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月刊シロロ

月刊シロロ  12月号(2016.12)

 

 

 

 

《シンリッウレシパ(祖先の暮らし)16》樺太アイヌのヌソ(犬ゾリ)-1 

 

 文・イラスト:北原次郎太(北海道大学アイヌ・先住民研究センター准教授)

 

 

はじめに

 

  そろそろクリスマス。ということで、サンタクロースのソリにちなんでヌソ(犬ゾリ)を紹介します。

 近代以前のアイヌ民族の移動手段は船が主でしたが、冬季にはヌソが活躍しました。1940年に樺太東海岸シスカ周辺で犬ゾリの調査をした梅棹忠夫氏は、樺太を犬ゾリ文化の南限としており、犬ゾリが用いられる要因として、寒冷な気候もさることながら地形が平たんであることの影響が大きいとしています。ヌソの記録は特に東海岸で多く得られていますが(注1)、それは比較的平坦な場所が多いことと海や川が結氷するという環境の違いが影響しているかもしれません。

▲地図 1940年の南樺太における犬ゾリ使用域

 樺太で使われていソリは大きく2つのタイプがあり、aタイプ:イヌ用(扉絵右)、bタイプ:トナカイ用(扉絵左)です。加藤九祥氏がサハリン各民族のソリを集成したものを見ると、ニヴフ民族・アイヌ民族はaタイプ、ウイルタ民族はa・b両方のタイプを用いる様子が描かれています(図1および図2・図3)。レオポルト・フォン・シュレンクが1855年に樺太での調査をした際には既にウイルタはa・bのソリを用いていました。

▲図1 ニブフ民族のソリ(a)『北東アジア民族史の研究』より

▲図2 ウイルタ民族のソリ(a)『北東アジア民族史の研究』より

▲図3 ウイルタ民族のソリ(b)『北東アジア民族史の研究』より

 さらに梅棹氏の調査時には、ニヴフ民族も、両方の形式を使う事が確認されています。梅棹氏は、ウイルタ民族がaのタイプを使用することについてはアイヌ民族・ニヴフ民族からの影響だと推論しています。また、aタイプのソリはアムール川のナナイ、ウリチ、オロチ、ネギダール、ウデヘといったトゥングース系の諸民族と共通の形であり、アイヌ民族のヌソも、ニヴフ民族およびこれらの民族の影響によって使われ始めたものと考えられています。

 今号から数回に分けて、ソリ本体(シケニ)の構造と部分名称、イヌの装備と連結法、操縦者の装備と操縦法、性能などを取り上げることにします(注2)

 

1.シケニ(ソリ)の構造と寸法


 ヌソはソリとイヌをつないだ全体を指す言葉で、ソリの本体部分はシケニと言います。図4・図5は、シケニを構成している部品を配列したものと完成図です。色分けは見分けがつけやすいように便宜的に施した物です。

▲図4 シケニの部品(クリックで拡大)

▲図5 シケニ完成図

 シケニの寸法に統一的な企画はなく、作り手・用途によって決まります。サハリン州郷土博物館に収蔵されているもの(№50)は、全長347cm、幅43.5cm、高さ46cmです。また梅棹氏が図示しているソリの寸法はaタイプが長さ406cm、幅37cm、高さ29.5cm、bタイプが長さ237cm、41cm(ハンドル部のぞく)、幅55cmです。重量はaタイプが15kg、bタイプが25kgで、aタイプは大変軽量です。ソリの性能として軽量であることも重要だとされます。

 部材の組み立てには鉄釘ではなく、木釘とニカワを使い、またアザラシやトナカイの革紐を用います。これにより、ソリ全体が柔軟性を持ち、堅固に固定するよりも衝撃に強くなるといいます。

 

 

2.シケニの部分名称

 

▲図6 和田文治郎氏による図解

 次に各部位の名称を見ます。図6は、和田文治郎氏による図解です。民具について書かれた文ではないにも関わらず、シケニの部位名については最も詳しい資料です(注3)。どの地域の言葉かは明記されていませんが、図中のタカペシという言葉は東海岸白浜と西海岸鵜城で使うようです。ここに書かれた名称と、他の資料に見られる名称をまとめたのが表1です。梅棹氏によるニヴフ語・ウイルタ語による名称もあわせて一覧にしました。表記は各資料に従っています。

 

アイヌ
(和田・山本

ニヴフ
(梅棹)

ウイルタ
(梅棹)

説明

ソリ本体

シケニ

tu

totʃ

アムール地方に広く見られる形状のソリ。

バンパー

ムエヘ

miːx

tʃembo

弓上に曲げた木。近年使われている競技用のソリでは ブラッシュボウと呼ぶ部位。緩やかに取り付けられており、衝突した際の衝撃を和らげるバンパーの役割をする。B.ピウスツキによれば、後部の物は「ホロカムイェピヒ」という。ホロカは「反対」の意。

走条
(ランナー)

ツシクリ

toːʃkoʃ

paolani

氷・雪に接する部位。使用地の雪質が沈みにくいものなら スケート状、沈み込みやすければスキー状の形状に作る。シケニはスキーに近い形だが、両者の中間的な形状。

滑板

イフラシ
モホラシ

motas

mutaʃ

ランナーの裏に貼って摩擦を減らす。クジラの骨やヒゲが使われる。梅棹氏の調査時には鉄板が一般的だった。

枠木(荷台)

キンコエ

kenuhe

flieː

荷物が載る部材。よく乾燥させたシラカバで作る。

tanuke

pastul'

左右の部材に渡す桁。数は一定ではなく、ソリの長さに応じて増える。

脚(支柱)

シケニケマ

ix

buktə

上下の部材をつなぐ支柱。数は一定ではなく、ソリの長さに応じて増える。

前後部板(外)

エサオマハ

wawoʃ

elndu

両端に固定される板。装飾が施されることも有る。

前後部板(内)

ワハコホニ

両端に固定され、座席敷枝の受けになる板。

座席敷枝

シケニセタイ

touʒus

doʃi

荷台の間に並べる枝。座席、荷を載せる場所になる。

座席敷枝紐

セタイテサ

座席敷枝を編む革紐。

制御棒

カウレ
ヌソクワ

kaori

kauri

ブレーキの役割をする2本の棒。ナナカマド、カシなどの堅い木で作り、先端に鉄の棒を埋め込んである。

▲表1 アイヌ語名称のうち下線のある物は山本(1970)に記載の名称。

 

 残念ながら和田氏の図からは桁の名称が抜けており、他の資料にもこの名称はありません。こうして対照すると、アイヌ語の名称には特にニヴフ語とよく似たものが多く見られることがわかります。これまで言われてきたように、ソリの文化がニブフ文化から取り入れたものだとすれば、それとともにこれらの語彙も借用したのでしょう。

 次回はイヌの装具、およびシケニとの連結法を紹介します。

 

(注1)例えば梅棹氏は南樺太で犬ゾリが使われる地域を敷香周辺と栄浜周辺としてます(地図参照)。これより古い記録の中では犬ゾリの使用域はもう少し広く、19世紀末に収集されたB.ピウスツキの資料には、西海岸で収集された犬ゾリ用具が含まれますし、ロシア領時代(1875年~1905年)にクスンコタン(コルサコフ、日本領時代は大泊と呼ばれた町)まで荷物を運んだという逸話もあります。大正期にも南樺太西海岸の北部では主要な交通機関でした。犬ゾリの使用が減少した背景には、ウマが持ち込まれて馬ソリが普及したこと、昭和に入って自動車が増加し鉄道も引かれたこと、強制コタンへの集住によってアイヌ自身の生活域が狭められ移動が少なくなったことなどが考えられます。

(注2)資料としたのは、梅棹氏の論文のほか、和田文治郎「アイヌ語病名資料」、山本祐弘『樺太アイヌの住居と民具』、葛西猛千代『樺太土人研究資料』、戦前に製作された絵葉書などです。

(注3)医療関連の資料にソリの情報が含まれているのは「takapes araka」という一種の腹痛を指す病名に、ソリの部位名が含まれているためです。タカペシとはシケニと引き綱の連結部で、ここにマハルという縒り戻しが取り付けられます。このマハルが激しく揉み回されるかのような激しい痛みからの命名でしょうか。

謝辞

 この記事を書くにあたり、北海道立北方民族博物館の笹倉いる美さんに文献をご照会いただいたほか、様々なご教示をいただきました。記してお礼申し上げます。

 

参考文献
犬飼哲夫
1959「カラフトイヌの起源と習俗」『からふといぬ』日本評論新社。
梅棹忠夫
1990(1943)「イヌぞりの研究」『梅棹忠夫著作集第1巻 探検の時代』中央公論社。
荻原眞子、古原敏弘
2012「アイヌの犬橇関係資料概要―ロシアの博物館所蔵品について─」『アイヌ民族文化研究センター研究紀要』 第18号、北海道立アイヌ民族文化研究センター。
葛西猛千代
1975a(1943)『樺太アイヌの民俗』みやま書房。(菊池編1997に再録)
1975b(1928)『樺太土人研究資料』私家版(謄写)。
加藤九祥
1986『北東アジア民族史の研究』恒文社。
萱野茂
1978『アイヌの民具』アイヌの民具刊行運動委員会。
北原次郎太
「樺太アイヌの歴史」『樺太アイヌ民族誌』(公財)アイヌ文化振興・研究推進機構。
金田一京助・杉山寿栄男
1993(1941)『アイヌ芸術 服装編』北海道出版企画センター。
久保寺逸彦
1977『アイヌ叙事詩神謡・聖伝の研究』岩波書店。
久保寺逸彦編
1992『アイヌ語・日本語辞典稿』北海道教育委員会。
児玉作左衛門ほか
1968「アイヌ服飾の調査」『アイヌ民俗調査報告書』北海道教育委員会。
児玉マリ
1984「概説 アイヌの装い」『第25回特別展目録 アイヌの装い―文様と色彩の世界―』北海道開拓記念館。
1985「アイヌ民族の衣服と服飾品」『北海道の研究 第7巻 民俗・民族篇』清文堂。
1991「アイヌ民族の衣服」『第8回企画展アイヌの衣服文化―着物の地方的特徴について―』財団法人アイヌ民族博物館。
2012(平成24)年3月発行
千徳太郎治
1980(1929)『樺太アイヌ叢話』(『アイヌ史資料集第六巻 樺太篇』(北海道出版企画センター)に再録)。
知里真志保
1975(1954)『分類アイヌ語辞典 人間篇』『知里眞志保著作集 別巻Ⅱ』 平凡社。
芳賀良夫1959「南極用犬ソリの編成と訓練」『からふといぬ』日本評論新社。
福田アジオ・新谷尚紀・湯川洋司・神田より子・中込睦子・渡邉欣雄(編) 
1999『日本民俗大事典〈上〉』吉川弘文館。
藤村久和・北海道ウタリ協会札幌支部アイヌ語勉強会訳
1985「B・ピウスツキ/樺太アイヌの言語と民話についての研究資料(10)空き家の化物を退治する一方法の由来話」『創造の世界』55、小学館。
北海道立北方民族博物館
1998『A.V.スモリャーク氏寄贈資料目録~ニヴフ・オロチ・ウリチ・ナーナイ』。
2014『北海道立北方民族博物館第29回特別展 船、橇、スキー、かんじき 北方の移動手段と道具』。
山本祐弘1970『樺太アイヌの住居と民具』相模書房。
和田完
1965「アイヌ語病名資料―和田文治郎遺稿2―」『民族學研究』30-1号、日本文化人類学会。

 

[シンリッウレシパ(祖先の暮らし) バックナンバー]

第1回 はじめに|農耕 2015.3

第2回 採集|漁労   2015.4

第3回 狩猟|交易   2015.5

第4回 北方の楽器たち(1) 2015.6

第5回 北方の楽器たち(2) 2015.7

第6回 北方の楽器たち(3) 2015.8

第7回 北方の楽器たち(4) 2015.9

第8回 北方の楽器たち(5) 2015.11

第9回 イクパスイ 2015.12

第10回 アイヌの精神文化 ラマッ⑴ 2016.1

第11回 アイヌの精神文化 ラマッ⑵ 2016.2

第12回 アイヌの精神文化 ラマッ⑶ 2016.4

第13回 アイヌの精神文化 ラマッ⑷ 2016.5

第14回 アイヌの衣服文化⑴ 木綿衣の呼び名

第15回 アイヌの衣服文化⑵ さまざまな衣服・小物

 

 

 

 

《図鑑の小窓20》エンド(ナギナタコウジュ)のつっぺ

 

 文・写真:安田千夏

 

(非公開)

 

[バックナンバー]

《図鑑の小窓》1 アカゲラとヤマゲラ 2015.3

《図鑑の小窓》2 カラスとカケス   2015.4

《図鑑の小窓》3 ザゼンソウとヒメザゼンソウ 2015.5

《自然観察フィールド紹介1》ポロト オカンナッキ(ポロト湖ぐるり) 2015.6

《図鑑の小窓》4 ケムトゥイェキナ「血止め草」を探して 2015.7
《自然観察フィールド紹介2》ヨコスト マサラ ウトゥッ タ(ヨコスト湿原にて) 2015.8

《図鑑の小窓》5 糸を作る植物について 2015.9

《図鑑の小窓》6 シマリスとエゾリス 2015.10
《図鑑の小窓》7 サランパ サクチカプ(さよなら夏鳥) 2015.11

《図鑑の小窓》8 カッケンハッタリ(カワガラスの淵)探訪 2015.12

《図鑑の小窓》9 コタンの冬の暮らし「ニナ(まき取り)」 2016.1

《図鑑の小窓》10 カパチットノ クコラムサッ(ワシ神様に心ひかれて) 2016.2

《図鑑の小窓》11 ツルウメモドキあれこれ 2016.3

《図鑑の小窓》12 ハスカップ「不老長寿の妙薬」てんまつ記 2016.4

《図鑑の小窓》13 冬越えのオオジシギとは 2016.5

《図鑑の小窓》14「樹木神の人助け」事件簿 2016.6

《図鑑の小窓》15 アヨロコタン随想 2016.7

《図鑑の小窓》16「カタムサラ」はどこに 2016.8

《図鑑の小窓》17 イケマ(ペヌプ)のおまもり  2016.9

《図鑑の小窓》18 クリの道をたどる 2016.10

《図鑑の小窓》19 くまのきもち 2016.11

 

 

 

 

 

 

 

《伝承者育成事業レポート》イヨマンテでの祈り詞(平取地方)その1

 

 文:伝承者(担い手)育成事業第三期生一同(木幡弘文、新谷裕也、中井貴規、山本りえ、山丸賢雄)、北原次郎太(講師)

 

 ここに掲載するものは、名取武光氏が記録したイヨマンテの祈り詞です。名取氏の論文「沙流アイヌの熊送りに於ける神々の由来とヌサ」(『北方文化研究報告 第4輯』、1941年、北海道帝國大學)には、仔グマを連れ帰った場面からイヨマンテを終えるまでの一連の祈り詞54編と、その意訳が収録されています。名取氏の同論文は、1941年に最初に発表され(戦前版)、その後1974年に著作集『アイヌと考古学(二)』に収められました(戦後版)。著作集収録の際、浅井亨氏がアイヌ語の校正をしており、一部解釈や表記が変わりました。

 第3期「担い手」育成研修では、2016年1月頃からアイヌ語研修の一環として、これらの祈り詞の逐語訳に取り組みました。和訳にあたっては、新旧のアイヌ語原文を比較しましたが、ここでは戦前版での表記とアイヌ民族博物館で用いられている表記法(辞書で引けるような表記)で書いたものを並べ、戦後版については必要に応じて引用しています。なお、原典では改行せずに書き流していますが、ここでは、一般的な韻文の形式で、一行と考えられる長さごとに改行しています。それぞれの最後に、名取武光氏による意訳をのせています。

 今回は、そのうち1と2を掲載します。

 参照した辞書の略号は次の通りです。

【太】:川村兼一監修、太田満編、『旭川アイヌ語辞典』、2005、アイヌ語研究所
【萱】:萱野茂、『萱野茂のアイヌ語辞典 [増補版]』、2002、三省堂
【久】:北海道教育庁生涯学習部文化課編、『平成3年度 久保寺逸彦 アイヌ語収録ノート調査報告書(久保寺逸彦編 アイヌ語・日本語辞典稿)』、1992、北海道文化財保護協会
【田】:田村すず子、『アイヌ語沙流方言辞典』(再版)、1998、草風館
【中】:中川裕、『アイヌ語千歳方言辞典』、1995、草風館

 

1)kamuy huci koytak 火の神への祈り詞

 

戦前版の表記

新表記

和訳

kamuihuchi
ireshukamui
tapanbetashi
akoroirawe
iyerokkusu
medotushikamui
kamuiponbehe
ikoiitomot
akarakarakusu
taneanakkune
ahekotekamui
kirisamuoroke
akoshirepare
sekoranshiri
tapankusu
shukupteksama
ireshukamui
kopunkinena
ietonankara
shiranbakamui
hashiinauukkamui
koropunkine
koetunankara
ahekotekamui
koropunkine
anwaneyakku
nishyashinoshukup
kiwaneyakku
kamuihuchi
kotomshanniyo
newaneyakku
kamuikirishyamuta
ashinomaka
ayairawerep
neyakusu
akotomshyanniyo
neitapanna
tapankamui
tennep
shukupteksama
kopunkinewa
ikoropareyan.

kamuy huci
iresu kamuy
tapan pe tasi
a=kor irawe
ne rok kusu
metotuskamuy
kamuy ponpehe
ikoytomot(注2)
a=karkar kusu 
tane anakne
a=hekote kamuy(注3)
kirsam orke
a=kosirepare
sekor an siri
tapan kusu
sukup teksama
iresu kamuy 
kopunkine na.
iyetunankar 
siranpakamuy
hasiinawukkmauy
kor punkine
koetunankar(注5)
a=hekote kamuy
kor punkine
an wa neyak
nisasnu sukup
ki wa ne yak
kamuy huci(注6)
kotom sanniyo
ne wa ne yak
kamuy kirsam ta
asinuma ka
a=yayirawere p
ne a kusu
a=kotomsanniyo
ne hi tapan na.
tapan kamuy
tennep
sukup teksama
kopunkine wa
i=korpare yan.

神なる祖母
我等を育てる神様よ、
これこそが
(注1)の望んだこと
でしたので
山奥にいます神の
神なる稚児との
遭遇を
私がいたしましたので
今は
私の頼みにしている神
の側に
お連れいたした
という次第
であるので
(仔グマが)成長する傍らで
我等を育てる神様
見守って下さい(注4)
それとともに
立木の神
狩猟の神
の加護を
心をあわせて
私の頼みにしている神
の持てる加護が
あったなら
健やかな成長
をしましたなら
神なる祖母が
ふさわしい計らいをなさる
のであれば
神の膝元で
私も
自ら望むこと
であるから
私もそのように考える
次第です
これなる神の
稚児が
成長する傍ら
を見守って
下さるべし。

 

1.名取意訳

 これは私の楽しみ事で、熊の仔を見つけました。第一番に山の事は、立ち木の神(Shiranbakamui)と狩猟の神(Hashiinauukkamui)のお陰で、仔熊を見つけまして、今養うについては、心配な事は、もし病気にでも、又何か災難にでも、あって死ぬような事では困るから、達者で育つ様に、火の神(Kamuihuchi)と山を司る神(Iworokorokamui 即ちHasiinaukorokamuiとShirambakamui)と両方から、この仔熊が達者に育つ様に、面倒を見て下さる様お願い申します。

 

2)Pewrep iresu kamuy kosirepa hi kamuy a=nure inonno itak

仔熊を熊の家に入れる前の祈り詞

 

戦前版の表記

新表記

和訳

Tappanakkune
tapanbetashi
akoroirawe
neakusu
medottoushikamui
kamuiponbehe
taneanakkune
ayaitomokka
sekoranyakun
kamuiponbe
ireshukamui
girishamakoshirepare
nehetoko
iworokorokamui
utarihi
shiranbakamui
kamuiekashi
newaneyakka
hashiinauukkamui
newaneyakka
shineppshirine
anurehawe
sekoranyakun
ireshukamui
koetunankara
ukopunkine
oomahine
tapanireshu
akitekkusama
chikopunkine
ayekarakarawa
apunnitara
tapaniyomap
akitekkusama
chikopunkine
oomahine
ireshukamui
koireshu
maukopirikano
tapankamuitennep
nishiashinunishukup
kikunihi
chikopunkine
ayekarakara wa
aikoreyakkune
kamuikeutumuoro
ekohepoki
kinankorona.

tap anak ne
tapan pe tasi
a=kor irawe
ne a kusu
metotuskamuy
kamuy ponpehe
tane anakne
a=yaytomotka 
sekor an yakun
kamuy ponpe
iresu kamuy
kirsam  a=kosirepare
ne hi etoko
iworkorkamuy
utarihi
siranpakamuy
kamuy ekasi(注7)
ne wa ne yakka
hasinawukkamuy(注8)
ne wa ne yakka
sine p sir ne
a=nure hawe
sekor an yakun
iresu kamuy
koetunankar
ukopunkine
ooma  hine
tapan iresu
a=ki teksama
cikopunkine
a=i=ekarkar wa
apunitara
tapan iyomap 
a=ki teksama
cikopunkine
ooma hine
iresu kamuy
koiresu 
mawkopirkano
tapan kamuytennep
nisasnu no(注9) sukup
ki kuni hi
cikopunkine
a=i=ekarakar wa
a=i=kore yakne
kamuy kewtumoro
ekohepoki(注10)
ki nankor_ na.

これなるは
まさしく
私の望み
であったので
山奥に居ます神の
神なる稚児に
今や
出会いました
そうであるなら
神なる稚児を
我等を育てる神の
側にお連れした
その前に
狩場の神
の一族は
立木の神
神なる老爺
でも
狩猟の神
でも
1つの神として
申し上げるのです
そうであるならば
育ての神と
心を協わせて
互いに守護に
立って
この養育を
私がする側を
見守って
下さって
おだやかに
この愛育を
私がする傍らに
加護を
下さって
育ての神が
共に養育し
幸運に
この神の稚児が
健やかなる生育
するように
見守ることを
なして
下さるなら
神の御心
に頭をたれ
ることでしょう 

 

2.名取意訳

 これは私の楽しみ事で、山で熊の仔を見つけました。けれども養うには、自分勝手に養うのは心配であるから、お頼み申すのでありますが、立木の神(Shirambakamui)と狩猟の神(Hashiinaukorokamui)とは、第一に山のことを司る神であるから、熊の仔が病気しない様に、熊送りする時節迄気をつけて、火の神(Kamuihuchi)と両方から、熊の仔が達者になって、どこまでも丈夫になって、送られる様に面倒見てくださる様にお願い申します。

 

(注1)「a=」は、一人称複数「私たちが」、二人称の敬称「あなたが」、不定「人が」、とも解釈できますが、ここでは文の後半に単数の代名詞asinumaが用いられていることから、「私」と解釈しました。

(注2)ikoytomot(i:それ、ko:~に、i(y):それ、tomot:~と行きあう)⇒遭遇。

祈り詞や韻文体の物語ではメロディにのせて語るため、一行の長さが母音5つ程度になるよう調節します。ここではitomotでも同じ意味になりますがやや短いので、さらに「i(y)」と「ko」を補っていると考えられます。※tomot:【中】p.290 他動詞「~と行きあう」

(注3) ここでは、火の媼のことを指しています。

(注4)直訳すると「成長するかたわらを、火の媼が見守りますよ」となります。ここでは、自分の望むことを確定したことのように述べることで、婉曲に話し相手への要求となっていると考えました。

(注5)久保寺p.134(432):それに対して、心を協わす

(注6)火の神に対しての語りかけは、二人称e=、敬称のa=、または三人称、を用いる形がある。この祈り詞では、三人称を用いることが多い。

(注7)siranpakamuyは女神であるとも言われています。kamuy ekasiと表現されているのは、1.実際に男の神様である、2.敬って言うときにはekasiを使う、ということが考えられます。物語と祈り詞では、いろいろと表現が食い違うこともあり、一つの物語、一つの祈り詞だけではその神を語ることができません。

(注8)平取地方では、必ずと言っていいほどhasinawukkamuyを祭壇に祭ります。白老、新十津川、千歳なども同様です。名取氏の論文では、静内(下下方)の狩野照吉氏は木の神のことを「ハシナウサンカオインカルカムイ」と呼んでいます。同じ静内でも東別の葛野辰次郎氏はpinne ay hasinaw kor kamuy oynamatという名前で太陽神を呼んでいます。新十津川町の樺勘太郎氏は狩の神として「イソアニカムイ」を祭っています。他の地域でもhasinawは作られますが、必ずしもhasinawukkamuyという名前で祭るわけではありません。

(注9)戦前版の表記から想定される形は、「nisasnu ne」ですが、ここでは戦後版の解釈に従い「nisasnu no」としました。「nisasnu」の後がneならば「元気である成長」、「nisasnu」の後がnoならば「すこぶる元気な成長」などと考えられます。

(注10)人称がついていませんが、文脈からは「私が頭をたれる」かと思われます。

 

 

 

 

 

 

 

《伝承者育成事業レポート》「ハンノキについて学んだ者が物語る」

 

 文:中井貴規(伝承者育成事業第三期生)

 本稿は2016年12月4日、アイヌ文化振興・研究推進機構主催の第20回アイヌ語弁論大会「イタカン ロー」弁論の部で最優秀賞を受賞した原稿に一部加筆修正したものです。伝承者育成事業の受講者が自然講座で学んだことを全編アイヌ語で語っていて、3年間の講習の成果として本号に掲載しました。(編集部)

 

“ハンノキ” エヤイパカシヌクル イタク
“ハンノキ” eyaypakasnukur itak

“ハンノキ”について学んだ者が物語る
伝承者育成事業第三期生

中井貴規

イランカラプテ。クコロ ウタラパ ウタラ。チカプニ コタン タ クシコ ワ クスクプ。タネ シラウォイ コタン タ クアン。中井貴規 セコロ レ アン オッカヨ クネ。
irankarapte. ku=kor utarpa utar. cikapuni kotan ta ku=siko wa ku=sukup. tane sirawoy kotan ta ku=an. 中井貴規 sekor re an okkayo ku=ne.
ご挨拶申し上げます。我が親愛なる皆様方、私は近文で生まれ育ちました。今は白老に住んでいます。中井貴規という名の男です。
伝承者育成事業 クエイヨロッ ワ アヌタリ イポッセ ウサ アイヌプリ ウサ クエヤイパカシヌ。
伝承者育成事業 ku=eiyorot wa anutari iposse usa aynupuri usa ku=eyaypakasnu.
私は伝承者育成事業に参加して、アイヌ語やアイヌ文化を学んでいます。
シネアントタ シサム イタカニ“ハンノキ”セコライェ チクニ クエヤイパカシヌ クス “ハンノキ” クエイタク クスネ ナ。
sineantota sisam itak ani“ハンノキ”sekor a=ye cikuni ku=eyaypakasnu kusu “ハンノキ” ku=eitak kusune na.
ある日、日本語で“ハンノキ”と言われる木について、私は学びましたので、“ハンノキ”について語りますよ。

シサム イタク シサム プリ パテク アネパカシヌ プ クネ クス
sisam itak sisam puri patek an=epakasnu p ku=ne kusu

和人の言葉、和人の慣習ばかり教えられてきた者が私でありますので、
アヌタリ イポッセ ネ ヤッカ クエラメシカリ コロカ
anutari iposse ne yakka ku=erameskari korka
私たちアイヌの言葉であっても、私は分からないですが、
アヌタリ イポッセ アイヌプリ クパセレ カネ クエオリパク カネ クイェ ナ
anutari iposse aynupuri ku=pasere kane ku=eoripak kane ku=ye na.
アイヌの言葉、アイヌの習慣を、尊びながら敬いながら私は言いますよ。

シサム イタカニ “ヤチハンノキ” セコライェ チクニ アナクネ アヌタリ イポッセ アニ “ニタッケネ” セコライェ。
sisam itak ani “ヤチハンノキ” sekor a=ye cikuni anakne anutari iposse ani “nitatkene” sekor a=ye.

 

日本語で“ヤチハンノキ”と言われる木は、アイヌ語で“ニタッケネ”と言われます。
植物図鑑 クウワンパレ アワ シサム イタカニ “ハンノキ” セコライェ コロ ネ チクニ アナクネ “ヤチハンノキ” ネ ハウェ ネ。植物図鑑ku=uwampare awa sisam itak ani “ハンノキ” sekor a=ye kor ne cikuni anakne “ヤチハンノキ” ne hawe ne. 植物図鑑を見たところ、日本語で、ただ“ハンノキ”とだけ言うと、その木は“ヤチハンノキ”のことだそうです。

 

ニタッケネ
nitatkene

(ヤチ)ハンノキ
▼葉 ▼幹 ▼雌花
    2016年7月5日撮影
“ニタッケネ” アヌタリ エイワンケ カトゥ エネ アニ。
“nitatkene” anutari eiwanke katu ene an _hi.
“ヤチハンノキ”をアイヌが使うのは次のようなことです。
イフレカアン。ケム ポロ セコロ ヤイヌアン クス アイスウェ ワ クスリ ネ アンク。アネイワンケ プ アンカラ。サク アン コロ アペニ ネ アネイワンケ。
ihureka=an. kem poro sekor yaynu=an kusu ay=suwe wa kusuri ne an=ku. an=eiwanke p an=kar. sak an kor apeni ne an=eiwanke.
赤く染めます。血が増えると考えたため、煮て薬として飲みます。道具を作ります。夏に薪として用います。
シサム イタカニ “ケヤマハンノキ” セコライェ チクニ アナクネ アヌタリ イポッセ アニ “ケネ” セコライェ。
sisam itak ani “ケヤマハンノキ” sekor a=ye cikuni anakne anutari iposse ani “kene” sekor a=ye.
日本語で“ケヤマハンノキ”と言われる木は、アイヌ語でただ“ケネ”と言われます。

 

ケネ
kene

ケヤマハンノキ
▼葉 ▼幹 ▼雌花
    2016年7月5日撮影
“ケネ” アヌタリ エイワンケ カトゥ エネ アニ。
“kene” anutari eiwanke katu ene an _hi.
“ケヤマハンノキ”をアイヌが使うのは次のようなことです。
イフレカアン。ケム ポロ セコロ ヤイヌアン クス アイスウェ ワ クスリ ネ アンク。アネイワンケ プ アンカラ。サク アン コロ アペニ ネ アネイワンケ。
ihureka=an. kem poro sekor yaynu=an kusu ay=suwe wa kusuri ne an=ku. an=eiwanke p an=kar. sak an kor apeni ne an=eiwanke.
赤く染めます。血が増えると考えたため、煮て薬として飲みます。道具を作ります。夏に薪として用います。
シサム イタカニ “ミヤマハンノキ” セコライェ チクニ アナクネ アヌタリ イポッセ アニ “カムイケネ” ウサ “ホロケウケネ” ウサ セコライェ。
sisam itak ani “ミヤマハンノキ” sekor a=ye cikuni anakne anutari iposse ani “kamuykene” usa “horkewkene” usa sekor a=ye.
日本語で“ミヤマハンノキ”と言われる木は、アイヌ語で“カムイケネ”や“ホロケウケネ”と言われます。

 

カムイケネ、ホロケウケネ
kamuykene、horkewkene
ミヤマハンノキ
▼葉 ▼幹 ▼雌花
    2016年7月5日撮影
“カムイケネ、ホロケウケネ” アヌタリ エイワンケ カトゥ エネ アニ。
“kamuykene, horkewkene”anutari eiwanke katu ene an _hi.
“ミヤマハンノキ”をアイヌが使っていたのは次のようなことです。
イナウ アンカラ ワ レプンカムイ ウサ ルコロカムイ カムイ ウサ アンコレ。イフレカアン。アペニ ネ アネイワンケ。
inaw an=kar wa repunkamuy usa rukorkamuy usa an=kore. ihureka=an. apeni ne an=eiwanke.
イナウを作って沖の神や便所の神などに捧げます。赤く染めます。薪として用います。
ケシパ アン コロ イシカラ コタン タ アン マッネニタイオルシペ オッタ クウタリ トゥラノ カムイノミアシ ワ ウエネウサラアシ ヒネ
kespa an kor iskar kotan ta an matnenitayoruspe otta ku=utari turano kamuynomi=as wa uenewsar=as hine
毎年、石狩市の擂鉢山で、仲間とともに私たちは儀礼をして、語り合って楽しんだ後、

“はまますピリカビーチ” セコライェ ウシケ エコタ パイェアシ ワ“カムイケネ、ホロケウケネ”アニ チカラ イナウ レプンカムイ チコレ。
“はまますピリカビーチ”sekor a=ye uske ekota paye=as wa “kamuykene, horkewkene”ani ci=kar inaw repunkamuy ci=kore.

“はまますピリカビーチ”というところに行って、“ミヤマハンノキ”で作ったイナウを沖の神に捧げます。

“ヤチハンノキ、ケヤマハンノキ、ミヤマハンノキ” クエヤイパカシヌ オロワノ アナクネ “ハンノキ”クエラマス。
“nitat kene, kene, kamuy kene(horkew kene)”ku=eyaypakasnu. orowano ku=eramasu.

“ヤチハンノキ、ケヤマハンノキ、ミヤマハンノキ”について学びました。それから“ハンノキ”を好きになりました。
オペオペノ クイタク カ エアイカプ コロカ クイタク ハウェ タパンペ ネ ナ。
パクノ クイェ ナ。
opeopeno ku=itak ka eaykap korka ku=itak hawe tapampe ne na.pakno ku=ye na.
詳しく説明することはできませんでしたが、私が語ることは以上です。終わり。

 

 

○参考文献
・安田千夏、「ハンノキ類のアイヌ語名称とその用途について」『itahcara 第6号』、
2009年、『itahcara』編集事務局

・北海道教育庁社会教育部文化課編、『アイヌ民俗文化財調査報告書』、1982〜1999年、
 北海道教育委員会
・知里真志保、『知里真志保著作集別巻Ⅰ 分類アイヌ語辞典植物編・動物編』、1976年、
平凡社
・川村兼一監修、太田満編、『旭川アイヌ語辞典』2005年、アイヌ語研究所
・田村すず子、『アイヌ語沙流方言辞典』(再版)、1998年、草風館
・中川裕、『アイヌ語千歳方言辞典』、1995年、草風館
・萱野茂、『萱野茂のアイヌ語辞典 [増補版]』、2002年、三省堂
・佐藤孝夫、『増補版 北海道樹木図鑑』、2011年、亜璃西社

 

《伝承者育成事業レポート》

女性の漁労への関わりについて 2015.11

キハダジャムを作ろう 2015.12

《レポート》ウトナイ湖野生鳥獣保護センターの見学 2016.2

《レポート》アイヌの火起こし実践ルポ(前編) 2016.3

《レポート》アイヌの火起こし実践ルポ(後編) 2016.4

《レポート》ガマズミ・ミヤマガマズミの見分けについて(山本りえ)2016.11

 

 

 

 

 

《トピックス》クルマカムイノミ(新車のお祓い)雑感

 

 文:安田益穂

 

▲新車のルームミラーにイナウル(削り掛けの木幣)をつける

 

1.はじめに

 

 さて、先月号まで5回にわたり《儀式見学の予備知識》と題して儀式解説をしてきましたが、お付き合い下さった読者さんも食傷ぎみかと思いますので、今回は箸休め。肩の凝らない儀式の話を(やっぱり儀式のお話です)。

 さかのぼること半年前、春のコタンノミ(大祭=5月号参照)に引き続いて「クルマカムイノミ」という儀式(非公開)がありました。クルマは「車」、カムイノミは「儀式」、新車の納車にともなうお祓いです。和人社会でも車を買ったら神社でお祓いを受け、安全祈願のお守りやステッカーを車につけることは珍しくありませんが、アイヌにはアイヌの流儀があって、なかなか興味深いものがあります。私は当地に就職して間もない1996年11月に初めてクルマカムイノミ(この時はスバルレガシィだったので「レガシィカムイノミ」とも呼んでいました)なるものを見て、地元の新聞社に「おもしろいので記事にして下さい」と「記事掲載のお願い」をファックスした覚えがあります(不採用になりましたが)。今回私は参列しませんでしたが、以下当日の写真を交えてご紹介します。

 

2.「自動車」のアイヌ語は?

 

 まず、「自動車」はアイヌ語でクルマなの? というところから気になる方は気になるかと思います。日本語も外来語だらけですから、アイヌ語でも車は「クルマ」で良いと思いますが、例えば静内地方の伝承者・織田ステノさんは「ヤ ペカ ホユッパ チプ(陸上を走る舟)」(34448A)、葛野辰次郎エカシ(長老の意)は自著『キムスポ』の中で「カリプ 車輪」(p.175ほか)と表現しています。

 チプ(舟)はアイヌの乗り物の代名詞のようなものですから「陸上を走る舟」は頷けますね。葛野エカシが言うカリプは「輪」の意味で、もっと詳しくシモイェカリプ(自動車)、イネカリプコロペ/イネカリプコロカムイ(四輪を持つもの/四輪を持つ神)、イルラカリプ(我々を運ぶ車)等という言い方もできそうです。「我々を運ぶ神」の意味でイルラカムイと言いたくなりますが、これは「墓標」(死者の国への案内役となることから。クワとも)の意味になってしまい、縁起でもありませんね。笑えない冗談になってしまいます。「アイヌ語の造語を考えるのは楽しいな」と安易に考えると、こういう落とし穴にはまります。

 祈り詞等では舟を「チプカムイ」(舟の神)「チプカッケマッ」(舟の女神)と呼びますから、自動車も同様に「クルマカムイ」という言い方もできるでしょう。ちなみに、JR北海道に「スーパーカムイ」という最強無敵な名前の特急列車がありますが、車を「クルマカムイ」と言えるなら、1000人以上を運ぶ特急列車は確かにスーパーカムイで間違っていないかも知れません。

 

3.儀式の内容

 

 儀式の流れは、①室内で火の神に祈る、②野外に停めた新車を笹束で叩いてお祓いし、イナウルを一本、ルームミラーから垂らす、③室内で火の神へ終了の報告、という順序で進みます。

▲①室内で火の神へ祈る。

神窓の下にお祓い用の笹束が4束。炉の前には車につけるイナウル(削り掛け)がある。

▲②-1 若手にお祓いの方法を指導する野本三治伝承課長

▲イナウル(削り掛け)

▲②-2 男性2人が両手に笹束を持ち、「フッサ、フッサ」のかけ声とともに、車の内から外、前から後ろへと笹束で叩いて魔を祓う。

注)強く叩きすぎると新車が中古車になります。

▲②-3 ルームミラーにイナウル(削り掛け)をつける。 ▲③室内で火の神へ終了の報告。

 

 以下は当日の①火の神への祈り詞です。1996年当時指導に来られた人に伝承部門の職員が聞いて書き残したものだろうと思いますが詳細は不明です。

車カムイノミ 1996年11月28日(2015年改訂)
モシリコロフチ パセ カムイ 大地を司る火の神様 尊い神様
タパン トノト トノト トゥラノ このお神酒と共に
クオンカミ クス 私が拝礼しますので
モシリコロフチ ピリカノ ヌ ヤン 火の神様 よく聞いて下さい
タント アシリ クルマ ピリカ クルマ 今日 新しい車 きれいな車が
ポロト コタン オッタ アラキ ワ ポロトコタンに来て
タネポ ソンパイキ カネ モンライケ クス 今から 商売するために 働くので
ピリカノ プンキネ ヤン よく見守って下さい。
タン クルマ アニ ウタラパ ウタラ カ この車で 男の人たちや
マタイヌ ウタラ カ 女の人たちが
タン ポロトコタン タ このポロトコタンを
アラキ ヒネ パイェカ ヒネ カ キ ヤクン 行ったり来たりするので
ピリカ プンキネ ナンコンナ よく見守って下さい。
ポロトコタン オッタ ポロトコタンで
ソンパイキ ウタラパ ウタラ ネヤッカ 働く男の人たちであっても
マタイヌ ウタラ ネ ヤッカ 女の人たちであっても
ピリカ プンキネ よく見守って
ネプ マウコウェイ サク ノ ヤクン 何事もなければ
モシリコロフチ 火の神様
アネアイヌコロ ナンコンナ あなたは敬われるでしょうから
モシリコロフチ パセ カムイ 火の神様 尊い神様
アタナン アイヌ クネ クス 何も分からない人間が私なので
クハウェ ウェン ウシ ウピシテレ ワ 私の言葉の悪いところを補って
ピリカ ソンコ ネ 良い伝言として
モシリコロフチ オソンココテ 火の神よ 言付けて
ラッチタラ アルラ ナンコンナ 安全に運んで下さい。
ピリカノ ピリカノ エプンキネ よくよく見守って

ナンコンナ

下さい。
イヤイライケレ ありがとうございます。

 

 

4.チプサンケ(舟下ろしの儀式)がルーツ?

 

 「クルマカムイノミ」というと伝統に基づかない儀式のように聞こえるかもしれませんが、内容はチプサンケ(舟下ろし、船の進水式)とほぼ同じで、丸木舟を自動車に置き換えただけとも言えます。

 故・山丸武雄氏をはじめ、当館の設立にかかわった白老のアイヌ民族はもともと漁業関係者が多く、1985年に当館が白老アイヌの伝統漁について行った聞き取り調査では、このクルマカムイノミの原形と思われる証言が数多く含まれています。お祓いに使うのが笹ではなくヤナギである点以外は、ほぼ今回のクルマカムイノミと同じです。ちなみに、白老では舟のお祓いにヤナギを使ったというのは他の調査でも異口同音に述べています。

 その年の初漁の時や漁船を新しく造った時には、①まず家の中で炉にイナウを一本立て、イナウルを4本作って並べておいてから火の神へ祈る。②終わればイナウルを舟の所へ持って行き、舟にイナウルを下げる。③男性2人が舟の両側に立ち、ヤナギの束で「フッサ、フッサ」と言いながら後部まで祓った。(山丸武雄、熊野末太郎、野本亀雄ほか。30604A)

 

 また同じ聞き取り調査の中で、昔気質なエカシ(おじいさん)がいて、航海安全のためにイナウルを削っては漁船の船首に下げてくれるのだが、それが恥ずかしくて…とも。

(山丸)いや、○○のじさまっていうのはな、もう死んでから17、18年も前に死んだんだけど、あのじさまはよくやったもんだ、そういうことは。…今のあの機械船でも、表の舳(みよし=船首)のとこには、イナウ(木幣=この場合はイナウル=削り掛け)ちゃんとつけてくれたしな。よく真面目にね、あの人は、昔プリ(風習)でやったもんだしね。

(A)それ、やられると、おれも恥ずかしくて、まさか粗末にできない。どっかにシャモわらし(和人の子供)いて、釧路の港にイナウぶら下げて行くもんだもな。おれも参ったで…。(笑)

(B)また、粗末にもできないんだよ、そういうものは。

(山丸)それから今度、両方の、船の両側さね、両側さ今度、船の舳(みよし)こうなっているしょ? その両側イナウ下げるわけさ。航海安全のためにイナウ下げてける(=くれる)んだ。恥ずかしいから、みんな内側さ下げて歩く(移動する)わけな。(笑)

(A)それもまたあのアチャポ(おじさん)っていうの、きれいなイナウ搔く人でな。

(山丸)これ、みんなやったもんだ。へさきの両脇さ、おもて舳(みよし)のこの両端さこうぶら下げるんだ。イナウルさ、イナウル。

(A)イナウルよ。それやって何年も通ったもんだよ、釧路さ、おれも。

(山丸)この(野本)亀雄くんたちはよく知っている、そういうこと。だから両側さ下げるの。新造船やっても下げるし。それから初めて船、沖さ出て行くときも必ず、そういうときは、カムイノミ(儀式)するよ。

(学芸員)ああ、新しい船を出すときに?

(山丸)おお。新しくなくても、なくても。

(山丸武雄、熊野末太郎、野本亀雄ほか。30604A)

 

 自動車の場合、ルームミラーから「交通安全御守」などと書かれたお守りは普通に見かけますが、イナウルも全く同じ意味合いでぶら下がっているわけです。

 ちなみに、当館では和人社会で見かけるものにイナウルがついてアイヌ風にアレンジされているものが少なくありません。

▲コタンコロクル像前の賽銭箱の上。しめ縄風だが紙垂(しで)ではなくイナウルが下げてある。

 

▲市販の鏡餅にイナウルの組み合わせ

▲正月休業の入場口。イナウルが下がったしめ縄。

 

 余談ですが私の実家は旭川の農家で、私が幼い頃、年末には家族総出でしめ縄と鏡餅を作るのが冬の貴重な収入源でした。しめ縄にする藁束を父がカケヤ(大型の木槌)で叩き、10歳ぐらいの私が藁束を回し、傍らで祖父が柔らかくなった藁でしめ縄を綯って神社の脇で売ります。白老に来た当初、このイナウル付きの鏡餅やしめ縄は珍しく、新鮮な驚きでした。

 

 

5.おわりに

 

 最近は当館関係者に限らず、ルームミラーにイナウルを垂らして走る車をかなり頻繁に見かけるようになりました。昔は「はずかしくてなあ」と言われたイナウルですが、時代の空気は少しずつ変わっているのかも知れません。

 

 

(やすだ ますほ)

 


【儀式見学の予備知識 バックナンバー】

1.式場とマナー 2016.6

2.祭神⑴ 家の神々 2016.7

3.祭神⑵祭壇の神々 2016.8

4.儀式の日程と順序⑴開式まで 2016.9

5.儀式の日程と順序⑵開式からの流れ 2016.11

 

[トピックス バックナンバー]

1.「上田トシの民話」1〜3巻を刊行、WEB公開を開始 2015.6

2.『葛野辰次郎の伝承』から祈り詞37編をWEB公開 2015.9

3.第29回 春のコタンノミ開催 2016.5

 

[資料紹介]バックナンバー

1.映像でみる挨拶の作法1 2015.10

2.映像でみる挨拶の作法2「女性編」 2015.11

3.映像で見るアイヌの酒礼 2016.1

4.白老のイヨマレ(お酌)再考 2016.3

 

[今月の絵本 バックナンバー]

第1回 スズメの恩返し(川上まつ子さん伝承) 2015.3

第2回 クモを戒めて妻にしたオコジョ(川上まつ子さん伝承) 2015.4

第3回 シナ皮をかついだクマ(織田ステノさん伝承) 2015.5

第4回 白い犬の水くみ(上田トシさん伝承) 2015.7

第5回 木彫りのオオカミ(上田トシさん伝承) 2015.8

 

 

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