アイヌと自然デジタル図鑑

MENU

アイヌ語辞典

植物編 §411 トドマツ Abies sachalinensis Fr. Schm.

(1)hup フプ 茎 ⦅北海道各地⦆
 注1.――hupの語源については、腫れ物とする説が支配的である。“フップとは腫物という事で、樹脂が皮の下にたまって腫のようにふくれて来るので、腫物の木というのである”(コタン生物記)。“トドマツを北海道のアイヌは、Hup(腫物)というが、これは樹皮に脂の瘤が多く生じているからであり、其の脂をウンコックと言い接着用に供した”(宮部、アイヌ植物名に就いて)。
 注2.――辞書にHup-ni『フプニ』、コタン生物記に『フップニ』と出ているが、これは、いわゆる“ばかていねい”(tautology)に堕したものである。語源が、言われるごとく“腫物の木”というのであれば、もとの形は当然「ふプ・ニ」hup-niであったはずであるから、これで一向差し支えなさそうであるが、現実のアイヌ語ではhupだけですでに“トドマツの木”の意味をもっているのであるから、さらにそれにni(木)を付けるのは蛇足なのである。現に、コタン生物記の採集地である屈斜路コタンの古老に聞いても、hupとだけいうのが本当だと答えるのである。
 注3.――hupと言えば普通トドマツの木をさすことになっているが、他の松にも適用される語であるらしく、樺太ではエゾマツの木をsunkuと言い、トドマツの木をyayuh[<yay-hup(普通のhup)]というが、huhteh[<hup-tek(hupの枝)]と言えばトドマツの枝もエゾマツの枝もおしなべて言うし、huhkara[<hup-kar(hup 原)]と言えば部落の背後の松林を(エゾのでもトドのでも)一般的にさす。その他、ハイマツでも(§413)、ゴヨウマツでも(§412)、やはりhupと言われたのである。

(2)up ウプ 茎 ⦅斜里

(3)huptek フプテク [hup(トドマツの)tek(手)] 枝 ⦅北海道各地⦆
 注4.――北海道北東部(十勝・釧路・北見)ではhuttekと発音する人が次第に多くなっている。

(4)huhteh フフテヘ [<hup-tek] 枝 ⦅樺太各地⦆
 注5.――ただし、タライカでは北海道と同じくhup-tekである。

(5)yayuh ヤユフ [<yay-hup 普通の・松] 茎 ⦅白浦
 注6.――後に説くごとく、hupは他の松にも適用される語なので、それらと区別するためにyay-hup(普通のhup)と言ったのである。

(6)『トトロップ』 ⦅藻汐草[白老]⦆
 注7.――totorop[<metot-or-o-p 山・内・に群生している・もの]か。

(7)『イヒタフ』『エピタッフ』 『イヒタフ』⦅藻汐草[斜里]⦆、『エピタッフ』⦅蝦夷拾遺⦆
 注8.――ipitap、epitap[<epita-p はじきかえす・もの]か。

(8)hup-yar フプヤル 樹皮 ⦅各地⦆
(参考)果実は食用に供された。蝦夷拾遺に“夷人この実を好み喰ふ”とある。
 樹皮は屋根や壁を葺くに用いた。東蝦夷夜話に“この皮を屋内に張る”とあり、鈴木重尚の唐太日記に“小屋掛をするには、立木より立木へ枯木の丸太をわたし、是にて屋根組をして、其上を椴の木の皮にて葺なり。夷人ども事馴れたれば、携へたる鉞にてその皮を剥に、至て手早きものなり”とあり、それに対する松浦竹四郎の註に“此山道中誰にても通行の時小屋を架するや必ず椴の立木の皮を上下長四尺斗に鉞目を入置て剥ぎ、是にて葺く。僅三四人の宿すべき小屋家根といへども、其皮凡二十枚も用ゆ。其皮一本の木より必ず一枚ならで剥ざる也”とある。また松浦竹四郎の久摺日誌に“仮屋の造り様他所に異り棟作り也。椴皮を以て葺に土人等是を剥ぐこと速なる也。先大木の根と五六尺上の所にぐるりと鉞目を入れ、下より篦もて剥ぐに、能く放る物也。是を以て蔽ひ、また敷物にもす。然れば冬の間は木凍るが故に剥悪きと也。此頃(3月29日)は水気満るが故によろしきよし”とある。
 冬山で野宿する時は、トド松の枝が手を広げている下に適当な場所を選び、まずそこの雪を踏み固めて窪みを作り、その窪みにナナカマドの枝を敷いて、できればその上にバラスをあげ、その上で火を焚く。そして自分の座る所にはトドマツの小枝を30cm位も高く積んでその上に座る。それをhuptek-so“トド枝の・座席”と言った(美幌)。
 冬ごもりしている熊をとるために熊の穴の中へ入り込むことを「イコアフン」i-ko-ahun[i(それ)-ko(に向かって)-ahun(入る)]と言うが、それをする時はトド枝でケラを作ってそれを着て穴の片隅からそろりそろりと入って行く。そして持って入った「アイオプ」ay-op(毒矢の槍)で熊の股の肉のやわらかな所をあまり痛くない程度に突き、トド枝のケラはそのままそこへ残しておいて、その下からはい出して穴の外へ出る。すると熊はトドマツの枝のケラを見て、まだそこに人がいると思い、それをさんざんに叩きのめす。このトドマツの枝のケラを「ふプテク・ウル」huptek-ur“トド枝の衣”という(名寄)。
 トドマツの枝は、それで悪魔祓いの手草――「フフテヘ・タクサ」huhteh-takusa“トド枝の手草”という――を作った。悪夢を見た朝、それで「ヤイェピル」yayepiru[yay-e-piru“自分を・それで・拭う”“自分の体を叩き清める”]を行い、その手草を火にくべて悪魔祓いをした(白浦、鵜城)。千徳太郎治著「樺太アイヌ叢話」(p.66)によれば、東海岸の白浜コタンは原名が「シルトゥル」sir-uturu“土地・の中間”で、小田寒から相浜まで行く道の中ほどにあった。昔はここにコタンがなく、旅行者は必ずここに犬ぞりを止めて休憩したが、その際トドマツの枝を折って来て、犬やそりや人間の体をそれで祓い清めた。それを「セタエピル」seta-e-piru“犬・清め”と言ったとある。

一覧へ戻る

ページの先頭へ戻る