植物編 §164 ツルツゲ Ilex rugosa Fr. Schm.
宮部金吾・三宅勉「樺太植物調査概報」に、Tammi-reheを挙げ、タムミ・レーヘと振りがなをして、「アイヌ」ハ果実ヲ歯痛ニ用ユト云フ、と付記している。採集者はおそらく、この実の名は何というか、とアイヌに質問したのであろう。それに対して、アイヌの方では、タンミレーヘ云々、と答えたに違いない。タンミレーヘとは
Tan mi rehe (この実の名は……)
ということである。「この実の名は、××である」とか、「この実の名は、分からない」とか、そんなふうな答えであったに違いない。それを採集者はこの植物の名だと早合点して前記の報告書に掲げたのである。すると、こんどはバチラー博士が簡単にだまされた。だまされたばかりでなく、私意の鋏を加えて語尾をちょんぎってしまい、それを辞書にかげた。バチラー辞書に
Tammire タムミレ、ツルツゲ n. Ilex rugosa (Saghalien)
とあるのがそれである。
文献には、往々このようにして生まれた幽霊アイヌ語が現れることがあるから、よくよく用心してかからなければならない。
宮部金吾博士は「アイヌ植物名に就いて」という論文の中で、アイヌの植物名を十四項目に分類して解説しておられるが、その第四項目の「燃え易く焚木とする木」という題目の所で、ナナカマドを釧路の屈斜路アイヌはAbeni(火の木)と言っている、と書いておられる。屈斜路は私も何回か調査に行った所であるが、私のノートにはついぞそんなことは書いていない。その後あの方面へ出向いた折、ふと思い出して念のため調べてみたら、そんなことは言わないということが明らかになった。その後またふと思いついて、「コタン生物記」のナナカマドの条を開いてみたら、「七回竃に入れても燃えないというこの木は、それだけに雪の中で火を焚くとき焚火の下敷にして置くと、なかなか燃えないから火の蓋になる。火の木という別名のあるのはそのためである」とあり、火の木に「アベニ」と振りがながふってあった。「アベニ」(正しくはape-ni)というのは焚木のことである。ナナカマドは七回かまどに入れても燃えないというくらいだから、もちろん「アベニ」にはならない、というようなことを、おそらく屈斜路コタンのアイヌの老人が語ったのであろう。それをうっかり聞いていたコタン生物記の著者が、ナナカマドをさす名だと早合点して、ノートに「アベニ」と書きとめておき、後にそれを整理して著書にする時、「アベニ(火の木)という別名のあるのは……」と断言的な書き方にしてしまったのであろう。それがそれだけですめば問題はなかったのだが、人の好い老博士が簡単にそれを信用してしまったのがいけなかった。そのために、とうとう、釧路の屈斜路のアイヌは知らない間にナナカマドを火の木と言っていることになってしまった。そればかりでなく、七回かまどに入れても燃えないはずのナナカマドが、「燃え易く焚木にする木」の中に分類されるというまことに妙なことになってしまったのである。