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月刊シロロ

月刊シロロ 4月号(2015.4)

シンリッウレシパ(祖先の暮らし) 第2回「採集・漁労」

   文・絵:北原次郎太(北海道大学アイヌ・先住民研究センター准教授)

irezumi

デジタル絵本「お姫様のいれずみ」(2008年制作)より

 

[採集]
 雪解けの時期から秋にかけては、採集の季節です。海に近い地域ではコンブなどの海草が利用され、またチエトイ「食用土」と呼ばれる珪藻土なども利用します。また、エハまたはアハ、和名ではツチマメ等と呼ばれるツル性植物も春と秋に採集します。これらは、地表にも成りますが、地中にあるものを多く利用します。採集のために土を掘る時には、「エハの神たくさん出て来い」、あるいは「エハがいないのでもう帰ろう」といった、エハに呼びかける内容の歌を歌います。

 キノコ類では、チキサニカルシ「タモギタケ」、カムイカルシ「マツタケ」のほか、ユクカルシ「マイタケ」などを利用しました。とくにマイタケは好まれたようで、どの地域でもマイタケの採取には唱えごとや儀礼的所作が伴いました。たとえば、自分の着物を脱いで「この着物と取り替えよう」と言ったり、「マイタケよ、大きく育ってくれてありが とう、また来年も生えろよ」と言う地域もあります。いずれも、エハの場合とおなじように、キノコを擬人的な存在であり、人の呼びかけに応じる、いわが交渉可能な相手とみなしていた事が見て取れます。

 山菜類では、今でもよく食べられているフキギョウジャニンニクワラビなども利用されました。これらに加え、アイヌ文化において大切な植物をあげるとすればオオウバユリでしょう。オオウバユリは多年草で、雌株と呼ばれる成長過程の株は、地中の鱗茎部に多量のデンプンを含んでいます。オオウバユリは初夏になると、鱗茎部に十分な量のデンプンがたくわえられ、トゥレフ゜タチリ「ウバユリ掘り鳥」と呼ばれるヤマシギが啼くころ、採集の時期を迎えます。

オオウバユリの鱗茎 
オオウバユリの鱗茎

ウバユリ搗き 
杵で搗く

 クロユリスカシユリの球根も利用しますが、オオウバユリは繊維が大変強く、そのままでは利用しにくい性質があります。そこで、収穫に当たってはまず、株全体を引き抜きます。茎や葉など利用しない部位は「畑のようにたくさん生えろ」と唱えながらあたりに撒きます。鱗茎部は水洗いして臼でつき、水とともに樽に入れて攪拌します。そうすると、軽い繊維は上に浮き、重いデンプンは樽の底に沈殿するので、必要な成分だけを取り出すことができます。このようにして採取したデンプンは長期保存ができますし、特に質のよい部分は胃薬にもなります。また、繊維は発酵させることによって食べられるようになり、こちらも乾燥保存します。

 オオウバユリやギョウジャニンニクなどの野草類は、天から降りてきたカムイの仮の姿だと考えられてきました。カムイ達は人の役に立つことを喜びとしており、進んで自らの体を提供してくれます。その代わりに人間からもお供え物をしますし、人間から感謝されることで神格が高まるので、人間に恵みを与えることはカムイにとっても良いことなのです。ただし、全てを採り尽くすことは禁じられています。山の食糧は、地域に暮らす人々がみなで利用するものであると同時に、人間以外の生き物も食べています。アイヌ文化ではこの事が強く意識され、日々の暮らしの中で、あるいは物語の形をとって、食糧の採りすぎ、独占への戒めが教えられます。多くを望まず足りるを知るという過少生産的な 志向は、アイヌ民族が歴史の中で選び取り、後代へ伝えようとしてきた価値観だと言えます。

 採集活動では、食糧だけでなく様々な生活資材も手に入れます。よく知られているのは、オヒョウニレシナノキなどの樹皮、イラクサなどの草皮から繊維をとり、アットゥシという衣服を作る文化です。

アットゥシ 
アットゥシ(オヒョウニレの樹皮衣)

テタラペ 
テタラペ(イラクサの繊維を用いた樺太地方の草皮衣)

 樹皮の採取は5月から7月ごろの初夏が適しているとされ、連れ立って山へ入ります。樹皮の一部を採取してあまりぬめりの多くない木を選びます。樹木も野草と同じく、カムイが仮の姿を取って現れたと考えます。樹皮を剥ぐことは木のカムイの衣服をいただくことですから、ムダにしてはいけません。また、剥がした樹皮の一部を帯のように結び付けたり、あるいは部分的に樹幹に残すことがあります。木の皮はしばしばイナウとして使われることがあり、この場合も、これでイナウを捧げたのと同じことになります。また人間が得たものの一部を自然界に返すまじないの一種であったかもしれません。オオウバユリの例にもあったように、アイヌ文化では穀物を収穫した後の糠や、植物の茎葉や根、魚・動物の骨など、利用したものの一部を祭壇に納めたり自然に返すことによって神々の再生を願う習慣があります。あるいは、本州の「木守り柿」のように、収穫の際に一部を残すことによって翌年の収穫を祈願する習慣にも通じるものがあるかもしれません。

 このようにして採取した樹皮は、湖沼や温泉などに浸けておくことで、透き通るほど薄い層に分かれていきます。それを割いて結び合わせ、織にかけて布をしあげるのです。このような樹皮や蔓性の植物から採取した繊維で作る布は秋田や岡山、京都など本州各地にみられ、技術も出来上がる衣服もたいへん似ています。樺太では主としてイラクサの繊維を用いますが、面白いことに樺太アイヌの技術は北海道をはさんで東北地方の技術とよく似ているのです。

 アイヌ民族より北にこうした自然布の技術が無い事や、器具の名称が日本語からの借用語とみられる事などから考えて、樹皮衣・草皮衣の文化は本州から伝播した可能性が高いと考えられています。一方、アイヌ民族の衣服には本州の衣服にみられない独特の模様がほどこされます。この模様は、北方の魚皮や獣皮を用いた衣服文化の中から生まれてきたものと考えられ、南北の文化が融合して生まれたのがアイヌの樹皮衣だと言えます。
 

メカジキ 
白老のシリカプ漁(「木下清蔵遺作写真」より)

[漁労]
 春から秋にかけては漁労の季節でもあります。太平洋岸の集落では、夏になり蛍が飛ぶころになると、キナポ「マンボウ」シリカプ「カジキマグロ」など海の大型魚を求め、銛を手に船出します。とくにカジキマグロをしとめると、その命を迎え入れ歓待して神界に送り返す神事を行います。マンボウやタラ、サメなどは、料理に用いるほか油をとって調理や照明に利用しました。また、かつての漁労ではシシャモ、マスサケなど川に遡上してきた魚の漁が大切でした。

 初夏になるとトゥトゥッ「ツツドリ」が鳴き始めますが、その鳴き声は川漁の豊凶を知らせるものでした。サケ・マスなどの大型魚には網やヤナのほか、マレク「鈎銛」と呼ばれる特殊な漁具を用います。また、陸にあげた魚 はイサパキクニやイサパタニ、イパキクニ「魚の頭を叩く木」と呼ぶ棒で頭部を打ってしとめます。この棒は北米西海岸からカムチャツカ半島やサハリン、本州にいたるまでサケ・マスが遡上する地域には共通してみられる漁具で、それぞれの文化において宗教的な意味を持っています。アイヌ文化では棒をイナウの形にし、これで魚を叩くことによって、魚をしとめるとともにイナウを土産として持たせる意味を込めています。

回転式離頭銛 
マレク(回転式離頭銛)

なづち棒 
イサパキクニ(なづち棒)

 同じく、サケが遡上する地域に共通する文化として初サケの祭があります。その年に最初に取れたサケを客人として家に招き入れ、お祈りとお酒を捧げて歓待します。このようにして、後に多くの仲間が続く(豊漁になる)ことを祈願するのです。神界には魚を送り出すカムイ がいるとされ、漁期の初めと終わりには、川のカムイなどとともに感謝のお祈りをします。

 サケ・マス・イトウなどの大きな魚は、皮をはがして靴やバッグ、ドレスを作ります。魚の皮は優れた防水性を持っていますし、なめす(脂肪を取る)程度によって丈夫にもしなやかにもなります。魚皮のドレスは北方から伝わったと考えられ、樺太で盛んにつくられました。色合いの違う皮を組み合わせて装飾的な効果を出し、ひれなどの穴をふさぐためにアップリケのような技法が用いられました。

 鮭皮靴 
▲チェプケレ(サケ皮製の靴)

 近年では、こうした魚の皮を用いた製品の復元が試みられています。魚の皮は人が身につけることで湿気を吸収して柔らかくなるなど、実際に使用することでわかることも多くあります。

 (北原次郎太)

(文中のリンクや写真、キャプションは編集部によるものです。次回のシンリッウレシパは「狩猟」「交易」です。ご期待下さい)

 

 

今月の絵本2「クモを戒めて妻にしたオコジョ」(川上まつ子さん伝承)

 

 文:安田益穂

 

(毎月一話、「アイヌと自然デジタル図鑑」に収めた絵本をご紹介します)

 

川上まつ子さん

語り手:川上まつ子さん(1912-1988)

  絵:高橋幸子
朗 読:今津朋子
音 楽:千葉伸彦

 

資料番号1:C154/34650A
録音年月日:1986年8月5日
調査者:伊藤裕満(学芸員=当時)
録音場所:アイヌ民族博物館
   *   *
資料番号2:C181/34730A
録音年月日:1987年10月11日
調査者:内田祐一(学芸員=当時)
録音場所:アイヌ民族博物館

 

 

録音テープで覚えた物語

 

 前回に続いて川上まつ子さんが語ったウウェペケレ(民話、散文の物語)です。

 川上まつ子さんはこの物語を1986年と1987年の2度録音しています。どちらも先にアイヌ語で語った後、日本語で語り直しています。

 伝承経路については、川上まつ子さん自身が「テープを聞いて覚えた」と語っています。まつ子さんの説明からすると、どうやら萱野茂『ウウェペケレ集大成』(1974年:アルドオ発行、2005年:新訂 復刻版 財団法人日本伝統文化振興財団発行)の第一話 ウパシチロンヌプ ヤオシケプ「白狐と蜘蛛(の知恵くらべ)」(話し手:貝沢こきん)であることは間違いなさそうです。

 川上まつ子さんも「テープで聞いたウウェペケレ(民話)大したあるんだ」と言っていますが、カセットテープが普及してからは、録音資料を聞いて覚えるという伝承の形が珍しくなくなりました。しかし、一言一句丸暗記するわけではなく、ストーリーを覚えて自分のアイヌ語・表現で語るという点は口承(口伝え)と変わるものではありません。事実、貝沢こきんさんの録音は5分15秒(638語[=筆者調べ] )の語りですが、川上まつ子さんの語りは15〜16分(C154=1583語/C181=1738語)で、約3倍に増えています。暗記して語る方法だと、減ることはあっても、その逆は考えられませんね。

 また録音の話者、貝沢こきんさんとは同郷で面識もあったと言っていますから、たまたま録音だったというだけで、録音で覚えたから価値が劣るというようなことは川上まつ子さんの世代ではありません。

 

糸をつむぐ女神・クモ

 

 物語はクモの女神の語りで始まり、すぐにオコジョに語り手が交替します。絵本の冒頭、タイトルに重ねて川上まつ子さんの語りが10秒ほど入っていますね。

スプキ カ ウン マッ アネ ヒネ アナン 私はアシ[葦]の上に住む女性です
ケシト ケシト
毎日毎日
オトゥ カシンコプ オレ カシンコプ
二つの結び目、三つの結び目を
ランケランケ パテク 
下ろすこと[=糸つむぎ]ばかりを
ネプキ ネ アキ コロ アナン ペ ネ コロ 仕事として暮らしていました。

 

 ここではクモの女神は「スプキ カ ウン マッ(アシの上に住む女性)」と名乗っていますね。この地方ではクモの類は一般にヤオシケプ(ya-oske-p 網・編む・もの)とよばれます。クモというのは毎日クモの巣を張るのが仕事だというわけです。

 クモはアイヌの信仰上、なかなか重い神とされています。「蜘蛛はこの網をかけて悪魔などを家ぐるみ包んでしまう」と信じられ、「産が重く母子ともその生命が危ぶまれるような際には、蜘蛛の神に祈り、その所持するnaukep(鉤)の力によって胎児を引き出してもらうような呪術的儀礼を行うこともあった」とのことです(久保寺逸彦『アイヌ叙事詩 神謡・聖伝の研究』1977年、岩波書店)。

 まつ子さん自身は若いころ、赤ん坊と一緒に寝ていて、夜中に親子で毒グモに噛まれ、まつ子さん自身は噛まれた指に後遺症が残り、赤ん坊も死ぬ思いをした経験があるので、クモを見るとぞっとする、と語っています。(こんな猛毒を持つクモは、カバキコマチグモでしょうか?)

 この物語でのクモの役どころは、普通の男神では相手にならない高慢ちきで霊力の強い女神ですが、そこへもっと霊力の強い男神が現れます。それが……

 

私はウパシチロンヌプ・オコジョの神様です

 

 ウパシチロンヌプは、直訳するとupas-cironnup(雪・キツネ)です。知里真志保『分類アイヌ語辞典』では「エゾイタチ」としてしますが、これはオコジョ(エゾオコジョ)の別名で、小型のコエゾイタチはイイヅナのこと。どちらもアイヌ語では「同じ名称で呼んだらしい」とのことです。「白狐」と訳してキツネのアルビノ(白化個体)のように説明している本もありますが、全く別の種です。

 話者の川上まつ子さんは、ウパシチロンヌプについてこんな体験談を語っています。(34603)

 「冬、薪をとりに行き、雪の中にペタンと座って、立ち枯れた倒れ木を一回で背負える分だけノコギリで切っては持ち帰っていました。ある時、ノコを引くとチュウチュウとネズミが鳴くような声が聞こえます。ノコを止めると鳴きやむ。それを繰り返すうち、自分が切っている木の上にポンッと跳ね上がったのを見ると、かわいいウパシチロンヌプでした。3日も4日も同じ場所で続けて見ました。二毛(2色)のもので、耳は小さくてかわいい丸顔で、まん丸い目をくるんくるんとするのが本当にかわいい。木の上に上がったのを黙って見ていると、こっちへ来るような格好をしてはキュッと曲がって雪の中に入る。雪の中に入ったと思ったらまたポンッと跳ね上がってチュウチュウとかわいい声を出します。

 家に帰ってフチ(おばあさん)に言ったら、『それはお前のつき神を嫌ったんだ。コシンニヌプ(守り神)になってくれる者は向こうから寄って来て、簡単に捕まえられる。前掛けや懐に入れて持って帰ると、エカシ(おじいさん)が頭を削り花で包んでお守りにしてくれる。それを誰にも見せないで箱の奥にしまっておけば、持ち主は幸運に恵まれる。滅多にそんな人はないが、無理矢理捕まえたのでは効果はない』と言いました。」

 

 オコジョは、絵本にあるように夏は茶色と白の二毛で、冬は真っ白に毛変わりします。ただ、尾の先だけは通年黒いままなので、冬に二毛だったというのはそのことでしょうか、その他の特徴は確かにオコジョのようです。

▲冬毛のオコジョ

 まつ子さんの話でもオコジョが人間に近寄ってくる話をしていますが、好奇心旺盛な習性なのでしょうか、ネット動画などにもオコジョが何度も人間の足元まで近づいてきては離れる動画がアップされています。北海道には同じイタチ科の仲間で外来動物のアメリカミンクが住み着いて問題になっていますが、ポロト湖周辺にも住んでいて、アイヌ民族博物館のフェイスブックに動画が投稿されています。私も何年か前、ポロト湖の出口で、ミンクが川を泳いで近づいてきて、すぐ私の足元まで上がって来て、じっと私を見上げていたかと思うと、スッと川に戻って土管に入りました。かわいい割りにどう猛な肉食獣ですから捕まえるのは難しい気がしますが、確かに「自分から近づいてくる」という習性はあって、それをアイヌは「自分から守り神になりたくて来る」と感じていたのかも知れませんね。

 この物語の中でも、オコジョはすばしっこくて、突然現れては消え、消えては現れる、特別な力を持った神として描かれています。

 

クモ VS オコジョ 神々の対戦ゲーム?

 

 話がだいぶ逸れましたね。ストーリーに戻りましょう。物語はクモとオコジョの対決と和解が軸になっています。「クモとオコジョがどうしたって、何がおもしろいの?」って言わないで下さい。物語の大半はいわばカムイ同士の対戦ゲームです。

(クモ)=魅力あふれる罪な女神 (普通の神々)言い寄る「結婚して下さい」
(クモ)「地獄の魚をプレゼントしてくれなきゃイヤ」と無理難題攻撃→ (普通の神々)連戦連敗
(謎の男)なんとあっさりクリア!→ (クモ)「え、ウソ!…&$#*?"'$!?」(パニック)
(謎の男=オコジョ)息を吹きかけ目を攻撃→ (クモ)ダメージ「め、目が痛い!」
(オコジョ)クモの家が燃える幻覚攻撃→ (クモ)更なるダメージ「い、家まで!」
(オコジョ)嫁ぎ先は豪邸のはずがゴミ屋敷の幻覚攻撃→ (クモ)健気にゴミ出しするもライフポイント0
(オコジョ)逆に金ピカ豪邸の幻覚攻撃→ (クモ)ギブアップ
(オコジョ)「反省するか!」→ (クモ)「反省します。お命だけは」
(オコジョ)「反省するなら妻にしてやる」→ (クモ)「なりますなります」
(オコジョ・クモ夫妻)結婚して子宝に恵まれ、幸せに暮らしましたとさ。(ハッピーエンド)

 

 (ちょっと単純化し過ぎかもしれませんが)聞き手は高慢なクモの女神の鼻っ柱が折れてスッキリ。また幻覚など、オコジョ神が繰り出す不思議で多彩な攻撃に心躍らせます。でも最後は和解し、子孫が繁栄し仲良く暮らすというアイヌ的幸福論を説いて、聞き手も深くうなずいて「ホッ!」と声をあげて終わります。

 

ストーリーの伏線 相手の素性を明かす

 

 クモの女神の所へやって来たなぞの男。すばしっこくて、突然現れては消え、消えては現れます。幻を見せたり特殊な力も。しかしクモの女神にはこの男が何者なのか、素性がわかりません。神なのか魔物なのか、名前は何といって、どこに住んでいて、誰の子孫なのか……今風に言えば「個人情報」ですね。物語の最後まで自分の素性を明かしません。素性を制する者は相手を制す。アイヌの物語では素性を明かし合う対決の場面がたびたび現れます。素性が明かされると相手の神通力も失われることになっています。この物語でもクモの女神がなぞの男の素性を探ろうと歩き回りますが、男の方が一枚も二枚も上手、事前に動きは察知されていました。

アモトホ トゥカリケ アウラロッテ ワ アナン ペ ネクス(私の素性の手前にもやをかけていたので)
アナン ウシケヘ エランペウテク。(私のいる場所がわからない)

 「素性の手前にもやをかける」とは分かりにくい表現ですが、今で言えば個人情報を暗号化していたということでしょうか。

 

クモとオコジョが結婚てどういうこと?

 

 しかし、そもそもクモとオコジョは全く種が違うのに結婚て……と思ってしまいますね。でも、そこで引っ掛かってしまうとアイヌ文学は理解不能です。自然図鑑の「物語や歌」のタブを見ると、クマ、オオカミ、犬、カニ、雷の娘、馬……様々なものが人間に恋をしたり、互いに結婚したりします。

 アイヌの考えでは、カムイは神の国ではみな人間と同じ姿をしていて、人間の国に来る時にクマならクマ、犬なら犬の衣装をまとって現れます。デジタル絵本の第3話「シナ皮を背負ったクマ」の冒頭のシーンは、クマ神たちの宴のシーンから始まりますが、皆人間の姿をしていていますね。後ろの壁にクマの毛皮がかかっていて、これを着て人間界を訪れると、人間にはクマに見えるわけです。

▲「シナ皮を背負ったクマ」より

 一方、人間界でも本来の種とは別の姿に変わる話がたくさんあります。第5話「白い犬の水くみ」では、犬が雷にうたれて、気がつくと人間の姿になっていて、横には白い犬の毛皮が……。逆に「アリにされた弟」では、人間がアリの姿に変えられてしまいます。このように人間の目に映る姿は衣装・仮装(ハヨクペ=よろい)に過ぎず、絶対的なものではないという考え方があるようです。実体は同じ人間の姿ですから恋愛も結婚もできます。しかし一方で人間とカムイ、カムイの種ははっきり区別していて、カムイと結婚したとされる人間は死後祖先の国へは行けず、祭り方も厳密に区別します。

▲「白い犬の水くみ」より

 和人のお話にも、キツネやタヌキが人に化けたり、あるいはツルが人間の姿になって恩返ししたりなどありますね。しかしアイヌの場合には、カムイとの婚姻などのエピソードが一族の始祖や祭神にまつわる重要な伝説として受け継がれたり、個人のつき神のようにその人の言動や性格を左右する身近なものとして意識されたりします。アイヌにとって動植物などカムイと人間の交流は和人よりはずっと垣根が低い気がします。

(やすだ ますほ)

(次回は第三話「シナ皮を背負ったクマ」を紹介します。お楽しみに)

 

図鑑の小窓2「カラスとカケス」

 

 文:安田千夏

 

 ワタリガラスやミヤマガラスなどカラスの仲間が多く飛来する冬が去り、春がやって来ました。これからの季節目にするのは、おなじみの留鳥ハシボソガラスハシブトガラスです。この2種の見分けは難しくはなく、くちばしの太さはもちろんですが、頭の形ですぐに見分けることができます(写真1、2)。デジタル図鑑の鳴き声ボタンをクリックすると、声でも区別できることがわかりますね。

ハシボソガラス

写真1 ハシボソガラス(カララク等)

ハシブトガラス

写真2 ハシブトガラス(パシクル等) (2013/4/22 白老 安田千夏撮影)

 アイヌ口承文芸では一般名詞としてのカラスを意味する「パシクル」と出て来ることがほとんどですが、種名調査を行うとこの2種はアイヌ語ではっきりと区別されていることがわかります。ハシボソガラスはカララク、シララコカリなど。ハシブトガラスはシパシクルと呼ばれます。知里真志保はシパシクルについて「si-には『大』『真』『本来の』などの意味があるからこれも語原はその意味だったかも知れない。けれども、今はsiを悪口のつもりで『くそ』の意にとっている」と説明しています。これがさらにエスカレートしたのかシエパシクル(くそ・を食う・カラス)と呼ばれることもあり、どうも良くないイメージの名前が定着していてかわいそうになります。どうしてそうなってしまったのかについては、口承文芸のとある神謡におけるカラスの失敗談が思い浮かびます。

 アイヌ民族博物館のデジタル絵本「酒宴をひらいた山の小鳥」は、こんなお話です。「私は山の小鳥です。ある年、穀物の実りが良かったのでお酒をつくり、酒宴を開いて神々を招待しました。宴もたけなわになるとカケスの神様が外に出て行き、どんぐりをくわえて来て酒樽に入れました。すると神様達は大喜び。それを見たカラスが外に出て行き、大便の固まりをくわえて来て酒樽に入れました。すると神様達は激怒して、カラスを殴るけるのひどいめにあわせました…」

 この話は、葛野辰次郎氏をはじめとして似た話が多く採録されており、ほめられたカケスの真似をして、よりによって大便をくわえて来たおバカなカラスという展開が共通しています。ハシブトガラスに対するマイナスイメージは、こうしたカラスの口承文芸にみる三枚目ぶりを反映しているのかも知れません。それにしても「他にもたくさん仲間はいるのに、なんで俺だけ?」というハシブトガラスのぼやきが聞こえて来るようです。

カケス

▲写真3 カケス(エヤミ) (2012/1/9 苫小牧 安田千夏撮影)

 さてカラスに真似をされたカケス、北海道ではミヤマカケス(写真3)ですが、この鳥もじつはカラス科です。どんぐりが好物で、秋から冬にかけて実際に多量にたくわえるという習性が知られています。先の神謡での所作はこうした習性を反映しているのでしょう。そしてデジタル図鑑のデータでは、織田ステノさんがこのように語っておられます。

 「神の国でも並ぶ者のないくらいに雄弁な男神であるといいます。カケスをとったら、大切に保管して自分の憑き神になって自分を見守ってもらうように祈ります。そのことは誰にも言ってはならず、自分の心にだけいつもとどめておきます。そうすれば雄弁など、他の人にはない才能に恵まれるようになるといいます」。

 また別の伝承者の方も「雄弁な神様だといいます。守り神として持ち、自分の舌を突くようにして『雄弁さをください』と言うものらしいです。人まねをする鳥なので、山の中で人の名前を呼んだのを聞いたことがあります」とおっしゃっています。

 山では他の鳥の声や人の声、救急車の音まで真似をすることで知られるカケスです。それが雄弁な神というイメージにつながり、特別な力を持つ存在として敬われていたのでしょう。ますますハシブトガラスがいじけてしまいそうな、アイヌ文化における近縁種イメージ格差のお話でした。

(やすだちか)

 

実施報告「アイヌの狩り体験」

 

 

平成27年2月28日(土)ポロト自然休養林ビジターセンターとその周辺で「アイヌの狩り体験」を実施しました。

ク(弓)とアイ(矢)を作り、狩りの遊び・体験からアイヌ文化に触れてもらう企画です。

(林野庁の森林・山村多面的機能発揮対策交付金の助成による事業。主催はポロト休養林保護管理協議会)

 

 

1月より子供用の小さなテシマ(かんじき)の製作やクチャ(狩り小屋)作りのために材料の採取や準備してきました。

また、矢羽の見本として猛禽類の羽根をいただき、弓を射る練習もしておきました。

 

 

 朝10時、初対面の緊張をほぐすためアイヌ語も標記したいきものカードでコミュニケーションゲームを行い、いきもののアイヌ語名に親しんでもらいました。

 

 

狩りに使う道具やアイヌの狩りの特徴といえる毒のこと、仕掛け弓、冬の狩りのメリットについて学び、

実物を見ながら弓には弾力性のあるイチイ、山杖にはハシドイやオアダモなどの丈夫な木を使うなど身近な自然をうまく利用していることを知ってもらいました。

 

 

 自分で体験するための弓矢をヤナギ類やエゾヤマハギ、アオダモなどを使い製作しました。

 皆さん、樹皮の匂いや硬さを感じながら夢中に作業を進めていました。

 

 

午後からは山杖を使って獲物に例えた輪突き遊び、弓矢での的当て遊び、クチャ(仮小屋)作り、かんじきの試し履き、それぞれを体験してもらいました。

 

参加者の中には東京からお申込みいただき、予定していた雪上での体験が一部実施できませんでしたが、学ぶ・作る・遊ぶといった工程に満足いただけた様子でした。

自然をうまく利用していたアイヌの狩りを通じ、樹木の特性、アイヌ文化に触れ関心をもっていただけたと感じています。

 

27年度もアイヌ文化と自然に関わる参加型の企画を考えています。お楽しみに!

学芸課:永田純子

 

 

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