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文:大坂 拓(北海道博物館アイヌ民族文化研究センター 研究職員)
前回は、アイヌ民族の男性が儀礼などの際に身につける刀の役割を紹介するとともに、刀を身につけるために帯(刀帯)を用いることについて触れました。今回からは、刀帯の製作過程を紹介していきたいと思います。
刀帯は、肩にかけるための「帯」、刀を固定するための「刀通し」、刀通しの下に装飾として加えられる「房」、房をつなぐ「紐」の4つの部分からなります(写真1)。帯は多くの資料で文様がない「無文部」と、文様がある「文様部」に分かれます(註1)。
オヒョウの樹皮繊維織物(アットゥシ)に木綿布をかぶせたもの、木綿布だけで作られたもの、和服の帯を素材にしたものなど様々なバリエーションがありますが、今回取り上げるのは、最も多くの資料が残されている、経糸(タテイト)に緯糸(ヨコイト)をからめるように編み込んだタイプです。
▲写真1 刀帯(北海道博物館所蔵)
帯の製作は、経糸を用意した後、軸木に固定し、緯糸を編み込んでいくという手順をとります(写真2)。
経糸を用意する際には、①素材、②太さと撚りの強さ、③経糸の本数、④編み始める位置などを決める必要があります。以下で順を追って見ていきましょう。
▲写真2 経糸に緯糸を絡ませて編む(筆者復元製作)
(1)素材の選択
素材の選択は、仕上がる帯の色合いや柔らかさ、耐久性などに関わる要素です。伝承記録では、旭川地方の伝承者はシナの木の樹皮繊維、浦河地方の伝承者はオヒョウの樹皮繊維を用いていることが紹介されています(財団法人アイヌ無形文化伝承保存会1986、財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構2007)。
資料の観察では、緯糸が密だったり、厚く煤が付着している場合もあり(写真3)、全ての資料の素材が分かるわけではありませんが、今回検討した資料では、オヒョウ、シナ、イラクサなどが用いられる一方、ツルウメモドキと判断できるものはありませんでした。
▲写真3 厚く煤が付着した資料(北海道博物館所蔵)
(2)太さと撚りの強さ
経糸の太さは、仕上がりの幅、厚さに関わる要素です。ゴザ(チタラペ)やこだし袋(サラニプ)などの製作に用いるのと同様、太さ約2mm程度のものも多く見られますが、文様部の経糸36本で幅9cmに達するようなかなり太いものから、文様部の経糸40本で幅6cm前後になる細いものまで、かなりのバリエーションがあります(註2)。
撚りの強さは、シナの樹皮繊維を用いる旭川地方の伝承者の場合、16cm撚るあいだに48目ほどと記録されています(財団法人アイヌ無形文化伝承保存会1986)。資料を見てみると、これも少なからずバラツキが認められます(写真4)。
▲写真4 資料による経糸の太さと撚りの強さの違い(北海道博物館所蔵)
(3)経糸の本数
経糸の本数は、経糸の太さと共に仕上がりの幅を大きく左右します。また、文様部は作りたい文様のタイプにあわせて経糸の本数が決まる-言い換えれば、経糸の本数に文様のタイプが制約される-ことになります(文様と縦糸本数の関係については次回以降に取り上げます)。
伝承記録では、旭川の伝承者は34本、浦河の伝承者は無文部で26本/文様部で36本とされており、資料の多くでも、文様部の経糸が36本になる資料が際立って多く認められます。旭川の伝承者の事例では、帯の両端から3本目の経糸のみを1本どりで扱うため、経糸の本数が2本減っていると考えることができます。仕上がりの見た目は、経糸36本で製作したものと大きな違いはありません。
また、帯の端部では経糸2本をひとまとめにしてかがっているものの他に(写真5)、特に太く撚った経糸1本で同じような効果をあげているものがあり(写真6)、時には同じ個体の中で二つの手法が混在している場合もあります。
▲写真5 左端の緯糸がほつれた部分で2本の経糸が確認できる(北海道博物館所蔵)
▲写真6 写真5と同一個体で、帯の両端に太い糸を使用した部分(北海道博物館所蔵)
(4)経糸の固定
経糸の固定は、編み始めの位置をどこにするかによって決まります。浦河地方では、経糸の中央部分を棒で固定し、両側に編みあげていく方法を取るのに対し、旭川地方では経糸の端部を固定し、文様部の下端から編み始めていく方法が記録されています。経糸の固定は、旭川地方の伝承者は1本の細い棒に糸で固定する方法をとり、浦河地方の伝承者は2本の細い棒ではさんで糸で固定します(註3)。
今回の複製製作では、シナの繊維にイラクサの繊維を2割ほど混ぜ、1cmに3目ほどの撚りで、ほぼ太さを揃えた1.5mの経糸を36本用意しました。無文部の経糸として28本を使用し、文様部分に残りの8本を加えることとし、固定には2本の棒(割り箸)を用いて、経糸の中央部分を固定しました(写真7)。
▲写真7 経糸を固定し緯糸を編み始めた様子(筆者復元製作)
今回の連載は、様々な伝承記録、資料にあたりながら、この部分の製作技法にはこういったやり方もある、ああいったやり方もある・・・といった形で展開していきます。そのため、「このように作れば完成します」という決定版的なものを期待してしまうと、分かりにくく、回りくどく感じられるかもしれませんが、かつて存在した様々な技法の一端でも伝えることができれば幸いです。次回は、緯糸の準備から無文部/文様部の編み方を紹介します。
註2 ただしこの数値は緯糸で締め上げた状態であることに注意する必要があります。製作する場合には、編み始める前に仕上がりの太さを予想するにはかなりの慣れが必要です。
註3 古原・村木(1998)の聞き取り調査によれば、新ひだか町静内の伝承者も浦河町の伝承者と同様に2本の棒で固定し、経糸の中央部から編みあげる方法をとる。中央部から編みあげる手順をとったことを示す資料として、ペンシルバニア大学考古学人類学博物館所蔵の未成品(収蔵番号A528)があるほか(財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構2008)、古原・村木(1998)によれば、ロシア科学アカデミー人類学民族博博物館(NO.3125-1)も同様の状況を示す未製品である。旭川地方の伝承者と同様に1本の細い棒に固定し、文様部の下端から編み上げるものとしては、杉村キナラブック氏製作の資料(財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構2001)など、旭川地方のものが数点確認されている。
参考文献
古原敏弘・村木美幸1998「エムシアッについて―アイヌ民族博物館が所蔵する児玉コレクションから―」『アイヌ民族博物館研究報告』第6号
財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構2001『収蔵品目録2 杉村資料Ⅰ』
財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構2007『アイヌ文化生活再現マニュアル 編む――タラ・エムシアッ』
財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構編2008『アイヌの工芸-ペンシルバニア大学考古学人類学博物館ヒラーコレクション』
財団法人アイヌ無形文化伝承保存会1986「アイヌ文化伝承記録映画ビデオ大全集 シリーズ(4)フチとエカシを訪ねて 第4巻~織る・奏でる・祈る~」
[バックナンバー]
《エカシレスプリ(古の風習)1》儀礼用の冠を復元する⑴ 2016.1
《エカシレスプリ(古の風習)2》儀礼用の冠を復元する⑵ 2016.2
《エカシレスプリ(古の風習)3》儀礼用の冠を復元する⑶ 2016.3
《エカシレスプリ(古の風習)4》木綿衣の文様をたどる 2016.4
《エカシレスプリ(古の風習)5》小樽祝津のイオマンテ 2016.5
《エカシレスプリ(古の風習)6》噴火湾アイヌの信仰-イコリの神 2016.7
《エカシレスプリ(古の風習)7》刀帯作りあれこれ(1) 2016.10
文・写真:安田千夏
今年の9月中頃のことです。北海道南西部の白老という町にある私の家から数十メートルしか離れていない畑に「クマ出没注意」の看板が立ちました。私は家の玄関先からそれを見つけてあまりの近さにびっくりしましたが、次の瞬間自分の足元に視線を落とすと、そこにはこんなフィールドサインが残されていたのです。
▲写真1 ヒグマ足跡 (9月16日 白老町) |
白老町ではこのところ年々ヒグマが人間の生活域に出没する頻度が高まっていて、若い人達を引率して山や森を歩く仕事をする私は神経質になっていたつもりですが、それどころではなく自分の家の庭先にまで普通に来るものなんだと改めて気づかされ、ヒグマをとても身近に感じると同時に根拠のない安全神話は捨てなければならないと思い知らされました。
ヒグマの足跡横幅は成獣雄が15㎝以上ということなのでそれよりも小型であり、また目撃談からすると体長1.5mの若い個体であるようです。住宅地まで来て人と接触し一触即発の事態になるのは若いヒグマが多いという事実は、それだけ好奇心旺盛で血気盛んということもあるのでしょう。アイヌ口承文芸資料を見ても、本当に偉いヒグマの神様は山奥でどっしりとかまえているものだとされており、これが単にお話の中だけではなく知見に基づいているということは、例えば『クマにあったらどうするか』という本では、アイヌのヒグマハンターであった姉崎等氏が以下のように語っています。
「(山で会うクマは)大きければ恐ろしくない。大きいクマだと知るだけで私の場合は少し安心なんです。ああ大きい、よかったなと(中略)大きくなるまで、悪さをしないで育ってきたんだな。だから大きくなったんだなって思うんです」 (姉崎等・片山龍峯:2002より) |
▲写真2 ヒグマ デジタル図鑑より
さてアイヌ民族博物館の音声資料には、ヒグマに会ったときの対処法について語られたものがあります。話者は沙流地方の川上まつ子氏。小さい頃におばあさんから聞いた話なのだそうです。梗概はすでに公開されていますが、ここではアイヌ語にできる限り沿った訳をつけ直し、当該箇所を見て行くことにしましょう(注1)。
狩り場でヒグマに出会ったら、すぐに逃げたらヒグマが驚いたり興味を持ったりして追いかけられるから恐ろしいのだよ。決して逃げないで立ち止まっていると、ヒグマは人の前に立ち上がるものだ。 相手が立って睨んで来たら負けずにこちらも睨みつけて、しばらくしても立ち去らない時はペウタンケをしなさい。 でもこちらが突然大きな叫び声をあげて、ヒグマが驚いてこちらに来たら恐ろしいよ。最初は静かに声を出し始め、何度か叫ぶ間に少しずつ声を大きくして、最後には遠くの村からも聞こえるくらいの大きな声をあげなさい。 そうしてから初めてそのヒグマは後ずさりをしてどこかに行ってしまうものだ。その後で初めて人が逃げたら何とか生き残ることができるんだよ。 (川上まつ子氏談「熊にあってペウタンケしたまつ子さん」より) |
ここで語られているペウタンケとはアイヌの女性が危急を知らせるときにあげる「ウォーイ!」という高い声のことです。大人になってから川上氏は実際に山でヒグマに遭遇し、おばあさんの教えの通りにしたところ無事生還できたという貴重な体験をしています。
さて先述の『クマにあったらどうするか』の中には、川上氏の語りと非常によく似たヒグマへの対処法が記されており、嬉しいことに姉崎氏によるヒグマのきもち解説つきですので、その部分を抜き書きしてみます。
(クマに出会ったとき)私は銃もない、籠一つです。そういうときでも『逃げるなよ』と私が言う意味は、逃げると弱いということを相手に知らせることになるんです。自分はあんたより弱いっていうことを相手に悟られてしまう。だから逃げないで、とにかく絶対逃げないで相手の動作をゆっくり見る。真正面からこちらは立った姿勢で。そして体を揺り動かさないんです。棒立ちに立ったら動かない。動かない姿勢で相手をじいっと見て『ウオー』と言う。 (中略) 目は絶対そらしません。二回目の声を出したときに、相手もはじめてボーンと立ち上がったんです。クマが立ち上がったのは襲うために立ち上がったのだとよく錯覚するんですね。 (中略) ところがそれはクマの側では自分の安全を確認しているんですよ。周囲より高く立って自分の視野を広くする。広くすることによって声を出した人の他にまだ人がいるのかいないのかとクマは確認しているんです。ですからクマの動作をそこら辺まで読めると焦らなくていいんです。そしてグワーと立ち上がったら、人間はクマから絶対目をそらさないでいると、クマの方が逆に目をそらして周囲をヒュッと見回します。そうしてクマが立っても、まだそれでも立ち去ろうとしないときにはまた声を出すんです。 (中略) 『ウオー』っと。声を出すとクマは周囲を見て、これでこの人以外に他の人間はいないんだということをクマは考えて、それで自分の逃げる方向を定めて逃げます。 (姉崎等・片山龍峯:2002より) |
ここでおふたりの語りから見えてくる人間がとるべき行動をまとめてみましょう。
1. ヒグマに会ったときの初動で大事なのは逃げないこと。怖くてもそこは頑張る。 2. 立ち止まったまま体を動かさず、視線をヒグマからそらさない。 3. ヒグマに立ち上がられたら恐怖マックスだが踏みとどまり、とにかく目線をそらさない。 4. 声を出す。女性ならば高い声「ウォーイ」、男性ならば太い声「ウオー」を複数回。 5. ヒグマが逃げるまで動かない(ヒグマが逃げてから初めて逃げる)。(注2) |
川上まつ子氏は沙流地方、姉崎等氏は千歳地方。離れた地域で接点なく生活をしていたおふたりの語りがここまで似ているというのは不思議なようにも見えますが、こうした大切な教えは時や空間を越えて受け継がれて行くものなのだろうと思われてなりません。
誰しもヒグマに遭遇したくはないものです。大きな体であるうえに襲って来るかも知れないという恐怖。そのために人はヒグマ撃退用グッズなるものまで作り出しました。しかし伝承者の語りに耳を傾けてみると、ヒグマは大きな体に見合わないくらいに臆病で、慎重で、思慮深いという本来の姿が見えて来るような気がします。山でばったり出会ってしまった時に一番肝心なのは人間の側の心構えであり、それさえしっかりしていれば丸腰でもひるむ必要はないということ、負けた気になることが最も危険だということを教えられます。
住宅地にまで来るようなやんちゃな若い個体にこのようなセオリーは通用しない可能性が高く、「こうしたら絶対に助かる」ということでは決してありません。しかし長い歴史ヒグマと向き合いながら共存して来たアイヌの知恵に学び、ヒグマに負けないくらい慎重かつ冷静に相手を分析しておくということも大切であるように思います。
名著『クマにあったらどうするか』にはこの話以外にもヒグマとのつきあい方において大切な話がたくさん盛り込まれていますので、秋の夜長にご一読をお勧めいたします。
▲写真3 アイヌがヒグマ狩りの矢毒にその根を使用したトリカブトの花 (9月26日)
(注1)アイヌ民族博物館音声資料C0173KM_34716B「熊にあってペウタンケしたまつ子さん(仮題)」。 梗概はアイヌ語アーカイブス(2007)で公開済。今年度中に文化庁アイヌ語アーカイブ事業で原文を音声つきで公開予定です。アイヌ語の語りを味わうまではもうしばらくお待ちください。
(注2)姉崎氏のお話では3と4の順序が逆になっていますが、そこはヒグマの動きにあわせて臨機応変に。
<引用参考文献>
アイヌ民族博物館『アイヌ語アーカイブス』 (2007年)
『アイヌと自然デジタル図鑑』 (2015年)
姉崎等・片山龍峯『クマにあったらどうするか』木楽舎 (2002年)
(やすだ ちか)
[バックナンバー]
《図鑑の小窓》1 アカゲラとヤマゲラ 2015.3
《図鑑の小窓》2 カラスとカケス 2015.4
《図鑑の小窓》3 ザゼンソウとヒメザゼンソウ 2015.5
《自然観察フィールド紹介1》ポロト オカンナッキ(ポロト湖ぐるり) 2015.6
《図鑑の小窓》4 ケムトゥイェキナ「血止め草」を探して 2015.7
《自然観察フィールド紹介2》ヨコスト マサラ ウトゥッ タ(ヨコスト湿原にて) 2015.8
《図鑑の小窓》5 糸を作る植物について 2015.9
《図鑑の小窓》6 シマリスとエゾリス 2015.10
《図鑑の小窓》7 サランパ サクチカプ(さよなら夏鳥)
2015.11
《図鑑の小窓》8 カッケンハッタリ(カワガラスの淵)探訪 2015.12
《図鑑の小窓》9 コタンの冬の暮らし「ニナ(まき取り)」 2016.1
《図鑑の小窓》10 カパチットノ クコラムサッ(ワシ神様に心ひかれて) 2016.2
《図鑑の小窓》11 ツルウメモドキあれこれ 2016.3
《図鑑の小窓》12 ハスカップ「不老長寿の妙薬」てんまつ記 2016.4
《図鑑の小窓》13 冬越えのオオジシギとは 2016.5
《図鑑の小窓》14「樹木神の人助け」事件簿 2016.6
《図鑑の小窓》15 アヨロコタン随想 2016.7
《図鑑の小窓》16「カタムサラ」はどこに 2016.8
《図鑑の小窓》17 イケマ(ペヌプ)のおまもり 2016.9
文:堀江純子
〈概要〉
アイヌ民族博物館に隣接するポロト自然休養林(総面積401.93ha)は2016年で40周年を迎えました。10月23日(日)に「森とふれあい、アイヌ文化を学ぶ~ポロトを楽しむ」というテーマで記念事業が行なわれ、アイヌ民族博物館も協力しています。主催は一般財団法人白老観光協会、北海道森林管理局、胆振東部森林管理署、胆振総合振興局森林室、自然観察会一樹会、白老ノルディックウォーキング愛好会、白老民俗芸能保存会、白老建設協会、白老町などから構成されたポロト自然休養林40周年記念事業実行委員会です。
また、この事業は2020年に開設する民族共生象徴空間へ向け、アイヌ文化の理解、普及の促進も目的としています。
〈主な内容〉
▲写真1 開会式の様子
記念植樹ではハルニレの苗木を5本、キャンプ場広場の隅に植えています。
ハルニレは新鮮な材がオレンジ色をしていることからアカダモの別名があります。高さ30m、直径1.5mにもなる高木です。日本各地、樺太、千島、朝鮮、中国東北部、東シベリアに分布し、肥沃でやや湿潤な土地に生えます。材は重く、堅く、かつては車輪に用いられたそうです。
アイヌ語名はチキサニといい、「我らがこする木」 という意味で、良く燃えることから薪として利用しています。物語では、アイヌに生活文化を教えてくれた文化神を生んだ女神として語られており、とても位の高い神とされています。
▲写真2 記念植樹 | |
▲写真3 ハルニレ苗木 |
苗木はまだ1mほどの背丈ですが、平均の寿命は300年前後です。ポロト自然休養林の重鎮として幾世にも渡り私たちを見守ってくれることを願いつつ、苗木の根に土をかぶせました。
ノルディックウォークは、北海道各地から集結した177名の愛好家が、最長7.3kmの3コースを歩き完歩証と記念バッチを受け取りました。
▲写真4 缶バッチ | ▲写真5 クイズラリー |
▲写真6 問題
クイズラリーは、キャンプ場から木道を通含めた2.5kmの区間の木に、特徴やアイヌ文化にかかわる説明が貼りつけてあり、問題を持って散策します。子供たちはどこにあるかわからない問題探しも楽しみ、ヤマモミジが来春の準備をしていることや、イチイは雄と雌、株が異なることなども学びながら、和名とアイヌ語名の答えを書いていきました。13名の参加者には記念バッチと参加証を渡しました。
▲写真7 森林管理署事業PR、体験コーナー | ▲写真8 伝統舞踊 |
お昼にはオハウ(汁物)と、特別ステージを楽しみました。
紅葉の深まる森で森林の豊かさや大切さを学び、2020年開設の民族共生象徴空間の周知とアイヌ文化への関心を深められる機会になったと思います。
参考文献
宮部金吾・工藤祐舜(1986)『普及版 北海道主要樹木図譜』(安井勉画)北海道大学図刊行会
佐藤孝夫(2011)『北海道樹木図鑑』㈱亜璃西社
アイヌ民族博物館(2015)『アイヌと自然デジタル図鑑』
《自然活動日誌》バックナンバー
1 「アイヌの狩り体験」報告 2015.4
2 「GW自然ガイド」報告 2015.5
3 オヒョウの採取と処理 2015.6
4 しらおい夏の川塾 2015.8
文・写真:山本りえ(伝承者育成事業第三期生)
イオル伝承者再生(担い手)育成事業第三期生の自然講座では、主に白老の植物とそれに関わるアイヌ文化について学ぶことができる。今年度白老町にある萩の里自然公園においてミヤマガマズミという植物を見つけ、アイヌ語名があることが分かった。しかしとても良く似ているガマズミという植物もあるので、ガマズミ、ミヤマガマズミの見分けかた、またミヤマガマズミのアイヌの利用法についてレポートにまとめたいと思う。
最初にガマズミとミヤマガマズミがどのように樹木図鑑に書かれているのかを見ていきたい。
ガマズミ スイカズラ科(APGⅢ分類法によるとレンプクソウ科) |
ミヤマガマズミ スイカズラ科(APGⅢ分類法によるとレンプクソウ科) 山地の林内や林縁に生える落葉樹,高さ2m 葉:広倒卵形~倒卵円形で長さ7~14㎝,先は短く尾状,基部は円形~切形,鋭虚歯縁 花:散房花序に白い花を多数つける,花冠は径6~8㎜で先は5裂し広がる,6月開花 果実:卵球形で長さ6~9㎜,9月に赤熟 冬芽:頂芽は1個つけ側芽は対生,広卵形で先はとがり長さ5~10㎜ 分布:日本,サハリン南部,朝鮮,中国 用途:公園・庭園樹 |
知里真志保の『分類アイヌ語辞典 植物編』では、
ミヤマガマズミ じょうみ(方言) |
と記されており、ガマズミについての記載はなかった。
萩の里自然公園で図鑑を見て調べてみたところ、木の高さ、葉の大きさでは見分けづらそうだったが、葉先が尾状になっているところでミヤマガマズミではないかと思った。しかし念のため一度持ち帰り、ポロト湖畔にあるものと比較することにした。
萩の里のほうは葉っぱの裏がツルツルしていたが、ポロト湖畔のものはフサフサと毛が生えていた。図鑑ではガマズミの方に「星状毛や短毛あり」と記されている。従ってポロト湖畔にあるのがガマズミで、萩の里にあったのはやはりミヤマガマズミであると同定した。そして念のため9月~10月の実が実る時期を待ってから最終判断することとした。
10月になるとポロト湖畔のガマズミは上向きに実をつけていた。その後見た萩の里のミヤマガマズミは実が垂れ下がっており、以上の点は図鑑で見る写真情報と一致していた。見分け方としては、葉の裏の毛、実のつき方など一年を通して観察し判断する必要があると学んだ。改めて萩の里公園を歩いてみると、至る所にガマズミもミヤマガマズミもたくさん生えていて、これ程ガマズミ類の観察に適した場所だったとは今まで気がつかなかった。
▲左:ミヤマガマズミ 右:ガマズミ(表) | ▲左:ミヤマガマズミ 右:ガマズミ(裏) |
▲ミヤマガマズミの実 | ▲ガマズミの実 |
ミヤマガマズミもガマズミもどちらもあまり太くならない印象があるのに、ミヤマガマズミにはアイヌ語で「キライニ(櫛の木)」という名がついている。そこでアイヌ民具の櫛についても調べてみた。
キライ 櫛のことをキライ、つまり、それでしらみが死ぬ、といいます。これは堅いラスパ(さびたの木)とかトペニ(いたやの木)でつくりました。 |
萱野茂氏の『アイヌの民具』には上記のように記載されており、平取町二風谷で作られる櫛はノリウツギ(サビタの木)やイタヤカエデ(いたやの木)で作られたそうだ。
▲『アイヌの民具』より |
ミヤマガマズミで作られた櫛が本当に『アイヌの民具』に掲載されているものなのか疑問に思い、アイヌ民族博物館の資料にあたってみると、静内地方の織田ステノ氏が次のように語っていることがわかった。
キライニは、シケレペ(キハダ)の枝。粒取って、それをこう束にして櫛にした。おらたパケチャヤイケ(髪が逆立つ)すれば、フチがそれでパケヌイカラ(髪をとく)してくれたのを覚えている(織田ステノ 34101) |
小枝を集めて束にし、片側を紐などで結んだ簡単な櫛あればミヤマガマズミからでも作れたのだろうと思った。このようなタイプの櫛にする木は絶対にミヤマガマズミということではなく、それぞれの地域における身近な、適度な固さの木から作っていたのだと思われる。ガマズミとミヤマガマズミは分布が限られているため、地域によってはあまり馴染みのない木ということになり、別の木が一般的に使われていたということなのだろう。
そしてミヤマガマズミの「キライニ(櫛の木)」という名称が採録されたのは幌別なので、今回のフィールド調査の結果とあわせて、これらの地域では身近な植物として櫛が作られていたのだろうという結論になった。
今まではガマズミという植物について知る機会や、調べる機会がなかった。また、櫛についてもアイヌの民具に載っているような形でしか知らなかった。アイヌ文化の中で重要な木として名があげられることもなく、あまり目立たないイメージのガマズミ、ミヤマガマズミだが、調べて行くと奥深く面白い植物であると感じた。
アイヌ文化の櫛についてはこれからも意識して、さらに他の地方ではどのようなものであったのかを調べていきたい。
参考・引用文献
佐藤孝夫『増補新版 北海道樹木図鑑』亜璃西社 2011
萱野茂『アイヌの民具』すずさわ書店 1978
知里真志保『分類アイヌ語辞典〈第1巻〉植物編』日本常民文化研究所彙報 1953
松井洋編集・高橋英樹監修『北海道維管束植物目録』 2015
アイヌと自然デジタル図鑑 https://ainugo.nam.go.jp/siror/
《伝承者育成事業レポート》
女性の漁労への関わりについて 2015.11
キハダジャムを作ろう 2015.12
《レポート》ウトナイ湖野生鳥獣保護センターの見学 2016.2
《レポート》アイヌの火起こし実践ルポ(前編) 2016.3
《レポート》アイヌの火起こし実践ルポ(後編) 2016.4
文:安田益穂
▲着物をまとい祭りを待つ酒の神(2016年11月4日 ポロチセ)
去る11月6日、恒例の「秋のコタンノミ」(大祭)が開催されました。当地白老ばかりでなく、札幌、日高、胆振やはるばる道東からの参列者、札幌の学生・大学関係者のご一行、一般来館者など、多くの方々にお越し頂きました。ほんとうにありがとうございました。
おかげさまで当館のコタンノミも30回を数えるまでになりました。反省点も少なくありませんでしたが、当日の写真を交えながら、引き続き儀式の流れについて簡単に解説を試みたいと思います。
第一回 式場とマナー|第二回 家の神々|第三回 祭壇の神々|第四回 儀式の日程と順序⑴開式まで
▼儀式の流れ(再掲=一部改)
1.準備 | |
⑴数週間前 | 招待、告知 |
⑵10日前〜前日まで |
酒づくり:酒仕込み(約1週間前)〜酒漉し(前日) 木幣の製作:材の採取、木幣搔き 供物づくり:料理(前日〜当日) |
⑶当日の開式前 |
①タクサ(手草)で式場を清める。 ②削り掛け(イナウル)を屋内の所々に吊し垂らす。 ③炉とヌサ(屋外の祭壇)に所定のイナウを立てる。 ④敷物を敷き、祭具を出す。 ⑤酒を儀式用の酒樽に移し、炉頭に据える。 着座・諸神の分担◀ココから |
2.儀式 | |
⑴当日の儀式(本祭) | ①開式の拝礼(「オンカミアンナ」) ②供物による祈り(ハルエオンカミ) ③酒粕による祈り(シラリエオンカミ) ④酒樽の口切りの行事(シントコカラカラ) ⑤家の神々への祈り(ハンケカムイノミ) ⑥祭壇の神々への祈り(トゥイマカムイノミ) ⑦先祖供養(シンヌラッパ) ⑧献酬(トゥキウサライェ) ⑨閉式の拝礼(「オンカミアンナ」) ⑩祭具の片付け ⑪木幣撤去 |
⑵翌日の儀式(後祭) | ①開式の祈り ②閉式の祈り |
本来は儀式の主催者が前もってエカシ(長老)に祭主を依頼したり、当日集まった方々の顔ぶれを見て、重要な神には経験豊富な適任者をという具合に人選をし、祈りを依頼します。一方当館のコタンノミでは事前に席順と担当の神を記した座席表(下図1)を作ってお渡しし、祈りを依頼する方法をとっています。祈りを受け持つ方にはアイヌ語の祈り詞も用意して配布しているのですが、来賓の中にはそれが失礼に思えるほど立派な祈り詞を朗々と唱える人、諳んじている人、自作の原稿を用意している人などがあり、コタンノミを始めた十数年前と比べると隔世の感があります。
▼図1 当日の座席表(個人名は地域名・肩書きに変えてあります=クリックで拡大PDF)
儀礼に通じたエカシ(長老)が健在だったころは、イヨマンテ(熊の霊送り)などの大祭ではもっぱら館外から祭主を招いていましたが、それも1997年のポロチセの新築祝(チセノミ)で葛野辰次郎エカシ(1910-2002 静内町=現在の新ひだか町)を招いたのが最後になりました。エカシたち亡き後、2002年に始まったコタンノミでは「自力本願」(葛野エカシのことば)をテーマに内部登用が基本となり、役職員が祭主や上座の主要な座を占めてきました。外に適任者を求めることが難しくなり、まずは自分たちがアイヌの大祭を行える力量と経験を積むことが当時求められていたことでした。
しかし内部と外部、どちらが本来かといえば、適任者があれば外から招くのが本来です。内部的な儀式は別として、各方面との交流を目的の一つとする大祭では、来賓をいかに処遇するかは成否を左右します。主役も脇役も身内では開かれた祭りになりませんし、広がりも期待できません。各地で儀式が盛んになり、また当館のコタンノミも30回を数えて度々足を運んで下さる方々もあるなかで、内部登用以外の選択肢も生まれているように思います。これは大変喜ばしい時代の変化なのですから、一層の飛躍のためにどうするのが良いか、もう一度伝統に立ち返って検討してみる時期かも知れません。
さて、それでは儀式の流れを順を追って見ていきましょう。全員が揃い、向かい合って列座すると、頃合いを見て祭主が「オンカミアンナ」(拝礼をしましょう)と声をあげます。これを合図に①火の神、②神窓、③酒器の三方に向かって列席者が一斉にオンカミ(拝礼)の所作をします。儀式の始まりです。 (2015年10月号参照)
▲開式の拝礼(オンカミアンナ)
多くの儀式では最初に火の神へ酒杯で祈りますが、コタンノミなど葛野辰次郎エカシの伝承に基づく儀式では、最初は酒杯は持たず、鮭の尾ひれやヒエ、タバコ、乾燥させたオオハナウド、ヒメザゼンソウなど、いくつかの決まった供物(前号参照)を祭主が火にくべながら一人で祈ることがあります。式場内に煙が立ちこめますが、この煙にのせて祈りが神々に届くといいます。
▲火の神に穀物や刻みタバコなどを供えながら祈る
当館のハルエオンカミの過去の実施例(注3)はいずれも葛野エカシによるものなので、いかにもよその地方の儀式のように思われがちですが、そんなことはありません。当館の聞き取り調査や文献には白老の例を含め少なくない事例が見つかります。ハルエカムイノミ(静内、平取)、ハルエノミ(静内)、コタンエイノンノイタク(静内、平取、白老)、トゥパカムイノミ(白老)など呼び方は様々ですが、こうした供物を持ち寄って、病魔よけと自然の恵みを願うことは白老でも、また全道各地でも行われていたようです。「コタンノミとは何か」を知る上でも重要ですので、詳細はいずれ改めて報告したいと思います。
ハルエオンカミは儀式の最初の祈りなので、ある意味基調報告的(?)な意味合いを持ちます。祭主が火の神に対し、節つきの律語を連ね、コタンノミ開催の経緯と趣旨を神々と列席者に宣言する内容となっています。せっかく参列していただいてもほとんどの方はアイヌ語の祈りの内容まではわからないかと思います。以下に全文を公開しましたので、興味のある方は以下のリンクから参照して下さい。現在は短縮版によっていますが、以下は第一回から昨年まで実施していたオリジナル版で、葛野辰次郎エカシの祈り詞をアイヌ民族博物館が再構成したものです。(ただし誤りがあればその責はアイヌ民族博物館にあります)
前回触れたように、コタンノミのような大祭ではトノト(どぶろく)を作るのですが、儀式の前日に酒こしを行い、ザルの目を通った酒はお神酒となる一方、ザルの目に残った酒粕は供物となります。儀式の前に各所に立てたイナウの頭や炉かぎなどに酒粕を盛り、お神酒が当たらないような名もない神々や流行病の神などへも振る舞われます。
儀式の中では炉内に立てたイナウに酒粕を盛り、火の神にもポトンとかたまりを落としてから祈り詞を唱えます。ハルエオンカミの供物の煙が薄らいだころ、今度は酒粕が焦げる香ばしい香りが式場を満たします。
祈り終えれば、対座する列席者のほか、その場にいる大人も子どもも女性たちにも配って歩き、みんな一口ずつ食べる習わしです。流行病の神に捧げた同じ酒粕を人間たちも口にして病魔を予防するという仕組みは、まるでワクチン接種のようだと言えるかもしれませんね。右手の手のひらを上に向け、左手をその下に添えて酒粕を受け取り、口に運びます。
▲式場の全員に酒粕を配り、食べる(シラリエオンカミ)
さて、いよいよ酒杯による通常の拝礼となりますが、その前に炉頭に据えたサイシントコ(漆塗りの行器[ほかい])の口切りの行事があります。図1の⓶サケイユシクル(酒を司る人=主賓)、⓷サケサンケクル(酒を出す人=家の主人)の二人は酒を管理する重要な役目で、両者の間にはカムイノミチタラペ等と呼ばれる模様入りのござが敷かれ、サイシントコにはお神酒が満たされています。儀式中はこのサイシントコから酒を汲みだして列席者の前の酒杯に酒が注がれます。サイシントコ自体が酒の神ですので、蓋を取るにも酒を酌むにも古式に則った作法があります。
この連載の第二回でご紹介した家の神々に祈ります。図1に白抜き数字で示しましたが、家の守り神❷❸❹、家屋の神❺、入口の神❻❼、窓の神❽❾❿、庭の神⓫、祭壇の神①など、家の中や周囲を本拠とする身近な神々(ハンケカムイ)です。その神への祈りを受け持つ男性は、まず神々との仲介役を務める火の神に「これから××の神に祈りますので、伝言をお願いします」と祈ってから、続いて神が宿る場所に赴き、または自座から神々に捧酒箸(イクパスイ)でお神酒をあげながら祈ります。
▲神窓の神への祈り
昨年まではここで献酬(2016年1月号参照)という方法で対座する列同士で片側ずつ交互に酒杯をやりとりして祈る作法を実施していましたが、時間短縮のため一斉に酒杯を持つ方法に改めました。今回は列席者にその指示がないなど不手際がいくつか重なり、神々の祈りを受け持たない列席者が酒杯を取って良いか迷う場面が見られました。本来は全員が酒杯を持ち、家の神々を受け持っていない列席者は火の神、あるいはヘコテカムイ(自分が普段から祈る神)に一言祈ってから飲んでかまいません。
また、昨年までは列席者が祈り終えた酒杯は見学者の皆さんにパケシコレ(余り酒を回す)し、伝統的な酒礼を体験していただいていたのですが、酒杯が祈り手に戻るのに時間がかかるため、パケシコレは最後の祈りの際に一度行うだけにとどめ、かわりに見学者の皆さんに紙コップでお神酒を配り、試飲(サケサプケ=酒の味見)をしていただきました。ただ、賛否両論あったようで、後で大学生を引率していらした先生に「どうしてパケシコレがないの?」とお叱りを受けました。 予定では紙コップとは別に、見学者の皆さんには別の酒杯(実際の祈りで使うのと同じトゥキ[酒杯]とイクパスイ[捧酒箸])を新たに複数出して酒礼を体験していただく予定でしたが、数が揃わず紙コップだけとなりました。次回は両方用意できればと考えています。
▲お神酒の試飲(サケサプケ=味見)
家の内外の神々に続いて、家の外にある祭壇の神々への祈りを行います。イヨマンテなど最も正式な方法では、開式前にはヌサ(祭壇)にはイナウを立てず(または一部だけにとどめ)、開式後この段階で全神にイナウを立て、酒粕を盛り、特に重要な数神にはキケウシパスイ(削り掛け付き捧酒箸)という特殊な祭具でお神酒をあげながら祈り、終わればキケウシパスイをイナウに結び付けるという方法を採ります。第一回のコタンノミでは全神にキケウシパスイで祈る方法を採りましたが、数が数だけに製作には大変時間がかかるため、2年目以降は通常のイクパスイ(捧酒箸)を使うようになりました。また昨年からは献酬はせず、全員が一斉に酒杯を持って祈る方法を採っています。
アイヌの人々は日常ことあるごとに神々に祈りましたが、祈りの案件によって祈る対象の神が変わりますから、全ての神々へ祈ることは大祭に限られます。大祭にはふだん疎かになっていた神々をもてなす意味も含まれているのです。
この時も、祈りを受け持たない人も酌を受け、「どうぞ私を守って下さる神々も分け合ってお酒を飲んで下さい」と祈って飲み、余り酒は周りの女性たちにパケシコレすることになります。
▲祭壇(ヌサ)の神々への祈り
カムイ(神)に対する祈りを終えると、先祖供養に移ります。和人の祈りに置き換えれば、神棚に祈った後仏壇に祈るようなものでしょうか。
まず室内で祖先供養の供物を並べ、祭主が火の神に祖先への仲介を依頼する祈りを短く述べます。このとき祭主は酒杯を持ちますが、火の神に垂らすことはしません(満岡伸一2003)。
祈り終えると参加者は手に手に供物を携え、チセの玄関を出て家の裏手(北側)を通り、戸外の祭壇の最も北側に設けられたシンヌラッパウシ(先祖供養の場所)に供物を並べます。各人は先祖供養のために別に作られたお神酒をあげ、供物を割ってイナウの前に置き、先祖の名前を呼び、自分の名前を名乗り、「今日はお祭りでご馳走を用意しましたので、ご先祖の皆さんも分け合って楽しく宴を開いて下さい」などと祈ります。この祈りは室内で列座した男性たちに限らず、女性たちも、あるいは見学者の皆さんも参加することができます。
▲シンヌラッパ(先祖供養)
先祖供養は職員なども交替で参加し、外で祈りが続いていますが、室内では最終盤の祈りが始まります。この時には「献酬」という方法で行います。献酬の方法では、最初南側の列(写真右側)がまず酒杯を持ち、酌を受け、北側の祈り手に渡します。受け取った祈り手は、その杯で祈り、飲みます。これを対座した南北の2列で交互に繰り返すのが献酬です。祈り手は今日の儀式で自分が受け持った神、祈った神にお神酒をあげながら「これで最後の祈りです」ということを簡単に告げた後飲み、後ろに控えた女性たちにパケシコレ(お流れを渡す)します。献酬について詳しくは2016年1月号「《資料紹介》映像で見るアイヌの酒礼」を参照して下さい。
▲献酬(対座した同士で酒杯をやりとりする)
儀式もここまで来ると参列者もお酒が回り、座も崩れてくるので、男性が立ってタプカラ(踏舞)を始めたり、女性たちがシントコの蓋を囲んでウポポ(輪唱)を始めたりとようやくお祭りらしくなり、楽しい時間がいつ果てるともなく続く……と言いたいところなのですが、当館の儀式は勤務時間中ですから、まじめにお祈りをして終わります。今回もプログラムには「余興」とありましたが、実際には何事もなく終わっていました。
祭主が「オンカミアンナ」(拝礼しましょう)と言うと、開式の時とは反対に、列座した一同が一斉に①神窓へ②火の神へ③酒器に対し、順にオンカミ(拝礼)の所作を行います。神様方へ最後の挨拶です。(▶201510月号の映像参照)
開式前に式場に準備された祭具を神窓側から炉の方へ順に片付けます。
途中、サイシントコを片付ける際には、「酒樽の口切りの行事」と同じ所作で蓋を閉めます。
▲サイシントコの収納
現在は儀式の一部として座を閉じる前に行っていますが、ござ一枚たたむにも持ち運ぶにも、全てが儀式的に行われますので、かなり時間がかかります。座を閉じてから行うことも検討して良いかもしれません。
今日の最初に炉の中に立てたイナウは、それぞれ決まった場所に納められます。サイシントコ(儀式用の酒樽)に添えてあったチセコロイナウ(サケイナウとも)は、室内の北東隅、イヨイキリ(宝物置き場)の上の方の屋根茅に差します。酒を作るたびに一本差すのでポロチセで何回大きな祭りを行ったかわかるというものです。
儀式の間、炉の中に立ててあった4〜5本のチェホロカケプイナウ(逆さ削りの木幣)のうち、2本はアパサムンカムイ(入口の神)の幣所に差します。
残ったチェホロカケプは、祈り詞を言った後、火にくべます。現在は短いものに代えていますが、昨年までの祈り詞を以下に例示します。火の神へこの木幣を捧げますので、病魔の暗雲がこの地に近づくなら、この木幣で撃退して下さい、という内容で、葛野辰次郎エカシがアイヌ民族博物館の地鎮祭の閉式の際に唱えた祈り詞(1983年)が元になっています。
これでコタンノミは終了です。翌日の午後には簡単な後祭(オメカプ)が執り行われ、コタンは冬を迎えます。
▲酒神のイナウを上座の幣所に納める | ▲戸口の神の幣所にイナウを納める |
▲火の神へイナウ(木幣)を納める
コタンノミは自然の恵みに感謝し、ふだん疎遠になっているカムイや近隣の人々をもてなす祭りです。毎月1日の儀式(チュプカムイノミ)などは事実上内部的な儀式なので、お酌なども「ちょっとでいいから」となりがちです。トゥキアニ(酒杯を持って祈る)するにもわずかばかりのお神酒をイクパスイ(捧酒箸)で掬おうとするので、酒杯の底をコツコツとつつく音ばかりが室内に響いています。しかし日常的な祈りでは多少のことは目をつぶるにしても、コタンノミのような大祭でこれをやると列席者に対しても神々に対しても大変恥ずかしいことです。
最近見た昔のイヨマンテの記録フィルムなどでは、サイシントコ(儀式用の酒樽)もエトゥヌプ(酌具)もトゥキ(酒杯)も常に満杯でした。葛野エカシの祈り詞に、
エイカンパスイコンナ |
酒杯の上に渡した捧酒箸が |
モムナタラ キ ノ | 流れるほどなみなみと |
カムイコリキンテアン キ ヤクン | 神にお神酒を捧げましたなら |
という常套句がありますが、言葉だけではないのだなと感心させられました。
自分が自宅で飲む酒は多くても少なくても良いのでしょうが、カムイに捧げる酒やお客さんに振る舞う酒は出し惜しみということがあってはいけません。今回の儀式では、招待客の人数分の酒杯がなかったりと不手際が目立ちましたが、何のための祭りなのか、誰のための祭りなのか、もう一度考え直す必要があると思った次第です。
(やすだ ますほ)
【儀式見学の予備知識 バックナンバー】
1.式場とマナー 2016.6
2.祭神⑴ 家の神々 2016.7
3.祭神⑵祭壇の神々 2016.8
4.儀式の日程と順序⑴開式まで 2016.9
[トピックス バックナンバー]
1.「上田トシの民話」1〜3巻を刊行、WEB公開を開始 2015.6
2.『葛野辰次郎の伝承』から祈り詞37編をWEB公開 2015.9
3.第29回 春のコタンノミ開催 2016.5
[資料紹介]バックナンバー
1.映像でみる挨拶の作法1 2015.10
2.映像でみる挨拶の作法2「女性編」 2015.11
3.映像で見るアイヌの酒礼 2016.1
4.白老のイヨマレ(お酌)再考 2016.3
[今月の絵本 バックナンバー]
第1回 スズメの恩返し(川上まつ子さん伝承) 2015.3
第2回 クモを戒めて妻にしたオコジョ(川上まつ子さん伝承) 2015.4
第3回 シナ皮をかついだクマ(織田ステノさん伝承) 2015.5
第4回 白い犬の水くみ(上田トシさん伝承) 2015.7
第5回 木彫りのオオカミ(上田トシさん伝承) 2015.8
本文ここまで
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