国立アイヌ民族博物館アイヌ語アーカイブ

 

アイヌ語資料について

 

 アイヌ民族博物館は1976年の財団法人設立以来、各地のアイヌ文化伝承者を対象に、音声と映像による伝承調査を行ってきました。内容はアイヌ民族の口承文芸、アイヌ語、芸能、儀式、製作技術などです。伝承者の多くは2000年前後に亡くなりましたが、当館には約670時間の音声資料と、約700時間の映像資料が残されました。当館ではその後も各方面から協力を得ながら整理作業を続け、このたび「アイヌ民族博物館アイヌ語アーカイブ」のWEB公開を開始しました。


 アーカイブ公開初年度にあたる2016年は、このうち沙流方言のアイヌ語音声資料74件(約30時間)、その他の音声資料16件(約11時間)、沙流方言と静内方言の映像資料4件(約2時間)を公開します。2017年以降、順次追加していく予定です。

 

語り手について

川上まつ子
沙流方言
1912-1988

 1912(大正1)年9月20日、現在の沙流郡平取町荷負のペナコリで生まれる。1988年没。祖母であるウワルスッから受け継いだアイヌ語の能力は、同世代の女性の中でも卓越したものとされ、日常会話のみならずカムイユカラ(神々の物語)やウウェペケレ(人間の物語)などのアイヌ口承文芸にも精通していた。また、伝統的な生活文化についても造詣が深かった。

 1983年からはアイヌ民族博物館に常勤し、様々な伝統的技術を次世代へ伝授した。特に聞き取り調査に積極的に協力し、146本もの音声資料を残した。1999年には「アイヌ民族博物館伝承記録4 川上まつ子の伝承 植物編1」、2002年には「アイヌ民族博物館伝承記録6 川上まつ子の伝承 植物編2」が刊行されている。

上田トシ
沙流方言
1912-2005

 1912(大正1)年10 月3 日、現在の沙流郡平取町荷負のペナコリに生まれる。12 歳年上の姉木村キミさん、幼なじみの川上まつ子さんなど、後に伝承者として知られる人々に囲まれて育ったが、父親がアイヌ語を使うことを嫌っていたこともあり、幼いころには全くアイヌ語を話さなかったという。

 その後,平取町旭(上貫気別)に入植、農業に従事していたが、75歳になる1987(昭和62)年の秋から冬にかけて,最晩年の姉木村キミさんからウウェペケレ(散文の物語)を教わる。その後、次第に伝承者として知られるようになり、博物館や研究者への協力、口演会、記録資料作成などに精力的に活躍された。

 1996(平成8)年、姉に続き、北海道文化財保護功労者賞を受賞。2005年7月24日逝去。

葛野辰次郎
静内方言
1910-2002

 1910(明治43)年4月10日、現在の北海道日高郡新ひだか町静内東別に生まれる。1985年、北海道文化財保護功労賞、1997年には第1回アイヌ文化賞を受賞。多くの調査に協力、記録映画にも度々出演している。特に信仰と儀式に関する博識と実践は同年代の中では際立っており、アイヌ民族博物館でも新築祝いをはじめ、当館の節目となる儀式には必ず指導を仰いだ。特筆すべきは自著『キムスポ』や「葛野ノート」と呼ばれる自筆原稿と関連音声資料であり、アイヌ語の「活保存」に後半生を捧げた。2002年3月27日没。

織田ステノ
静内方言
1901(?)-1993

 1901年ごろ、静内町(現在の新ひだか町)に生まれ育つ。1993年没。戸籍名はステ、自称をステノとする。十代から叔父らとともに農業に従事し、第二次大戦後は農地を得て経営を中心となって支え、地域社会でも積極的に活動した。1970年代以降は、アイヌ語、アイヌの神事、口承文芸、生活文化などについて積極的に後進を指導し研究者に協力した。当アイヌ民族博物館においても様々な伝統的技術、特に女性に関わる知識を継承し、イオマンテ(熊の霊送り)などの伝統儀礼などで指導的役割を担い、聞き取り調査にも積極的に協力するなど音声資料を数多く残した。同様に静内町教育委員会の業務にも従事・協力し、『静内地方の伝承―織田ステノの口承文芸』全五巻が刊行された。1984(昭和59)年には北海道文化財保護功労賞を受賞するなどその功績が広く認められている。