国立アイヌ民族博物館アイヌ語アーカイブ

アイヌ語辞書について

 

公開中のアイヌ語辞書

 

  • 田村すず子『アイヌ語沙流方言辞典』(1996年)
  • 萱野茂著『萱野茂のアイヌ語辞典』(1996)※著者による発音音声つき
  • 知里真志保『分類アイヌ語辞典 植物編・動物編』(1953年)
  • 知里真志保『分類アイヌ語辞典 人間編』(1954年)

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 萱野 茂『萱野茂のアイヌ語辞典』1996年 ©萱野れい子
 田村すず子『アイヌ語沙流方言辞典』1996年 ©田村洋一

 

本書を利用するために(田村すず子『アイヌ語沙流方言辞典』pp.i-xxiより)

 

Ⅰ 見出し語

 

⑴見出し語の範囲 編者が録音または聞き書きした音声資料のうち、主として1955年から1961年4月までのものの中から語彙を拾った。ほかに、1961年夏以降の資料や、寄贈を受けた資料から拾ったものも少しある。ほとんどすべて、北海道沙流川筋の下流および中流地域のアイヌ語母語話者の話した言葉である。鵡川他の話者の発話の用例も少しだけ含まれているが、いずれも沙流川筋との方言差はないということを確かめてある。

 

⑵見出し語の種類 大半は日常語であり、昔話の中に出てくるだけでなく、昔は日常会話で使われていた言葉である。一方、日常語とは異なる、神謡やユーカラ(英雄叙事詩)などで使われる特別の語彙も拾った。地名・人名などの固有名詞も入れた。接頭辞や接尾辞や語根なども、よく使われるものは見出しに出すようにした。また、慣用句なども必要と思われるものは見出しとして立てた。

 

⑶見出し語の語形 語形変化のある語については、基本形だけでなく変化形も見出しに立てた。たとえば単数形と複数形の区別のある動詞については、両方の形を見出しに立て、もう一方の形を参照できるように明記した。同様に、概念形と所属形の区別のある名詞の場合も、両方の形を見出しに置き、互いに参照できるようにした。ただ、「連他動詞」の場合だけは、前部要素の概念形と所属形によって別の見出しを立てず、一つの見出しとして、概念形のあとに所属形形成語尾をかっこに入れて添えた。

 

⑷見出し語の表記 二通り以上の表記法の可能性のあるものについては、なるべく両方の表記を見出しに立てるようにした。二通りの表記を一つの項目に入れる場合は、斜線「/」をはさんで両方の形を掲げた。語中や語末の音や音連続が時によって発音されたりされなかったりする語は、原則として、そのような音または音連続を( )に入れて示した。それができない場合は別の項目とした。

 

⑸見出し語の配列 続けて書いてあるもの、ハイフンの入っているもの、語間のあき(スペース)のあるものなどに関係なく、すべてローマ字のアルファベット順に配列した。

 

⑹同音語 意味がはっきり違っている語以外は、たとえ品詞が違ってもなるべく一つの見出しのもとに置いた。一つの項目としがたい場合は別の見出しを立て、番号で区別した。その配列の順序は、まず自立語を動詞、名詞、副詞、連体詞、その他の順に置き、次に助詞を、最後に接辞を置いた。それぞれの中の配列順序を含めて示せば次のとおりである:動詞(完全動詞・自動詞・他動詞・複他動詞)、名詞(普通名詞・固有名詞・位置名詞・形式名詞)、副詞、連体詞、接続詞、間投詞、助詞(助動詞・格助詞・副助詞・接続助詞・終助詞)、接尾辞、人称接尾辞、接頭辞、人称接頭辞、その他。

 

Ⅱ 品詞別・訳・解説など

 

1 各項目の中での事項の配列

 次の様な順に配列した。⑴【品詞などの別】 ⑵[文法機能のさらにくわしい表示] ⑶[語形の種別]および(その語形の対となる語形)⑷[語構成分析または語源」⑸[意味領域の別、文体別、地域別など] ⑹日本語訳、(説明) ⑺用例とその日本語訳 ⑻☆発音 ⑼☆対語 ⑽☆参考 ⑾☞参照項目 ⑿〔他の辞典類の引用〕 ⒀{英訳} ⒁既刊テープ存在の表示。

 

2 品詞別、語形等の表示

⑴ まず文法機能によって分類した品詞の別またはその下位分類を【 】に入れて略号で示した。語構成要素とか、接尾辞・接頭辞などの別も、同様にして示した。例:【自動】=「自動詞」、【接尾】=「接尾辞」。
⑵ 必要に応じてそのあとに文法機能のさらにくわしい表示を[ ]に入れて添えた。
⑶ 語形変化のある語については、その語形の名称を[ ]に入れて示し、それとついになる語形を( )に入れて示した。例:[概](所は…)=「この形は概念形であり、これに対応する所属形は…である」。

 

3 語構成または語源の表示

 語構成または語源の推定を[ ]に入れて示した。これは学術的な研究成果ではなく、仮に推測しただけのものであり、確かな根拠はない。しかし、学習の助けになると考えるので、なるべく分解を試みた。意義の拡大などによる他の語からの転用や、他の品詞からの転成語などの場合は[< ]のような形式で示した。例:【名】[<自動]=「自動詞からの転成名詞」。借用語の場合および語源の推定も同様に示した。例:[<日本語]=「日本語からの借用語」。なお、語形変化のある語の場合は、基本形のほうにのみこのような分析の表示をつけた。たとえば名詞の所属形や動詞の複数形などには原則として語構成分析も語源分析もつけなかった。

 

4 日本語訳および用法などの説明

⑴ 必要に応じて①、②などの番号をつけて分けて行った。意味領域などの表示は[ ]に入れてそれぞれの項の訳や説明の前に置いた。例:[地名]
⑵ 日本語訳を普通の日本語表記で、説明を( )に入れて区別した。語形変化のある語の場合は、原則として基本形のほうにくわしい記述を行った。たとえば名詞の所属形や動詞の複数形を引いた場合は、概念形・単数形のほうに、よりくわしい訳や説明がある場合があるので、参照していただきたい。
⑶ 話者がつけた日本語の訳語や日本語による解説をそのまま引用したところは「 」に入れた。その場合、その日本語の方言形や話者の発音を共通語の形に直すことはしなかった。
⑷ 用例は、アイヌ語ローマ字表記、アイヌ語カタカナ表記、日本語訳の順に並べ、ローマ字になれていない利用者のために、ローマ字には大きい文字を使った。語形変化のある語の場合には、用例は原則としてそれぞれの語形の見出しのもとに入れた。歌謡、神謡、ユーカラなど韻文の用例は、行の変わり目を/で区切って示した。神謡の折り返し(sákehe サケヘ)は、別の書体を使って歌詞の部分と区別した。例:han cikiki/pu tapka ta hancikiki ハンチキキ/プ タㇷ゚カ タ ハン チキキ(han cikiki ハンチキキは折り返し)。
⑸ 語や用例の発話者または解説者とそれらの語や用例や解説の入っている資料の種別を⦅ ⦆に入れて添えた。例:⦅S会話⦆=「サダモさんによる、会話の中での発話」。

 

5 注記

⑴「☆発音」として、注意を要する発音について注記した。カタカナ表記が実際の発音とひどく違う場合には、実際の発音にもう少し近い日本語表記を使って注記した。
⑵「☆対語」として、「大きい」と「小さい」のような反対の意味を表す語(反対語、反意語、反義語)や、また「右」と「左」のような対照的な意味を持つ語を示した。
⑶「☆参考」として、その他の一般的な注記を加えた。たとえばものの名前であればそのつくり方や使い方、それについて人が言っていたこと、していたこと、などいろいろなことを含む。話者から聞いたことである場合は、語や用例の場合と同じく「 」を使ってその話者を明示した。類義語、関連語、派生語などもこの中に含めた。
⑷「☞」のマークのもとに、参照するとよい関連項目を示した。

 

6 付記

⑴ 他の辞典類の引用
 今回は次の五種類の辞典・事典しか参照できなかったし、それもたまにしか参照してないが、引用は〔 〕の中に入れて示した。
 〔知分類 p. 〕 知里真志保『分類アイヌ語辞典 人間編』『同 植物編』『同 動物編』。p. のあとの数字は掲載ページを示す。たとえば植物に関する語彙であれば『植物編』の掲載ページである。そのような場合、特に『植物編』とは書かなかった。ただ、動物の身体部位の名称が『人間編』に載っているというような場合には、「人間」と書き添えた。〔知分類になし〕は、これら3冊のどこにも掲載されていないか、また見つからなかった語である。
〔知地小 〕 知里真志保『地名アイヌ語小事典』
〔萱民具 〕 萱野茂『アイヌの民具』
〔久辞典 〕 久保寺逸彦編『アイヌ語日本語辞典稿』
〔久神聖 〕 久保寺逸彦『アイヌ叙事詩神謡聖伝の研究』
〔B.  〕 ジョン・バチラー『アイヌ・英・和辞典』第4版

 

⑵ 英訳
 {E: }は、英訳である。訳者自身も述べているとおり、充分に吟味されたものではなく、今後訂正・改善していくべきものである。訳語の作業が行われていた段階では編者も考えを述べたり修正を求めたりしたところもあったが、全部に目を通したわけではなく、全体を点検して手を加えることはしなかった。

 

⑶ 既刊テープ存在の表示
 その見出し語の原資料の入った音声テープがすでに公刊されている場合は、項目の末尾にテープのマーク〓を添えた。これは主として、『アイヌ語音声資料語彙』(全3巻)および『アイヌ語音声資料(7−9)索引』の中に項目として立てられているものである。既刊の📼にたくさん入っている語でも、この二つの資料の見出しに立てられていない接頭辞や接尾辞や語根などには、テープマークはついていない。

 

 

Ⅲ 記号・略語など

 

1 主な記号一覧

 【 】 品詞などの別。例:【他動】
 [ ] ⑴【】のあとで、品詞の下位分類別または語の種別のさらにくわしい表示。
例:【他動】[自動使役][中相]
⑵語構成または語源の表示。
⑶意味領域別、文体別、地域別などの表示。
 ( ) ⑴ちょっとした注記。例:【名】[所](概は…)
⑵「ある場合もない場合もある」。例:nanu(hu) ナヌ(フ)=「nanu ナヌとも言うし、またnanuhu ナヌフとも言う」
 〔 〕 他の辞典類の引用。
 “ ” 会話の用例で、一人一人の発言の部分。
 「 」 会話の用例のカタカナ表記で、一人一人の発言の部分。
 「 」 ⑴会話の用例の訳で、一人一人の発言の部分。
⑵話者のつけた訳で、一人一人の発言の部分。
⑶一般的な引用。
 『 』 本の題名、またはその略称。
 《 》 日本語訳。説明文の中にあって区別する必要のあるときにのみつけた。
 (?) 「不確実」または「単なる推測」
 / 「または」 例:…する/したとき=「…するとき」または「…したとき」
 / 韻文の行の変わり目。節をつけずに語られた場合でも、リズムの切れ目がある場合はつけた。リズムの切れ目をつけずに語られた場合はこの記号をつけてない。
 = ⑴「前の言葉(たとえば日本語の北海道方言の訳語)があとの言葉(たとえば共通日本語)と同じことを表している」。
⑵「直訳した前の言葉はつまり継ぎのような意味を表す」
 < 「…から来ている」。例:<日本語=「日本語から入った言葉である」。
 … ⑴「なになに」例:…で=「なになにで」。原則としてアイヌ語表記は「…」で始めることをさけ、必要な場合にはできるだけ日本語訳だけを「…」で始めるようにした。例外的に「…a…a…ア…ア…してしてし続ける」など数件がある。
⑵用例の文章やその訳文の省略箇所を示す。
 + 品詞表示や文法機能表示の中で、「と」「および」。
 ☆ 注記。
 ☞ 「…を参照」。
 - 二語のアクセントで発音される語の二要素の境目。
 = 人称接辞の接合部分。
 ´ アクセント、それがついている音節が前の音節よりも高く発音される。

 

2 品詞別などの表示

⑴動詞の仲間
【完動】 完全動詞
【自動】 自動詞
【他動】 単他動詞(目的語を一つだけとる他動詞)
【複他動】 複他動詞(目的語を二つとる他動詞)
【デアル動】 デアル動詞
【連他動】 連他動詞
【連複他動】 連複他動詞
【動詞】 動詞であるがその下位分類は不明
(日本語の動詞をそのまま使っている場合など)
⑵名詞の仲間
【名】 名詞のうち、普通名詞、固有名詞
【代名】 人称代名詞
【疑名】 疑問代名詞
【不定名】 不定代名詞
【位名】 位置名詞
【疑位名】 疑問位置名詞
【不定位名】 不定位置名詞
【形名】 形式名詞
⑶副詞の仲間
【副】 普通の副詞
【疑副】 疑問副詞
【不定副】 不定副詞
【後副】 後置副詞
⑷その他の自立語
【連体】 連体詞
【接】 接続詞
【間投】 間投詞
⑸助詞の仲間
【助動】 助動詞
【格助】 格助詞
【副助】 副助詞
【接助】 接続助詞
【終助】 終助詞
【助】 助詞であるがその下位分類は不明
(日本語の助詞をそのまま使っている場合など)
⑹語構成の要素となるもの
【語構成要素】 語構成要素
【自動語幹】 自動詞語幹(自動詞だが人称接辞がついてのみ出てくる形)
【他動語幹】 他動詞語幹(他動詞だが人称接辞がついてのみ出てくる形)
【語根】 語根
【自動語根】 自動詞語根
【他動語根】 他動詞語根
【名語根】 名詞語根
【位名語根】 位置名詞語根
【接尾】 接尾辞(人称接尾辞を除く)
【接頭】 接頭辞(人称接頭辞を除く)
【接頭+接尾】 語根または語幹をはさんで前と後ろに同時につく接頭辞と接尾辞
【人接】 人称接辞(人称接頭辞、人称接尾辞)
⑺その他
【名+副助】 名詞に副助詞がついた形
【接頭+数名】 数名詞に接頭辞がついた形
【慣用句】 慣用句(きまった言い回し)

 

3 文法機能などのさらにくわしい表示

[受身] 受け身
[概] (名詞の)概念形
[概/所] (名詞の)概念形または所属形(二つの語形が同形である場合)
[疑数名] (名詞のうち)疑問数名詞
[疑数連体] (連体詞のうち)疑問数連体詞
[疑副] (副詞のうち)疑問副詞
[再帰] (他動詞の)再帰形
[使役] (動詞の)使役形
[使役形形成] (動詞に接尾する)使役形形成接尾辞
[使役再帰] (動詞の)使役中相形、つまり使役形形成接尾辞と再帰形形成接尾辞とがついた形
[使役中相] (動詞の)使役中相形、つまり使役形形成接尾辞と中相形形成接尾辞とがついた形
[自動使役] 自動詞の使役形、つまり自動詞に使役形形成接尾辞がついた形
[自動詞形成] 自動詞形成接尾辞、語根または語基について自動詞をつくる
[自動詞接尾辞] 自動詞の接尾辞の一つ。語根・語基などについてある特別の意味の自動詞をつくる
[所] (名詞の)所属形
[所属形形成] (名詞の)所属形形成接尾辞
[助動詞的用法] 助動詞ではなく自立語の動詞だが、助動詞のように動詞・動詞句のあとに置かれて、より大きな動詞句をつくる用法
[数] 数詞
[数名] (名詞のうち)数名詞
[数連帯] (連体詞のうち)数連体詞
[他動使役] 他動詞の使役形
[他動詞形成] 他動詞形成接尾辞、語根または語基について他動詞をつくる
[他動中相] 他動詞の中相形
[単] (動詞の)単数形
[中相] (他動詞の)中相形
[中相形形成] 中相形形成接頭辞
[中相動名詞] 他動詞の中相形が動名詞として使われたもの
[動名詞] 動詞だが文中で主語・目的語など、名詞の機能を持って働いているもの
[複] (動詞の)複数形
[否定動詞] 否定の意味・用法を持つ動詞、肯定動詞と対になって、その否定形の代わりに使われる
[副詞形成] 副詞形成接尾辞、主として自動詞に接尾して副詞をつくる
[複複] (動詞の)複複数形、つまり複数形にさらにもう一つ複数形語尾がついた形
[不定使役] (動詞の)不定使役形、不定の人にさせる/してもらうことを表す形
[不定使役形接尾辞] 不定使役形をつくる接尾辞
[結びの助詞] (終助詞のうち)係り結びの構文で係助詞と組になる結びの助詞
[名詞化辞] (形式名詞の中で)文(節)のあとに置かれてこれを名詞化する語
[名詞語根的接頭辞] (接頭辞の中で)名詞語根に代わるような働きをするもの
[目的語指示接頭辞] (接頭辞の中で)動詞に接頭してそのとりうる目的語の数を一つふやし、その目的語とその動詞との関係を示すもの
[連体修飾] 名詞の前についてその名詞を前から修飾する関係の合成名詞(複合名詞)をつくるもの
[連体的接頭辞] 名詞の前についてその名詞に連体的にかかるような意味をそえる接頭辞

 

4 意味領域・文体などの表示

[隠] 隠し言葉、子どもにわからないように、またはそこにいる他人にわからないように、隠喩を使って言う言い方、アイヌ語のitakmakkuste イタㇰマックㇱテ。「隠語」ではない。
[韻文] 韻文用語
[雅] 雅語(ユーカラで使われる特別な語句)、および日常語のなかでも使われる雅語的表現
[稀] 稀語、まれにしか使われない言葉
[古] 古語、古い言葉
[植物] 植物名、植物の部分の名称など、植物関係の語
[新] 新語、新しい言葉
[人名] 人の名
[神謡] 神謡で使われる特別の言葉
[星座名] 星座の名
[他方言] この方言の中で話されたり、語構成要素として使われたりするが、単語としては他方言の語
[地名] 地名
[動物] 動物名、動物の体の部位名など、動物関係の語
[日常語] 日常会話や言い伝えややさしい昔話の中などで普通に使われる言葉
[比喩] 比喩的表現
[幼] 幼児語、幼児が使ったり幼児に向かって親などが使ったりする特別の言葉

 

5 語構成や語源の表示の中で

[擬音](擬音) 擬音語
[擬声](擬声) 擬声語
[擬態](擬態) 擬態語
(挿入音) 音と音の間に入った、意味のない音
(重複) 語根や語幹の全部または一部のくり返し

 

 


Ⅳ 語や用例や解説の資料の表示

 

1 話者の表示

 

 話者は左欄のようなローマ字の略号で表示した。それぞれの育った地域(したがって使用方言の地域)は右欄のとおりである。

略号 氏名(かっこ内は通称) 生年-没年 言語形成期の生活地
HC 平村つる 1894-1964 沙流川中流 二風谷(注)
HY 平村幸作 1880-1933 沙流川中流 平取
HY 平村幸雄 1955年当時45歳ぐらい 沙流川中流 平取
匿名 1958年当時80歳ぐらい 鵡川下流
KC 貝沢ちき(ちきし) 1895-1965 沙流川中流 二風谷
KH 貝沢はつめ 1899-1970 門別川中流 庫富
KK 貝沢こきん 1897-1964 沙流川中流 二風谷
KKm 木村キミ 1900-1987 沙流川中流 ペナコリ
KM 川上まつ子 1912-1987 沙流川中流 ペナコリ
KS 貝沢清太郎 1893-1956 沙流川中流 二風谷
KSg 萱野茂 1926- 沙流川中流 二風谷
KT 貝沢藤蔵 1955年当時60歳ぐらい 沙流川中流 二風谷
MM 三上モニ 1958年当時70歳ぐらい 鵡川下流 春日
NI 二谷一太郎 1892-1968 沙流川中流 二風谷
NK 二谷国松 1888-1960 沙流川中流 二風谷
NKy 二谷かよ 1908-1979 沙流川中流 二風谷
NZ 二谷善之助 1898-1980 沙流川中流 二風谷
平賀サダ(サダモ) 1895ごろ-1972 沙流川下流 福満
UT 上田トシ 1912- 沙流川中流 ペナコリ
鳩沢ふじの(ワテケ) 1890-1964 沙流川下流 福満
無表示⑴平賀サダ(サダモ)、鳩沢ふじの(ワテケ)、ほか何人もの語句や用例
   ⑵編者の解釈や解説

注:二風谷、ペナコリは現在平取町の中に含まれる。「平取」と書いたのは現在の平取本町。二風谷は平取よりも4kmほど川上にあり、ペナコリはそこからさらに4kmほど川上にある。

 

2 資料のジャンル別の表示

言い伝え 昔話のうち、upaskumaウパㇱクマと呼ばれる種類のもの。子孫代々教えとして語り伝えていく話。言葉の種類から言えば「独話」である。
犬を呼ぶ歌 昔ある人が3匹の犬をこう言って呼んだと伝えられている言葉。
ウポポ upopo ウポポ。よく「座り歌」と訳される種類の歌。数人の女性が拍子をとりながら輪唱している。
会話 二人またはそれ以上の母語話者の間で互いにかわされている会話。
掛け合い歌 二人で交互に掛け合いで歌う歌。知里真志保によってuparpakte ウパㇻパㇰテとして紹介されたもの。ここに所収の用例の歌い手はpon kamuyyukar ポン カムイユカㇻと言っていた。
子守歌 赤ん坊をねかしつける歌。沙流川下流でiyonruyka イヨンルイカ、中流でiyonnokka イヨンノッカと呼ばれる。
神謡 折り返し(リフレイン)をつけて歌われる叙事詩。沙流川下流でkamuyyukar カムイユカㇻまたはkamuyukar カムユカㇻ、中流以上でmenokoyukar メノコユカㇻと呼ばれるもの。
神謡語り 通常は折り返しをつけて歌われる神謡だが、特に節をつけずに語られたもの。
即興歌 自分の思ったことを即興的に歌う歌。叙情歌が多い。その中には⑴yaysamanenaヤイサマネナという折り返しをもつヤイサマ(下流でyaysamanenaヤイサマネナ、中流でyaysamaヤイサマと呼ばれるもの)、⑵嘆き歌iyohay-ocisイヨハイオチㇱ、⑶恋歌yaykatekarヤイカテカㇻを含む。なお、子守歌も即興的につくりながら歌われるが、それは別にした。
独話 一人で話している話、マイクに向かってスピーチをしたり解説をしたりしている話。
民話 語られた昔話のうち、uwepekerウウェペケㇾと呼ばれる種類のもの。
ユーカラ 雅語を使って折り返しをつけずに歌われる叙事詩。本書に用例を採録したものは、かつて金田一京助・久保寺逸彦らによってoina(本書の表記法ではoynaオイナ)として紹介されたものと同じ種類のもの。
ユーカラ語り ユーカラだが節をつけずに語られたもの。
その他 必要に応じて、「神謡の結末の語り」「民話の中のト書きの独話」のような表示も行なった。
無表示 ⑴語句(その提供者、教示者の名前の略号のみ必要に応じて記した)。
⑵語句や用例や用法などの解説(同上)。
⑶状況を想定して言っている会話の言葉、模擬会話
⑷その項目の説明の中に書いてあるのでくり返して表示する必要がないと思われたもの。

 


3 語・用例・解釈の原資料の所在

 

資料;Ⅰアイヌ語音声資料 Ⅱアイヌ語音声資料選集—散文編—
Ⅲアイヌ語音声資料—韻文編— Ⅳアイヌ語入門 Ⅴその他
Ⅰ欄の数字はその巻に収録されていることを表す。Ⅱ、Ⅲ、Ⅳの欄の○はそのテープに収録されていることを表す。( )は、一部分のみ収録されていることを表す。

略号 Ⅰ音声資料 Ⅱ散文 Ⅲ韻文 Ⅳ入門 Ⅴその他
HC神謡 5      
HC民話 5      
HK民話 6        
HY         ノート
KC子守歌 5      
KC即興歌 5      
KC民話 5        
KH民話 5        
KK掛け合い歌 5      
KK犬の呼び方 5        
KK即興歌 5      
KK民話 5        
KM神謡        
KM民話         未刊テープ
KS−NI         ノート
KSg         ノート
KSgビデオ会話         ビデオ『アイヌ語会話初級編』
KT         ノート
K民話         未刊テープ
MM即興歌 4        
NKy子守歌 5        
NK民話 6 (○)      
NZ挨拶 6        
⑴ ⑶ ⑷ (○) (○)   ノート・未刊テープ
S言い伝え 3      
S会話 1 (○)      
S−W会話 1     (○)  
S子守歌 4   (○)    
Sほかウポポ 4      
S自作の歌 4        
S自作のウポポ 4        
S即興歌 4   (○)    
S独話 3 4 9        
S民話 3 (○)      
Sユーカラ 7  8        
Sユーカラ語り 9        
⑴ ⑵ ⑷ (○)     ノート・未刊テープ
W言い伝え 2      
W会話 1 (○)      
W−S会話 1 (○)   (○)  
W神謡        
W神謡K         近藤テープ(注)
W神謡語り 1        
W独話 1 2 3        
W民話 2     (ノート)

注:故 近藤鏡二郎氏が1961年4月16日に録音したテープを恵贈されたもの。

 

 

Ⅴ 表記と発音

 

 この辞典のアイヌ語表記は、基本的には北海道ウタリ協会『アコㇿ イタㇰ AKOR ITAK アイヌ語テキスト1』(1994)の表記法に従っている。既刊の『アイヌ語音声資料』(1994)や『アイヌ語音声資料(1-6)語彙』(1991-93)などの表記法とは違うところもある。
 アイヌ語はローマ字とカタカナで表記してある。ローマ字はだいたいにおいて語を表記し、カタカナはどちらかと言うと発音を表す読みがなとして使っている。
 アイヌ語の発音は日本語とは違うから、ローマ字もカタカナも、日本語を読むようにそのまま読んでは、アイヌ語にはならない。
 ローマ字の場合、英語などでなれている読み方と違うところがあるし、語と語が続けて発音されるときに一語の発音とは変わる場合もある。そういう場合にカタカナが読みがなとして役に立つだろう。
 しかしカタカナは日本語の発音とはずいぶん違うから、やはりそのまま読むことはできない。表記と発音がひどく違う場合は、「☆発音」というマークのあとに注記した。しかしそれを読んでもまだ充分ではない。アイヌ語の発音はテープなどを使って耳から聞いたものをまねしていただきたい。

 

1 文字と発音

 アイヌ語のローマ字表記では次の17文字を使う(本辞典の配列順)。

大文字 小文字 文字の名称 表す音に近い日本語の音
' ' アポストロフィー はっきりした声立ての母音の始まり
A a エー ア、ア段の母音
C c シー チやツの子音
E e イー エ、エ段の母音
H h エイチ ハ行子音
I i アイ イ、イ段の母音
K k ケー カ行子音、ガ行子音
M m エム マ行子音
N n エヌ ナ行子音、ン
O o オー オ、オ段の母音
P p ピー パ行子音、バ行子音
R r アール ラ行子音
S s エス サ行子音
T t ティー タ・テ・ト、ダ・デ・ドの子音
U u ユー ウ、ウ段の母音
W w ダブリュー ワ行子音
Y y ワイ ヤ行子音


 ほかに、日本語の単語がアイヌ語の中で使われるとき、アイヌ語にはない音が出てくる場合には、別の文字を使う。

G g ジー ガ行鼻音(鼻濁音)の子音
Z z セッド/ズィー ザ行子音

 

2 アイヌ語の音節表

 

⑴音節の頭の子音と音節主音になる母音(子音のアルファベット順)
 それぞれのカタカナ表記を添える。その下の[ ]の中は実際の音に近いカタカナの表示である。たとえばkaは時によってカのようにもガのようにも発音される。またsaは時によってサのようにもシャのようにも発音される。

  
  母音
  a ア e エ i イ o オ u ウ
  子音+母音
  'a ア 'e エ 'i イ 'o オ 'u ウ
  ca チャ ce チェ ci チ co チョ cu チュ
   [チャ、ツァ]  [チェ、ツェ]  [チ]  [チョ、ツォ]  [チュ、ツ]
  ha ハ he ヘ hi ヒ ho ホ hu フ
   [ハ、ア]  [ヘ、エ]  [ヒ、イ]  [ホ、オ]  [フ、ウ]
  ka カ ke ケ ki キ ko コ ku ク
   [カ、ガ]  [ケ、ゲ]  [キ、ギ]  [コ、ゴ]  [ク、グ]
  ma マ me メ mi ミ mo モ mu ム
   [マ]  [メ]  [ミ]  [モ]  [ム]
  na ナ ne ネ ni ニ no ノ nu ヌ
   [ナ]  [ネ]  [ニ]  [ノ]  [ヌ]
  pa パ pe ペ pi ピ po ポ pu プ
   [パ、バ]  [ペ、ベ]  [ピ、ビ]  [ポ、ボ]  [プ、ブ]
  ra ラ re レ ri リ ro ロ ru ル
   [ラ]  [レ]  [リ]  [ロ]  [ル]
  sa サ se セ si シ so ソ su ス
   [サ、シャ]  [セ、シェ]  [シ]  [ソ、ショ] [ス、シュ]
  ta タ te テ to ト tu トゥ
   [タ、ダ]  [テ、デ]  [ト、ド]  [トゥ、ドゥ]
  wa ワ we ウェ wo ウォ (wu) ウ
   [ワ]  [ウェ]  [ウォ]  [ウ]
  ya ヤ ye イェ (yi) イ yo ヨ yu ユ
   [ヤ]  [イェ]  [イ]  [ヨ] [ユ]


注:( )の中のyiとwuは語頭には出ない。yiはyで終わる要素とiで始まる要素が続いたときにのみ起こり、同様にwuはwで終わる要素とuで始まる要素が続いたときにのみ起こる。特殊な場合に、音節主音の位置にmまたはnが母音の代わりに入っている場合もある。例:hm ㇷㇺ、hńta ㇷンタ。これら「子音+母音」は、あとに子音がつかずにそのままで一音節になることもあるが、またこのあとに子音がついて一音節になることもある。⑵の表と合わせて見ていただきたい。たとえば前頁の表でkaカとあるのは、kaカのみの音節のほかに、次の表にあるように、aのあとにいろいろな子音がついて、kakカㇰ、kamカㇺ、kanカン、kapカㇷ゚、karカㇻ、kasカㇱ、katカッ、kawカウ、kayカイなどの音節もある(または少なくとも、ありうる)、ということである。

 

⑵音節主音の母音と音節末尾の子音
 多くの場合、この前に子音がつくが、ここでは、カタカナ表記とその下の[ ]の中の発音表記は、前に子音がつかないときのものを書いておく。

 

  母音
  a e i o u
  母音+子音
  ak アㇰ、アッ ek エㇰ、エッ イㇰ、イッ オㇰ、オッ ウㇰ、ウッ
   [アㇰ]  [エㇰ]  [イㇰ]  [オㇰ]  [ウㇰ]
  am アㇺ em エㇺ im イㇺ om オㇺ um ウㇺ
   [アㇺ]  [エㇺ]  [イㇺ]  [オㇺ]  [ウㇺ]
  an アン en エン in イン on オン un ウン
   [アン、アㇴ]  [エン、エㇴ]  [イン、イㇴ]  [オン、オㇴ]  [ウン、ウㇴ]
  ap アㇷ゚、アッ ep エㇷ゚、エッ ip イㇷ゚、イッ op オㇷ゚、オッ up ウㇷ゚、ウッ
   [アㇷ゚]  [エㇷ゚]  [イㇷ゚]  [オㇷ゚]  [ウㇷ゚]
  ar アㇻ er エㇾ ir イㇼ or オㇿ ur ウㇽ
   [アㇻ、アㇽ]  [エㇾ、エㇽ]  [イㇼ、イㇽ]  [オㇿ、オㇽ]  [ウㇽ]
  as アㇱ es エㇱ is イㇱ os オㇱ us ウㇱ
   [アㇱ、アㇲ]  [エㇱ]  [イㇱ]  [オㇱ]  [ウㇱ、ウㇲ]
  at アッ et エッ it イッ ot オッ ut ウッ
   [アッ、アㇳ]  [エッ、エㇳ]  [イッ、イㇳ]  [オッ、オㇳ]  [ウッ、ウㇳ]
  aw アウ ew エウ iw イウ ow オウ (uw ウウ)
   [アウ]  [エウ]  [イウ]  [オウ]  ([ウウ])
  ay アイ ey エイ oy オイ uy ウイ
   [アイ]  [エイ]  [オイ]  [ウイ]

 

注:( )の中のuw ウーは普通にはない。wの前でunウンがuwウウと発音されることがあるだけである。
 これら「母音+子音」は、前に子音がつかずに(子音'がついても表記されずに)そのままで一音節になることもあるが、また前に子音がついて一音節になることもある。⑴の表と合わせて見ていただきたい。たとえばこの表でakアㇰと書いてあるのは、akアㇰのみの音節のほかに、⑴の表にあるように、aの前にいろいろな子音がついて、cakチャㇰ、゜hakハㇰ、kakカㇰ、makマㇰ、nakナㇰ、pakパㇰ、rakラㇰ、sakサㇰ、takタㇰ、wakワㇰ、yakヤㇰなどの音節もある(または少なくともありうる)、ということである。

 

3 ローマ字の文字と発音の注意

 

 だいたい音韻表記をする。しかし、語頭と母音間の / ' /は省略する(表記しない)。固有名詞だけ大文字で始める。それ以外は、たとえ文頭でも小文字で書く。

母音の発音
母音は日本語と同じく五つある。このうちa, e, i, oは、だいたい日本語(共通語、以下同じ)のア、エ、イ、オの母音と同じ。uは、もっと口の奥のほうで発音するので、ウとオとの中間のように聞こえることが多い。
iで始まる語幹に人称接頭辞ku=, e=がついた場合、発音は人称接頭辞と語幹のiとで一つの音節kuy, eyとなるが、表記上はku=i, e=iと書く。そのため、u, eにアクセント記号をつける。例kú=ipe(発音はkuype)、é=ipe(発音はeype)。人称接頭辞a=がついた場合も同じようにayとなることもあるが、ならないこともある。表記上はa=iと書く。
母音が音節の頭にあって、そこにアクセント核があるとき(つまり、そこから高くなるとき)は、その前に喉頭破裂音がつく。これは母音のはっきりした声立てで、言い始めでははっきりした出だしとなり、母音に続くときはそこでいったん息を止める。例:teeta《昔》は[teʔta]、テータではなく、テッエタを早く言ったような音になる。
子音の発音
 'は、正門破裂音[ʔ]ないし正門の緊張またはせばめである。母音の前にこれがつくと、はっきりした声立てとなる。語頭や母音間にも出るが、表記上はだいたい省略し、たとえばte'eta《昔》は、teetaと書く。子音のあとでは表記する。例:ay'ay《赤ちゃん》は[aiʔai]。この語はまた[ájai]とも発音される。これはáyayと書く。
②  hは、音節の頭にだけしか立たない(音節の末尾にh が立つのは樺太方言)。日本語のハ行子音のように発音されることも多いが、やらわかく、ゆるいhである。母音にはさまれると、しばしば有声のように発音される。子音のあとではしばしば落ちる。その音節にアクセント核がないとき(つまり、そこから高くなる音節でないとき)は子音のあとでhは落ちて、前の子音と次の母音とで一つの音節をつくる。nのあとでは、アクセント核があっても(つまり、そこから高くなる音節であっても)、hは落ちるのが普通である。例:an híne《あって/いて》はanineアニネと発音される。
 p, t, kは、音節の頭では、日本語のパ行、カ行、タ行子音のように発音されることが多く、人により、時によって、かなりの気音が出ることもある。母音間では有声のb, d, gのように発音されることもあり、特に鼻音のあとでは、有声のb, d, gに発音されることが多い。例:inteo《目やにがたまる》は、indeoインデオと発音される。音節の末尾では、破裂しない音である。たとえばkap《皮》は、カッパと言いかけて、パを発音せず、そこで止める。pet《川》は、ペッ ペットと言いかけて、トを発音せず、そこで止める。舌の先を歯茎につけたままで離さない。sik《目》は、シッキと言いかけて、キを発音せず、そこで止める。カップ、ペットゥ、シックとは決して言わない。
 cは、音節の頭にだけしか立たない。チャ、チュ、チョの子音のように、また時によってはツの子音のように発音される。
 sは、音節の頭では、サ、シ、ス、セ、ソの子音に近く、siはシ。しかしsa, su, se, soは、人により、また時によって、シャ、シュ、シェ、ショのようにも発音される。
 音節の末尾では、シの子音に似た音が出ることが多い。例:as《立つ》は[aʃ]に近く、日本語の音にたとえるならアㇱ。しかしいつもそうとは限らない。asのあとにwa《…して》という助詞が続くと、[aswa]、日本語の音にたとえるならアㇲワであって、アㇱワではない。
 rは、音節の頭ではラ行子音。人によって、もっと強く、ダ行子音に近く発音する人もいる。たとえばray《死ぬ》がダイに聞こえることもある。
 音節の末尾でも、同じ音である。英語のrとはまるで違う。ラ行音を軽く言いかけて途中でやめるようにするとよい。ラ、リ、ル、レ、ロのうちのどれに近いかは、その語により、またそのときによって違う。あとに続く音がにないときは、前の母音の音色が響く場合が多い。例:kar《作る》、ker《靴》、kir《髄》、kor《持つ》、kur《人》のrは、それぞれラ、リ、ル、レ、ロの音色を含む。したがってカㇻ、ケㇾ、キㇼ、コㇿ、クㇽというカタカナ表記を参考にして問題ない。しかし、kar yakka《作っても》と言うときはカラヤッカに近くは発音されず、カリヤッカに近く発音される。kar wa《作って》と言うときは、(カタカナ表記ではカㇻ ワだが)カラワよりもカルワに近くなる。arpa《行く》も、(カタカナ表記ではアㇻパだが)アラパよりはアルパに似た音である。arki《(二人以上が)来る》は、(カタカナ表記ではアㇻキだが)ときにはアルキに近く、ときにはアリキに近く聞こえる音である。アラキに近く発音されることは普通はない。節をつけて歌うなどのために長くのばすときに、アーラーキーのようになるだけである。カタカナ表記の小さいㇻ、ㇼ、ㇽ、ㇾ、ㇿの文字は、発音を表しているわけではないから、十分に注意する必要がある。
 音節の末尾では、次に続く音によって、音素交替が起こり、別の音に発音されることがある。すなわち、t, cが続くときはtと発音され、rが続くときはnと発音される。
 mは、音節の頭では日本語のmと同じマ行子音。
 音節の末尾でもm、英語のham《ハム》のmのように発音すればよい。
 nは、音節の頭では日本語のnと同じナ行子音。
 音節の末尾では、基本的にはnの音であるが、時によって、いろいろな音に発音される。まず、あとにほかの音が続かないときは、nまたは日本語のン。あとにtまたはnが続くときは、n。あとにpまたはmが続くときはm。例:pon pe《小さいもの》は[pompe]。あとにkが続くときは[ŋ]。例:hanku《おへそ》は、[haŋku]。これは日本語のンで発音して問題ない。しかしあとにhまたは[ʔ](文字で言うと母音)が続くときは、nであって日本語のンではないことに注意。例:pon okkaypoは[pon ʔokkaipo]であって、ポン オッカイポではない。つまり、ポとオの間で舌の先を歯茎にしっかりとつけるので、ちょっとポノオッカイポに似て聞こえる。
 音節末尾のnのあとにsまたはyが続くとき、話者によってまた時によって、nがyに発音される。例:pon seta《小さい犬》、pon yuk《小さい鹿》はpoysetaポイセタ、poyyukポイユㇰと発音されることがある。
 音節末尾のnのあとに助詞wa《…して/…から》が続くとき、話者により、また時によって、両方でmmaと発音される。例:an waはammaと発音されることがある。
 それ以外のwに始まる音が続くときは、wの発音になることがある。例:pon weysisam《小さい貧乏和人》はpowweysisamと発音される。これが古くからの発音らしい。
 wは、音節の頭ではワ行子音。ただし日本語のwよりももっと唇を丸めて、もう少しゆっくり発音する音で、日本語のwと英語のwとの中間程度の音である。wa, we, woはワ、ウェ、ウォ。wuはカタカナ表記でウと書くが、uとは違う音である。wをはっきり発音する。たとえば英語のwouldやwoolの出だしの部分のように発音すればよい。
 wa《…して/…から》という助詞に限っては、nのあとに続くとき、maと発音されることがある。これは川下の話者の場合である。鵡川の話者でも同様である。
 音節の末尾では、wは二重母音の副母音で、日本語のウでまねをすればだいたいよいが、もう少し口の奥のほうで発音されるので、オに近く聞こえることもある。例:haw《声》はハウ。hawehe《彼の声》はハウェヘ。
 yは、音世つの頭ではヤ行子音。ya, ye, yo, yuは、ヤ、イェ、ヨ、ユ。yiはカタカナ表記ではiもyもyiも区別せず、みなイと書くが、yiはiともyとも違う音である。たとえば英語のyear《年》の出だしの部分のように発音すればよい。ear《耳》の出だしの部分のように発音するとiの音になってしまう。例:yayirayke《感謝する》は、yairaykeでもyayraykeでもない。yairaykeという語はなく、yayraykeは《自殺する》という意味の別の語である。

 

 

  

4 ローマ字表記上のきまり

 

文字について
だいたい音韻表記をする。しかし、語頭と母音間の「'」(=[ʔ])は省略する。例:teeta《昔》はte'eta[teʔeta]と発音するが[']は書かない。したがって、[']が書いてなくても、はっきりした声立てで発音するようにしなければならない。3⑴②を参照。
固有名詞だけ大文字で始める。他は、たとえ文頭でも小文字で書く。
分かち書きなど
だいたい単語を単位として分かち書きする。一語であっても二語のアクセントで発音される語はハイフン[-]を入れて書く。逆に、一語のアクセントで発音される語句でも、別々の単語である場合は分けて書く。また、一語と見ることもできるような場合でも、わかりやすいようにと分けて書くこともある。
人称接辞と語幹との間には「=」を入れる。例:ku=nukar《私は見る》。これは単に表記上のきまりであって、発音の切れ目ではないことに注意。読むときは、人称接頭辞(ku=, e=など)のあとについている「=」はないものと見なすこと、人称接尾辞(=as、=an)の前についている「=」は、「-」と同じに見なすことが必要である。ただし一音節だけの短い語幹についている場合は、[-」がないのと同じに発音されることが多く、そのような発音はcí=anチサンのように表記してある。
語と語が続けて発音されている場合
語と語が続けて発音されたために発音が変わっている場合には、一続きに書く場合のみ発音どおりに交替形を書き、分けて書く場合は基本的な語形を書く。例:pekennupe《涙》はpeker《澄んでいる》とnúpe《涙》とがくっついてできた語だが、続けて書くので発音どおりに表記する。ku=nukar rusuy《私は見たい》は、kunukanrusuyと表記されるけれども、離して書くので、nに発音されるrをrのままで書く。
人称接頭辞がついて、接合部分で形が変わる場合は、語幹は原則として基本の形のままを書く。例:i=okake《私の死後》は、iyokakeと発音されているけれども、yを入れずに書く。しかし、ku=やci=が、母音で始まる語幹の前で母音を落として発音されるときは、発音されるとおりに母音の落ちた形を書く。例:k=arpa《私は行く》、c=óhun《私(神)はそこに入る》。
アクセント
アクセントは、例外的な場合にのみ、アクセント記号「´」を母音字の上につけて示す。この記号がつけてない場合は、次のような原則(一般的傾向)のとおりだということである。
第一音節が閉音節(子音で終わる)ならば、第一音節が高い。
第一音節が開音節(母音で終わる)ならば、第一音節が低く、第二音節が高い。
このようなアクセントの表示(「´」をつけないかまたはつける場合はどこにつけるか)は一続きに書かれた語ごとに行う。たとえばKamuy-húci《火の女神》は、huだけが特に高いのではない。Kamuyの部分とhúciの部分とが別々にアクセント表示をされている。「´」のついていないKamuyの部分はKaが低くmuyが高い、原則どおりのアクセントであり、húciの部分はhuが高くciが低い、例外的なアクセントである。つまり、この語ではmuyの部分とhuの部分が高く発音される。
人称形のアクセントは、①②の原則とは別である。人称接頭辞がついた形は、一語のアクセントを持つ。したがって「=」がないのと同じに読まなければならない。
ku=yupi クユピ 私の兄 発音はkuyupi(=kuyúpi)
ku=ákihi カキヒ 私の弟 発音はkákihi
a=yupihi アユピヒ (引用文中で)私の兄 発音はayupíhi
人称接尾辞がついた形は、原則として、語幹と人称接尾辞がそれぞれアクセントを持つ。したがって「=」を「-」(ハイフン)と同じに見て読まなければならない。
iruska=as イルㇱカアㇱ 私たちは腹が立った 発音はiruska-as(=irúska-ás)
iruska=an イルㇱカアン (引用文中で)私たちは腹が立った
発音はiruska=as(=irúska-án)
一音節語についた場合は、一つのアクセントで発音されることが多い。
cís=as チサㇱ 私たちは泣いた 発音はcísas
sáp=an サパン (引用文中で)私たちは川下へ行った 発音はsápan
語が続くとアクセント核の位置(高くなり始めるところ)が変わる場合があるが、それは表示しない。たとえばcise《家》はciが低くseが高い、原則どおりのアクセントであるが、この前にtu《二つの》、re《三つの》が来てtu cise《二軒の家》、re cise《三軒の家》となると、それぞれの二語全体が一つのアクセントを持ち、ciの部分が高く発音される。しかしこのような場合に、iにアクセント記号はつけない。
その他
強調などで高く発音される部分と低く発音される部分が変わることもあり、またイントネーションによっても変わることがあるが、それは表示しない。ピリオド「.」やコンマ「,」や疑問符「?」は、イントネーションを表しているわけではない。
母音が長くのばして発音されている場合にはその母音字のあとに「:」をつけて表す。例:ka:k(カラスの鳴き声)。

 

5 カタカナの文字と発音の注意

 

大きい文字と拗音の文字
 大きい文字や拗音の文字など、日本語で普通使われている文字は、日本語の音に近い音を表す。ただし、
イは二つの違った音を表す。一つはi(ア行のイ)、もう一つはyi(ヤ行ノイ)である。日本語ではこの二つの区別がないが、アイヌ語では区別されている。同様に、ウも二つ音を表す。一つはu(ア行のウ)、もう一つはwu(ワ行のウ)であるyiもwuも語頭には出てこない。
母音は、やわらかく始まるときと、はっきりした声立てで始まるときとある。例:テエタ《昔》のエ、オカアン《私たちは…いた》のアなどは、はっきりした声立てで始まる音である。テッエタ、オカッアンの発音にやや似ている。
カ行、タ行、パ行の文字は、濁音のような音を含む。
サ、ス、セ、ソは、シャ、シュ、シェ、ショに近い音を含む。シは日本語のシのような音である。
チャ、チュ、チェ、チョはツァ、ツ、ツェ、ツォに近い音を含む。チは日本語のチのような音である。
ナ行、ハ行、マ行、ヤ行、ワ行の文字で書かれた音は、だいたい日本語のような音である。ハ行の文字で書かれた音は、ア行音に近くなることもある。
ウ段の文字で書かれた音は、オ段の音に近くなることもある。
キ、ク、シ、ス、チ、ツ、ヒ、フは、母音を落とさないように特に注意を要する。例:フチ《おばあさん》は、北海道や東京の日本語の「縁」「不治」のように母音の「無声化」は起こらない(ㇷチとはならない)。フの母音を高く、強く、充分長く発音する。
ンは、日本語のンとはたいへん違う場合が多い。例:ウェン イタㇰ《悪い言葉》、コタン アンなどのンはナ行子音(n)で、日本語のンとはまるで違う音である。ウェニイタㇰ、コタナアンに近い。
小さい文字
小さい文字(ㇰ、ㇷ゚など)は、あとに母音がつかない子音、だいたい音節末子音を表す。
ㇰ(k)は口の奥の方を、ㇷ゚(p)は唇を、しっかりとじる。例:イタㇰはイタクでもイタックでもない。チカㇷ゚はチカプでもチカップでもない。
ㇱは、サ行子音(s)。シに近く発音される場合、スに近く発音される場合がある。例:クㇱ《通る》は、クシよりもクスまたはクシュに近い。
ッは、いろいろな音を表すので、カタカナを見ただけではどの音か判断できない。大きく分けて次の二つの場合がある。
1)タ行子音(t)を表す場合。例:クッ(kut)《帯》。あとに違う音が続くときには特に注意を要する。例:オッケ(otke)《突く》、アッパケ(atpake)《初め》などのッはつまる音にしないで、はっきりとtを発音する。オㇳケ、アㇳパケに似たような音である。
2)あとに続く子音と同じ音を表す場合。日本語のつまる音のように発音する。例:カッコㇰ(ッはカ行子音k)《カッコウ》、チカッポ(ッはパ行子音p)《小鳥》、フッサ(ッはサ行子音s)《息を吹きかける》。
ㇷはハ行子音(h)。音節末子音ではない。たまに例外的に出てくるだけである。例:ㇷンタ(hńta)《何》のㇷは、ンを発音するとき声を出す前にちょっと息を出してからンに移る、というような音である。
ㇺはマ行子音(m)。例:イサㇺ《ない、いない》はイサムではない。
ㇻ、ㇼ、ㇽ、ㇾ、ㇿはラ行子音であるが、その前にある母音によって、このように書き分ける。例:カㇻ(kar)、コㇿ(kor)、しかし、その小文字は音色を表しているわけではない。ㇻと書いてあってもラに似た音とはかぎらない。たとえばアㇻキ《来る(複数)》は、アㇽキとアㇼキの中間のように発音される。アㇻキがアラキに似たように発音されるのは、歌っているときにrの部分をのばしてアーラーキーと歌う場合ぐらいである。

 

6 カタカナ表記上のきまり

 

分かち書き
分かち書きは、ローマ字ノ分かち書きにだいたい合わせてある。ただし
二語が続けて発音されている場合は、必要に応じて続けて書く。
「-」や「=」は書かない。
語と語が続けて発音されている場合
離して書いてある二語が続けて発音されている場合は、そのときに発音されている音になるべく近い表記をする。例:クヌカㇻ《私は見る》とルスイ《…したい》とが続いたとき、クヌカン ルスイと発音されているときはそのように書く。
ローマ字表記でハイフンで区切られている語も、そのときの発音に近い表記をする。
人称接頭辞がついて、ローマ字表記で「=」で区切られている場合も、そのときの発音に近い表記をする。
アクセント
カタカナ表記ではアクセントは表示しないので、ローマ字表記を見ていただきたい。
引きのばし
長くのばして発音されている音は、そのあとに「ー」をつけて表す。カーㇰ(カラスの鳴き声)