰って来る。波打ち際まで来ると船頭が岸へ向かって、
mosekar tuye(敷き草 刈れ)!
と叫ぶ。すると岸の女たちは近くの草原からイタドリやヨモギを刈って来て浜へ敷く。舟が陸へ上がったら、魚は必ず一旦この敷き草の上に置き並べ、それから家の中へ運ぶ。家の中にもやはりあらかじめ敷き草を敷いておいて、その上へ魚をおく。その敷き草がモセカルなのである。(参照、佐藤三次郎、北海道幌別漁村生活誌、p.64)
人祖「アイヌラックル」Aynu-rakkur[aunu(人)rak(臭い)kur(神)]が生まれてはじめて山狩りに行き、大鹿を見つけて矢を射ると、その矢が見事に命中し、大鹿が少し逃げて行って草の上によろめきながら倒れて行く。そこの所を神謡では次のように述べている(参照、アイヌ聖典、p.22)
tumam-kasike その胴の上で
pirka pon ay 美しい小矢が
ko-ror-kosanu. ずぶりと鳴る。
hanke-no-tek ほんのわずか向こうへ
kira wa arpa, 逃げて行き、
e-so-ne-moskar 草を
e-yay-moskar- 枕に
sama-hitara よろめき倒れて行く。
最後の3行を直訳すると、e(そこが)-so(寝床)-ne(になる)-moskar(敷き草)、e(それを)-yay(自分で)-moskar(刈り取り)-samahitara(横に広げて行く)、すなわち「敷いて寝るべき敷き草を自分で刈り取って横に並べて行く」ということで、大鹿の巨体が頭の方から次々に草を敷いて倒れて行くさまを述べたのである。このモシカルに対して金田一京助博士は「カヤ(nupkaus kina)ガマ(rapempe)などを編みて食物供物などの下に敷くもの」と注しておられる(アイヌ聖典、p.22)。→補注(13)
ツリガネニンジンの茎葉を「モシカルペ」というのは、おそらくこれを敷き草に使ったからであろう。
(4)raypusi ライプシ 根 ⦅真岡、白浦⦆
注2.――おそらくraypeusiが原の形であろう。北蝦夷図説に「ライヘウシ一名モシカルペ」とある。
(参考)根をそのまま煮たり焼いたりして食った(北海道、樺太)。根を飯に炊き込んで油を入れて食った(白浦、真岡)。根を潰して麦粉(moka<ロシア語)を混ぜ、または混ぜずに、揚げ物「チトトホ」citotoh[ci(われら)toto(揚げる)-p(もの)]にして食った(真岡、天塩)。根の煎汁を帯下の洗剤に用いた(白浦)。花の中に玉があって子供らは食べて遊んだ(足寄)。