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月刊シロロ

月刊シロロ  5月号(2016.5)

 

 

 

 

 

《シンリッウレシパ(祖先の暮らし)13》アイヌの精神文化 ラマッ⑷

 

 文・イラスト:北原次郎太(北海道大学アイヌ・先住民研究センター准教授)

 

 

1. はじめに

 

 前回まで見てきた人間や動植物のラマッ(霊魂)は、いずれも元々そのモノに内在していた霊魂でした。船などの道具のラマッも、その素材となったモノの霊魂がそのまま宿り続けるというものでした。今回はラマッに関する記事のしめくくりとして「憑依」という特殊な事象について書きたいと思います。

 「憑依」とは、何かの事物に、そのモノ本来のラマッとは別のラマッが憑くことです。ちなみに「憑依される」というと大変な事態のようですが、アイヌの信仰では人間なら誰でもトゥレンカムイ「憑神」という神に守られていることになっています。この世界に誕生する前の人間のラマッは天界のラマッカラカムイの元にあり、そこで諸々の活動に必要なラマッをそろえて成形された後に地上に降りてくるとされます。このとき、降下していく人のラマッに、何かのカムイが付き添って一緒に地上に降り、その人が亡くなるまで見守り続けるとされます。この神をトゥレンカムイと呼び、その人の肩や首の後ろ付近に宿っているとされます。神々について良く知っている人は、美味しい物やお金など良い物が手に入った時には、肩から首の後ろにかけてかざす仕草をします。こうすることによってが、トゥレンカムイに報告をしたり、捧げたりすることができるといいます。こういう意味では、アイヌの信仰においては誰でもいつでも憑依霊を伴っていることになります。

 トゥレンカムイとなる神は人によって違い、その性質・能力、嗜好や気性が憑かれている人に影響を与えることもあると言います。またアイヌの宗教におけるシャマン「トゥスクル」も、この憑神の力によってトゥスというシャマ二スティックな儀礼を行います。ただ、全ての人にトゥレンカムイが憑いているからといって、誰でもトゥスクルになる訳ではありません。トゥレンカムイは通常は至って静かにその人を守護しており、はたから見て分かるような影響は表れません。

 通常よりも強い力を持つトゥレンカムイに守られている人は、いわゆる第6感のような感覚が強いことがあり、普通の人では感じ取れないような兆しを感じ取ることができるといいます。たとえばノイポロイクシと言って、獲物のいる方角を頭の痛みによって知る能力(頭の右側が痛かったらその方向に獲物がいる)を持つ人が知られています。そしてトゥスクルの場合は、より直接的に自ら口を通じてカムイの意志・声を語ってもらうことができるというのです。

 宗教学者の佐々木宏幹氏は、憑依霊が人に与える影響の在り方について次のように整理しています(なお、文中の例はいずれもアイヌ文化以外のものです。念のため)。

(1)神・精霊が当該人物の身体の中に入り、人格転換が行われ、彼(彼女)は霊的存在として振舞い、「吾れは某々の神であるぞ!」のように第一人称で語る。口寄せ巫女として知られるイタコやカミサンは、死者の霊を憑依させると、死者自身として語り出す。またシャーマニックな新宗教の教祖も、この型に属する者が多い。諸外国のシャーマンもトランスに入ると、第一人称の自己表現をするのが一般的である。

(2)神・精霊が当該人物の身体には入らないが、リアルに姿を見せ、直接身体に接触して、胸部を圧迫したり、手足をつかんで振り廻したりし、神意を伝える。彼(彼女)は、「神さま、しかじかのことについて、何とぞ教えてください」と願い、霊的存在の答を「はい、はい、わかりました」などといって受け、これを依頼者に伝える。この場合、当人には人格転換は起らないので、霊的存在との直接交通も、第二、第三人称を用いて行われる。

(3)神・精霊が当該人物の身体に入ることもなく、またその身体に直接接触することもないが、彼(彼女)の眼、耳、心を通じてその意志を伝える。「神さまに悟らせられる」とか「神さまにしゃべらせられる」という状況である。遠くから身体の悪い人が訪ねてくるとして、もしもその人が霊の影響を受けているとすると、悪いところの痛みが自分に現れるという。霊との交渉は第三人称で表現されることが多い。

[佐々木1980:54-57]

 

 この分類に照らすと、先のノイポロイクシは「人格の交替が起こらず、知覚に働きかけて何かを知らせる」という点で(3)に相当するといえるでしょう。これに対し、トゥスは(1)あるいは(2)の状態だといえます 。
  
 なお、佐々木氏は憑依が起こる過程についても「自発的憑霊」と「非自発的憑霊」に分類しています。自発的とは文字通り、シャマンが自ら意図して霊を呼び出して憑依させること。一方の、非自発的憑霊は、不本意に起こる事態を指します。トゥスについての事例を見ていると、しばしば非自発的憑霊に当たる記録も見られます。トゥスクルの憑神が、トゥスクルの気付いていない事態を知らせようとする際にこれが起こると考えられます。また、憑神ではなく神や死者などが突然憑依することもあります。なお、アイヌ語(北海道方言)ではキンラという言葉があり「何かに憑りつかれたような」異常な心理状態を指します。ニュアンスとしては、こちらの方が非自発的憑霊に近いように思えます(樺太方言でのキンラは、法力・魔術に近い意味になります)。

 なお、トゥスクルになるかどうかの素質は、憑神となった神の性質によって、言わば生まれつき決まります。各地域のシャマニズム文化の中には、例えばモンゴルのように修行によってシャマンとなることが可能な場合もありますが、アイヌ文化においてはいくら修行をしても、後天的にシャマンとなることはできない事になっています 。

 ただ、非自発的憑霊はトゥスの能力の無い普通の人にも起こることであり、本人を病気にしたりキンラを引き起こしたりと、危害を加えます。そこで、これらの症状の治療として、憑依したモノを当人の体から出すことが必要となります。

 

2.ラマッの行き先

 

 人体に入り込んだ霊を追い出す方法として、一般的には「痛み」や「強い匂い」を用いる方法が知られています。白糠の四宅ヤエ氏の伝承に、眠気のカムイが登場します。このカムイは、自分自身もいつもうつらうつらとしたまま歩き回っており、人を見つけるとその上に覆いかぶさります。すると、その人間は猛烈な眠気に襲われ、これに屈すると仕事ができない人になってしまいます。このとき、体中を叩くと、その痛みに耐えかねて眠気のカムイはどこかへ行ってしまうといいます。人間に憑依している間は、カムイもその人と身体的感覚を共有するということになります。J.バチェラー氏やN.Gマンロー氏の著作にも、とげのある植物で体を叩くことで病気を治す儀礼が紹介されています。

 強い匂いを用いた魔除けとしては、プクサ「ギョウジャニンニク」やペヌプ「イケマ」を用いる例が良く知られています。誰かがくしゃみをしたときにシコンチコロ!「糞まみれの頭巾をかぶれ!」というのも、排せつ物の匂いが病魔を追い払うという考えに立っています。

 こうした、いわば痛み・恐怖によって退散させるハードな除霊に対し、霊の行き先を新たに用意するソフトな除霊があります。霊の宿る場所を人工的に用意することになるわけですが、これはアイヌの宗教文化の中でも大変に特殊な物だといえます。

 マンロー氏の著作の中に、こうした例がいくつか紹介されています。人が身体に変調を起こし、それが通常の病気とは違うようだと感じられた場合、トゥスクルに原因究明を依頼することがあります。そしてしばしば、病因はヘビのラマッが憑依したことによると判断されえることがあります(多くの場合、知らずにヘビを死なせてしまった、などの理由によって、ヘビの恨みを買ったためだと説明されます)。

 さて、病因がヘビだと判断されると、つぎにイナウでヘビの形を作ります。これをイノカカムイと呼びます。そして、火の神、祭壇の神に祈願したあと、イノカカムイを持って病人の頭のまわりを数回めぐらせます。こうすることで、ヘビのラマッが、イナウで作られたヘビの体に再度憑依することを期待するのです。萱野茂氏も同様の例を紹介しており、ヘビがイノカに移ったあとは、卵などを供えて詫びるとしています。また、その後は、病気が全快するまで屋内で祭り、その後霊送りすることも、そのまま守護神とすることもあると書かれています。

 マンロー氏は、ハチのラマッが憑いた場合には、イナウでハチの巣の模型を作り、そこに移らせる儀礼を記しています。萱野氏は、ヘビのほかにイヌやキツネのイノカカムイを作ることがあるとも記しています。いずれも、その動物の身体や巣と類似した形状によって、霊の移動を誘発するという発想に立った儀礼です。

 残念ながら沙流川流域以外の事例があまりありませんが、同様の儀礼は樺太にもあったようです。和田完氏は、クマに起因する病気の治療にイソノカ「クマ型」を用い、使用後は霊送りするという事例を紹介しています。また、ポンニポポと呼ぶ小さな木製の人形を作り、幼児の服に縫いつけるとしています。これは、幼児に憑りつこうとする病魔をこちらへ誘導するための物だと言います。

 

3.ラマッの勧請

 

 さらに特殊な例として、萱野氏は雨乞いのためのホイヌサパ「テンの頭」というものを紹介しています。

 ホイヌサパはシラッキカムイ(動物の頭骨をイナウで包んで祭り、占い・病気治療などの祈願をする)の一種で、雨ごい際に用います。シラッキカムイはある程度の期間が過ぎると霊送りをしますので、いつも手元にあるとは限りません。雨乞いが必要なときにホイヌサパが手元に無いと、イナウキケでホイヌサパを作り、ここにテンのラマッを宿らせて雨乞いに用いたといいます。

 さきに見たイノカやシラッキカムイなどは、いずれも現に人間界にやってきているラマッを祭ったり宿らせたりしています。いわばカムイが自発的にやってきた後に、人間の側がそれを誘導するという形を取っています。それに対し、このイナウで作ったホイヌサパは、形だけを作り、そこに神界からテンのラマッを勧請(招き寄せる)していることになります。

 沙流川の散文説話「木彫りのオオカミ」の中には、タイトルにもなっているオオカミの木像が登場します。兄がお守りとして妹に与えた像が、本当にオオカミとなって動き出し、持ち主を守るというものです。一般的なアイヌの信仰では説明しがたい、たいへん特殊な事例です。ただ、萱野氏のホイヌサパのような事例があることを見れば、こちらも同様にオオカミのラマッをどこかから招いて、像に宿らせているのかも知れません。ついでに書いておくと、英雄詩曲の中には刀の鞘に彫った動物が動き出したり、土で作った人間が船をこいだりという情景が描かれます。とくに宝刀に彫られた動物は、木彫りのオオカミに類する事例だといえるかも知れません。

▲動画 デジタル絵本「木彫りのオオカミ」(上田トシ伝承)

 

4.チラマッコレ―入魂か説諭か

 

 最後にラマッコレという言葉について検討します。家屋や舟,そしてイナウを作った際、しばしば完成した物に対して「チラマッコレをする」と表現することがあります。沙流川流域の川上まつ子氏や二谷国松氏,鍋澤モトアンレク氏,鵡川流域の片山カスンテアシ氏の語彙にチラマッコレの用例が見られ,新ひだか町静内の葛野辰次郎氏はカムイラマッコレ,本別町の沢井トメノ氏はラマッコレという動詞を用いています。これらには,多くの場合「入魂」という訳語があてられています。ここでは、鍋澤氏の事例を紹介しましょう 。

事例1 顔面神経痛の治療に際して,トゥレプニカムイ(桑の木の神)に向かって述べた祈り。これより先に,沢の神に向かって祈り,桑の木の神への口添えを願っている。

 「桑の木の神よ,あなたの御心を呼び覚まして申します。私だけでなく沢の神からもチラマッコレ・チケウトゥムコレしていただきました。太古,人文神オイナカムイは,大勢いる樹木の神のうち,桑の木の神こそ最も霊力の強い神であり,それがために治療の祈祷を担うこととなった,と人々に教えました。若い娘が何者かに害され,目と口が曲がってしまったので,オイナカムイの言葉通り,桑の木の神に祈願します。あなたは強い霊力を持つ治療の祈祷の神ですから,あなたの木鈎と沢の神の手草によって,若い娘にかかった悪しき靄を除いてください(後略)」[鍋澤・扇谷1966:118-119]

 

事例2 精神を病んだ者の治療のために,ハンノキのイナウ7本(うち1本は,他の6本を統率するもの)とニワトコのイナウ7本(同前)を立てた祭壇を作り,庭の神に向かって述べた祈り。「火の神の配下なる庭の男神・庭の女神よ。火の神からお聞きの通り,あなた方の庭を清める祈祷の神としてハンノキのイナウ6本を頭領たる神とともに頼み,ニワトコの神・6本のイナウを頭領たる神とともに頼みました。これら全てに庭の神からチラマッコレ・チケウトゥムコレをしてください(後略)」[鍋澤・扇谷1966:136-137]

 

 鍋澤氏の例には「桑の木の神」、「ハンノキの神」、「ニワトコの神」が現れます。桑の木は立木の状態、後の2神はイナウにした状態です。「頭領たる神」と表現されているのは、やや大型のイナウです。

 事例1では、内容から見て、樹木に内在するラマッを「桑の木の神」としていることが読み取れます。事例2でも「ニワトコの神」と表現されているのはニワトコ製のイナウであり、イナウに内在するニワトコのラマッであることがうかがえます。どちらの事例も、桑の木やニワトコの神が、自身の特性を生かして魔を祓うことが期待されているのであり、別な霊魂・人格によって上書きされるとは考えにくいものです。

 こうした魔祓いのイナウに対しては,魔祓いの儀礼が終わると霊送りを行います。その祈りでは,イナウに向かって「エンジュの神よ」等と呼びかけ、森林の奥にある神界へと帰るよう促します[鍋澤・扇谷1966:153-155]。こうした諸点を考えれば,イナウの内部には樹木の霊魂が宿っているという観念が一貫して見られます。

 それではチラマッコレによって込められる「魂」とは何でしょうか。実は、この言葉は解釈によって「入魂」ではなく「説諭」という意味にもなるのです。

 語頭のチは自動詞を作る接頭辞と考えます。残るラマッコレには「ramat(霊魂)+kore(与える)」と「ramatkor(物事をわきまえる)+ e(〜させる)」の2通りの解釈があり得ます(ラマッコロについては2016年2月号参照)。

 ラマッコレという形は辞書類には見えませんが、久保寺(1992)に樺太方言の単語として「ラマハコンテ(懲らしめる)」という語が見えます。コンテ(与える)は,北海道方言のコレに相当しますので,ラマハコンテとラマッコレは同じ構造を持っていることになります。北海道南西部方言では「教える」に当たるパカシヌが「懲らしめる」とも訳されるように,アイヌ語では教える事としかる事が同じ範疇として捉えられており、ラマハコンテにも「教える」という意味が含まれていると予想されます。つまり、チラマッコレは「魂を持たせること」とも「教え諭すこと」とも解釈することが可能なのです。

 鍋澤氏の事例では、チラマッコレと対句になる形でチケウトゥムコレという動詞が用いられていました。チケウトゥムコレは「ケウトゥムコレ(心がけを持たせる)」という他動詞に、自動詞を作る接頭辞チが付いた形であり、チラマッコレ・チケウトゥムコレの2行は「(魔祓い等の)役割を教える・心得させる」という似た意味の動詞を重ねた対句になっていると考えられます。

 守護神としてのイナウを作り、魔祓いや屋内の守護といった役割を担わせるにあたり、それが古い時代に人文神によって決められた慣習であることと、責任を果たすことの大切さ等をいって聞かせます。また、守護神のイナウ等は強大な力を備えているので、気の迷いを起こし大きすぎる力で人間を害さないように、ということを丁重にいい聞かせる必要があります。チラマッコレは,そのような新造儀礼のステップとして位置づけられていると考えられます。

 ということで、チラマッコレを「入魂」と解釈した場合、3と4でみた「人造物に人為的に憑依させる行為」と同様の意味合いがあるように思えますが、ラマッの振る舞い方を厳密に見ると、両者には違いがある事がわかります。

 

おわりに

 

 今回はラマッの話から膨らませて、アイヌ文化で一般的に語られる憑依現象から、ラマッの勧請、チラマッコレというたいへん特殊な例までを見てきました。アイヌの宗教文化全体において、憑依現象は(トゥレンカムイを除けば)特殊なものであり、イナウなどを用いた通常の儀礼とはやや異なった領域で展開してきました。

 いっぽう、近代以前のアイヌの工芸において、人や動植物の姿を具象的に表現することをタブーとしたのは、こうした憑依現象を恐れる心情からだったとも言われています。その意味では、事例としては特殊であるとはいえ文化史上の影響は少なくない物があったと言えます。

 

参考文献
今石みぎわ・北原次郎太2015『花とイナウ―世界の中のアイヌ文化―』北海道大学アイヌ・先住民研究センター。

大林太良
1993 「アイヌの霊魂の観念」『北海道立北方民族博物館研究紀要』第2号。

萱野茂
1978『アイヌの民具』アイヌの民具刊行運動委員会。
1998(編著)『萱野茂のアイヌ神話集成 第1巻カムイユカラ編1』ビクターエンタテイメント株式会社。

北原次郎太
2014『アイヌの祭具・イナウの研究』北海道大学出版会。

金田一京助
1993(1943)『アイヌの神典―アイヌラックルの伝説―』(『金田一京助全集 第十一巻アイヌ文学Ⅴ』)三省堂。

久保寺逸彦
1977『アイヌ叙事詩神謡・聖伝の研究』岩波書店。

久保寺逸彦編
1992 『アイヌ語・日本語辞典稿』北海道教育委員会。
クレイノヴィチ,E.A.
1993(1973) 『サハリン・アムール民族誌-ニヴフ族の生活と世界観』桝本哲訳法政大学出版局。

児島恭子
1996「口承文芸から探るアイヌの霊魂観」『霊魂をめぐる日本の深層』角川書店。

佐々木宏幹
1980『シャーマニズム』中央公論社。

更科源蔵
1970『アイヌ民話集 <増補改訂版>』北書房。

四宅ヤエ口述・藤村久和編
2015『四宅ヤエ媼伝承 アイヌの神々の物語』釧路アイヌ語の会。

J.バチェラー著・安田一郎訳
1995『アイヌの伝承と民俗』青土社。

平良智子・田村雅史ほか(編)
2007『冨水慶一採録 四宅ヤエの伝承 歌謡・散文編』四宅ヤエの伝承刊行会。

知里真志保
1973a(1944) 「樺太アイヌの説話(一)」『知里眞志保著作集』1 平凡社。
1973(1960) 「アイヌに伝承される歌舞詩曲に関する調査研究」『知里眞志保著作集』2 平凡社。
1975(1954) 『分類アイヌ語辞典 人間篇』『知里眞志保著作集 別巻Ⅱ』 平凡社。
1987(1953)「樺太アイヌの神謡」『北方文化研究報告』第4輯思文閣出版

N.G.マンロー著・小松哲郎訳
2002『アイヌの信仰とその儀式』国書刊行会。

村崎恭子 
1971「樺太アイヌ語テキスト タライカ方言民話」『金田一博士米寿記念論集』三省堂。

村崎恭子(編訳)
2001『浅井タケ口述 樺太アイヌの昔話』草風館。

由良勇
1995『北海道の丸木舟』マルヨシ印刷

和田完
 1987(1958)「南樺太土着民における偶像」『北方文化研究報告』第7冊 思文閣出版。
 1999b(1959) 「サハリン・アイヌの偶像」和田完編著1999a再録。
 1995(1978)「アイヌのシャマニズム」『シャーマニズムの世界』〈新装版〉株式会社春秋社。

Neil Gordon Munro
  1996(1962) 『AINU CREED AND CULT』THE KEGAN PAUL JAPAN LIBRALY vol.4 B.Z.Seligman(ed.) , Kegan Paul International.

 

(きたはら じろうた)

 

[シンリッウレシパ(祖先の暮らし) バックナンバー]

第1回 はじめに|農耕 2015.3

第2回 採集|漁労   2015.4

第3回 狩猟|交易   2015.5

第4回 北方の楽器たち(1) 2015.6

第5回 北方の楽器たち(2) 2015.7

第6回 北方の楽器たち(3) 2015.8

第7回 北方の楽器たち(4) 2015.9

第8回 北方の楽器たち(5) 2015.11

第9回 イクパスイ 2015.12

第10回 アイヌの精神文化 ラマッ⑴ 2016.1

第11回 アイヌの精神文化 ラマッ⑵ 2016.2

第12回 アイヌの精神文化 ラマッ⑶ 2016.4

 

 

 

 

 

 

《エカシレスプリ(古の風習)5》 小樽市祝津のイオマンテ

 

 文:大坂 拓(北海道博物館アイヌ民族文化研究センター 研究職員)

 

 

1. はじめに

 札幌から小樽の市街地を抜けて海岸沿いに車を走らせると、小樽水族館手前の高台に、鰊場親方として知られた旧青山家別邸、小樽貴賓館が見えてきます。今回は、北海道博物館が所蔵する民具の中から、この青山家に旧蔵された2点の花矢(写真1)を取り上げて、一度分からなくなってしまった資料の来歴を探る試みを紹介したいと思います。アイヌ民族のイオマンテ(熊の霊送り儀礼)で用いられる祭具の一つである花矢が、いつ、どのような経緯で漁場の和人有力者だった青山家の所蔵品となったのでしょうか。

▲写真1 青山家旧蔵の花矢

 

 

2. 由来をさぐる

 花矢については、名取武光による網羅的な研究があり(名取1985)、地域、家系毎の特徴が詳細に明らかにされています。青山家旧蔵の花矢には、リアルな鯨類の姿が描かれていることが特徴的ですが、これは名取による記述にみられる余市地方のアイヌ民族が製作したものと極めて良く類似しています。

 余市と小樽市祝津は自動車で30分ほどの至近距離にありますから、余市に居住したアイヌ民族が製作したものを、青山家の関係者が何らかの機会に入手した可能性がまず考えられます。その他にも、祝津の近辺に、余市の人々とよく似た形態の花矢を用いる人々が住んでいたなど、いくつかの可能性が考えられます。

 このような話を職場内で話したところ、職場の先輩で歴史担当の三浦学芸員から関連情報を示されました。青山家の関係者が保管していた写真の中に、ヒグマの周りに人々が集まっている様子が写ったものが含まれており、写真の裏には1920(大正9)年6月3日の記載があったのです。この写真に写った光景は、明治から昭和にかけて各地でおこなわれたイオマンテを撮影したものと多くの共通点があります。

▲写真2 「大正九年六月参日写ス」の裏書きがある写真(北海道博物館提供)

 写真の日付を手がかりに、同じく歴史担当の山田学芸員に話をしてみると、すぐに、写真の日付の前日、1920年6月2日付けの小樽新聞に、「祝津の熊送り 明日の運動会の呼物」という記事が掲載されていることを教えられました。そこには、青山家で飼育していた熊を用いて「余興の大呼物」としてイオマンテが企画されたこと、開催にあたって余市からアイヌ民族を招聘したことがはっきりと書かれていたのです。

 これらの情報を総合すると青山家資料の花矢は、1920年に青山家が企画し、余市の人々によって実施されたイオマンテの際に製作され、行事が終わった後で青山家に保管された可能性を考えても良いでしょう。

 

3.残された課題

 

 もちろん、青山家資料の花矢が1920年6月3日の儀礼で用いられたものだというのは、一つの可能性に過ぎず、全く別の機会に、異なるルートで収集された可能性も視野に入れた検証も必要です。

 資料そのものも、名取の記述とは微妙な違いがある点も見逃すことはできません。名取によれば、余市ではシャチの文様を刻んだ花矢は「カムイアイ」と呼ばれ、その他の文様の花矢よりも全長が長いことが指摘されていますが、青山家資料の花矢はシャチの文様が施されたものも、他の文様のものとほぼ同じ大きさです。また、シャチの向きや色布の有無といった部分にも、名取の記述とは違いが認められます。

 青山家資料が1920年6月3日の儀礼で用いられたものだと考えた場合、名取の記述との違いがなぜ生じたのかという新たな疑問が生じます。興業目的のイオマンテのために簡略化して作られたことを示すのでしょうか、それとも、余市に居住したアイヌ民族の中にも、家系毎に花矢の細かな差異があったのでしょうか。今後の課題と言えます。

 

4. さいごに

 

 本連載でも既に、アイヌ民具資料には製作者や製作地のデータが分からなくなってしまったものが多いこと、残された情報を慎重につなぎ合わせていくことの重要さに触れてきました。

 私が勤務する北海道博物館のように大勢の学芸員がいる施設では、収蔵された資料は多くの場合、歴史・民族・生活などの分野に分けて収蔵され、それぞれ担当の学芸員によって管理されます。こうすることで、それぞれの専門性を最大限にいかした分析がおこなえる一方、分野をまたいだ情報のやりとりが疎かになると、埋めることができる情報が見えにくくなってしまう危険があります。今回紹介した青山家資料の花矢は、収蔵庫に収められた時点では、いつ誰がどのような目的で製作したのかと言った情報は全く失われていましたが、資料そのものの形態を出発点として、隣接分野の情報をつなぎ合わせることで、一つの有力な仮説が浮かび上がってきたのです。2点の花矢を考えることで、分野をこえた連携の大切さをあらためて教えられました。

▲写真3 イオマンテがおこなわれた場所の現在(2016年4月10日筆者撮影)
(右奥には写真2右奥に写ったのと同じ岬の地形が確認できます)

参考文献
名取武光1985『アイヌの花矢と有翼酒箸』六興出版

(おおたか たく)

 

 

[バックナンバー]

《エカシレスプリ(古の風習)1》儀礼用の冠を復元する⑴ 2016.1

《エカシレスプリ(古の風習)2》儀礼用の冠を復元する⑵ 2016.2

《エカシレスプリ(古の風習)3》儀礼用の冠を復元する⑶ 2016.3

《エカシレスプリ(古の風習)4》木綿衣の文様をたどる 2016.4

 

 

 

 

 

《図鑑の小窓13》冬越えのオオジシギとは

 

 文・写真:安田千夏

 

(非公開)

 

[バックナンバー]

《図鑑の小窓》1 アカゲラとヤマゲラ 2015.3

《図鑑の小窓》2 カラスとカケス   2015.4

《図鑑の小窓》3 ザゼンソウとヒメザゼンソウ 2015.5

《自然観察フィールド紹介1》ポロト オカンナッキ(ポロト湖ぐるり) 2015.6

《図鑑の小窓》4 ケムトゥイェキナ「血止め草」を探して 2015.7
《自然観察フィールド紹介2》ヨコスト マサラ ウトゥッ タ(ヨコスト湿原にて) 2015.8

《図鑑の小窓》5 糸を作る植物について 2015.9

《図鑑の小窓》6 シマリスとエゾリス 2015.10
《図鑑の小窓》7 サランパ サクチカプ(さよなら夏鳥) 2015.11

《図鑑の小窓》8 カッケンハッタリ(カワガラスの淵)探訪 2015.12

《図鑑の小窓》9 コタンの冬の暮らし「ニナ(まき取り)」 2016.1

《図鑑の小窓》10 カパチットノ クコラムサッ(ワシ神様に心ひかれて) 2016.2

《図鑑の小窓11》ツルウメモドキあれこれ(安田千夏) 2016.3

 

 

 

 

 

《伝承者育成事業から》今月の新着自然写真「私の一枚」(春のポロト湖)

 

 アイヌ民族博物館で行われている伝承者(担い手)育成事業受講生の新着写真等を紹介します。

▶木幡弘文の一枚

▲写真 キビタキ

「キビタキ」さんです。
聞く所によるとバードウォッチャーには人気のこの鳥、
残念ながらアイヌ語名の採録例はありません
図鑑の通りならこのキビタキは雄の成鳥です。
夏鳥とは言いますが、北海道はまだ少し寒く、
私もキビタキも夏の到来を楽しみにしています。

(木幡弘文)

木幡弘文のアルバム

 

▶新谷裕也の一枚

▲写真 和名:コシアブラ アイヌ名:コトロウシニ

 山地に生えている落葉樹で、春になると芽がでます。見た目はタラノキにとても似ていて、タラノキと同じように若い芽を摘み、山菜として食べる事が出来ます。アイヌ文化では杓子やヘラにします。あまり見かけない木で、木幣にすると神様にとても喜ばれると伝承されている地域もあります。

(新谷裕也)

新谷裕也のアルバム

 

▶中井貴規の一枚

▲写真 フッキソウ

フッキソウの花です。フッキソウはアイヌ語でユクトパキナといいます。
風邪をひいたとき、これを煮立てて、湯気を浴びると効くのだそうです。
“ソウ”という言葉がついているので、今まで草だと思っていたのですが、
実はツゲ科の低木でした。

(中井貴規)

中井貴規のアルバム

 

▶山本りえの一枚

▲写真 左 オオウバユリ turep  右 ヒメザゼンソウ sikerpekina

この時期、北海道の色々な場所で見かけるオオウバユリ。
そのなかに混ざってそっくりなヒメザゼンソウが生えています。
ヒメザゼンソウはシュウ酸カルシウムが含まれていて、そのまま食べると舌や喉に刺すような痛みがはしります。
しかし、アイヌは茹でてから干し、煮物料理にしていました。そうすると毒がとれ、甘くて美味しい食べ物になったそうです。

(山本りえ)

山本りえのアルバム

 

▶山丸賢雄の一枚

▲写真 スミレの仲間 アイヌ語名 kamakata nonno カマカタノンノ  

雨のすきまを見てポロトの山へ行きました。山の中はすっかり春らしくなっていました。今月選んだ植物はスミレの花です。道の端に小さな花を咲かせていました。綺麗な色なので小さいながらすぐ見つけることができます。スミレは種類が多く同定が難しいのですが、詳しい方にミヤマスミレではないかとご教示いただきました。

(山丸賢雄)

山丸賢雄のアルバム

 

▶山道ヒビキの一枚

▲写真 エゾエンゴサク

ポロトの森では、エゾエンゴサクの可愛い花が咲いていました。アイヌ語ではトマと言います。
花を含む地上部は加熱処理して食べますが、アイヌ文化での利用方法は鱗茎を食べます。
鱗茎を焼いたり、煮たりしたあと油をつけて食べます。臼で搗いて餅にして食べることもあります。
実際に煮て食べてみたところ、イモのような味で舌触りはまろやかでした。
また、煮たあとにヒモに通して数珠状のものを作り、保存食にもしたそうです。
次は作ってみたいですね。

(山道ヒビキ)

 

山道ヒビキのアルバム

 

 

《伝承者育成事業から》今月の新着自然写真「私の一枚」 バックナンバー

6月号 2015.6

7月号 2015.7

8月号 2015.8

9月号 2015.9

10月号 2015.10

11月号 2015.11

1月号 2016.1

 

《伝承者育成事業レポート》

女性の漁労への関わりについて 2015.11

キハダジャムを作ろう 2015.12

《レポート》ウトナイ湖野生鳥獣保護センターの見学 2016.2

《レポート》アイヌの火起こし実践ルポ(前編) 2016.3

《レポート》アイヌの火起こし実践ルポ(後編) 2016.4

 

 

 

   

 

 

 

 

 

《トピックス》第29回 春のコタンノミ 開催

 

 文:安田益穂

 

1. はじめに

 

 去る4月30日(土)10時半から、アイヌ民族博物館ポロチセにおいて、恒例の「春のコタンノミ」(祭主:野本三治伝承課長)が開催されました。当日は予定されていた舟下ろし(ポロト湖の湖水開きに相当)が中止になるほどの荒れ模様でしたが、例年以上に多くの皆さんにお越しいただきました。心から感謝申し上げます。

 コタンノミ(kotan-nomi 集落・祈り)とは、かつて各地のアイヌの集落で春秋の年2回催されていた大祭のことです。その年の自然の恵みと無病息災を神々へ祈願・感謝し、併せて祖先を祭ります。アイヌ民族博物館では2002年5月12日に第1回を復活開催し、今回で15年目、29回を数え、一定の定着を見たのではないかと思います。(注1)

 と同時に課題も見えてきて、今回のコタンノミでは儀式内容にもかなり大きな変更を加えました。今後、コタンノミをはじめとする当館儀礼の解説を連載できればと考えているのですが、それに先立ち、まずコタンノミの現在地を確認しておきたいと思います。

▲写真1 春のコタンノミより、酒杯による拝礼

 

2.成果と課題

 手前味噌になりますが、15年間にわたり、年2回、定期的に本格的な儀式を実施したことは、当館の儀式伝承のレベルアップをもたらしました。それまでは大祭と言えばイヨマンテ(熊の霊送り)やチセノミ(新築祝い)などを数年に一度、不定期に、外部から祭主を招いて実施していました。伝承者亡き今となっては得がたい貴重な経験でしたが、コタンノミ開催を機に、当館が自前で祭主を立て、皆がアイヌ語で祈り詞を唱えるようになり、やがて回を重ねるうちに、名実ともに大祭を実施できる力を蓄えたことは何よりの成果だと言えます。毎月、役職員と担い手育成事業の研修生で実施しているチュプカムイノミ(月例祭)と併せ、コタンノミの実施は「お祭りは神主の養成所」という故・葛野辰次郎エカシの言葉通りの役割を果たしたと言えます。

 一方、祭りは神事の場であると同時に、交流・社交の場でもあります。客を招き、礼を尽くしてもてなすのも祭りの大切な意義です。この点でも常連の参列者や、大学ゼミの見学、一般来館者など、毎回多くの方々お迎えできていることは、大変誇らしいことでもあります。

 しかし、「交流の場」として見た場合、「楽しい祭り」になっているかと言えば、課題は少なくありません。当初は歌や踊り、語り物、弓矢や糸撚り大会等の余興などを意欲的に取り入れましたが、営業時間内の実施には制約も多く、次第に先細りとなり、近年は儀式後の食事の振る舞い以外には行われなくなりました。ある意味では「楽しい祭り」への取り組みは、神事の継承以上に難しい面があります。

▲写真2 2005年秋、コタンノミに続いて実施された弓矢と糸撚り競技

 

3.「時短」の試み

 

 そこで今回のコタンノミは、開催前から一つの課題が与えられていました。それは「時短」。そう言うと首を傾げる方もあるかも知れませんが、これまで2時間半程度かかっていた儀式の時間を短縮して、そのぶん物語の口演や歌・踊り等の余興に当てようというものです。

 民族衣装で正装した男女が繰り広げる儀式のさまは、普段なかなか目にする機会もなく、よくわからなくても一見の価値があるものだろうとは思います。ただ、コタンノミは大祭だけあって2時間半前後を要します。儀式の内容がわからないと足がしびれた記憶しか残らず、足が遠のくということになりかねません。また、多忙な来賓の方々や、限られた旅程の旅行者の方々に気軽に見学していただくには、あまり長時間だとそれも難しくなります。

 そこで今回、以下の対策を講じました。

⑴ 祭主の祈り詞の短縮(表1の②、⑥、⑩等)

⑵ 献酬(及びパケシコレ「お流れ」(注2) )の回数減(④⑤の献酬を省略、⑦だけに)

式次第

祭主

列席者
(男性)

列席者
(女性)

見学者

変更点

①開式のオンカミ(拝礼)(10:30〜)

 

②ハルエオンカミ(供物による拝礼)

祈り

祈詞短縮

③シラリエオンカミ(酒粕による拝礼)

祈り

食(酒粕を一口ずつ)

 

④カムイノミ1(酒杯による拝礼・屋内の祭神へ)

祈り

祈り

お流れ

献酬なし

⑤カムイノミ2(同上・屋外の13神へ)

祈り

祈り

お流れ

同上

⑥シンヌラッパ(祖先供養)

祈り

屋外の祭壇で供物を供え、飲食

祈詞短縮

⑦閉式の祈り(献酬あり)

祈り

祈り

お流れ

 

⑧閉式のオンカミ(拝礼)

 

⑨祭具の片付け

 

 

⑩木幣撤去(〜12:30)

祈り

祈詞短縮

⑪饗宴(歌や踊り、物語、余興)

 

 

 

 

追加

⑫振る舞い(食事)

 

 

▲表1 式の進行と関与する人、変更点

 表1の式次第のうち、神事として厳格に進むのは⑥シンヌラッパ(祖先供養)までです。満岡伸一『アイヌの足跡』によれば、⑥シンヌラッパ(祖先供養)が終われば普通の酒宴の形となり、献酬して酒杯を酌み交わし、やがて酩酊してタプカラ(踏舞)、歌や踊りに興じるとあるので、本来⑪の饗宴は⑦の後に入るはずですが、会場の都合でこのようにしました。また、儀式と⑪饗宴、⑫振る舞い(食事)がはっきり分かれすぎていて、いかにも「プログラム通り」に進行しますが、この辺にも改善の余地がありそうです。

▲写真3 屋外のヌサ(祭壇)で13の祭神に祈る(表1⑤)

▲写真4 儀式後に披露された兄弟によるエムシリムセ(剣の舞)

 

4.まとめ


 さて、今回の課題「時短」はどうだったかというと、ありがたいことに列席者にパウェトク(雄弁家)の祈り手が多かったため、所要時間はきっちり従来通りとなりました。「時短」の目論見は外れましたが、神事としてはより一層充実したものとなりました。11月初旬に予定されている秋のコタンノミに向けて再度検討を重ね、神事や文化伝承としてよりしっかりした内容で、かつ来賓が楽しめるコタンノミを今後も目指したいと思います。

 また、「時短」よりもっと大事なことは、儀式の内容を参加者や見学者にしっかりと伝え、理解を深めることだろうと思います。今回は予告編で終わりますが、冒頭で触れたように今後、コタンノミをはじめとする当館儀礼の解説を連載できればと考えています。

 

(注1)復活開催の経緯、コタンノミの趣旨と内容、文献等は、安田益穂「コタンノミ(春秋の村祭り)の復活」(『アイヌ民族博物館だより49・50合併号』、2002年9月30日発行)を参照。(pdf)

(注2)パケシコレ(pakes-kore余り酒・を与える)。祈り終えた男性列席者が後ろに控える女性にお流れ(余り酒)の酒杯を渡すこと。酒杯を受け取った女性はイクパスイ(捧酒箸)を使って自分の憑神や女性の祈る神(炉かぎの神等)に捧酒した後、自分で飲むか、用意の容器に空ける。男女を問わず見学者も希望すればお流れを受けて飲むことができる。

 

参考文献

満岡伸一『アイヌの足跡』1924年初版、2003年改訂9版、アイヌ民族博物館→ミュージアムショップ通販

(やすだ ますほ)

 


 

[トピックス バックナンバー]

1.「上田トシの民話」1〜3巻を刊行、WEB公開を開始 2015.6

2.『葛野辰次郎の伝承』から祈り詞37編をWEB公開 2015.9

 

[資料紹介]バックナンバー

1.映像でみる挨拶の作法1 2015.10

2.映像でみる挨拶の作法2「女性編」 2015.11

3.映像で見るアイヌの酒礼 2016.1

4.白老のイヨマレ(お酌)再考 2016.3

 

[今月の絵本 バックナンバー]

第1回 スズメの恩返し(川上まつ子さん伝承) 2015.3

第2回 クモを戒めて妻にしたオコジョ(川上まつ子さん伝承) 2015.4

第3回 シナ皮をかついだクマ(織田ステノさん伝承) 2015.5

第4回 白い犬の水くみ(上田トシさん伝承) 2015.7

第5回 木彫りのオオカミ(上田トシさん伝承) 2015.8

 

 

本文ここまで

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