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月刊シロロ

月刊シロロ 6月号(2015.6)

《トピックス》「上田トシの民話」1〜3巻を刊行、WEB公開を開始

 

 アイヌ民族博物館ではこの3月、『アイヌ民話ライブラリ 上田トシの民話』1〜3巻を刊行しました。当館がアイヌ語の物語集を出版するのは1997年発行の『伝承記録3 上田トシのウエペケレ』以来、実に18年ぶりのことです。書籍は非売品として図書館や関係機関に配布し、一般向けにこの度ホームページ上で公開することにしました。デジタル絵本の原作をはじめ、動植物が主人公の物語もたくさん収められています。アイヌ語学習の教材として活用していただければ幸いです。

上田トシの民話 上田トシの民話 上田トシの民話

https://ainugo.nam.go.jp/siror/contents/Library1_3.html

 

[上田トシのウエペケレを出したころ]

 18年前に発行した『伝承記録3 上田トシのウエペケレ』は、当時としては初めてのアイヌ語音声CD付出版物であり、ウェブ上にも類を見ないコンテンツでした。また2話のみの小部でCD付き1500円、ウェブ上では無料ダウンロードという手軽さから、最も手に入れやすいアイヌ語教材として、非常に多くの皆さんに利用されました。

 当時は話者の上田トシさんがご健在で、不明な点は話者本人に直接確認することができましたし(今では夢のような話です)、ご本人もご家族の方々も出版・公開に非常に協力的だったことも幸いしました。

伝承記録3

 また当時、アイヌ語辞書の刊行が相次ぎました。

 ・中川裕『アイヌ語千歳方言辞典』、1995年、草風館発行
 ・萱野茂『萱野茂のアイヌ語辞典』、1996年、三省堂発行
 ・田村すず子『アイヌ語沙流方言辞典』1996年、草風館発行
 ・奥田統己『アイヌ語静内方言文脈つき語彙集』(CD-ROMつき)1999年、札幌学院大学発行

 北海道ウタリ協会(=現在のアイヌ協会)からは1993年、『アイヌ語テキスト1 アコロイタク』が発行され、その後の基準となる表記法が示されていました。①辞書②テキストともう一つ、語学学習にとって不可欠のものが③音声資料でした。

 このような時代的なアイヌ語学習熱の高まりの中で、この本もその時代の小さな一端を担うことができたのではないかと思います。

 

[あれから18年…アイヌ語音声資料がぞくぞくとウェブ公開]

 あれから18年、各地でアイヌ語復興のためのさまざまな取り組みがなされるようになり、まさに隔世の感があります。今年は特に、アイヌ語音声資料の公開で画期的な出来事がありました。これまで断片的にしか公開されてこなかったり、出版されても入手が難しかったり、あるいは数十万円もした貴重な音声資料が、大量に、無料でWEB公開され始めました。さながらアイヌ語音声資料の「WEB公開元年」の様相です。以下にその一部を紹介します。

アイヌ口承文芸を見る|平取町二風谷アイヌ文化博物館のホームページ
 萱野茂氏が昭和44年、沙流川流域の6人のアイヌ語話者から録音した平取町立二風谷アイヌ文化博物館の音声資料。文化庁の委託を受け、町内外の研究者と千葉大学の協力を得て整理。現在順次公開中で、6月15日現在、99編の物語のPDF(アイヌ語対訳データ)とMP3(アイヌ語音声)が公開されていて、今後も順次追加されるとのこと。

アイヌ語音声資料アーカイヴズ|千葉大学大学院人文社会科学研究科
 (以下千葉大学地域研究センターのツイッターより)……「アイヌ語音声資料アーカイヴズ」を公開しました。アイヌ語の物語が、ローマ字表記またはカタカナ表記のどちらででも、日本語訳つきで音声を聞きながら鑑賞できます。今のところアップしているのは1編ですが、順次追加していきますので、ご活用ください。」

アイヌ語鵡川方言 日本語-アイヌ語辞典|千葉大学大学院 人文社会科学研究科

 (以下千葉大学地域研究センターのツイッターより)……「アイヌ語鵡川方言 日本語―アイヌ語辞典」を公開しました。故片山龍峯さんの採録した、アイヌ語鵡川方言話者新井田セイノさん、吉村冬子さんの言葉を、音声付きで日本語―アイヌ語辞典として活用できます。 」

 

[アイヌ民族博物館の音声資料アーカイブズ]

 アイヌ民族博物館では、1970年代後半から1990年ごろにかけて、道内各地の伝承者の方々から、約660時間相当の聞き取り調査を行いました。この録音資料の整理を2011年から4年間かけて行い、2014年度をもって一次転写(聞き起こし)をほぼ終えたところです。またそのうち100時間余りはアイヌ語の物語等で、今回公開した「上田トシの民話」1〜3巻は、その最初の成果物です。上田トシさんのご遺族のご理解と、館外の研究者のみなさんのご指導ご協力を得て、何とか公開にこぎつけることができました。3巻というのは全体量からすれば50分の3に過ぎず、また上田トシ氏以外の語り手による物語も膨大にあります。まだまだ長い道のりになりますが、今後も整理作業を継続し、完了したものから順次WEB上に追加したいと考えています。18年前の「伝承記録3 上田トシのウエペケレ」同様、また平取町や千葉大学などの音声資料とあわせて、多くのみなさんに活用していただければ幸いです。(安田益穂)

 

《自然観察フィールド紹介》ポロト オカンナッキ(ポロト湖ぐるり)

 

(文・写真:安田千夏)

 

 ポロト自然休養林は、アイヌ民族博物館に隣接して広がる国有林です。参考:外部リンク(北海道森林管理局|ポロト自然休養林ホームページ) (白老観光協会ホームページ)

 JR白老駅から徒歩約15分、道央道白老インターからは車で約10分という早さで散策路入り口インフォメーションセンターに到着します。市街地から近いにも関わらず巨木が育つ静閑な森が広がり、四季折々の豊かな自然を満喫できるという絶好の自然観察フィールドで、ポロト湖を含めてその広さは約395ヘクタール。遊歩道を全て歩くとするとお弁当を持って1日がかりで歩く覚悟が必要ですが、森の中ほどに位置するビジターセンターにはキャンプ場、バンガローが隣接していますので、ここを拠点にして泊まりがけでじっくり散策をするというのもいいかも知れません。また入口のインフォメーションセンターではレンタサイクルやカヌーの貸し出しも行っています。

 6月4日午前9時から12時まで、この森のラインセンサス(行程調査)に出かけました。今日のコースはインフォメーションセンターからポロト湖の西側を歩き、ビジターセンターで折り返し、湖東側の遊歩道を歩いてアイヌ民族博物館をゴールとする半日コースです。さてさて、どんな動植物に出会うことができるでしょう。


この日の観察ルート


写真1 スタート地点からアイヌ民族博物館を望む

 この時期は野鳥のさえずりが我が世の春とばかりに盛んに聞こえます。日が差し込む明るい林の中では日中比較的静かにしているクロツグミも、陽の差し込まないような深い森の中では日中もさえずっています。多彩な声を出し、時には他の鳥のさえずりを自分のレパートリーに取り入れたりもする相当な芸達者で、その低音の美声はさながら森のテノール歌手といったところでしょうか。アイヌ語名はイタカチャムと採録されています。私はこれを「しゃべるムクドリ」と解釈してみました。ムクドリのアイヌ語名は、アイヌ民族博物館の音声資料によると日高地方でハチャムと採録されています。クロツグミの多彩なさえずり、そして黒と白を基調としたムクドリ似のボディ配色。勝手になるほどと納得してしまいました。道東地方ではイタカチャと採録され「しゃべるおじさん」と別の解釈がされていますが、その地域で「ムクドリの本名だ」と言った人もいたらしく、本当のところはどうなのかなとあれこれ考えながら歩ているうちにエゾハルゼミの声に鳥のさえずりがかき消されていることに気がつきました。北海道ではもうこの時期にセミが鳴き始めるのです。

写真2 クロツグミ
写真2 クロツグミ

 少し歩いたところでガマズミの花が咲いていました。この近縁種ミヤマガマズミのアイヌ語名はキライニと採録されています。意味は「櫛の木」。この木の枝で櫛を作ったのだそうです。

写真3 ガマズミ
写真3 ガマズミ

 エゾニュウはアイヌ文化でおなじみの野草です。アイヌ語名はシウキナ(苦い・草)。茎の皮を剥いて生食しますが、どうにも苦いので「シウキナトペン、キナトペン(エゾニュウよ甘くなれ、草よ甘くなれ)」と言ってから「フッサ!」とおまじないの呼気をかけてから食べるのだそうです。それでもどうしても苦いので、私は苦手にしています。同じセリ科でやはり生食するアマニュウオオハナウドはそこまで苦味が立たず比較的食べやすいのですが、この森ではそれらは見かけず苦手のエゾニュウばかりが目につくのは何故なのでしょう。

写真4 エゾニュウ
写真4 エゾニュウ

 エゾニワトコの白い花も咲き始めていました。アイヌ語名はソコニ、ソコンニなどいろいろありますが、低木なのに太いものには老木のような風格が漂うからか、オンネチクニ「老木」という地域もあります。この木の独特なにおいを魔除けにしたり、湿布薬や風邪薬にもしたというとても有用な木なのですが、口承文芸の世界ではあまり良くない木として描かれたものがしばしば見受けられます。アイヌ民族博物館で採録された散文説話には次のようなものがあります。

「ある村の長者が、隣の村の村長の奥方が病気になったと聞いてその家を訪れました。その家に泊まって神窓の下に寝ていると、夢に神のような立派な人が出てきて、奥方の病気がその家の屋根に生えているエゾニワトコのせいだと教えてくれました。翌日その屋根に生えているエゾニワトコを引き抜き、神に祈ってお祓いをしたところ、ほどなくして奥方は元気になりました。私は感謝されて帰って来て、子宝に恵まれ幸せに暮らしました」(C120. 子どものいない夫婦と入江の向こうの病人

 有用な木であるにも関わらず、この物語でのエゾニワトコは神として敬われていないばかりか、ほとんどやっかいもの扱いをされています。このギャップはどのような理由で生じたものなのでしょうか。アイヌ文化の樹木神は、まだまだわからないことの多い奥深い世界です。

写真5 エゾニワトコ
写真5 エゾニワトコ

 さてそうこうしているうちに半分の行程を歩いて来ました。ウツナイ川を渡り、ビジターセンターを経由して復路に入ります。ビジターセンターではテラスにえさ出しをしているので、カラ類などの留鳥、シマリスエゾリスが姿を見せることがあります。

ウツナイ川
写真6 ウツナイ川

写真7 ビジターセンター
写真7 ビジターセンター

写真8 シマリス
写真8 シマリス

 オオウバユリの群落が見えて来ました。この野草のアイヌ語名はトゥレプ。ちょうどでんぷん採取をするのにいい季節になって来ました。この植物の根からとったでんぷんを団子にして発酵させたオントゥレプは、かつてのアイヌの食文化では厳しい冬場を乗り切る意味でも重要な食料でした。この植物は花をつけるまでに6〜8年かかるといわれていますが、アイヌ文化では生物学上の雌雄とは別に、花をつけない株立ちになった若い株を「めんた(メス)」、花をつけるために太い茎が育って来た株を「おんた(オス)」と呼んで区別します。そしてでんぷんが豊富に含まれる鱗茎があるのは「めんた」の方。花が咲く株からはでんぷんがとれないので採取しないものとされています。これをオオウバユリ目線で説明すると、花を咲かせ実をつけるのは人生最大かつ最後の大仕事で、根にたくわえていた栄養を使い果たして花を咲かせ命を終えて行くのです。アイヌ文化でこの株をとらないという教えは、でんぷんがとれないからという意味以外にもオオウバユリの子孫繁栄のために理に叶っているということがいえるでしょう。そして花が終わった株からは翌年に娘鱗茎という小さめの鱗茎が出て来るのだそうです。オオウバユリの群落が保たれることにはそんな秘密もあるのですね。

 自然体験活動をしている団体から「アイヌの人たちの保存食、オオウバユリ団子を子供達と一緒に作ってみたいんです」という相談を受けることがあります。もちろん採取可能なオオウバユリの群生地があります、という条件つきで。子供達にそんな貴重な体験がさせてあげられるのは喜ばしいことです。でもこれはアイヌ文化に限った話ではありませんが、現代に生きる私達が、かつて人と自然がバランス良く暮らしていた時代と同じことを常にできるというわけではありません。私達にどこまでが可能なのかということは大人達が責任を持って考え、子供達に伝える努力をしていかなければならないと肝に銘じて臨むようにしています。

写真9 オオウバユリ めんた(メス)
写真9 オオウバユリ めんた(メス)

写真10 オオウバユリ おんた(オス)
写真10 オオウバユリ おんた(オス)

 シジュウカラのオスが近くに来ました。この時期は奥さんを見つけて新居のプレゼンをするのに大忙しの時期です。人間がそばにいてもかまっちゃおられん、という感じでした。やがてメスとペアになりひなが生まれ、巣立った若鳥たちの混群に出会えるようになります。シジュウカラのアイヌ語名はパケクンネ(頭が黒い)。そしてよく似ていますが体が少し小さいヒガラがポンパケクンネ(小さくて頭が黒い)。微妙な特徴の違いがきちんと名前に反映されていることには感心してしまいます。

写真11 シジュウカラ オス
写真11 シジュウカラ オス

写真12 シジュウカラ 若鳥
写真12 シジュウカラ 若鳥

 やがて今日歩くコースの中で最大の巨木であるミズナラが見えて来ました。アイヌ語名はペロニ。幹周は4メートルを超えています。こうした巨木が育つ極相林には樹洞を巣に利用するフクロウなどの生き物が棲息します。この森でも日暮れ時に鳴き声を聞いたり、運が良ければ昼間でも巨木の枝でじっとしているところに遭遇することがあります。

写真13 ミズナラ巨木
写真13 ミズナラ巨木

写真14 フクロウ
写真14 フクロウ(「アイヌと自然デジタル図鑑」より)

 青草の中でひときわ背が高いヨブスマソウ。ヨブスマとはムササビの古名、葉の形をムササビに見立ててこの名があるとされています。アイヌ語名はワッカクトゥ、ワッカクッタラなど地域によっていろいろです。名前にワッカ(水)とつくのは、水辺でよく見かけることにちなむのでしょう。アイヌ文化では若い茎を食用にした以外にも、節のない中空の茎を利用して森の中で水を飲んだり、ポンプのように水を吸い上げては飛ばして遊んだりといろいろな使い方がありました。またチレクテクッタラ(鳴らすイタドリ)という名が採録された地域がありますが、実際にさまざまな地域で笛のように茎を吹き鳴らして楽しんだものだといいます。もっとも相当に長い笛なので、音を出すのにはコツが必要なようですが。

写真15 ヨブスマソウ
写真15 ヨブスマソウ

 小さすぎて見落としがちですが、可憐なツリバナの花もひっそりと開花していました。この木のアイヌ語名はコンケニと採録されています。枝の弾力性を活かして弓を作ったり、良材なので彫刻を施す細工物を作ったりもします。

写真16 ツリバナ花
写真16 ツリバナ

 調査の終盤、今日のコースで一番好きなポイントであるカツラのトンネルにさしかかりました。上を見上げるとカツラの若葉が幾重にも重なり風にそよいでいます。カツラのアイヌ語名はランコ。口承文芸の散文説話では、この木の神様が不思議な力を発揮して人を助けたという話が他の樹木神に抜きん出て多く、木の神様の中で最も位が高いとされる樹種のひとつとされています。高木で立派な木に成長するということ、丸木舟になるなど利用する上での良材であること、位の高い神様となるための条件をカツラは備えています。また他によく似たまぎらわしい種類の木がない、唯一無二の絶対感があるということも条件のひとつなのかも知れません。そして若葉や晩秋の頃にこの木の葉が発する何ともいえないカラメルのような甘い香り、まさに完璧。私もいつのまにかこの木の魅力にすっかり取り憑かれていました。

写真17 カツラ
写真17 カツラ

 アイヌ語名は採録されていないものの、森の初夏を鮮やかな黄色で彩るキビタキもさかんにさえずっていました。途中では森のピッコロ奏者とまで言われた美声はどこへやら、オス同士が甲高い声をあげて追いかけ合い、なわばり争いをしている場面に2度も出会いました。愛らしい姿形に似合わずなかなかに気の強いこの鳥、黄色い眉斑がきりりとりりしく見えます。本州ではおなじみですが、北海道ではおもに道南で確認されるというホトトギス。今日はこの森で鳴き声を聞くことができました。

 何かとにぎやかな初夏のポロト自然休養林、皆さんもお誘い合わせの上一度訪れてみてはいかがでしょうか。

写真18 キビタキ
写真18 キビタキ

写真19 サンショウ花
写真19 サンショウ

写真20 ミツバウツギ花
写真20 ミツバウツギ

写真21 コンロンソウ花
写真21 コンロンソウ

[本日の自然情報](6/4)
確認された野鳥
アオサギカッコウツツドリ、ホトトギス、クロツグミ、アカハラ、コルリ、キビタキ、コサメビタキ、コマドリ、ウグイス、ヤブサメ、センダイムシクイ、エゾムシクイ、メボソムシクイ、アオジアカゲラヤマゲラコゲラシマエナガ、イカル、ミソサザイキジバトシジュウカラゴジュウカラ、ハシブトガラ、ヒガラヤマガラ

おもな開花情報
樹木
エゾニワトコミツバウツギサンショウツリバナヤマグワヤマモミジ
野草
ユキザサ(アズキナ)オオバナノエンレイソウエンレイソウツボスミレカラマツソウコンロンソウ、セントウソウ、エゾタンポポ、エゾノタチカタバミ、コウライテンナンショウクサノオウ、ズダヤクシュ、カキドオシ、ハタザオ、ムラサキケマン、ミツバツチグリ

※本文中に掲載の鳥やリスの写真は、別の日にポロト湖周辺で撮影したものです。

《伝承者育成事業から》今月の新着自然写真「私の一枚」

 

 アイヌ民族博物館で行われている伝承者(担い手)育成事業受講生の新着写真等を紹介します。
 (撮影日:2015年6月10日、撮影地:苫小牧市ウトナイ湖)

 

木幡弘文のアルバム


(写真)トビの争いあっている様子です。
 輪郭まではわかりますが、更に拡大出来る望遠レンズがあればより鮮明に写せたのですが、400倍でもこれが限界でした。もう少し近づいてくれないかな……(木幡弘文)


 

▶新谷裕也のアルバム

(写真)ホオノキの葉

ホオノキは大きな葉っぱが特徴的、人間の顔くらい大きい。アイヌ文化では主にpus(プシ 矢筒)の材料として使われるのでpusni(プシニ 矢筒の木)と呼ばれる。(新谷裕也)


 

中井貴規のアルバム


(写真)ケヤマウコギのトゲ

 ケヤマウコギのアイヌ語名は「ホロカアユシニ(逆さにとげが生えている木)」ということですが、その幹のとげを写真にとりました。たしかにとげが下向きになっています。(中井貴規)


 

▶山本りえのアルバム


(写真) ヤマグワ アイヌ語名 トゥレプニ
 葉っぱの形が左右非対称というのは知っていましたが、こんなにぐにゃぐにゃで面白い形は初めて見ました。葉っぱの形がいろいろあって実も美味しい、大好きな木です。(山本りえ)


 

▶山丸賢雄のアルバム


(写真)ツリバナ アイヌ語名 コムケニ

 葉っぱや幹のコブが特徴的なツリバナですが花は初めて見ました。小さくてピンク色をしたとてもきれいな花でした。ダニには十分注意してぜひ見に行ってください!(山丸賢雄)

《アイヌの植物利用》オヒョウの樹皮の採取と処理

 

 (文・写真:堀江純子)

 

オヒョウ1

 平成26年度伝承者育成事業の研修としてアットゥシ(樹皮衣)の材料であるオヒョウ(ニレ科)の樹皮を採取してきました。その作業工程を報告します。

 平成26年よりオヒョウの好む河川中上流部(標高200-500m)の河畔斜面に絞り白老町内で適した立木を探してきました。適した立木とは胸高直径15〜20cm程度の、内皮を噛むとぬめりが少なく、樹皮が剥ぎやすいよう枝の少ないものです。

 ただし、胆振地方では天然林におけるオヒョウの出現頻度が10%程で上川・宗谷地方と比較しても約1/3です。地形図からオヒョウの好む環境を割り出し林道を探しましたが、見つかってもエゾシカによる食害で樹皮が削がれているものばかりでした。

オヒョウ2

オヒョウ3

国有林で見つけた数本の立木のうち、2〜3年の間には枯死する4本を胆振東部森林管理署より購入し、作業許可を得て実施に至りました。

オヒョウ4

 朝10時に作業の安全と樹皮をいただくことへの感謝を伝えるカムイノミを行い、20分ほど山道を登ります。

オヒョウ5

 根元付近に鉈を入れ、木片を噛んでぬめりを確認します。

オヒョウ6

 鉈を入れたところから樹皮の幅7〜8cm程を両手で持ちねじって揺さぶるようにしてまっすぐ上に剥いでいきます。

オヒョウ7

 本来ですと立木の状態で樹皮を剥ぎますが、地上2m近くまでエゾシカの食害を受けていて足場も不安定なため、8割以上を伐倒してから剥ぐことになりました。伐倒には周辺の木々を傷つけたり巻き込んだりしないよう神経を使います。

オヒョウ8

 うまく引っ張れれば5mほど気持ちよく剥せます。

オヒョウ9

 剥いだ樹皮は折り曲げて束ねます。樹皮が乾かないうちに内皮と外皮を分離させた方がいいのですが、1日で現地の作業を終わらせるため剥ぐことを優先させました。

オヒョウ13オヒョウ10

 4本の樹皮を剥ぎ、周辺の片付けを終え樹皮を背負って下山したのは15時頃でした。

オヒョウ11 

 翌日、研修生により内皮と外皮を剥し、内皮を沼に漬ける作業が行われました。7月には沼から引き揚げ、洗って干すことになります。ポロトコタンのポンチセでは過去に採取したオヒョウの内皮に触れることができます。他にも自然素材の利用と作業工程がわかりますので、ぜひ足を運んでみてください。

オヒョウ12

 アイヌ文化では多種多様な自然素材を採取し利用します。現在は市街化し、人口も増加しているため各種の規制があり、かつてと同じように採取することはできません。白老においてアットゥシ(樹皮衣)の材料確保も、今後は一層厳しくなっていくことが予想されます。かつてシナノキを代用していたように別種での代用や、将来にわたり利用が持続可能な自然環境を残していくことも伝承活動のひとつと捉え、考えていきたいと思います。

(参考)

「アイヌ文化生活文化再現マニュアル「織る」【樹皮衣】」(PDF 2.3MB)、2000年3月、アイヌ文化振興・研究推進機構

「オヒョウの持続可能な利用方策〜二風谷アットゥシ原材料の安定確保に向けて〜」(PDF 999KB)、2014年3月 北海道-北海道森林管理局

 

《シンリッウレシパ(祖先の暮らし)》第4回 北方の楽器たち(1)

 

 文:北原次郎太 (北海道大学アイヌ・先住民研究センター准教授)

蝦夷漫画

松浦武四郎「蝦夷漫画」より

 

 

はじめに―音を出す道具―

 前回までは、明治時代以前に形成されたアイヌ民族の生活文化について紹介してきました。今回はそうした生活の中で得た自然の素材を使ったアイヌの楽器をいくつかとりあげてみたいと思います。ここでは、アイヌが用いてきた音を出す道具を「鳴らすことによって別な目的を果たす物」と「鳴らすこと自体が目的である物」、そして明治以前からの物と明治以後に取り入れられた物に分けて整理してみたいと思います。


1 鹿笛―イパプケニ/イレッテプ

 楽器と言えば、以前狩猟の話に登場した鹿笛を思い出すかも知れません。鹿笛は本州の猟師も使う道具で、非常に古い歴史を持ちます。桝谷隆男先生という方がたいへん詳しく調べていらっしゃいますので、細かなことはそちらを読んでいただきたく思います。アイヌ語では以前紹介したイパプケニという呼び名のほか、東部でイレッテプと呼びます。

鹿笛鹿笛

 本体は木を使って横長につくり、吹き口(イレッテプチャロ)から続く穴を覆うように、動物の皮を貼り付けます。このとき、皮の下付近は接着せず浮いたままにしておきます。この状態で、皮を両手で張りながら吸い口から強く息を吹き出すと、皮が振動して高くするどい音が出ます。この音でシカをおびき寄せるのです。

 鹿笛にもちいるのは、鹿の耳の内側の皮や膀胱といった動物の皮、サケやカスベ(エイの一種)といった魚類の皮です。魚の皮がこうしたところに用いられる所に、漁に親しんだアイヌの暮らしが感じられます。

 ところで鹿笛は、音を出すこと自体が目的なのではなく、それによってシカを得ることが目的と言えます。このように、音を出すことそのものではなく、音を出すことによって、別な目的を果たす道具がいくつかあります。

 

2 うなり板―レラスイェプ

 たとえば、沖野慎治先生はレラスイェプ「風を揺らす物」という物を紹介しています。これは、長円形の板の端に紐を結びつけたもので、「うなり板」の一種とされます。紐を持って板を勢いよく振り回すと、板が回転して「ブーン」という音を出します。この音を出すことによって、風を起こすことができると考えられていました。なぜ風が必要かと言えば、収穫した穀物を脱穀して、殻・糠と実を分離する際に風を利用するからです。つまりうなり板は、農耕に関係した一種の「まじない」において用いられる道具です。


 
3 樺太のフレームドラム―カチョ

 このような道具としておそらく最も知られているのはトゥスクル(シャーマン)の太鼓でしょう。太鼓はカチョと呼ばれ、トゥスクルが占いや病気治療の祈りをする際に叩くもので、この太鼓の音がトゥスクルの守護神を引き寄せ、トゥスクルはその神の力やお告げによって人々の悩みを解決します。ですから、非常に音楽的でリズミカルな演奏をしますし、演奏によってトゥスクル本人や聴衆をトランス状態に導く働きをすることは確かですが、信仰上は守護神を呼び寄せることが主眼とされています。

太鼓カチョ

 カチョは太鼓といっても、枠と膜面だけで胴のない、いわゆるフレームドラムと呼ばれる形状をしています。タンバリンや法華の太鼓を思い浮かべるとわかりやすいでしょう。こうした太鼓は、ユーラシア大陸の北部、グリーンランドや、北米にかけて広く見られるもので、多くの場合シャマニズムと結びついています。アイヌの中でも、樺太アイヌのシャマニズム儀礼は、こうした太鼓を使用し、この点でより北方的な特色を持っていると言われます。太鼓を指すカチョという名称も、おそらくニヴフ語からの借用ではないかと考えられます。直径数センチ程度のヤナギなどを曲げて輪を作り、そこにトナカイやアザラシ、まれにサケの皮を張ります。これをレヘニという木製のバチで叩きますが、他の北方民族に比べて際立った特徴として、アイヌはヘラ状になったバチの中央を握り、両端を使って叩きます。膜面と木枠の部分を叩き分けることで2種類の音を出し、更に強弱をつけることで軽妙なリズムを生みます。両端で叩くために、バチの一端で叩く形式に比べ、連打が容易になります

 

アイヌのお話アニメ「空き家の化け物―オハチスイェ―」(アイヌ文化振興・研究推進機構、2015.3発行)より

 こうした形式のバチは、アイヌ文化の周囲にはあまりみられません。強いてあげるならアイルランドのバウロンと呼ばれる太鼓や、京都の三十三間堂などに祀られる雷神像が持っている太鼓などがあります。アイルランドの太鼓は同じフレームドラムであり、高等テクニックとして両端を使います。バチの端は球状になっており、太鼓の表面を滑らせるように叩きます。アイヌのバチはヘラ状になっており、その面で太鼓を打つことと比べると、技法の面ではやや異なります。


アイルランドのバウロンと呼ばれる太鼓

 雷神像が持つ太鼓の奏法はわかりませんが、仏教美術に現れる楽器にインド系・ペルシャ系の物が多く見られること、それらはアジアだけでなくヨーロッパ方面へも広がり、名称も形状もよく似た楽器が多く含まれることを考えれば、アイヌと仏教、そしてヨーロッパ北端の楽器もどこかで繋がるのかも知れませんね。

 

4 北海道にもあったカチョ

 ところで、カチョという言葉は北海道の文学にも登場します。このことから、知里真志保は1952年に書かれた「呪師とカワウソ」という論文の中で、かつて北海道にもカチョが存在したのだと述べています。論文中に例示されている箇所を見てみましょう(アイヌ語・訳語の表記は知里にしたがいます)。

  kani pon rep-ni 金の小ばちで
  kacho tom an-e-kik 太鼓の胴を打てば
  kacho rek hawe 太鼓の唄う声
  kani-haw ne 鏘然の音して
  uwetunuyse 美しく鳴りわたり
  tu usa imu 跳躍が二つも
  re usa imu 跳躍が三つも
  an-u-tom-kote なのだろうか
  ney wa ek tusu どこから来る巫謠
  ne hawe ne ya なのだろうか
  tu tusu chikay 二つの巫謠のふし
  re tusu chikay 三つの巫謠のふしが
  e-tanne-kekke 長々と続く

 
 これはサコロペ「英雄詞曲」の一節です。登場人物がトゥスを行う際にカチョを打っている様子が語られています。やはりこれも樺太のカチョのような太鼓なのでしょうか。

 知里真志保は、こうした多くの論文や著書、アイヌ語辞書とともに、それらの元になった膨大な量のノート、単語カード類を残しました。ノートは「知里真志保遺稿ノート」として、北海道文学館に保管されており、マイクロフィルムによる複製は北海道立図書館でも閲覧することができます。

 このうち№247、1951年6月22日の美幌町での聞き書きにカチョの記述があります。語り手は『アイヌ語方言辞典』に収録された美幌方言の語り手でもある菊地儀之助さんです。名称はカチョ(チョにアクセント)。オニサオマニ「空洞になった木(何の木でもよい)」を利用して筒を作り、上には魚の皮(サケかチライ(イトウ)または鱗がない「ビッキ鰈」を使う)を張り、下は何か詰め物をしてふさぐ、叩く時にはレプニ(バチ)を使う、とあります。

美幌のカチョ

 つまり、太鼓もバチも名称は樺太と共通しますが、形状はフレームドラムではなく、胴のある太鼓だということになります。残念ながらレプニの形状は記されていません。ちなみに、レプニという名称はサコロペやユカラと呼ばれる英雄詞曲を語る際に、炉縁を叩いて拍子を取る木の名称でもあります。それは、和太鼓のバチのような凹凸のない棒です。

 また、興味深いのは、この太鼓が病気治療の祈りの後に叩かれたことです。先に書いたように、樺太ではトゥスクルが占いや病気治療をする時に守護神を呼ぶものとして使ってきました。美幌のカチョは守護神を呼ぶかどうかまでは書かれていませんが、トゥスをする時に叩き、祈りの後も「気なぐさめに」叩いたとあります。「これを叩くと病人の気も晴れる」のだそうです。

 北海道南部では、トゥスクルはトゥスポンレプニ「シャマン用の小さな拍子木」というもので床や炉縁を打ちながら歌を歌ってトランス状態に入ります。美幌のカチョも、おそらくこうしたトランス状態を作り出すために用いたのでしょう。知里真志保が指摘した文学中のカチョは、語り手自身にはどのようにイメージされていたのでしょうか。

 ということで、今回は北方民族らしい、魚皮を利用したユニークな笛や太鼓を紹介しました。知里ノート№247には、他にも面白い「音を出す道具」が書かれていますので、それは次回以降紹介することにします。お楽しみに。

(きたはら・じろうた)

参考文献
沖野慎二 1994「アイヌ民族に“うなり板”は実在したか?」 『北海道立北方民族博物館研究紀要』3号、北海道立北方民族博物館。
北原次郎太・小林美紀・八谷麻衣(編)2012「《資料紹介》北海道文学館所蔵「知里真志保遺稿ノート」の細目次」『北海道立アイヌ民族文化研究センター研究紀要』第18号、北海道立アイヌ民族文化研究センター。
北原次郎太(編)2013『和田文治郎 樺太アイヌ説話集』1、北海道大学アイヌ先住民研究センター。
北原次郎太(編)2014『和田文治郎 樺太アイヌ説話集』2、北海道大学アイヌ先住民研究センター。
知里真志保1973(1952)「呪師とカワウソ」『知里真志保著作集』2、平凡社。
桝谷隆男1997「楽器学から見た狩猟用具―鹿笛概説(その2)」『アイヌ文化』21号、(財)アイヌ無形文化伝承保存会。

 

 

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