アイヌと自然デジタル図鑑

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アイヌ語辞典

植物編 §249 トリカブト Aconitum spp.

(1)surku スルク 根 ⦅北海道⦆
 注1.――語源は参考の部で説く。

(2)suruku スルク 根 ⦅樺太⦆

(3)Surugu-ra 『スルグラ』 ⦅B⦆
 注2.――surku-ra(súr-ku-ra)[ブシ根についている葉の義]で、たぶん葉をさすのであろう。

(4)surku-epuy スルクエプイ [surku(ブシ根)epuy(頭部)] 花 ⦅美幌

(5)seta-surku セタスルク [犬・ブシ根] 根 ⦅北海道⦆

(6)yayay-surku ヤヤイスルク [<yayan-surku(普通の・ブシ根)] 根 ⦅北海道⦆

(7)noyahamus-surku ノヤハムシスルク [noya(ヨモギ)ham(葉)us(ついている)surku(ブシ根)] 根 ⦅A空知

(8)puyraus-surku プイラウシスルク [puy(エゾリュウキンカの)ra(葉)us(ついている)surku(ブシ根)] 根 ⦅A空知

(9)kerepnoye ケレプノイェ [kere(触れる)-p(者)-noye(ねじる、からむ)、“触れた者にからんで身動きできなくする”] 根 ⦅A空知⦆⦅幌別沙流

(10)kerepturse ケレプトゥルセ [kere(触れる)-p(者)-turse(倒れる)] 根 ⦅A空知⦆⦅幌別沙流

(11)kema-hure-surku ケマフレスルク [kema(足)hure(赤い)surku(ブシ根)] 根 ⦅幌別沙流

(12)kema-kunne-surku ケマクンネスルク [kema(足)kunne(黒い)surku(ブシ根)] 根 ⦅幌別沙流

(13)sino-surku シノスルク [sino(本当の)surku(ブシ根)] 根 ⦅幌別
 注3.――本当に効くブシ根の意。

(14)ietunaska-surku イエトゥナシカスルク [i(それ)-e(について)-tunaska(急がせる、tunas早い、-kaさせる)-surku(ブシ根)] 根 ⦅穂別
 注4.――効果を早くあげるブシ根の義。

(15)ietokoan-surku イエトコアンスルク [i(それ)-etoko(の先)-an(ある)-surku(ブシ根)] 根 ⦅穂別
 注5.――先へ行って効果をあらわすブシ根の義。

(16)itunaskap イトゥナシカプ [i(それを)tunaska(急がせる、tunas早い、-kaさせる)-p(もの)] 根 ⦅名寄

(17)imoyrekap イモイレカプ [i(それを)moyreka(遅らす、moyre遅い、-ka(させる)-p(もの)] 根 ⦅名寄

(18)ayyop-ikkew アイヨピッケウ [ayyop(矢毒、ay矢、oに入る、-pもの)ikkew(背骨)] 根 ⦅名寄
 注6.――矢毒の中心になるものの義。参考の部に詳しく説く。

(19)irurekap イルレカプ [i(それを)rureka(溶かさせる、ruとける、ru-reとかす、rure-kaとかさせる)-p(もの)] 根 ⦅名寄
 注7.――参考欄に詳しく説く。
(参考)トリカブト属の植物は、その根の部分が、北海道では「スルク」surku、樺太では「スルク」surukuと呼ばれる。一方では、矢毒もまた同じ名称で呼ばれるが、それは矢毒がもっぱらこの植物の根から製せられたからである。
 アイヌは、この植物の生じる土地によってその毒性に強弱があるものと考え、自分の部落の山野に多量に見出されるにも関わらず、はるばる他村へそれを採りに出かけたりする。例えば、日高国浦河町付近の部落の人が胆振国幌別町付近の山野へ毎年この根を掘りに来ていたという事実がある。胆振国長万部の部落の人は黒岩まで採りに行ったというし、天塩の美深や名寄の人はアペシナイの奥のシュプンナイ、あるいはケヌプチ(剣淵)のスルクタウシナイへ採りに行ったという。
 北見の能取の部落の人は常呂の近くのスルクタウシナイで採った。また美幌の部落の人はキトイの奥のケミチャプヌプリという山まで採りに行った。この山のトリカブトの根は古来有名で、阿寒からも十勝からも、はるばる採りに来たという。
 日高国沙流郡では、平取村の向かいにあるPiratur emko un ci-anu-p nupuri[“ピラトゥルの水源にあって沖へ出た時にアテにする山”の義で、普段はそれほど高い山とも見えないが、沖漁に出た時沖へ行くに従って高く見えて来る山だという]のトリカブトの根がよいとされていたが、昔から平取村の酋長がその権利を持っていたので、それを採る時はいちいちそこの酋長の許可を得て採った。採るのには、itani[i(それを)-ta(掘る)-ni(木)]という棒を作って持って行った。山へ着いたら、まずpoy-situ-inaw「小さな棒幣」を立てて神に祈ってから掘りにかかった。まず、そこにある立木の皮を削って印を付けておいてから、五つくらい掘る。それからあっちの沢こっちの沢と場所を変えて、やはり五つくらいずつ掘る。掘りにかかる前に必ずまずそこの立木の皮を削って印をつけておく。それは後になってその場所のトリカブトの根の質がよいとなった時、またそこへ行って掘るつもりなので、その目印の意味である。トリカブトで変死した者があると、平取の酋長は、トリカブトを使う人々の間を回ってiramkararpare(義援金を募って)、それを持って先方の家を見舞うのが常であった。
 なお、古来、石狩国銭函のトリカブトの根は毒性が強いとされ、遠く日高や胆振からまで採りに来てそれを移植したとも伝えられている。釧路国白糠のものも同じく有名であった。北海道の各地に、“トリカブトの根のある所”とか、“トリカブトの根をいつも掘る沢”とか、この植物の産地あるいは採集地を意味する地名が多く見出される(C、pp.98、103、165、235、306、310、404、419、422、433、470、471等)。この植物は、大抵の部落の山野にあったことと思われるのに、ある特別の場所だけがその産地あるいは採集地の名を負わされているゆえんは、その場所のトリカブトの根が特によく効くと考えられたからに他ならない。なお、北海道にはこの植物の名を負う地名が多数見出されるにもかかわらず、樺太には一つも見当たらないことは、同地のアイヌが、昔から毒矢は使用しなかったと自ら確言していることと相まって、注意すべき事実であろうと思う。ただし、この植物の根で飢饉魔を退治した古謡が伝えられているところをみると、ずうっと昔にはやはりそれを使ったらしくも思われる。
 北海道アイヌは、トリカブトの根を、その毒性の強弱によって種々に分類する。例えば、空知アイヌのイチリの語る所によって分類すると、次のようになる(A、p.1)。
 surku
  seta-surku……(1)
  yayay-surku
    puyraus-surku……(2)
    noyahamus-surku……(3)
    kerepnoye……(4)
    kerepturse……(5)
 まず、毒性弱くして矢毒に用いられぬ種類を、「セタ・スルク」すなわち“犬のブシ根”と称する(1)。それに対して、毒性強くして普通矢毒の用に供せられるものを「ヤヤイ・スルク」すなわち“普通のブシ根”と称する。これは更に四種に分けられる。すなわち恐らくはその葉の形態によって名づけたものと思われるが、「プイラウシ・スルク」puy-ra-us-surku(エゾリュウキンカの・葉の・ついた・ブシ根)と称するもの(2)と、「ノヤハムシ・スルク」noya-ham-us-surku(ヨモギの・葉の・ついた・ブシ根)と称するもの(3)とがあり、更にその毒性の効果を示す名称かと思われるものであるが、「ケレプノイェ」kerep-noye(触れた者を・ねじる)(触れたら身動きできなくする)と称するもの(4)と、「ケレプトゥルセ」kerep-turse(触れた者が・倒れる)と称するもの(5)とがある。(4)はその毒気すこぶる猛烈なものを言い、これは女性と考えられている。(5)は毒気の点においてはやや劣るけれども、その効験最も著しいものであって、これは男性と考えられている。ただし、バチラーによれば「ケレプトゥルセ」は男性で、その毒は劇烈を極め、搔きなでるのみでも死を来すと言い、「ケレプノイェ」はその妻で、毒性弱くその働きは弱いという(『アイヌ人とその説話』)。
 幌別では、次のように分類する。
 surku
  seta-surku……(1)
  yayay-surku
   kema-hure-surku……(2)
   kema-kunne-surku……(3)
  sino-surku
   kerepnoye……(4)
   kerepturse……(5)
 (1)は毒性至って弱いもの。(2)(3)は毒性中位のもので、(2)は“足の・赤い・ブシ根”の意、(3)は“足の・黒い・ブシ根”の意である。(4)(5)は前述した通り。「シノ・スルク」とは“本当のブシ根”の意である。
 穂別では、やはり無効なものと有効なものとに分け、次のように分類する。
 surku
  seta-surku……(1)
  surku
   ietunaska-surku……(2)
   ietokoan-surku……(3)
 (1)は“犬・ブシ根”。(2)はi-e-tunaska-surkuで、“それ・について・急がせる・ブシ根”すなわち“効果を早くあげさせるブシ根”の義。(3)はi-etoko-an-surku“それ・の先・ある・ブシ根”“先へ行って効果をあらわすブシ根”の義である。
 名寄では、次のように分類する。
 surku
  seta-surku……(1)
  surku
   itunaskap……(2)
   imoyrekap……(3)
   imoyrekap……(4)
   ayyopikkew……(5)
   irurekap……(6)
 (1)は“犬・ブシ根”で無効のもの。(2)はi-tunaska-p“それを・急がせる・もの”で、毒性は弱いけれど一番早く効き目があらわれるもの。(3)(4)はi-moyreka-p“それを・遅らせる・もの”でこの順に毒性は強くなるけれども効果は遅くあらわれる。(5)はayyop-ikkewで、ayyopはay-o-p“矢・に入る・もの”すなわち“矢毒”、ikkew“背骨”、すなわち“矢毒の中心になるもの”の義で、毒性最も強くかつ効果が最も遅くあらわれるものである。これら四種類のトリカブトの根の各々から、それぞれ一種類ずつ、同名の矢毒をつくり、それらを別々に丸薬にして――まぜて使うと効果が薄いという――都合四種類の丸薬をその順にrum(矢さき)に並べて入れる。すると(2)(3)(4)の順に効いて行って最後に(5)で止めをさすのだという。(5)の丸薬を作る時、その効果を確実にするため蜂の針だとかドクゼリの根だとか種々の混ぜ物をする。これについては後で触れる。(6)はi-rureka-p“それを・とかさせる・もの”ということで、あまり毒性が劇烈で、それを使うとせっかく熊をとっても肉が腐って何にもならぬというので、悪い神(wen-kamuy、人食い熊のこと)を殺す時だけ使うのである。
 トリカブトの毒性の強弱をあらかじめ知る方法としては、根を折って見て、その折れ口が最初は白いが見ているうちに赤くなり次第に紫色に変わりやがて黒くなってしまうものが毒性最も強く、赤や紫で止まり、それ以上に変色しないものは毒性が弱い。もう一つの方法は、メクラグモの口に毒を塗って見て、たちまちクモの脚がばらばらに落ちてしまうものは毒性の強いもので、しからざるものは毒性の弱いものである。
 毒性の効果の遅速をあらかじめ験知するには、母指の根元に傷をつけて傷口に毒汁を塗り、煙草をくゆらしながらじいっと神経にふれてくる毒の気配に注意する。煙草一服吸い終わらぬうちに指先までしびれてくるほどのものは速効性で、しからざるものは遅効性である(D、pp.73-74)。普通これらから別々に幾種類かの丸薬を作り、並べて矢さきに入れることはすでに述べた。
 毒性は晩秋葉が枯れてしまった後かあるいは春先芽がまだ萌え出さないうちが最も著しいので、採集はその時期に行われる。採集することを「スルクタ」surku-ta、すなわち“トリカブトの根を掘る”という。掘って来た根は、葦か笹かクサソテツの枯葉に包み、納屋の天井などに吊るして陰干しにしておく。矢毒を調製することを「スルク・キク」surku-kik、すなわち“トリカブトの根を打つ”というが、それは納屋の天井に吊るしてあったトリカブトの根を取り下ろして叩き潰して矢毒を製するからである。その際、一晩ぐらい炉の灰の中に埋めておいて柔らかくしてから叩き潰すともいう。
 トリカブトの根を叩き潰すには、「スルク・ウタ・ニス」surku-uta-nisu“トリカブトの根を・搗く・臼”と称する凹み石を据え、「スルク・キク・スマ」surku-kik-suma“トリカブトの・根を・打つ・石”と称する凸状石を手にして、絶えず唾をかけ、プウ! プウ! と吹きながら叩き潰して鳥もち状になったものを、キツネの皮か白鳥の皮に包んで凍らないようにしておき、矢毒に使用する。あるいはその鳥もち状のものをそのままか、またはそれに少量の鹿の脂肪を加えて数日間地中に埋め、更にそれを取り出して浅い木鉢の中で脂肪と練り合わせ、適当の大きさの毒塊にする。
 このように、矢毒はトリカブトの根だけでも作るが、目的によっては、それだけでは効果が薄いと考え、種々の合わせ物をする。その合わせ物の種類、分量及び調製法は、地方によりあるいは個人により、多年の経験を織り込んだ独特の秘法を持っていて、厳重な資格審査を経た後でなければわが子といえどもみだりにこれを伝えることをしない。
 その処方は、例えば、煙草と唐辛子の浸出液に前記の鳥もち状の毒塊をひたし、更に少量のキツネの胆汁を加えてよく練り合わせ、それを乾燥する。乾燥してからまた前の液に浸す。あるいは毒蜘蛛や「ウォルンペ」wor-un-pe 水・の中にいる・者)と称するマツモムシ科に属する水中の毒虫を叩き潰して練り込んだりする。それを更に数日間地中に埋める人もある。
 穂別では蜘蛛、川のカジカ、サワガニ、エゾテンナンショウの根の有毒部、ヨモギの葉、松ヤニ等の全部、あるいは数種を組み合わせて叩いた。名寄ではフグの油、蜂の針、ドクゼリの根、エゾテンナンショウの種子、ハナヒリノキの削り屑、エンレイソウの果実、あるいはイチゴなども適当に混ぜたという。穂別では、ベニバナヒョウタンボクの枝を煮つめて混ぜると効き目が早いという。その他にpekakarpe(pe-ka-kar-pe 水の・上を・掃除する・もの、アメンボウ)と称する虫なども叩き込む。
 とにかく、ayyop(矢毒)には、ikkew(中心になるもの)としてsurku(トリカブトの根)を使う他に、次のようなものを使う。(1)トリカブトの根ばかりでなく、新芽あるいは葉も使うことがある。(2)エゾテンナンショウの根の有毒部、あるいは種子も。(3)煙草、あるいはそのヤニ。(4)唐辛子。(5)ベニバナヒョウタンボクの枝。(6)ハナヒリノキの掻き屑。(7)ヨモギの葉。(8)エンレイソウの果実。(9)イチゴの果実。(10)松ヤニ。(11)毒蜘蛛。(12)worumpeと称するマツモムシ科の毒虫。(13)pekakarpeと称するミズスマシ科の虫。(14)フグの油。(15)キツネの胆汁。(16)鹿の油。(17)唾液。これらの中には、我々から見れば何ら毒性が無く、単に呪術的な意味しかないものもある。例えば、松ヤニを混ぜるのは、それが獲物の手足に粘着してその活動の自由を奪うため、キツネの胆汁を使うのは、キツネ神が獲物をたぶらかすようにという願望なのである。
 トリカブトが獲物を倒すのも、アイヌの考えによれば、毒物のもつ薬理作用によるのではなく、「スルク・カムイ」surku-kamuy、すなわち“トリカブトの神”が獲物を酔わせるからである。酔ってふらふらすることを「スルルケ」sur-ur-keという。捨てる、放すということを「スラ」sur-a、その複数形をsur-paと言う。トリカブトの根を言う「スルク」sur-kuは、あるいは「スルクル」sur-kurで、“ふらふらする人”なのではなかろうか。
 出来上がった毒の効果を見るには、毒塊の微量をもぎ取って笹の葉に塗り、それを表にして舌にのせ、笹の葉を通じて舌に伝わる刺激の度を検する。それを「スルク・サプケ」surku sapke“毒のあんばいを見る”という。その刺激のあんばいによって、その獲物がどの位走ってから倒れるかという所まで判然と頭に描くことができるという。
 それ位であるから、毒を調製する時は、家中の婦女子を戸外に追いやって、誰もいない静かな所でする。ひっそりとして物音一つ立てないという場合を形容して“毒のあんばいを見ているようだ”という。例えば、士別の者が名寄の者をののしる言葉に、“Nayoro un-pe ipe humi surku sapke-p a humi ne-no an”「名寄の奴が物を食う昔は矢毒の効果を舌で試している者が座っているのと一つだ」などというのである。
 この植物は、山狩りする人はたいてい家の近くに植栽していた(幌別)。

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