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文・イラスト:北原次郎太(北海道大学アイヌ・先住民研究センター准教授)
以前の記事をご覧になった方から、セタキラウ(先頭犬の飾り付帽子)について「そういうものがあると初めて知った」「知ってはいたが詳しい情報は知らなかった」という感想をいただきました。かくいう私自身も、実際に目にする機会はなく、作られ方などは写真から推測するほかありませんでした。その後、さいわいに函館市立博物館が所蔵する実物資料(民族1782、民族1783)を見る機会を得ました。それらの観察を通してわかった細かな部分のかたち、素材と作られ方を紹介します。
セタキラウは頭に巻くベルト部分と、上につく角状の装飾部分に分かれます。ベルト部分は動物の皮製。角状装飾は、芯材に木製円柱とそれに巻き付ける紐、染めた獣毛が使われています。巻紐の芯材には、民族1782はごく細く縒りをかけた革紐、民族1783では縒り合わせた腱が使われています。民族1782には、角の先に房状の飾りが残っています。ここにも赤く染めた獣毛(おそらくウマの毛)が使われています。
民族1782 | 民族1783 | |
ベルト部分 | 獣皮 | 獣皮 |
角の芯 | 木材 | 木材 |
巻紐の芯 | 獣皮 | 腱 |
巻紐の芯 | 染めた獣毛(黄・褐色) | 染めた獣毛(黄・褐色) |
房飾り | 染めた獣毛(赤) | ― |
▲表1.素材一覧
▲写真1.全体(上 民族1782 下 民族1783) |
▲写真2.素材拡大写真 獣毛(巻紐) |
▲写真3.素材拡大写真 獣毛(房飾り) |
▲写真4.素材拡大写真(上 細革紐(民族1782)下 腱(民族1783)) |
ここでは、比較的保存状態の良い民族1782のつくられ方について説明します。民族1783は、角状装飾の根元までしか残っていませんが、その先に合った巻紐の形状は、民族1782とはやや違った可能性があります。
ベルト部分は獣皮を輪のような形にし、アゴにあたる部分で結び合わせています。大きな輪にそえて、後頭部に当たるベルトが半円状に取り付けてあります。
革紐をつないて固定する場合、紐の先端を曲げ、紐中央に開けたスリットに通して締め付ける方法が多用されます。皮素材は柔軟で変形しやすいことに加え、摩擦が大きく、締め付けるだけという簡易な方法でしっかり固定ができます。この技法はセタハナ(首輪)やカーニクフ(金帯)など他の皮革製品にも共通して見られます。
▲図1.ベルト部分の形状
角部分の芯材となる木製円柱と、これに巻き付けた装飾的な紐からなります。木製円柱の根元は、ベルト部分の頂点に開けたスリットに通し、釘で固定しています。円柱は下から2cmの所から細くなります。現在は途中で折れ、中間の一部が無くなっていますがもとは先端まで芯棒が入っていたようです。
巻紐の芯材は損傷のためよく分からないところもありますが、おそらく木製円柱の先端部分から巻き初め、右下がりの螺旋を描くように巻き付けています。芯材に巻き付けた獣毛は黄と褐色が交互に、左下がりの螺旋を描くように巻かれています。芯材に対し、2段ずつ巻いています(図4参照)。現在は、木製円柱が折れた箇所付近に獣毛が見られず、芯材だけが残っています。扉絵はこの部分のもとの状態を推測して描いています。
▲図2.木製円柱と巻紐
セタキラウの大まかなでき方についてわかったことを紹介しました。ただ、角状飾りに使われている獣毛の種類や、染め方など不明な所もあり、巻きつけの技法などは実験的に検証してみる必要があります。それらは今後の課題としたいと思います。このほか、クマ用の頭飾りも国内に2点ほどありますので、いずれ機会を見て紹介したいと思います。
謝辞
この記事を書くにあたり、函館市立博物館、函館市北方民族資料館の皆さまにご協力いただきました。記して御礼申し上げます。
参考文献
犬飼哲夫
1959「カラフトイヌの起源と習俗」『からふといぬ』日本評論新社。
梅棹忠夫
1990(1943)「イヌぞりの研究」『梅棹忠夫著作集第1巻 探検の時代』中央公論社。
荻原眞子、古原敏弘
2012「アイヌの犬橇関係資料概要―ロシアの博物館所蔵品について─」『アイヌ民族文化研究センター研究紀要』 第18号、北海道立アイヌ民族文化研究センター。
葛西猛千代
1975a(1943) 『樺太アイヌの民俗』みやま書房。(菊池編1997に再録)
1975b(1928) 『樺太土人研究資料』私家版(謄写)。
萱野茂
1978『アイヌの民具』アイヌの民具刊行運動委員会。
北原次郎太
「樺太アイヌの歴史」『樺太アイヌ民族誌』(公財)アイヌ文化振興・研究推進機構。
久保寺逸彦編
1992『アイヌ語・日本語辞典稿』北海道教育委員会。
2012(平成24)年3月発行
千徳太郎治
1980(1929)『樺太アイヌ叢話』(『アイヌ史資料集第六巻 樺太篇』(北海道出版企画センター)に再録)。
知里真志保
1987(1953)「樺太アイヌの神謡」『北方文化研究報告』第4冊、思文閣出版。
1975(1954)『分類アイヌ語辞典 人間篇』『知里眞志保著作集 別巻Ⅱ』 平凡社。
西鶴定嘉
1974『樺太アイヌ』みやま書房。
芳賀良夫
1959「南極用犬ソリの編成と訓練」『からふといぬ』日本評論新社。
福田アジオ・新谷尚紀・湯川洋司・神田より子・中込睦子・渡邉欣雄(編)
1999『日本民俗大事典〈上〉』吉川弘文館。
北海道立北方民族博物館
1998『A.V.スモリャーク氏寄贈資料目録~ニヴフ・オロチ・ウリチ・ナーナイ』。
2014『北海道立北方民族博物館第29回特別展 船、橇、スキー、かんじき 北方の移動手段と道具』。
山本祐弘1970『樺太アイヌの住居と民具』相模書房。
和田完
1965「アイヌ語病名資料―和田文治郎遺稿2―」『民族學研究』30-1号、日本文化人類学会。
А.В. Смоляк 2001 Народы Нижнего Амура и Сахалина : фотоальбом Mocĸва
[シンリッウレシパ(祖先の暮らし) バックナンバー]
第1回 はじめに|農耕 2015.3
第2回 採集|漁労 2015.4
第3回 狩猟|交易 2015.5
第4回 北方の楽器たち(1) 2015.6
第5回 北方の楽器たち(2) 2015.7
第6回 北方の楽器たち(3) 2015.8
第7回 北方の楽器たち(4) 2015.9
第8回 北方の楽器たち(5) 2015.11
第9回 イクパスイ 2015.12
第10回 アイヌの精神文化 ラマッ⑴ 2016.1
第11回 アイヌの精神文化 ラマッ⑵ 2016.2
第12回 アイヌの精神文化 ラマッ⑶ 2016.4
第13回 アイヌの精神文化 ラマッ⑷ 2016.5
第14回 アイヌの衣服文化⑴ 木綿衣の呼び名 2016.6
第15回 アイヌの衣服文化⑵ さまざまな衣服・小物 2016.7
第16回 樺太アイヌのヌソ(犬ゾリ)-1 2016.12
第17回 樺太アイヌのヌソ(犬ゾリ)-2 2017.1
第18回 樺太アイヌのヌソ(犬ゾリ)-3 2017.2
文:大坂 拓(北海道博物館アイヌ民族文化研究センター 研究職員)
前回まで、刀帯作りについて経糸(タテイト)の準備、緯糸(ヨコイト)の編みかたのバリエーションを紹介しました。今回は、文様がない部分の編み方を紹介します。
(1)緯糸2本を編み込む
前々回に紹介した要領で、2本の木の棒(割り箸)に経糸を固定したのち、緯糸を編み始めます。
文様がない部分は、多くの資料で私が「技法A」と名づけた編み方が採用されています。この技法は、編み上がりが両面ともに同じような姿に仕上がるのが特徴です。多くの資料で、両端は経糸2本をたばねたものを2列配置し、その内側では、経糸2本をまたぐ部分と1本をまたぐ部分を組み合わせることで、レンガ積みのように編み進めたり、縦のラインを編み出したりしています(写真1)。
▲写真1 技法Aで編んだ無文部(筆者製作)
この技法が用いられた資料を注意深く観察すると、技法Aのなかにも編み目がほぼ平行になるもの(技法A1)と、矢羽根のように入り組むもの(技法A2)の二つがあることが分かります(写真2)。ややわかりにくいので、模式化したものも併せて示しておきます(写真3)。
▲写真2 技法Aのバリエーション
▲写真3 技法A1とA2の違い(模式図)
この二つの違いは、緯糸を交差させる際の順序に起因しています。
① 技法A1
以下では、据え付けた経糸に対して編み手に面する側を「表」、編み手の反対側を「裏」と呼ぶことにします。
表をみながら、左から右に向かって編み進む際に、2本の緯糸を
【裏から裏へ向かう緯糸を先に→表から裏に向かう緯糸を後に】
の順に通すと(写真4)、表に現れる編み目はわずかに右側が下がった状態になります。
▲写真4(動画) 左から右に編み進む手順
それを繰り返して右端に達するまで編み、折り返して右から左に編む際に、先ほどとは逆に
【表から裏に向かう緯糸を先に→裏から表に向かう緯糸を後に】
の順に通すと、現れる編み目は先ほどと同じく、わずかに右側が下がった状態になります(写真5)。
▲写真5 右から左に向けて編み進む際の順序
こうして編み進めると、右下がりの段が繰り返されることになるので、初めての方は編み上がりが曲がってしまうのではないかと心配になるかもしれませんが、実際には木のヘラなどを使用しながら編み目を詰めていくため、ほぼまっすぐに仕上げることができます。
なお、表をみながら、左から右に向かって編み進む際に、2本の緯糸を
【裏から裏へ向かう緯糸を先に→表から裏に向かう緯糸を後に】
編み、そこで表裏を入れ替えて(裏返して)、再び左から同じ手順で編んでも、仕上がりは先ほどの手順で編んだものと変わりません。もっとも、技法A1の製作過程についてはこれまで詳細な記録が残されていないため、残された資料からは「どちらもありうる方法だ」としか言えません。
やや話が横道にそれますが、この技法には一つ興味深い点があります。糸を交差させる順を先ほど紹介した順番と反対にすれば、左下がりの編み目が現れますので、そうした資料もたくさんあっても良さそうですが、私が調べた資料の中で、左下がりは1点のみ。ほとんど例外なく、編み目は右下がりになっているのです。
共通する技法で編まれたポシェット(saranip)や葬儀で用いる死者用の靴(raykur ker/sianpa ker)なども、編み目が「右下がり」に集中する傾向はほぼ共通しているのをみると、編み目は右下がりにするもの、という規範がある時期に存在した可能性も考えられます。ただし残念ながら、この私の推測を裏付ける証言は見つかっておらず、ただ残された資料がその可能性を示唆するのみなのです。
② 技法A2
話を戻して、技法A2ですが、こちらは表を固定して、右から左、左から右のどちらの向きに編むときも、
【裏の緯糸を表に→表の緯糸を裏に】
の順で繰り返します。こうすると、編み目は一段ごとに右下がり、左下がりを繰り返すことになり、結果として矢羽根のような編み目が現れます(写真2-2)。この方法は、技法A1に比べるとややざっくりとした独特の風合いに仕上がります。また、緯糸が斜めになるため、編みに要する時間も短縮できるという利点があります。
今回、私が調査した資料241点のうち、文様が無い部分が技法A1で編まれたものは210点を占めるのに対し、A2で編まれたものは5点とごく少数でした。また、技法A2は1950年代以前に集められた資料には含まれていなかったことから、1950年代以前には技法A1が用いられ、その後、徐々に技法A2が用いられるようになったという変化が考えられます。今回は、博物館収蔵資料の典型的な技法を復元することを目的の一つと考えていますので、技法A1を採用することとしました。
(3)「編み」か「織り」か
ところで、ここまで刀帯の製作技術について、特に断りなく「編み」と呼んできました。この技法については、「編み」に含める立場が一般的でしたが、近年では「織り」と呼ぶ意見もあり、読み手の方々はどちらなのだろうと疑問を抱かれるかもしれません。
世界の様々な技術をみてみると、複雑な織機を用いるもののように、誰がどう見ても「織り」と言えるものもあれば、これはどちらだろうかと意見が分かれるものも少なくありません。そうした中間的な特徴をもった技術をどう呼ぶかは、ひとえに「基準をどう設定するか」という点にかかっています。研究者それぞれが、技術論的な視点による分類に、いわば記号として「編み」や「織り」というラベルを貼るわけですから、研究者の間で意見の食い違いも生じますし、時には一人の研究者の用語が揺れ動くこともあります。これはどの意見が正しいかということではなく、分類を使ってどのような議論を行おうとするかという目的に関わるものでしょう。
一方、アイヌ語では沙流方言や静内方言などでは刀帯の製作技術としてoske(他動詞)の語彙が記録されていて、これまで「~を編む」という訳語があてられてきました(田村1996ほか)。これに対し、織機を用いるアットゥシ織りにはattuskarやisitaykiという言葉が知られています。こうみると、アイヌ語でも「編み」と「織り」は言い分けられているのだな、と考えられるかもしれませんが、oskeは三つ編み、四つ編みなどにも用いられるように、ある程度の幅を持っています。同じく「編み」と訳されるものには、他にもゴザなどの製作技術を指すtese「~を編む」、樹皮などを粗く編み込む際に用いるteskao「~を編む」という動詞も知られています。当然のことですが、アイヌ語のoskeは、日本語の「編み」と一対一で対応するようなものではないのです。
日本語を聞いて思い浮かべるイメージ、製作技術的研究の場面で用いられる区分、アイヌ語の動詞の使い分けは、それぞれ微妙に重なり合いながらも異なった範囲を指し示しており、その範囲を一致させようとするのは無理があります。
私自身は、製作者の方々が現在日本語で「編み」と呼んでいるものを「これは織りです」と主張する必要を感じていないため、これを「編み」と呼び続けています。
次回は、経糸の本数を変化させる方法と、「技法B」による文様部の編みかたを紹介します。
参考文献
古原敏弘・村木美幸1998「エムシアッについて―アイヌ民族博物館が所蔵する児玉コレクションから―」『アイヌ民族博物館研究報告』第6号
財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構2007『アイヌ文化生活再現マニュアル 編む――タラ・エムシアッ』
財団法人アイヌ無形文化伝承保存会1986『アイヌ文化伝承記録映画ビデオ大全集 シリーズ(4)フチとエカシを訪ねて 第4巻~織る・奏でる・祈る~』
田村すず子1996『アイヌ語沙流方言辞典』草風館
[バックナンバー]
《エカシレスプリ(古の風習)1》儀礼用の冠を復元する⑴ 2016.1
《エカシレスプリ(古の風習)2》儀礼用の冠を復元する⑵ 2016.2
《エカシレスプリ(古の風習)3》儀礼用の冠を復元する⑶ 2016.3
《エカシレスプリ(古の風習)4》木綿衣の文様をたどる 2016.4
《エカシレスプリ(古の風習)5》小樽祝津のイオマンテ 2016.5
《エカシレスプリ(古の風習)6》噴火湾アイヌの信仰-イコリの神 2016.7
《エカシレスプリ(古の風習)7》刀帯作りあれこれ(1) 2016.10
《エカシレスプリ(古の風習)8》刀帯作りあれこれ(2) 2016.11
《エカシレスプリ(古の風習)9》刀帯作りあれこれ(3) 2017.1
文・写真:安田千夏
早春、雪がとけてミズバショウが開花し始めた湿原を歩いていると、何かのかたまりが頭をポコポコともたげているような不思議な物体が目にとまります。その正体はやちぼうず。スゲ科植物の根が冬場の凍結による盛り上がりでこぶのような状態になったものの総称で、特定の植物名ではありません。気候が寒冷な北海道の湿原では珍しくなく、アイヌ語名は「タクッペ」といいます(注1)。
▲写真1 タクッペ遠景(4月15日)
タクッペはアイヌ文化で妖怪の類とされているのが興味深いので、『アイヌと自然デジタル図鑑』からそれらの話を抜粋してみることにします。
私が木原で畑を作ろうとしていると、一緒に仕事をしていた人が「タクッペがテレケテレケ(ぴょんぴょんと跳ねる)したのを見た」と言い、馬達が怖がって思い通りに動かず仕事になりませんでした。帰ってから村の古老に言うと「人間の側が見たので良かったのだ。タクッペに人間が見られたというのなら大変なことになるところだった」ということで、古老達が祈ってくれたり、便所や祭壇でお祓いをしてくれたおかげで何事もありませんでした。(沙流34602 川上まつ子) |
要するにタクッペはぴょんぴょん跳ねるという植物の原則から外れた行動をするというのです。それに対する古老の言葉の意味は、まず一刻も早く祈りの儀式を行いカムイヌレ(神に報告)しなければならないということ。妖怪の方が先に人間を見てしまい、身に災いがふりかかってからでは手遅れであるというのです。この場合はエゾヨモギやイチゴの木(注2)などを束ねたタクサ(手草)で体を叩き祓う「お祓い」も行われたようです。
タクッペが川の水汲み場に立っていたら、焼き干ししたサケやマスの頭や尻尾をニマ(木皿)に入れて、タクッペのオッカシケ(〜の上)に投げます。(沙流35100 西島てる) |
こちらの話ではタクッペは特に何もしていないのですが、存在そのものが不吉と考えられていたことがわかります。焼き干ししたサケやマスの頭や尻尾は一見「妖怪の苦手なものを与えて退散させる」という呪術行為に見えますが、その意味するところは全く異なります。これらは供物であり「ここにはこんな粗末なものしかないから、もっと立派な供物のあるよその村へ行ってくれ」と言って祈っているわけなのです(注3)。そしてこれはパコロカムイ(流行病の神)が村に来た場合の対処と同じであると西島氏は語っていて、供物を川に流す行為をチャラパ(〜に供物をまく)と言っている点でもそのように解釈できます。「よそに行って欲しい迷惑な存在」という意味で両者は共通しているといえるのかも知れません。
この2つの話では災いは未然に防がれており、唯一ぴょんぴょんと跳ねることがタクッペを妖怪認定する要素であるとしたら、何だか微笑ましい感じがします。もちろん神に知らせることが遅れた場合にどのような「大変なこと」が起こるのかにもよるのでしょうけれど。
アイヌ文化の妖怪に関するデータを通観しても、妖怪は必ずしも悪いことをする存在と決まったものではないようです。しかし和人文化にも特に悪さをしない妖怪がいるので、そのこと自体はアイヌ文化に独特というわけではないのでしょう。
和人文化では妖怪を退散させるには「嫌い(好き)なものを与える」「正体を見破る」「だます」などの呪術行為が知られています。特に「おまじない」が有効で、その例としては1979年に日本中を席巻した「口裂け女」に対して「ポマード、ポマード、ポマード」と3回唱えるというのを、ある年齢以上の人なら覚えているのではないでしょうか(注4)。
アイヌ文化でもおまじないを含めたいくつかの呪術行為が報告されていますが(注5)、まずは本稿で見た通り「神に報告する」というのを基本として押さえておくべきかと思います。火の神や水の神など人にとっての身近な神に祈ることを通して、言葉を神々に届けて助けてもらうのが定石といえるでしょう。
それにしても妖怪話というのはどうしてこんなに人を惹きつけてやまないのでしょうか。私は湿原を歩くようになってだいぶ経ちますが、タクッペが跳ねるところを残念ながら見たことがありません。でもこれから万が一見てしまった場合には、とにかく素早く神への報告を心がけることにしようと思っています。カムイ ネ マヌプ クイェ カネ(神々の名を呼びながら)。
▲写真2 季節が進むと頭髪(?)に開花してカブスゲと判明(5月19日)
(注1)これについてはアイヌ民族博物館2016年度企画展「takuppe〜湿地と谷地坊主〜」で詳しく取り上げられました。月刊シロロ2016年10月号(堀江純子)をご参照ください。
(注2)イチゴの木は、どの種を指しているのかよくわかっていません。クマイチゴなど茎が木質化するイチゴ類で、山野で普通にみられる種のどれかということになるでしょう。
(注3)タクッペに直接祈るというよりは、火の神など人間にとって身近な神に祈り、その仲介神によって人間の言葉が神々に届けられ対応してもらうというのが正式な手順です。
(注4)常光2016。当時高校生だった私は友人から「登下校中マスクをした女に会ったら気をつけろ」という話として聞きました。この段階ではそれはまだしも人間という認識でいましたが、何日かして小学生の妹が「口裂け女が明日はこの町に来て一軒一軒まわるらしい」と言っていたので、短期間で人間から徘徊型妖怪に進化したことを知りました。
<引用参考文献・データ>
吉田巌「アイヌの恐怖観念と風習」『帯広市社会教育叢書No.4』帯広市教育委員会(1958年)
知里真志保「えぞおばけ列伝」ぷやら新書Ⅰ(1961年)『知里真志保著作集2』平凡社(1973年)
更科源蔵『アイヌ伝説集』北書房(1971年)
南博・佐藤健二編『近代庶民生活誌4 流言』三一書房(1985年)
常光徹『学校の怪談 ─口承文芸の諸相─』ミネルヴァ書房(1993年)
中村禎里『動物妖怪談』歴博ブックレット17(2000年)
常光徹『予言する妖怪』歴博ブックレット31(2016年)
アイヌ民族博物館『アイヌと自然デジタル図鑑』(2015年)
[バックナンバー]
《図鑑の小窓》1 アカゲラとヤマゲラ 2015.3
《図鑑の小窓》2 カラスとカケス 2015.4
《図鑑の小窓》3 ザゼンソウとヒメザゼンソウ 2015.5
《自然観察フィールド紹介1》ポロト オカンナッキ(ポロト湖ぐるり) 2015.6
《図鑑の小窓》4 ケムトゥイェキナ「血止め草」を探して 2015.7
《自然観察フィールド紹介2》ヨコスト マサラ ウトゥッ タ(ヨコスト湿原にて) 2015.8
《図鑑の小窓》5 糸を作る植物について 2015.9
《図鑑の小窓》6 シマリスとエゾリス 2015.10
《図鑑の小窓》7 サランパ サクチカプ(さよなら夏鳥) 2015.11
《図鑑の小窓》8 カッケンハッタリ(カワガラスの淵)探訪 2015.12
《図鑑の小窓》9 コタンの冬の暮らし「ニナ(まき取り)」 2016.1
《図鑑の小窓》10 カパチットノ クコラムサッ(ワシ神様に心ひかれて) 2016.2
《図鑑の小窓》11 ツルウメモドキあれこれ 2016.3
《図鑑の小窓》12 ハスカップ「不老長寿の妙薬」てんまつ記 2016.4
《図鑑の小窓》13 冬越えのオオジシギとは 2016.5
《図鑑の小窓》14「樹木神の人助け」事件簿 2016.6
《図鑑の小窓》15 アヨロコタン随想 2016.7
《図鑑の小窓》16「カタムサラ」はどこに 2016.8
《図鑑の小窓》17 イケマ(ペヌプ)のおまもり 2016.9
《図鑑の小窓》18 クリの道をたどる 2016.10
《図鑑の小窓》19 くまのきもち 2016.11
《図鑑の小窓》20 エンド(ナギナタコウジュ)のつっぺ 2016.12
《図鑑の小窓》21 わけありのラウラウ(テンナンショウの仲間) 2017.1
《図鑑の小窓》22 春待つ日々のサクラ4種 2017.2
写真・文:木幡弘文、新谷裕也、中井貴規、山本りえ、山丸賢雄、山道ヒビキ、安田千夏
アイヌ民族博物館で行われている伝承者(担い手)育成事業受講生の新着写真等を紹介するこのコーナー。第三期の最終回は、3年間の講習全体から「私の一枚」を選んでもらいました。
▲2015年8月12日 ヨコスト湿原にて
これは自然観察にて1輪の黄色い花を躍起になって調べている大人たちです。黄色い花でも様々な種類はあることはもちろんですが、一番難しいのは特徴が似ている事でした。花があればまだしも、葉っぱと茎のみしか観察できない時は四苦八苦しました。また赤と青の花は、色引き図鑑では探すのに苦労しました。この時ほど“紫”という項目を加えて欲しいと思った事はありません。
植物と図鑑とにらめっこする事も研修だと思いこの1枚にしました。
(木幡弘文)
▲舞踊研修での1枚 2015年2月7日
阿寒湖から弓の舞を教えに来て下さった秋辺日出男さんと撮った1枚です。
自分がアイヌとして活動し始めたきっかけである舞踊は、僕にとって特別な存在です。
(新谷裕也)
▲2016年7月19日に行った教材開発研修での一コマです。
ヤチハンノキ、ミヤマハンノキ、ケヤマハンノキをという3種類のハンノキを解説し、実際に見に行き、ハンノキのおしゃぶりを作りました。
私は、自然と工芸が苦手です。
しかし、この教材開発研修を通して、「アイヌと樹木には深い関わりがあり、木は単なる木ではなく、生活と深くかかわっている大切なものである」ということを改めて学びました。
また、この教材開発研修や自然講座で学んだことを活かして、アイヌ語弁論大会「イタカン ロー」では、ハンノキについて全編アイヌ語で語ることができました。
(中井貴規)
▲2016年6月19日 体験学習館にて
私は去年の模擬授業でアイヌ料理の講座を行いました。春に採取したシケㇾペキナ(ヒメザゼンソ)を乾燥保存させ、夏にシケㇾペキナラタㇱケㇷ゚(ヒメザゼンソウの煮物料理)を作りました。なかなか食べられない山菜を自分で採取し、なかなか作られない料理を作ってみる体験はとても貴重でした。イオマンテの際に作られる料理と伝わっているので普段食べることはできませんが、とても美味しい料理と伝わっています。しかし、作ったり食べたりする機会がないのはもったいないと思うので、授業で取り扱いました。伝承者育成事業の研修では素材の採取から加工まで行えるため、普通に暮らしていては体験できない多くのことを学びました。研修で学んだことを忘れず、これからもアイヌ文化と共に暮らしていきたいです。
(山本りえ)
▲2014/4/24 ポント湖にて
担い手として初めてポロトの森を一周した帰りに取った写真です。ポントで撮った貴重な写真です。まだ他の担い手と打ち解けている最中なのが写真から伝わってきますね。初々しい感じが気恥ずかしいですが「初心わすれるべからず」ということで、悩んだり、立ち止まったりした時はこの写真を見て初心に戻りたいと思います。
(山丸賢雄)
▲撮影日:2014/10/13 ポロト湖畔 船小屋
平成26年は、アイヌ民族博物館が開館30年の節目の年でした。
また、同年4月より、伝承者(担い手)育成事業の第3期生が始まり、私は研修生5名の指導補助を担当しました。
この写真は、『アイヌ民族博物館開館30周年記念誌』のためにポロト湖畔にて、記念撮影をしたものです。あれやこれやと話をしながら、普段着から自前の着物に着替え園内をあちこち回り、忙しくしていたのを覚えています。研修生5名と3年間を共にし、楽しいことや辛いことも含め、改めてアイヌ文化を学ぶことができました。3年間の中でもっとも思い出に残っている写真です。
(山道ヒビキ)
▲2016年4月6日、まだ冷たい海風が吹きすさぶ早春のヨコスト湿原にて。
暑さ寒さ、蚊やダニにも負けずいつも向学心に満ちて、こんなおばちゃんについて来てくれて本当にありがとう。
皆さんと過ごした3年間は私にとってかけがえのない時間でした。
(安田千夏)
《伝承者育成事業から》今月の新着自然写真「私の一枚」 バックナンバー
6月号 2015.6
7月号 2015.7
8月号 2015.8
9月号 2015.9
10月号 2015.10
11月号 2015.11
1月号 2016.1
5月号 2016.5
6月号 2016.6
7月号 2016.7
8月号 2016.8
9月号 2016.9
《伝承者育成事業レポート》
女性の漁労への関わりについて 2015.11
キハダジャムを作ろう 2015.12
《レポート》ウトナイ湖野生鳥獣保護センターの見学 2016.2
《レポート》アイヌの火起こし実践ルポ(前編) 2016.3
《レポート》アイヌの火起こし実践ルポ(後編) 2016.4
文:伝承者(担い手)育成事業第三期生一同(木幡弘文、新谷裕也、中井貴規、山本りえ、山丸賢雄)、北原次郎太(講師)
ここに掲載するものは、名取武光氏が記録したイヨマンテの祈り詞です。名取氏の論文「沙流アイヌの熊送りに於ける神々の由来とヌサ」(『北方文化研究報告 第4輯』、1941年、北海道帝國大學)には、仔グマを連れ帰った場面からイヨマンテを終えるまでの一連の祈り詞54編と、その意訳が収録されています。名取氏の同論文は、1941年に最初に発表され(戦前版)、その後1974年に著作集『アイヌと考古学(二)』に収められました(戦後版)。著作集収録の際、浅井亨氏がアイヌ語の校正をしており、一部解釈や表記が変わりました。
第3期「担い手」育成研修では、2016年1月頃からアイヌ語研修の一環として、これらの祈り詞の逐語訳に取り組みました。和訳にあたっては、新旧のアイヌ語原文を比較しましたが、ここでは戦前版での表記とアイヌ民族博物館で用いられている表記法(辞書で引けるような表記)で書いたものを並べ、戦後版については必要に応じて引用しています。なお、原典では改行せずに書き流していますが、ここでは、一般的な韻文の形式で、一行と考えられる長さごとに改行しています。それぞれの最後に、名取武光氏による意訳をのせています。
今回は、そのうち7、8、9、10を掲載します。 (→その1 →その2 →その3)
参照した辞書の略号は次の通りです。
【太】:川村兼一監修、太田満編、『旭川アイヌ語辞典』、2005、アイヌ語研究所
【萱】:萱野茂、『萱野茂のアイヌ語辞典 [増補版]』、2002、三省堂
【久】:北海道教育庁生涯学習部文化課編、『平成3年度 久保寺逸彦 アイヌ語収録ノート調査報告書(久保寺逸彦編 アイヌ語・日本語辞典稿)』、1992、北海道文化財保護協会
【田】:田村すず子、『アイヌ語沙流方言辞典』(再版)、1998、草風館
【中】:中川裕、『アイヌ語千歳方言辞典』、1995、草風館
戦前版の表記 | 新表記 | 和訳 |
Ireshukamui | iresu kamuy | 育ての神 |
ekirishamukashi | e=kirsam kasi | 貴方の側で |
aoreshukunip | a=oresu kuni p | 育てるべき |
medotushikamui | metotuskamuy[1] | 山奥におります神の |
kamuiponbehe | kamuy ponpehe | 神なる稚児 |
nerokkusu | ne rok kusu | であったから |
taneanakne | tane anakne | 今や |
nisataanakne | nisatta anakne | 明日には |
ekochibasan | e=kor cipasan | 貴方の幣所 |
chibasanteksam | cipasan teksam | その側で |
aeshinottekuni | a=esinotte kuni | 遊ばせる |
uweparue | uwepa[2] ruwe | ことになる |
newaneyak | ne wa ne yak | のなら |
kamuishinot | kamuy sinot | 神が遊ぶ |
teksamoroke | teksam oroke | 傍らを |
akoyayapte | a=koyayapte | 気がかりである |
kiwakushutap | ki wa kus tap | ものですから |
ireshukorobe | iresu kor pe | 養育を司る者こそ |
aekotekamuy | a=hekote kamuy[3] | 私が頼みにする神 |
neyakushitap | ne a kus tap | であるから |
anurehawe | a=nure hawe. | お聞かせするのです。 |
tapantonoto | tapan tonoto | この酒と |
inauturano | inaw turano | 木幣とともに |
aekotekamui | a=hekote kamuy | 頼みにする神に |
aekoongami | a=ekoonkami | 拝礼いたす |
kihawehe | ki hawehe | のです。 |
sekorankusu | sekor an kusu | であるから |
ireshukamui | iresu kamuy | 育ての神の |
korashyonko | kor a sonko | 持てる言伝 |
shiranbakamui | siranpakamuy | 立木の神 |
hashiinauukkamui | hasinawukkamuy | 狩猟の神 |
inauturano | inaw turano | 木幣とともに |
tonototura | tonoto tura | 酒とともに |
chikoirura | cikoirura | お運び |
eekarakarawa | e=ekarkar wa | 下さって |
kamuitennep | kamuy tennep | 神なる稚児の |
shinotteksama | sinot teksama | 遊ぶ傍らを |
aekopunkine | a=ekopunkine | 守ってくださる |
kikunihi | ki kunihi | べきことです。 |
ekorashyonko | e=kor a sonko | 貴方の持てる言伝を |
eshyoinarae | e=soynaraye | 外へ送り出し |
kiwaneyak | ki wa ne yak | ますならば |
ukopunkine | ukopunkine | 互いに守護を |
anwaneyak | an wa ne yak | いたしますなら |
akoreheperepo | a=kor heperpo | 私の仔熊は |
pirikashinot | pirka sinot | 良い遊びを |
kinankonna. | ki nankor_ na. | なすことでしょう。 |
7.名取意訳
火の神よ、お頼みします。いよいよ明日は、今迄火の神の養っていた仔熊を、習慣だから遊ばせる支度ができましたけれども、明日は大勢の人が集まる事であるから、若し仔熊が祭場に出た時に人が怪我するか、人を殺すかする様な事があってはとの心配をする為に、前以って火の神にお知らせしますから、幣所の神と立木の神[4]に守護して呉れる様に話して下さい。尚火の神の仔熊が間違いを起す様な事があれば、大変火の神の恥になるから、何分火の神と、幣所の神と、立木の神の三人で気をつけて間違もなく遊ぶ様にお頼みします。
戦前版の表記 | 新表記 | 和訳 |
Nusakorokamui | nusakorkamuy | 幣所の神 |
kamuiekashi | kamuy ekasi | 神なる祖父 |
ireshukamui | iresu kamuy | 育ての神の |
korotonoto | kor tonoto | 持てる酒に |
osonkokote | osonkokote | 言伝をのせ |
tapantonoto | tapan tonoto | この酒を |
aekoongami | a=ekoonkami | 以って礼拝 |
kishirihi | ki sirihi | いたすこと |
nehitapanna | ne hi tapan na. | でございます。 |
naasamata | na sama ta | さらにまた |
taneanakne | tane anakne | 今や |
medotushikamui | metotuskamuy | 山奥にいます神の |
kamuiiyomap | kamuy iyomap | 神なる愛子が |
shinotkunihi | sinot kunihi | 遊ぶ時に |
uwebakashitap | uwepa kus tap | なりましたので |
neetoko | ne etoko | その前に |
nusakorokamui | nusakorkamuy | 幣所の神 |
kiannekamui | kiyanne kamuy[5] | 年嵩の神に |
inauturano | inaw turano | 木幣とともに |
aekoongami | a=ekoonakami | 礼拝を |
kishirihi | ki sirihi | いたすもの |
newaneyak | ne wa ne yak | でございますなら |
kamuitennep | kamuy tennep | 神なる稚児が |
shinotteksama | sinot teksama | 遊ぶ側に |
ukopunkine | ukopunkine | 互いの守護が |
annankonna. | an nankor_ na. | あることでしょう。 |
8.名取意訳
幣所の神よ、この酒、今火の神の前に出した酒ですが、今新しい酒をこして、その酒をまた新しく酒を造る様に、別に仕込んでおります。あんばい見ていた為に幣所の神に差し上げますから、召し上がって下さい。
戦前版の表記 | 新表記 | 和訳 |
ainumonga | aynu monka | 人間の手のひらの上で |
anupurukamui | enupur kamuy[6] | 霊力を持つ神 |
chikubenitono | cikupeni tono | イヌエンジュの神 |
kamuishukupkuru | kamuy sukupkur | 神の若者よ |
akoroheperepo | a=kor heperpo | 私の仔熊 |
chiesemanan | ciesemanan | を心配に |
aekarakarakusu | a=ekarkar kusu | 私が思っていたところ |
shukupteksama | sukup teksama | 仔熊が成長する側を |
ekopunkine | ekopunkine | あなたが守って |
kiirokkusu | ki rok kusu | きたので |
nehikorachi | ne hi koraci | その通りに |
nishashinushukup | nisasnu sukup | 健康に成長 |
kiruwene | ki ruwe ne. | しました。 |
taneanakne | tane anakne | 今は |
nisataanyak | nisatta an yak | 明日になったならば |
chibaanteksam | cipasan teksama | 祭壇の側 |
oshinotnankuru | osinot nankor. | で遊ぶだろう。 |
neetoko | ne etoko | その前に |
tapantonoto | tapan tonoto | このお酒 |
aeekoongami | a=ekoonkami | で以て私が拝礼 |
kishirihi | ki sirihi | する |
sekorankusu | sekor an kusu | ということなので |
ekosahepere | a=kor heper | 私の仔熊が |
shinotteksama | sinot teksama | 遊ぶ側を |
eepunkine | e=epunkine | あなたが守護するように |
shikopaoiyara | sikopaoyar[7] | あなたが抗議を受けること |
koisamukuni | koysam kuni | がないように |
ekorupunkine | e=kor punkine | あなたの守護が |
annankonna. | an nankor_ na. | ありますように。 |
9.名取意訳
アイヌの荒神チクベニトノよ、明日は貴方の守護して養つて来た仔熊を、送る為に遊ばせる時ではありますけれども、遊ぶ時には、大勢の人が集まるから、若し人が傷我すると、貴方の恥になるから、そのような災難のない様に、好い遊びして、後で談判(charanke)をつけられる様な事無い様に守護してやって下さい。
戦前版の表記 | 新表記 | 和訳 |
Tappuanakkune | tap anakne | これは |
nusakorokamui | nusakorkamuy | 祭壇を司る神よ |
tapantonoto | tapan tonoto | このお酒 |
ireshukamui | iresu kamuy | 火の神が |
osongokote | osonkokote | 伝言を添え |
kamuiashikoroka | kamuy askor ka | 神の手の上に |
aekoongami | a=ekoonkami | 私はそれを携えて拝礼 |
kishirine | ki siri ne. | いたします。 |
opittayakka | hopita yakka[8] | お祈りが終わっても |
tapantonoto | tapan tonoto | これなるお酒 |
shirarimawe | sirari mawe | 酒かすの香り |
tonototura | tonoto tura | お酒とともに |
nusakorokamui | nusakorkamuy | 祭壇を司る神に |
akorurashiri | a=korura siri | 私が運ぶこと |
sekoraniyakkune | sekor an yakne | ということであれば |
rabashirari | rap a sirari | 零れ落ちる酒かす |
nusakorokamui | nusakorkamuy | 祭壇を司る神の |
eyaiutarakeshi | e=yayutarkes | 仲間の下々まで |
imekushibare | imek kuspare | 食べ物を分け与える |
kikunihi | ki kunihi | はずのこと、 |
nusakorokamui | nusakorkamuy | 祭壇を司る神に |
anureawe | a=nure hawe | 私が聞かせること |
sekoranyakkune | sekor an yakne | ということであれば |
nusakorokamui | nusakorkamuy | 祭壇を司る神に |
chikoikoshi | ceoykius[9] | 捧げることを |
aekararanna. | a=ekarkar_ na. | 私はいたしますよ。 |
10.名取意訳
この酒と幣とを、幣所の神(nusakorokamui)に差し上げました。それに就ては、この酒の粕もお委せしますから、幣所の神の女神や子供神に皆當る様にして、分けて下さい。お委せします[10]。
[1]クマの主宰神で、その神自身もヒグマです。ヒグマはこの神の差配によって人里を訪れるといわれます。
[3]戦前版の表記ではa=ekoteという表記がなされています。これは、hは前後の音によって発音が弱まり易いためなのでしょうか。[4]ここでは祭壇の神と立木の神に言及しているが、本文で挙げられている神は立木の神と狩猟神。
[5]祭壇の神は、創世神によって火の神の次に生み出されたことになっているので、このように呼びます。なお、同じ沙流地方でも、神々は地上で生まれたのではなく、天界から降下したとする伝承もあります。
[6]守護神として祀るイナウ、ヨモギで作る魔除けの人形など、人間が手を加えて作る守護神をこの様に呼びます。
[7]cikopaoyar koisamnopo「抗議が全然無く」という表現が後(祈り16)に出てくるので、これと似たものと考えてsikopaoyar「自分に対して抗議させる」(si「自分」ko「~に」pao「抗議する」yar「~させる」)と解釈しました。paoは辞書類にはありませんが、【久】p.295(962)では、upaore sakno「口喧嘩せずに」という表現があります。saknoは「~無く」という意味です。upaoreはu「互い」、pa「口」o「入れる」re「~させる」と分解でき、久保寺の訳語から考えるとpaoは「抗議する」という意味だと考えられます。
[8]戦前版の表記ではopitta yakkaと書かれていますが、yakka「~しても」という接続助詞の前にopitta「皆」という副詞があっても意味が通じません。戦後版ではこの箇所をopita「終わる」としており、その方が適切だと思われます。沙流方言にはopitaという形はないので、hが脱落したと考え、hopitaと解釈しました。
[9]祈り詞4(注8)のceoykiusと同じ言葉と解釈しました。
[10]意訳に続けて「次にラムヌサ即ちシランバカムイに上げるが祈詞はヌサコロカムイと同様である。これで第一日の神祈は終る」とあります。ラムヌサはramnusa「低い祭壇」のことであり、siranpakamuy「立木の神」を祀っている祭壇です。siranpakamuyに捧げる祈り詞は祈り詞10と同じ内容を述べます。
《伝承者育成事業レポート バックナンバー》
女性の漁労への関わりについて 2015.11
キハダジャムを作ろう 2015.12
ウトナイ湖野生鳥獣保護センターの見学 2016.2
アイヌの火起こし実践ルポ(前編) 2016.3
アイヌの火起こし実践ルポ(後編) 2016.4
ガマズミ・ミヤマガマズミの見分けについて(山本りえ)2016.11
「ハンノキについて学んだ者が物語る」(中井貴規) 2016.12
イパプケニ(鹿笛)について(新谷裕也) 2017.1
サパンペ(儀礼用冠)の製作について(木幡弘文) 2017.2
イヨマンテの祈り詞(平取地方)その1 2016.12
イヨマンテの祈り詞(平取地方)その2 2017.1
イヨマンテの祈り詞(平取地方)その3 2017.2
文:山丸賢雄(伝承者育成事業第三期生)
2月25日から3月21日までアイヌ民族博物館の特別展示室にて、伝承者育成事業第3期生(注
1)成果展「スクㇷ゚クㇽ カㇻペ ~ことば・もの・こころ~」を開催しています。研修生がアイヌ文化を総合的に学んできた3年間の成果を展示しています。
タイトル、展示内容、チラシなど全て研修生が考えました。
「スクㇷ゚クㇽ(注2) カㇻペ」とはアイヌ語で「研修生が作ったもの」という意味です。 副題の「ことば・もの・こころ」は展示する内容を表しています。
「ことば」
私たちの言葉であるアイヌ語を使用し、キャプションを作成しました。研修生は先人が残した様々な音源や資料を使用し学びました。
「もの」
先人が残した資料を見ながら製作方法を学び、各地の伝承者から直接ご指導いただいて製作した工芸品を展示しました。
「こころ」
「ことば」や「もの」も先祖から受け継いだ「こころ」を尊重しています。また、担い手はアイヌ文化を広く学んでいく事業であるため、男性も女性の手仕事を教わり、女性も木彫りを行ってきたという事を展示で表しています。また、関連企画のオープニングセレモニーではカムイノミ(神への祈り)を行いました。
アイヌ語には方言があります。キャプションのアイヌ語は担当する研修生がルーツを持つ地域のアイヌ語を使用しました。
新谷・木幡:沙流方言
中井:旭川方言
山本:十勝方言
山丸:白老方言
あいさつ文については沙流方言を使用しました。
アイヌ語は表記法が統一されていませんが、見やすいようカタカナで表記しました。その下に日本語訳があります。
展示は7つのテーマに分けました。
◇生業・生活関連
研修の中で使用、または製作した漁具や生活道具を展示しています。また、実際に使用している様子や製作している様子を映像で流しています。
◇写真パネル
3年間の研修を14の種類に分け、写真にして展示しています。
◇映像資料
アイヌ語弁論大会「イタカン ロー」やマオリとの交流、模擬授業の様子を上映しています。
◇自然観察
研修の中で採取、処理したものを展示しています。実際に触って見ることもできます。
◇個人展
5人それぞれがスペースを持ち、研修生それぞれが展示したいものを並べています。
ここで使用しているアイヌ語は自分がルーツを持つ地域の方言を使用しています。
◇平取木彫り研修
研修で平取町二風谷へ行き木彫りを教わって製作したものを展示しています。
◇民族交流
3年間で様々な民族と交流してきました。その中で使用したものや製作したものを展示しています。
◇教材開発
研修生がこれまで行った模擬授業(注3)やレポートなどを展示しています。
今回の成果展で展示している資料です。
資料 アイヌ語 | 資料 日本語 | 数 | 製作者 | 製作年 |
マレㇰ | かぎ銛(柄あり) | 1 | 山本 | 2015年 |
マレㇰ | かぎ銛(先だけ) | 1 | 木幡 | 2015年 |
マレㇰ | かぎ銛(先 分解) | 1 | 山丸 | 2015年 |
イパㇷ゚ケニ | 鹿笛 | 3 | 山本 新谷 中井 | 2016年 |
サラニㇷ゚ | 編み袋 | 4 | 木幡 中井 山本 山丸 | 2016年 |
ポイサラニㇷ゚ | 編み袋 | 2 | 木幡 山本 | 2016年 |
アットゥㇱ | 樹皮製しおり | 5 | 全員 | 2016年 |
キナ | ござ | 4 | 新谷 中井 山本 山丸 | 2016年 |
ピウチ | 火打ち道具 | 1 | 全員 | 2016年 |
トンコリ | 五弦琴 | 2 | 木幡 山本 | 2016年 |
映像資料 | 約15分 | ||||
チㇷ゚ | 舟 | 2015年 | |||
イパㇷ゚ケニ | 鹿笛 | 2016年 | |||
マレㇰ | かぎ銛 | 2015年 | |||
サラニㇷ゚ | 編み袋 | 2016年 | |||
トゥレㇷ゚ | オオウバユリ | 2015年 | |||
ピウチ | 火おこし | 2016年 |
写真パネル
アイヌ語 | A3サイズ キャプション |
館外研修 | A3サイズ キャプション |
教材開発 | A3サイズ キャプション |
芸能 | A3サイズ キャプション |
交流 | A3サイズ キャプション |
工芸 | A3サイズ キャプション |
講座 | A3サイズ キャプション |
自然観察 | A3サイズ キャプション |
植物利用 | A3サイズ キャプション |
信仰・儀礼 | A3サイズ キャプション |
マレㇰ漁 | A3サイズ キャプション |
操船 | A3サイズ キャプション |
平取木彫り研修 | A3サイズ キャプション |
料理 | A3サイズ キャプション |
映像資料 約17分
資料1 アイヌ語弁論大会「イタカン ロー」 2015、2016年 | ||
スㇽクトノ イピㇼマ | トリカブトの女神の警告 | 木幡 |
担い手オルㇱペ | 担い手に関する話 | 新谷 |
ハンノキ エヤイパカㇱヌ クㇽ イタㇰ | ハンノキについて学んだ者が物語る | 中井 |
浜クメフッチのユカㇻ | 浜クメ氏が語った英雄叙事詩 | 山丸 |
サㇰソモアイェㇷ゚退治 | 大蛇退治 | 山本 |
資料2 マオリとの交流「テ アタアランギ」の学習 2014、2016年 | ||
資料3 模擬授業 2015年 | ||
「シノタン ロー!」遊びましょう | 木幡 | |
アイヌと樹木inポロトの森 | 新谷 | |
身近にあるアイヌ語 | 中井 | |
アイヌ語でお絵描き | 山丸 | |
ウトゥラノ リㇺセアン ロー ~一緒に踊りましょう~ | 山本 |
自然観察
資料 アイヌ語 |
資料 日本語 |
数 |
採取年 |
ニペㇱ |
シナノキの内皮 |
1 |
2014年 |
アッ |
オヒョウニレの内皮 |
1 |
2014年 |
プンカㇻハイ |
ツルウメモドキの繊維 |
1 |
2015~2016年 |
ハイ |
イラクサの繊維 |
1 |
2016年 |
シケㇾペ |
キハダの実 |
1ビン |
2015~2016年 |
ペカンペ |
ヒシの実 |
1ビン |
2016年 |
ペカンペ |
ヒシの実(殻付き) |
1ビン |
2016年 |
アハ |
ヤブマメ |
1ビン |
2016年 |
個人展
資料 アイヌ語 |
資料 日本語 |
数 |
製作者 |
製作年 |
エムㇱタㇻ |
刀掛け帯 |
1 |
中井 |
2014年 |
エムㇱタㇻ |
母が作った刀掛け帯 |
1 |
中井の母 |
2011年 |
エムㇱ |
刀 |
1 |
中井 |
2015年 |
サパウンペ |
冠 |
1 |
中井 |
2016年 |
イクパスイ |
捧酒箸 |
2 |
中井 |
2014、2015年 |
チロシ |
花矢 |
5 |
中井 |
2014、2016年 |
エムㇱアッ |
刀掛け帯 |
1 |
山丸 |
2014年 |
エムㇱ |
刀 |
1 |
山丸 |
2015年 |
サパンペ |
冠 |
1 |
山丸 |
2016年 |
|
コイル状の縄装飾 |
1 |
山丸 |
2016年 |
ヘペライ |
花矢 |
9 |
山丸 |
2014、2015年 |
チタㇻペ |
花ござ |
1 |
山丸 |
2016年 |
イクパスイ |
捧酒箸 |
2 |
山丸 |
2014、2015年 |
タンパクオㇷ゚ |
煙草入れ |
1 |
山丸 |
2017年 |
エムシアッ |
刀掛け帯 |
1 |
山本 |
2014年 |
エムㇱ |
刀 |
1 |
山本 |
2015年 |
チタㇻペ |
花ござ |
1 |
山本 |
2016年 |
ケメイキ |
針仕事(タペストリー) |
1 |
山本 |
2016年 |
アミㇷ゚ |
着物 |
1 |
山本 |
2014~2016年 |
アミㇷ゚ |
母の着物(キャプション) |
1 |
山本の母 |
1980年代 |
マタンプシ |
鉢巻き |
1 |
山本 |
2014年 |
レクトゥンペ |
首飾り |
1 |
山本 |
2015年 |
クッ |
帯 |
1 |
山本 |
2014年 |
マキリ |
小刀 |
1 |
山本 |
2016年 |
タンパクオㇷ゚ |
煙草入れ |
1 |
山本 |
2017年 |
エムㇱアッ |
刀掛け帯 |
1 |
新谷 |
2014年 |
エムㇱ |
刀 |
1 |
新谷 |
2015年 |
サパンペ |
冠 |
1 |
新谷 |
2016年 |
サラニㇷ゚ |
編み袋 |
2 |
新谷 |
2016年 |
チタㇻペ |
花ござ |
1 |
新谷 |
2016年 |
マキリ |
小刀 |
1 |
新谷 |
2016年 |
イクパスイ |
捧酒箸 |
1 |
新谷 |
2014年 |
タンパクオㇷ゚ |
煙草入れ |
1 |
新谷 |
2017年 |
エムㇱアッ |
刀掛け帯 |
1 |
木幡 |
2014年 |
エムㇱ |
刀 |
1 |
木幡 |
2015年 |
サパンペ |
冠 |
1 |
木幡 |
2016年 |
ヘペライ |
花矢 |
6 |
木幡 |
2015年 |
チタㇻペ |
花ござ |
1 |
木幡 |
2016年 |
イクパスイ |
捧酒箸 |
1 |
木幡 |
2014年 |
タンパクオㇷ゚ |
煙草入れ |
1 |
木幡 |
2017年 |
ウコニロㇱキ |
陣取り |
1 |
木幡 |
2015年 |
平取木彫り研修
資料 アイヌ語 |
資料 日本語 |
数 |
製作者 |
製作年 |
|
コースター |
5 |
全員 |
2014年 |
|
茶托 |
4 |
木幡 中井 山本 山丸 |
2014年 |
|
鍋敷き |
5 |
全員 |
2015年 |
イタ |
盆 |
4 |
木幡 新谷 山本 山丸 |
2014年 |
イタ |
盆 |
4 |
木幡 新谷 中井 山丸 |
2015年 |
シトペラ |
団子べら |
5 |
全員 |
2015年 |
民族交流
資料 アイヌ語 |
資料 日本語 |
数 |
製作者 |
製作年 |
ドゥエンテ(ナナイ語) |
熊を模した木像 |
1 |
山本 |
2015年 |
|
サケ皮ポーチ |
1 |
山本 |
2015年 |
ニラㇱ |
テ・アタアランギ学習法で使用したブロック |
1 |
|
2016年 |
チェㇷ゚カㇷ゚チレクテㇷ゚ |
魚皮製楽器 |
1 |
山丸 |
2015年 |
教材開発
資料 |
数 |
製作者 |
製作年 |
ウコニロㇱキ 陣取り遊び |
2 |
木幡 |
2016年 |
ウコニロㇱキの説明 |
|
木幡 |
2016年 |
「ロホン ナ ロホン」の踊り方 |
1 |
山本 |
2015年 |
公開講座のチラシ |
5 |
全員 |
2015年 |
レポート「女性の漁労への関わりについて」 |
1 |
全員 |
2014年 |
パイェカイアン ロー |
1 |
全員 |
2016年 |
3年間の集大成として成果展と絡めた関連企画を行いました。
2月25日 オープニングセレモニー「カムイノミ」 時間:13:00~14:00 成果展が無事に開催できるようカムイ(神)に祈りました。カムイノミ(神への祈り)終了後には研修生による余興を行いました。 カムイノミで披露した余興 |
ギャラリートーク「研修裏話 ~担い手あれこれ~」 担当:木幡弘文 展示品を見ながら3年間の研修についてお話しました。 |
3月4日 芸能講座「西海岸・東海岸のトンコリ」 担当:山本りえ 樺太西海岸と東海岸のトンコリについて学び、トンコリの魅力の紹介、伝統曲の体験をしました。 |
▼工芸体験「アイヌの編み物 ~自分だけのブレスレットをつくろう~」 担当:新谷裕也 アイヌの編み物について学び、エムㇱアッ(刀掛け帯)の技法でブレスレットの製作を行いました。 |
3月11日 ▼ギャラリートーク「スクㇷ゚クㇽ ヤイェトゥイタㇰ ~担い手が自ら物語る~」 担当:中井貴規 成果展の展示解説を行いつつ、展示品に関連して普段行っている研修活動で特に印象に残っていることを紹介しました。 |
▼歴史講座 「アコラ コタン ~私たちの白老~」 担当:山丸賢雄 ポロトコタンの成り立ちや、白老コタンの暮らし、自分のルーツについてお話しました。また、特別展示室にて白老に伝わる工芸の技法について紹介しました。 |
研修生がアイヌ文化を総合的に学んできた3年間の成果を展示しました。また、成果展を開催するまでの準備作業も大切な研修の1つでした。
研修生の成果展「スクㇷ゚クㇽ カㇻペ~ことば・もの・こころ~」はアイヌ民族博物館の特別展示室にて3月21日まで開催しています。興味のある方、お時間のある方はぜひお越しください。
(注1)本事業は「伝統的生活空間(イオル)再生事業」の一環として実施されているものです。アイヌ文化の保存、継承、発展を図るうえで、アイヌ民族・文化に関する総合的な知識・技術・技能を身につけ、アイヌ文化を根底から支える総合的な人材(伝承者)を育成する事業です。平成20年度より3年間を一期として実施されており、アイヌ語・衣・食・住・信仰・儀礼・工芸・芸能・教材開発など多岐にわたる研修が実施されています。2017年現在は第三期の研修を実施しています。
(注2)伝承者育成事業研修生のことを通称「担い手」と呼んでいます。
「スクㇷ゚クㇽ」は直訳すると「スクㇷ゚ 育つ クㇽ 人」「若い人」となりますが、伝承者育成事業では「研修生」と訳しています。
(注3)教材開発の一環として、講座の作成から人前で発表する力を養う研修を「模擬授業」と呼んでいます。これまで研修生が得意な分野、不得意な分野で授業を作ってきました。その中でも2015年に一般向けに行った授業の資料を展示しています。
《伝承者育成事業レポート バックナンバー》
女性の漁労への関わりについて 2015.11
キハダジャムを作ろう 2015.12
ウトナイ湖野生鳥獣保護センターの見学 2016.2
アイヌの火起こし実践ルポ(前編) 2016.3
アイヌの火起こし実践ルポ(後編) 2016.4
ガマズミ・ミヤマガマズミの見分けについて(山本りえ)2016.11
「ハンノキについて学んだ者が物語る」(中井貴規) 2016.12
イパプケニ(鹿笛)について(新谷裕也) 2017.1
サパンペ(儀礼用冠)の製作について(木幡弘文) 2017.2
イヨマンテの祈り詞(平取地方)その1 2016.12
イヨマンテの祈り詞(平取地方)その2 2017.1
イヨマンテの祈り詞(平取地方)その3 2017.2
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