国立アイヌ民族博物館アイヌ語アーカイブ

アイヌ語沙流方言略説 

(田村すず子『アイヌ語沙流方言辞典』1996年より 巻末pp.1-19)

 一口に「アイヌ語」と言っても、地方によって方言差がある。本書に収録されている語句や用例の話者のほとんどは、北海道南部、日高西端を北東から南西に流れる沙流川(さるがわ)の流域地方の方言である。東隣りの門別川流域出身の人が一名(採録11件)と西隣りの鵡川流域出身の人が二名(採録3件)まじっているが、方言差の現れていない例ばかりである。沙流川すじの中でも川上のほうと川下のほうで方言差がないわけではないが、その差は大きくないので、まとめて「沙流方言」と呼ぶ。
 ここでは沙流方言の基本を紹介する。この基本の部分は、沙流川の川上と川下でも、また東の門別川流域の方言でも、西の鵡川の方言でもほとんど変わりがない。さらに、もっと西の千歳方言でもほとんど同じだし、また沙流方言の話者によれば東は新冠(にいかっぷ)まで同じだとのことである。

 

1 音韻

 

 音韻の面では、北海道各地の方言の間にあまり大きな違いはない。
⑴ 音素
 母音や子音の一つ一つを音素という。音の単位という意味である。
 母音は日本語(共通語、以下同様)と同じく、a, e, i, o, uの5個である。北海道アイヌ語では、母音の長短の音韻的区別はない。基本的には短母音であるが、アクセントやイントネーションによって伸ばされることもあり、また同じ語の同じ母音が、リズムや強調その他によって長く発音されることもある。
 子音は少なく、下の12個だけである。

  破裂音 p t k
  破擦音 c
  摩擦音 s
  流音 r
  鼻音 m n
  接近音 w y
  喉頭摩擦音 h
  喉頭破裂音 '

 音節の頭にはこの12個全部が立つ。しかし音節末に立つ子音は、p, t, k, s, r, m, n, w, yの9個だけである。c, h, ' の3個は音節の頭にしか立たない。
 破裂音はp, t, kの3個だけで、p:b, t:d, k:gといった無声:有声の対立もなく、無気:有気の対立もない。語頭では無声、人により時によってはかなりの気音を伴う。母音間ではやや有声になりがちで、鼻音の後ではしばしば有声に発音される。sanpe《心臓》はサンペ〜サンベ。音節末では破裂がない。
 破擦音はcだけで、[tʃ]〜[ts]の中間の音である。チの子音に近い発音が多く出るが、ca, ce, co, cuはツァ、ツェ、ツォ、ツに近くなることもある。ciはチ。cも鼻音の後では有声になりがちである。
 摩擦音はsだけで、シの子音に近いが個人差がある。sa, se, so, suは人によって、またときによって、サ、セ、ソ、スまたはシャ、シェ、ショ、シュに近く発音される。siはシ。常に無声で、鼻音の後でも有声にならない。音節末では通常シの子音で、英語などのsとは異なる。as《立つ》はアㇱ。しかしwの前ではスの子音、英語のsのように発音される。as wa《立って》はアㇲワ。
 流音はrだけで、日本語のラ行子音とほぼ同じだが、語頭ではもっと強く、破裂音(dの一種)が聞かれる場合もある。音節末のrは、前後の(多くの場合前の)母音の口の形をしながら舌先だけをrの位置に持って行って軽くはじくので、あとに何も続かないときは前の母音が響いて聞こえることがある。沙流川すじでも中流の二風谷やペナコリの話者の発音では特にこの傾向が強い。しかしrの後に母音音素があるかないかははっきりしており、たとえばretar《白い》とre tara《三俵》、etor《鼻汁》とetoro《いびきをかく》とははっきり区別して発音される。次に子音が続くときは、その音によって、音色はいろいろに変わる。
 鼻音はmとnの2個だけで、マ行、ナ行の子音と同じである。音節末にもm, nは立つ。kの前のnは[ŋ]。hanku《へそ》は[haŋku]。
 接近音のw, yは日本語と似ているが、wはuと平行して日本語よりも奥の音で、唇のまるめもある。音節末のw, yは二重母音の副母音である。
 喉頭音がhと'の2個あり、喉頭摩擦音のhは日本語のハ行子音と似ているが、母音間では有声になることが多い。子音の後ではしばしば落ちてしまう。樺太の多くの方言にある音節末のhは北海道にはない。ユは、日本的には喉頭破裂音で、ドイツ語などのそれに似ている。一瞬息を止めてから次の母音を発音する。te'eta《昔》テエタは[teʔeta]。ユの強さには個人差もあるし、前後の音によっても違う。低く発音される母音の前では弱まり、しばしば消えてしまう。アイヌ語ローマ字表記では、特に必要な場合以外、ユの発音は省略する(te'etaはteetaと表記する)。
 母音や子音の発音のくわしいことは巻頭の「表記と発音」を参照。

 

⑵ 音節
 言葉のリズムの単位となるのが音節である。歌や叙事詩など、歌われる韻文では1行1行の音節の数が重要になる。カナ文字の数とはずいぶん違う。音節の主音は通常は母音である。その前に子音がつき、時にはあとにも子音がついて音節が作られる。
 音節構造は簡単で、次の二種類しかない。表記上は( )の中のを含めて四種類となる(Cは1個の子音を、Vは1個の母音を表す)。


  開音節 CV: 子音+母音 例:ka カ 糸
  (V: 母音のみ) 例:'a(表記上はa)ア 座る
  閉音節 CVC: 子音+母音+子音 例:kam カㇺ 肉
  (VC: 母音+子音) 例:'am(表記上はam)アㇺ 爪


 英語のstrikeのstrのような子音群もなく、日本語の拗音のような子音と半母音の連続もない。北海道方言では音節の長短の区別もない。
 日本語と違って閉音節、つまり子音で終わる音節は、開音節と同じぐらい一般的である。しかし、すでに述べたとおり、音節末に立つ子音は限られている。
 音声の一覧表とその発音については巻頭の「表記と発音」を参照。

 

⑶ 音素交替
 音素の並び方には制限があり、並ぶことのできない音素が続くときは、そのどちらかまたは両方が他の音素にかわる。これを音素交替という。
①一つの音節の中での子音-母音、母音-子音の結合の制限と音素交替
  次の結合は通常起こらない:ti, wi, uw, iy
  次の結合は、形態素と形態素の接点でのみ起こる:wu, yi
  子音で終わる語と'V(喉頭破裂音+母音)で始まる語とが結合して合成語が作られるときは'が脱落することが多い。その場合、tで終わる語と 'iで始まる語との結合では、tiの代わりにciとなる。同様に、tに終わる語にiで始まる語尾(接尾辞)がついた場合も、tiの代わりにciとなる。
  mat《女》+'ikor《宝物》→macikor《女の宝物》
  rekut《のど》+-i(hi)(所属形語尾)→rekuci(hi)《(彼の)のど》
②二つの音節の接点での子音連続の制限と音素交替
 合成語が作られる場合だけでなく、語と語が続けて発音されたときも、多くの話者で次のような音素交替が起こる。沙流川下流の話者の言葉ではいつもこの交替が起こるが、中流の話者、特に比較的若い話者の言葉では、必ずしもこの交替が起こらず、二つの語を離して別々に発音したときと同じように発音する人もいる。

 1)-rt- -tt- korコㇿ《彼が持つ》+tukiトゥキ《杯》
→/kottuki/ コットゥキ《彼の杯》
 2)-rc- -tc- korコㇿ《彼が持つ》+ciseチセ《家》
→/kotcise/ コッチセ《彼の家》
 3)-rr- -nr- korコㇿ《彼が持つ》+rusuyルスイ《したい》
→/konrusuy/ コンルスイ《彼はほしい》
 4)-rn- -nn- korコㇿ《彼が持つ》+nankorナンコㇿ《だろう》
→/konnankor/ コンナンコㇿ《彼が持つだろう》
 5)-ns- -ys- ponポン《小さい》+setaセタ《犬》
→/poyseta/ ポイセタ《子犬》
 6)-ny- -yy- ponポン《小さい》+yukユㇰ《鹿》
→/poyyuk/ ポイユㇰ《子鹿》
 7)p、mの前では鼻音は[m]しか起こらない。
  isam《ない》イサㇺ+peペ《もの》→[isampe]《ないもの》イサンペ
  an《ある》アン+pe《もの》ペ→[ampe]《あるもの》アンペ
 表記上は、isam pe, an peのように、isamまたはanの語形のままの形を書く。
  komコㇺ(komo《折り曲げる》の語根)+-paパ(複数形語尾)
→[kompa]コンパ《二つ以上を折り曲げる》
  punプン(puni《持ち上げる》の語根)+-paパ(複数形語尾)
→[pumpa]プンパ《二つ以上を持ち上げる》
 表記上は、語根kom, punの語形を生かしてkompa, punpaのように書く。
 8)沙流川下流の話者および鵡川の話者の発音では、wが弱い音節にあるとき、強い音節の鼻音m、nのあとでmになる。具体的には、m, nで終わる語のあとに助詞waワが来たときにこれが起こる。沙流川中流以上の話者の発音では、この交替はほとんど起こらない。
  isamイサㇺ《ない》+waワ《…して》→[isamma]イサンマ《なくて》
  anアン《ある》+waワ《…して》→[amma]アンマ(あって)
 表記上はisam wa, an waのように書く。

③アクセント
 アクセントは日本語と同じように高低アクセントである。しかし日本語のアクセントとは性格が違う。日本語では、どこまでが高く、どこからが低くなるかが重要なポイントであるが、アイヌ語では、どこまでが低く、どこから高くなるかがポイントである。語によって上昇するところがきまっており、それより前はすべて低く、それよりあとは抑揚(イントネーション)によって上がったりしなければ、だんだん低くなることが多い。
 アクセントは地方によって違うが、沙流方言では、低から高へ上がる位置に関して著しい傾向がある。すなわち

 第一音節が開音節ならば第二音節から高くなる。
  sapá
  ku=sápaha パハ 私の頭
 第一音節が閉音節ならば第一音節が高い。
  sínrit ンリッ 先祖
  k=óyra イラ 私は忘れた
 表記上は、この傾向に合っているときは「´」をつけずにsapa, ku=sapaha, sinrit, k=oyraのように書き、この傾向に合わないとき(例外的なとき)のみ、アクセント記号を母音字の上につけて示す。
  húci おばあちゃん
  k=étuhu トゥフ 私の鼻
  a=akíhi アア (引用文中で)私の弟
  ecioká エチ あなたたち

④イントネーション(文のメロディー)
 文のイントネーションは、その文の表現意図によって異なる。
 話し手が一方的に話をする場合は、声が自然にだんだん下がるだけで、文末で上昇もしなければ取り立てて下降もしない。報告、質問、回答、要求、誘いなど、相手に話しかけて反応を求める場合は、上昇調となる。感嘆や願望の表現では、全体に高いピッチが用いられる上、文末に引き延ばされた上昇下降調が現れる。
 談話の抑揚(メロディー)は、基本的には各文のイントネーションが次々に続いて起こるのだが、話の種類によって違いがある。特に会話と民話(uwepekerウウェペケㇾ)とでは対照的である。会話では話しかけのイントネーション(上昇調)が多く出るが、民話の語りでは一方的叙述のイントネーションが多く、しかもピッチの変動の少ないメロディーが実現することが多い。
抑揚にも地方差や個人差があり、同じ沙流川筋でも、やや川上(中流地域)の人の話には、日常会話でも声の上げ下げの少ない、一本調子に近いメロディーが多く現れ、川下(下流)の人の場合は、会話はもとより民話などでも、声の上げ下げや引きのばしなどのより多い、いわゆる「表情」のより豊かなメロディーで語られる傾向がある。

 

2 語順

 

 いわゆるSOV型の語順である。つまり動詞部は文末に置かれる。動詞部のあとに置かれるものは助詞しかない。
⑴ 主語は述語の前に、目的語や補語はそれが結びつく動詞の前に置かれる。

  húci ek フチ エㇰ おばあちゃん(が)・来た。
  húci cep e フチ チェㇷ゚ エ おばあちゃん(が)・魚(を)・食べた。
  toan hekaci ku-poho ne トアン ヘカチ クポホ ネ あの・男の子(は)・私の息子・です。

⑵ 修飾部は被修飾部の前に置かれる。

  poro cise ポロチセ 大きい・家。
 これを逆の語順にすると違う意味になる。
  cise poro チセ ポロ 家が(は)・大きい。
  túnasno hopuni  トゥナㇱノ ホプニ 早く・起きた。
 修飾部が句や節であっても、被修飾部に先行する。

 soy ta an menoko taan hekaci kor acapo macihi ne ソイ タ アン メノコ タアン ヘカチ コㇿ アチャポ マチヒ ネ[外・に・いる・女の人(は)・この・男の子(が)・持つ・おじさん・の妻・だ]外にいる女の人はこの男の子のおじさんの妻です。
 oro ta sake a-hok mise オロ タ サケ アホㇰ ミセ[そこ・で・酒(を)・(われわれが)買う・店]酒を買う店=酒屋
⑶ 前置詞はなく、後置副詞や後置の助詞を用いる。
 apa kari ahun アパ カリ アフン 戸口・から・入った(kariカリは後置副詞)。
 tan kotan ta an タン コタン タ アン この・村・に・ある(taタは助詞)。
 tan kotan ta ka an タン コタン タ カ アン この・村・に・も・ある(taタとkaカは助詞)。
 「…の前」「…の後」「…の上」「…の下」などのような、時間的あるいは空間的な相対的位置を表すには、後置副詞のほか、位置名詞も用いられる。例:os《…の後から》(後置副詞)、oka《…の後》(位置名詞)
⑷ 否定辞・禁止辞は前に置かれる。この点は日本語と逆である。

  somo ek ソモエㇰ [しない・来る](彼は)来ない。
  iteki cis イテキ チㇱ [するな・泣く]泣くな、泣くのはやめなさい。

 肯定動詞と否定動詞とペア(対)になっている動詞が少しある。このような動詞では、否定辞による否定は作られず、否定動詞が使われる。

  an アン ある、いる
  isam イサㇺ ない、いない
  easkay エアㇱカイ できる
  eaykap エアイカㇷ゚ できない
  amkir アㇺキㇼ 知っている
  eramiskari エラミㇱカリ 知らない


⑸ 質問文でも命令文でも、語順は基本的には変わらない。

 

3 品詞

 

 語をそれぞれの文法機能によって分類すると、次のような日本語と似た七つの品詞が認められる:①動詞、②名詞、③連体詞、④副詞、⑤接続詞、⑥間投詞、⑦助詞。
 諸外国語で形容詞で表される概念が、アイヌ語では通常自動詞で表現される。例:poro《大きい、大きくなる》ポロ。
 ここでは、動詞と名詞を中心に、特に重要な種類の語について略述する。

 

4 動詞

 

 文の述語となる最も重要なものは動詞句で、その中核をなすのが動詞である。だから動詞は最も主要な語であるとも言える。「…する」「…である」などを表す。
⑴ 時制
 西洋の諸言語によくあるような時制による語形変化はない。つまり、「現在形」「過去形」などといった語形はない。たとえばekエㇰという一つの語形が、「来る」ことを言うのにも「来た」ことを言うのにも使われる。

  acapo núman ek アチャポ ヌマン エㇰ [おじさん・きのう・来る] おじさんはきのう来た。
  acapo nisatta ek アチャポ ニサッタ エㇰ [おじさん・明日・来る] おじさんは明日来る。

「来たんだよ」「もう来ている」「来るだろう」「来ることになっている」など、いろいろなことを表現するのには、他の語を一緒に使う。
⑵ 数
 単数・複数の区別をする動詞が少しある。

  ahun アフン [単] (一人が)入る
  ahup アフㇷ゚ [複] (二人以上が)入る
  tuye トゥイェ [単] (一つを)切る
  tuypa トゥイパ [複] (二つ以上を)切る

 単数形と複数形の形の関係を見ると、上のahunアフン:ahupアフㇷ゚のように
  —n —ン[単]  —p —ㇷ゚[複]
となるものが少しある。多いのは上のtuyeトゥイェ:tuypaトゥイパのように
  —V —母音[単] —pa —パ[複]
となるものである。そのため-paパを「複数形形成接尾辞」または「複数語尾」と呼ぶ。
 中には、単数形と複数形の形がまるで違う、不規則なものもある。それはみな、日常よく使われる基本的な語ばかりである。

  ek エㇰ [単] 一人が来る
  arki アㇻキ [複] 二人以上が来る
  arpa アㇻパ [単] 一人が行く
  paye パイェ [複] 二人以上が行く
  an アン [単] 一人がいる、一つがある
  oka オカ [複] 二人以上がいる、二つ以上がある

 単数形と複数形の意味の関係は、動詞によって異なる。だいたいにおいて、自動詞の場合は 一人が/一つが…する[単]:二人以上が/二つ以上が…する[複]、他動詞の場合は 一人を/一つを…する[単]:二人以上を/二つ以上を…する[複]という関係が多い。両方をまとめて言うと、できごとの数が一つか、それとも二つ以上か、ということだと言える。
しかし、いつもそういう関係とは限らない。

  hotuye ホトゥイェ [単]短い呼び声をあげる
  hotuypa ホトゥイパ [複]長い呼び声をあげる

のような対もある。意味の違いがよくわからない対もある。さらに、形の上では複数形に見える語が単複の区別なく使われて、単数形の形を持つ語は使われない、という場合もある。
 注意しなければならないのは、二とか三とかといった少ない数が数詞によって特定された場合は、普通は複数形ではなく、単数形を用いるということである。
  tu hekaci ek トゥ ヘカチ エㇰ 二人の・男の子(が)・来た[単]。
 しかし、数詞が使われても、六、七、八かそれ以上ぐらいの大きな数の場合や「多数」を表現するときは、複数形が用いられるし、また二つ以上のものについて「たくさん」「少し」「大勢」のように、数を特定しない語が使われた場合は、複数形が用いられる。
  inne hekattar arki インネ ヘカッタㇻ アㇻキ 大勢の・子どもたちが・来た[複]。
「たくさん」であっても数えられないものの場合は複数形にならない。
⑶ アスペクト(動作や出来事の様態)
 種々のアスペクトが、重複や派生(接尾辞)によって表される(8の⑵と⑶を参照)。
⑷ 動詞の種類
 動詞の中には、異なった文法機能を持つものがある。大きく分けて、動詞には次の四種類がある。
 ①完全動詞 それ自身の中に主語(「…が」を表す要素)と述語(「…する」を表す要素)を内蔵し、他に主語も目的語も補語もとらない。

  méan メアン [me-anアン 寒さ・ある] 寒い、気温が低い
  sir-pirka シㇼピㇼカ [あたりの様子・よい] 天気がよい

 ②自動詞 主語(「…が」を表す語)をとるが、目的語(「…を/…に」を表す語)も補語(その主語が何であるかを表す語)もとらない。

  hekaci ek ヘカチ エㇰ 男の子が来た
  wakka sések ワッカ セセㇰ 水が熱い=お湯が熱い

 二つ目の例のsésekセセㇰは《熱い》と訳せることが多く、「形容詞」とも呼べるが、アイヌ語の形容詞は自動詞の中に含まれる。sésekセセㇰは《熱くなる》と訳されることもある。namナㇺ《冷たい、冷たくなる》、poroポロ《大きい、大きくなる》などもみな同様である。
 自動詞は、主語の人称によって、その人称を表す人称接辞をとる。
  (káni)ku-sesek(カニ)クセセㇰ 私が(は)暑い。
 ③他動詞 主語(「…が」を表す語)と目的語(「…を/…に」を表す語)をとる。
  húci cep e フチ チェㇷ゚ エ おばあさんが(は)魚を食べた
  húci mippoho icen kore フチ ミッポホ イチェン コレ おばあさんが(は)孫にお金をあげた。
 他動詞は、主語と目的語の人称によって、その人称を表す人称接辞をとる。
  (káni)cep k=e (カニ)チェㇷ゚ ケ 私が(は)魚を食べた。
 ④デアル動詞 主語(…がを表す語)と補語(その主語が何であるかを表す語)をとる。
  自動詞と他動詞とに分ければ自動詞だが、その中の特殊なものである。
  (káni)wenkur ku=ne (カニ)ウェンクㇽ クネ 私は女だ。(原文ママ)
⑸ 他動詞の中で
①複他動詞 他動詞の中には目的語を二つとるものもある。たとえば上の③の二つ目の例のkoreコレ《与える》は「…に」と「…を」の二つの目的語をとる。このような他動詞を「複他動詞」と呼び、本書の品詞表示では[複他動ムと書いてある。単に[他動]とだけ書いてあるのは「単他動詞」、つまり目的語を一つだけ(「…を」または「…に」だけ)とるものである。
②連他動詞 他動詞にはまた、目的語をとる名詞と他動詞との連語になっているものがある。この二語で一つの他動詞の働きを持つのである。これを「連他動詞」と呼ぶ。
  aske uk アㇱケ ウㇰ …を招待する
 aske アㇱケ《手》は独立の名詞としては使われない。ukウㇰは《取る》だから、この二語は直訳すると《手をとる》だが、この連語の意味は《…を招待する》である。そして招待する側の人称は主格におかれて他動詞ukウㇰのほうにつき、相手の人称は目的格におかれて名詞askeアㇱケのほうにつく。eaniエアニ《あなた》がkániカニ《私》を招待してくれるのであればen=aske e=ukエナㇱケ エウㇰという形になる。
  ka(si) omare カ/カシ オマレ
 は直訳すると《…の上に…をのせる》だが、この連語の意味は⑴《…に…を加える》、⑵《…を…のせいにする》である。このように目的語を二つとるものは「連複他動詞」と呼び、品詞表示では[連複他動]と書く。ただ[連他動]とあるものは、目的語を一つだけとる[連単他動詞]である。

 

5 名詞

 

 主語や目的語や補語になる語句は名詞句である。名詞句は、一つの名詞だけの場合もあるが、名詞の前に何かが置かれているものや、二つの名詞が続いているものや、動詞句その他のあとに何かがついて名詞句になっているものなど、いろいろある。
名詞句の要素として最も主要なものは、普通名詞、位置名詞、形式名詞、人称代名詞である。人名や地名などのいわゆる固有名詞は、普通名詞の中の特殊なものである。人称代名詞も名詞の仲間であるが、これについては次の「6人称」で扱う。
⑴ 普通名詞
モノや人やことがらを表す名詞である。固有名詞(人の名前など)を含む。例setaセタ 犬、ku=pohoクポホ 私の息子
普通名詞のうちの一部は「概念形」「所属形」に語形変化する。概念形は単にそのものを指し、所属形はそれが特定のだれかまたは何かに密接に所属していること(「…の…」)を表す。
所属形は語幹(たいていは概念形と同じ)に語尾をつけてつくられる。所属形語尾の形は、語幹の末尾の部分によって予想がつく場合もあるが、予想がつかないことも多い。所属形には短い形とそれにhVのついた長い形とあり、語形成要素としては短い形が使われる。独立の単語としては両方の形が使われるが、たいたい、短い語では長い形のほうが、長い語では短い形のほうが多く使われる。

概念形(語幹) 短い所属形 長い所属形
sapa サパ 頭 sapa サパ sapaha サパハ
nan ナン 顔 nanu ナヌ nanuhu ナヌフ
sik シㇰ 目 siki シキ sikihi シキヒ

 所属形は、そのものがだれに所属しているかによって(つまり、だれのものかによって)、その人称の主格人称接辞をとって語形変化をする(☞6 人称)。

sik シㇰ[概]
sikihi シキヒ[所] …の目、彼の目
(káni) ku-sikihi (カニ)クシキヒ 私の目
(eani) e-sikihi (エアニ)エシキヒ あなたの目
toan hekaci sikihi トアン ヘカチ シキヒ あの男の子の目

(注)このような文脈でkániカニ《私》, eani エアニ《あなた》のような人称代名詞は、特に必要なときしか言わないので、( )に入れてある。
 名詞の所属形には特殊なものもあるが、普通一般には、所属形をつくるかつくらないかは、語によってだいたいきまっている。
 体の部分や分泌物を表す語はすべて所属形をつくる。親族名称の中にも所属形をつくるものがある。

  ak アㇰ[概]
  akihi アキヒ[所] …の弟、彼の弟
  (káni) k=ákihi (カニ)カキヒ 私の弟
  (eani) e=akihi (エアニ)エアキヒ あなたの弟
 所属形をつくらない名詞の場合は、「…の…」を表すのに他動詞korコㇿを使う。
  seta セタ
  kor seta コㇿ セタ …の犬、彼の犬
  (káni) ku=kor seta (カニ)クコㇿ セタ 私の犬
  (eani) e=kor seta (エアニ)エコㇿ セタ あなたの犬
  toan hekaci kor seta トアン ヘカチ コㇿ セタ あの男の子の犬

⑵ 位置名詞
 前後、上下などの時間的または空間的位置を示す名詞である。その中でも、何かに対する相対的位置を表すものは、普通名詞の所属形と同じようにそのものを表す名詞または代名詞のあとに置かれる。だれの前/後/上/下/…かによって人称変化をするが、普通名詞所属形の場合と違って、目的格人称接辞をとる。

  ipe oka ta イペ オカ タ 食事・の後・で
  citarpe corpok wa チタㇻペ チョㇿポㇰ ワ ござ・の下・から  
  (káni) en-osmake ta (カニ)エノㇱマケ タ (私)・私の後ろ・に
  (káni) en-corpok wa (カニ)エンチョㇿポㇰ ワ (私)・私の下・から

 位置名詞にも概念形と所属形がある。しかし位置名詞の場合は、概念形も名詞や代名詞のあとに置かれて、「…の前/後/上/下/…」を表す。所属形は「…の…のところ」ということをよりはっきりと表す。「私の前/後/…」「あなたの上/下/…」などには、概念形のほうが多く使われ、主語や目的語になる場合や、前の名詞が表現されず位置名詞だけで「その(または彼の)前/後/上/下/…」と言うときは、所属形のほうが使われる。
⑶ 形式名詞
 それだけで独立に名詞としては使われないが、何かのあとに置かれて、それを名詞句とするものがある。広く言えば普通名詞の所属形や位置名詞も、何かのあとに置かれるものだが、それらよりももっと独立性の弱いものを「形式名詞」と呼ぶ。これは主として、『言語学大辞典』の「アイヌ語」では「名助詞」と呼んでいるものである。
(注)これは、知里真志保が「形式名詞」と四だものとは違うので注意を要する。しかし中川裕『アイヌ語千歳方言辞典』(1995年)で、知里の用語とは違う意味で「形式名詞」という語がすでに使われているので、利用者の便を考えて本書でもこの用語を使うことにする。しかし本書で言う「形式名詞」は、中川『千歳方言辞典』のそれとはいくらか違うところもある。
 ①形式名詞の用法
1)被修飾名詞として必ず前に修飾語が置かれて使われる。それ以外では名詞と同じ。
2)名詞化辞として一つの文全体のあとに置かれてこれを名詞化する。
 kurクㇽ《人》は被修飾名詞としてのみ使われる。kurクㇽに終わる名詞句は普通名詞の機能を持つ。形式名詞のが、中川『千歳方言辞典』の利用者に好都合なように、「名詞」としておいた。
 uskeウㇱケ《ところ》も、被修飾名詞としてのみ使われ、これは位置名詞と形式名詞の中間的なものである。uskeウㇱケに終わる名詞句は位置名詞句となる。
 pe/pペ/ㇷ゚《もの、こと》ほか数語は、被修飾名詞としても、名詞化辞としても使われ、さらに他の用法もある。
 ruweルウェ、haweハウェ、humiフミ、siriシリは、だいたい《…の》と訳せることが多い。意味・用法はそれぞれ違うが、これらはもっぱら文全体を名詞化する役割を持つものである。中川『千歳方言辞典』では「文末詞」という用語が使われているが、本書ではその用語は使っていない。知里はこれらを「第二種形式名詞」と四でいる。
asir pon cise an ruwe a=nukár kor arpa=anアシㇼ ポン チセ アン ルウェ アヌカㇻ コㇿ アㇻパアン 私は新しい小屋があるのを見ながら行った。
 ruweルウェ、haweハウェ、humiフミ、siriシリの使い方については、本書のそれぞれの項目を参照。

 

6 人称

 

 人称は人称代名詞によってばかりでなく、動詞や名詞や一部の副詞の人称形によっても表示される。人称形は、人称接辞の接合によってつくられる。
⑴人称代名詞と人称形
 人称代名詞は、必要のないときは言わないほうが普通である。だから、あまり頻繁には出てこない。特に3人称の代名詞はたまにしか使われない。一方、人称接辞のほうは、省略されずに必ずつけられる。もしつけないと、それは3人称の形になってしまう。
 人称代名詞や人称接辞には、形にも用法にも方言差があるが、沙流方言の形は次の表のとおりである。

人称

人称代名詞

主格人称接辞《…が(は)》

目的格人称接辞《…を/に》

自動詞型

他動詞型

1単 私

káni カニ

ku=/k= ク/ㇰ

en= エン

1複 私たち注

cóka チョカ

=as アㇱ

ci=/c= チ/チ

un= ウン

2単 あなた

eani エアニ

e= エ

2複 あなたたち

ecioká エチオカ

eci= エチ

3単 彼(自身)

sinuma シヌマ

0=(ゼロ)

3複 彼ら(自身)

oka オカ

不単 不定の人 (注

asinuma アシヌマ

=an アン

a= ア
(an= アン)

i= イ

不複 不定の人 (注

aoká アオカ

  注:「1複」とあるのは除外的1人称複数《私たち、彼と私》である。
    包括的1人称複数《私たち、あなたと私》は、不定人称形で表される。
    「不」とあるのは「不定人称」である。この方言では不定人称は次のように使われる:
  1)一般称《(不定の)ひと》
  2)敬意の2人称《あなた様》(通常女性から成人男子に向かって言うときに用いる)
  3)包括的1人称複数《私たち、あなたも私も》
  4)引用文中の自称《私》《私たち》

人称

人称
代名詞

主格人称変化

目的格人称変化

自動詞型

他動詞型

自動詞
《…が笑う》

他動詞
《…が彼を見る》

名詞
《…の目》

他動詞
《彼が…を見る》

位置名詞
《…の下》

1単
1複

káni
cóka

ku=mina
mina=as

ku=nukar
ci=nukar

ku=sikihi
ci=sikihi

en=nukar
un=nukar

en=corpok
un=corpok

2単
2複

eani
ecioká

e=mina
eci=mína

e=nukar
eci=nukár

e=sikihi
eci=sikíhi

e=nukar
eci=nukár

e=corpok
eci=córpok

3単
3複

sinuma
oka

mína

nukar

sikihi

nukar

corpok

不単
不複

asinuma
aoká

mína=an

a=nukár

a=sikíhi

i=nukar

i=corpok

 

 次に、アクセントまで含めてだいたいの形がわかるように、語の例を示す。たとえば、「1単」《私》の「他動詞」《…彼を見る》の欄のku=nukar クヌカㇻは《私が枯れを見る》、同じく「1単」《私》の「他動詞」《彼が…を見る》のen=nukar エンヌカㇻは《彼が私を見る》の意味である。この表の動詞の欄には単複の区別のないものを入れてある。単複の区別のある動詞の場合は、複数の人称では複数形が使われる。たとえば、

 1単 ku=hoyupu クホユプ 私が(は)走る
 1複 hopunpa=as ホプンパアㇱ 私たちが(は)走る

 1複で=asが、不複で=anが接尾するものは自動詞のみである。他動詞主格型の語形変化をするものは上の表にある他動詞と名詞のほか、ne《である》や一部の後置副詞、他動詞目的格型の語形変化をするものは、上の表にある他動詞と位置名詞のほか、後置副詞がある。

 

⑵他動詞の人称形
 他動詞は、主語の人称「私が、あなたが…」と、目的語の人称「私を/に、あなたを/に…」との両方によって人称変化する。沙流方言をはじめ北海道南部の方言には、かなり不規則な部分もある。

主語 目的語

1単

1複

2単

2複

3単

3複

不単

不複

1単 私

 

 

eci= エチ

ku=/k= ク/ク

ku=i= クイ

1複 私たちが

 

 

 

ci=/c= チ/チ

a=i= アイ

2単 彼が(は)

en= エン

un= ウン

 

e= エ

e=i= エイ

2複 あなたたちが

eci=en=
エチエン

eci=un=
エチウン

eci= エチ

eci=i=

エチイ

3単 彼が(は)

en= エン

un= ウン

e= エ

eci= エチ

0=(ゼロ)

i= イ

3複 彼らが(は)

不単 不定の人が(は)

a=en=

アエン

a=un=

アウン

a=e=

アエ

a=eci=

アエチ

a= ア

i= イ

不複 不定の人たちが(は)

 次に、アクセントまで含めてだいたいの形がわかるように、単他動詞nukarヌカㇻの例を示す。

 

1単

1複

2単

2複

3単 3複

不単 不複

1単

 

eci=nukar

ku=nukar

kú=i=nukar

1複

ci=nukar

a=i=núkar

2単

en=nukar

un=nukar

 

e=nukar

é=i=nukar

2複

eci=én=nukar

eci=ún=nukar

eci=nukár

eci=i=núkar

3単
3複

en=nukar

un=nukar

e=nukar

eci=nukár

nukar

i=nukar

不単
不複

a=en=nukar

a=un=nukar

a=e=núkar

a=eci=nukár

a=nukár

a=i=nukar

 

主語または目的語が3人称の場合の例は前の表に出ているので、以下にそれ以外の人称の場合の例とその約を示す(「1→2」は、「主語が1人称で目的語が2人称である場合」を示す)。

1→2 eci=nukár エチヌカㇻ 私(たち)があなた(たち)を見る
1→不 kú=i=nukar クイヌカㇻ (発音はkuynukar)私があなた様を見る
a=i=núkar アイヌカㇻ (発音はしばしばaynúkar)
私たちがあなた様を見る
2→1 en=nukar エンヌカㇻ あなたが私を見る
un=nukar ウンヌカㇻ あなたが私たちを見る
eci=én=nukar エチエンヌカㇻ あなたたちが私を見る
eci=ún=nukar エチウンヌカㇻ あなたたちが私たちを見る
2→不 é=i=nukar エイヌカㇻ (発音はeynukar)
“あなたが私(たち)を見た”(と言った)
eci=i=núkar エチイヌカㇻ “あなたたちが私(たち)を見た”(と言った)
不→1 a=en=nukar アエンヌカㇻ ひとが私を見る=私が見られる
a=un=nukar アウンヌカㇻ ひとが(あなた様が)私たちを見る
=私たちが見られる
不→2 a=e=núkar アエヌカㇻ (発音は人によってaynúkar)
ひとがあなたを見る=あなたが見られる
a=eci=nukár アエチヌカㇻ (発音は人によってaycinukár)
ひとがあなたたちを見る
=あなたたちが見られる

 

7 助詞の仲間

 

⑴ 助動詞
 動詞や動詞句のあとに置かれて動詞句をつくる語で、rusuy ルスイ《…したい》、nankor ナンコㇿ《…だろう》などいろいろある。

 ku=nukar クヌカㇻ 私は見る。
 ku=nukar rusuy クヌカン ルスイ 私は見たい。
 e=nu エヌ あなたは聞く。
 e=nu nankor エヌ ナンコㇿ あなたは聞くだろう。

 動詞の中にも、助動詞のような用法を持つものがある。たとえばeaykap エアイカㇷ゚《…ができない/へたである》は、他動詞で、k=éaykap ケアイカㇷ゚《私はそれができない/へただ》のように使われるほかに、
  ku=suke eaykap クスケ エアイカㇷ゚ 私は料理するのがへただ。
のように動詞や動詞句のあとに置かれる。これを「助動詞的用法」と言う。動詞の助動詞的用法の場合は、前の動詞とそれとの間に助詞が入ることができる。
  ku=suke ka eaykap クスケ カ エアイカㇷ゚ 私は料理が全然できない。
 本当の助動詞の場合はそういうことはない。動詞の助動詞的用法はたくさんあるが、本当の助動詞は数が限られている。

 

⑵ 格助詞
 名詞、名詞句について、副詞句をつくる。日本語の格助詞とちがって、主語の「が」や目的語の「を」を表すものはない。ほとんどは位置や場所を示すものである。ta タ《(そこ)に/で》、un ウン《(そこ)へ》、péka ペカ《(そこ)で/を(動きのあるある程度の広さを持つ場所)》、wa ワ《(そこ)から》、wano ワノ《(そのとき)から》。これらは、位置名詞のあとには直接続くが、普通名詞のあとには、位置名詞を介してでないと続かない場合もある。ほかにne ネ《…に》(「なる/する」の前で)があり、これは「デアル動詞」に通じるものがある。

 

⑶ 副助詞
 動詞にも名詞にも副詞にもつくもので日本語の副助詞に似ている。たとえば、anak《…は》、ka《…も》のようなものだが、強めの副助詞の中に、「係り結び」の「係り」の句をつくるものがある。…tasi …nek …タシ …ネㇰ《…なのさ!》のtasi タシはその例である。nek ネㇰは「結び」の終助詞である。

 

⑷ 接続助詞
 文と文をつなぐ助詞である。たとえばwa ワ《…して》、kor コㇿ《…しながら、…するとき》、yakne ヤㇰネ《…すると》。接続助詞の中で特殊なものとして、引用文を受けて、もう一つの大きな文の中にとりこむものがある。sekor セコㇿ《…と》、kuni クニ《…するということを》、kunak クナㇰ《…するということを》、yak ヤㇰ《…したということを》など。この中でkunak クナㇰとyak ヤㇰは、前の引用文を名詞化して、次に来る他動詞ye イェ《…を言う》、ramu ラム《…を思う》などの他動詞の目的語にするもので、この点では形式名詞と通じる働きを持つ。kuni クニは、kunak クナㇰなどと同じように形式名詞と通じる働きも持つが、また他の働きも持つ。
 このように、助詞の中には、きれいに分類できない、いろいろな働きを持つものがたくさんある。そのため本書では、一つの語の品詞表示を必ずしも一つだけとせず、二つも三つもの品詞名を書いておいたところもある。

 

⑸ 終助詞
 文末に置かれる助詞である。代表的なのは動詞句に終わる文の末尾に置かれるるものである。たとえばyan ヤン(二人以上の人または目上の人に対する命令)《…しなさい、…なさせませ》、hani ハニ《…(しなさい)よ/ね》(やさしくいつくしみをもって言いきかせる)、wa ワ《…(する/した)よ/ね》。

 

8 語形成

 

 アイヌ語には二つも三つもの要素からなりたっている語が非常に多い。特に動詞の場合にはたくさんの要素が前にもうしろにも次々についていて、日本語やその他の言語に訳すとかなり長い文になる場合も少なくない。
 動詞の語形成法としては、大きく分けて「合成」「重複」「派生」の3種類がある。中には高い造語力を持つ語形成法もある。これらが順次あるいは同時に起こって、より大きい動詞がつくられるが、しかもそのうえ、「7」で述べたように、主語や目的語の人称を表す人称接辞が接合するので、かなり長い単語ができることもあるのである。


⑴ 合成の例

  méan メアン [me-an 寒さ・ある] 寒い
  somoytak ソモイタㇰ [somo-itak …しない・しゃべる] ものを合わない=唖者である
  keweri ケウェリ [kewe-ri(彼の)体・高い] 背が高い
  wakkata ワッカタ [wakka-ta 水・を汲んでくる] 水汲みする
  ése エセ [e-se エー・と言う] 承諾する
  mérayke メライケ [me-rayke 寒さ(が)・…を殺す] (人が)寒い
  wenresu ウェンレス [wen-resu 悪い・…を育てる] (孤児を)ひきとって育てる
  ahupkar アフㇷ゚カㇻ [ahup-kar(家に)入る・させる] (子どもを)養子にする


⑵ 重複の例
①語幹や語根の重複:動作やできごとなどのくり返しを表す。性質や状態ならばその程度が著しいことを表す。

  suyesuye スイェスイェ [suye-suye ゆらす・(重複)] ゆらゆらゆらす、振る
  toktokse トㇰトㇰセ [tok-tok-se(擬音/擬態の語根)・(重複)・…と言う] ドキドキ動悸がする(tokse トㇰセは《鼓動を打つ》)
  ponpon ポンポン [pon-pon 小さい・(重複)] とても小さい


②語根のあとに母音がついてできている語幹の末尾の「子音+母音」の部分の重複:行為やできごとの結果の状態が続いていることを表す。
 hepokiki ヘポキキ [he-poki-ki 頭・を下げる・(重複)]頭をさげている
 (poki ポキ [pok-i 下(語根)・(他動詞形成母音)]は《下げる》、
 hepokipoki/hepokpoki ヘポキポキ/ヘポㇰポキは語根/語幹の重複で《頭を上げ下げする》)。
③擬音の語根の頭の子音を除いた「母音+子音」の部分だけの重複:小刻みな音やできごとが続いていることを表す。
 cirir チリㇼ チョロチョロしたたる
⑶ 派生の例
 語根や語幹に接頭辞や接尾辞がついていろいろな「派生語」がつくられる。
①接頭辞:いろいろな接頭辞がある中で、動詞についてその文法機能にかかわる重要なものを少し紹介しておく。
 1)中相接頭辞ci-/c- チ/チ 項目を参照。
 2)u- ウ《互い》、yay- ヤイ《自分》、si- シ《自身》、i- イ《(一般に)ひと/もの》
 人称接頭辞ではないが、場合によって人称接頭辞の代わりのように見えることもある、他動詞の目的語の位置をうめる接頭辞である。
 これらが目的語を一つとる他動詞(単他動詞)につけばそれは自動詞に、目的語を二つとる他動詞(複他動詞)につけば目的語を一つだけとる他動詞(単他動詞)になる。

  kásuy カスイ [他動] 助ける
  u-kasuy ウカスイ [自動] 助け合う
  usi ウシ [複他動] …を…につける
  yay-usi ヤユシ [他動] …を自分につける


 ほかに限られた語につく、un-《だれでもみんな》も、この仲間である。
3)名詞語根的接頭辞:名詞語根と同じような機能と意味を持つ接頭辞である。
  he ヘ《頭、上部》、hoホ《尻、下部》、
  e エ《それの頭/上部/一部分》、o オ《それの尻/下部/末》
 はじめの二つ(heとho)は、他動詞に接頭してその目的語の位置をうめるという点では、1)とも同じである。あとの二つ(eとo)は、自動詞にも他動詞にも接頭する。とりうる目的語の数は変えない。
  e-enke エエンケ その先の方をとがらせる
  o-enke オエンケ その末端の方をとがらせる
4)目的語指示接頭辞:名詞句との関係を示してその名詞を動詞の目的語とする接頭辞である。
  e- エ《…で、について》、ko- コ《…に対して》、o- オ《…において、から》
  e-エ、o- オは、上の3)のe- エ、o- オとは違う。これらが自動詞につけばそれは他動詞に、他動詞につけばそれは複他動詞になる。

 mína ミナ [自動] 笑う
 e-mina エミナ [他動] …のことを笑う
 caranke チャランケ [自動] 談判する
 e-ko-caranke エコチャランケ [複他動] …について…に対して談判する

 この中でe- エは、動詞以外のいろいろな語にもつく。たとえばwanpe e-tuhot ワンペ エトゥホッ[十・で・四十]《三十》のe- エも同じものである。
5)接頭辞がついてできた派生語にさらに接頭辞かつく例

 itak イタㇰ [自動] 話す
 ko-itak(=koytak) コイタㇰ [他動] …に向かって話す
 u-ko-itak(=ukoytak) ウコイタㇰ [自動] 互いに話し合う
 e-u-ko-itak(=ewkoytak) エウコイタㇰ [他動] …について互いに話し合う

②接尾辞:いろいろな接尾辞があるが、動詞の形をつくるたくさんの接尾辞の中のいくつかをここに紹介しておく。
1)自動詞形成接尾辞と他動詞形成接尾辞

 kom-ke コㇺケ [自動] 折れ曲がる(komは擬態の語根)
 kom-o コモ [他動][単] (一つを)折り曲げる(単数)
 kom-pa コㇺパ [他動][複] (二つ以上を)折り曲げる(複数)

 この例で、-ke ケは語根について自動詞をつくる接尾辞の一つ、-o オは語根について他動詞をつくる接尾辞の一つである。語によって、-o オの代わりにいろいろな母音が現れる。語根に母音がついてできた他動詞は単数形である。複数形は、上の例に見られるようにこの母音を取り除いて複数語尾-paをつける。
2)使役形形成接尾辞と不定使役形形成接尾辞

 e [他動] …を食べる
 é-re エレ [複他動][他動使役] …を…に食べさせる

 使役形をつくる接尾辞には-re レ、-te テ、-e エの三つの形があり、どれがつくかは語幹末の形によってきまる。自動詞にも他動詞にもつく。使役の対象(させる相手の人)が目的語になるので、自動詞にこれがつけば他動詞(単他動詞)になり、単他動詞にこれがつけば複他動詞になる。
 e-yar エヤㇻ[他動][不定使役]《…を人に食べさせる、食べてもらう》
 不定使役形をつくる接尾辞は-yarヤㇻだが、子音のあとでは-ar アㇻの形をとる。だれにさせるかを特定しないで言う言い方で、だれでもいいからだれかにしてもらうということもあれば、敬意をもってていねいに言うために「あなたにしてもらう」などと言うかわりにこの形を使うこともある。
3)動作や出来事の様態を表す接尾辞

 homar-itara ホマリタラ 一面にぼうっとかすんでいる
 homar ホマㇻ はっきりしない、かすかだ
 etay-tektek エタイテㇰテㇰ きゅっとひっぱる
 etay-e エタイェ (一つを)引く
 etay-pa エタイパ (二つ以上を)引く
 mak-kosanpa マッコサンパ さっと開く、ぱっと明るくなる
  (mak マㇰは開いていることや明るい状態を表す語根)
  アスペクトは助動詞によって表される場合もある。
 ek ranke エㇰ ランケ (毎日、時々、しょっちゅう)来る
  ek エㇰ《来る》、ranke ランケは反復を表す。

4)いろいろな語形成法の組み合わせの例

◇yay-kamuy-ne-re ヤイ・カムイ・ネ・レ 自分(を)・神・にな・させる=立派な神になる
 e-yay-kamuy-ne-re エ・ヤイ・カムイ・ネ・レ …によって立派な神になる
◇kew-tum ケウ・トゥㇺ [からだ・の中]=気持ち
 o-sir-ciw-re オ・シㇼ・チウ・レ その尻(を)・地面(に)・刺さる・させる=決める
 yay-kewtum-ositciwre ヤイ・ケウトゥㇺ・オシッチウレ 自分(の)・気持ち(を)・決める=決心する
◇yay-somo-mokor-e ヤイ・ソモ・モコㇿ・エ

自分(を)・しない・眠る・させる=自分を眠らせない

=眠らない,徹夜する

 e-yay-somo-mokor-e エ・ヤイ・ソモ・モコㇿ・エ …のことで眠らない
 kem-e-i-ki/kemeyki ケㇺ・エ・イ・キ(ケメイキ) 針・で・もの(を)する=針仕事する

 ku-kemeyki wa

 k-éyaysomomokore

ク・ケメイキ・ワ

ケヤイソモモコレ

私・針仕事して

私・それで眠らないでいる

 

9 数詞

 

 次の例は「…個の物」を表す形である。

 1 senep シネㇷ゚ 6 iwanpe イワンペ
 2 tup トゥㇷ゚ 7 arwanpe アㇻワンペ
 3 rep レㇷ゚ 8 tupesanpe トゥペサンペ
 4 ínep イネㇷ゚ 9 sinepesanpe シネペサンペ
 5 asiknep アシㇰネㇷ゚ 10 wanpe ワンペ

 5の語源は《手》、6−9は「あといくつで10」という構成、11から先は「1余る10」「2余る10」のように言う。
 20を表す語があり、40、60…などは「二つの20」「三つの20」と、二十進法で言う。30や50などは「10でいくつの20」という言い方で、37などは「7余る10で二つの20」のように言う。

 

10 日本語との関係

 

 系統関係は不明だが、隣接した両言語の間には大きな影響があったことは当然で、特に語彙の面では同源の語がたくさんある。アイヌ語から日本語に入った語も少なくないが、日本語からアイヌ語に入った語はいっそう多い。tanpaku タンパク《たばこ》、túki トゥキ《杯》、puta プタ《豚、ふた》などはものと共に持ち込まれた名称、a=makéta アマケタ《負ける》は動詞、kawarine カワリネ《…の代わりに》は後置副詞である。
 新しくものが持ち込まれても、必ずしもその名称まで採り入れられるとは限らず、アイヌ語で説明的に訳出することも昔は多かった:
aop アオㇷ゚《乗り物》:a-o-p ア・オ・ㇷ゚《人が・乗る・物》
 しかしpasu パス、kuruma クルマなどとも言っていた。
yaykunnukarkane ヤイクンヌカㇻカネ《鏡》:
yay-kur-nukar-kane ヤイ・クㇽ・ヌカㇻ・カネ《自分(の)・影(を)・見る・金》
 鏡に関して言えば、1950年代にはkankami カンカミという表現が聞かれた。
1990年代の現在は日本語の発音でカガミといわれる。また、1950年代にはnima ニマ《皿》、suwop スウォㇷ゚《箱》の語が、日常使う焼きものの皿や一般の木箱・ダンボール箱にも使われていたのが、1980年代の話者になると、nima ニマは伝統的な木彫りの皿、suwop スウォㇷ゚は昔の特殊な木彫りの箱のことだと言い、毎日食事に使っている磁器の皿はsara サラ、日常一般の箱はhako ハコと言うようになってきた。
 近年はますます日本語の語をそのまま取り入れて日本語の発音で言うことが多くなっている。