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月刊シロロ

月刊シロロ  6月号(2017.6)

 

 

 

 

《シンリッウレシパ(祖先の暮らし)22》
北方の楽器たち(補遺1) 鉄製口琴で戦う乙女-ほか 

 

 文・イラスト:北原次郎太(北海道大学アイヌ・先住民研究センター准教授)

 

 

はじめに


 この連載では、2015年にいくつかの楽器を取り上げたことがあります。今回はそのうち鉄製口琴、擦弦楽器、撥弦楽器について、その後に得られた情報を紹介したいと思います。

第4回 北方の楽器たち(1) 2015.6 鹿笛、うなり板、太鼓

第5回 北方の楽器たち(2) 2015.7 草笛、口琴

第6回 北方の楽器たち(3) 2015.8 トンコリ(五弦琴)

第7回 北方の楽器たち(4) 2015.9 三味線型と胡弓型の弦楽器

第8回 北方の楽器たち(5) 2015.11 サケ皮三線

 

1.マジックアイテムとしての鉄製口琴


 口琴が登場する物語はあまり多くないと思うのですが、その1つに沙流川流域紫雲古津の鍋澤ワカルパ氏が口演した「MUKTUREMMAT」というユカラ(英雄詞曲)があります。アイヌ語原文は金田一京助氏が筆録し、北海道立図書館でマイクロフィルムの状態で公開されています(HM417)。

 mukはおそらくmukku(ムック)のことで、口琴を指します(ムックルmukkurの方が知られていますがムックともいいます)。turen matは「〜が憑いている女性」という意味で、このタイトルは「口琴を守護神とする女性」と解釈すれば良いでしょうか。このユカラのあらすじをかんたんに紹介します。

「MUKTUREMMAT」あらすじ

 シヌタプカウンクルが幼い妹2人を育てていたが、何者か(チワシペッの者)に連れ去られてしまう。成長したシヌタプカウンクルは武装し、空を駆けて妹を探しにいく。沖の国の村(チワシペッ村)へ行き、小さな美しい家の中で妹たちと再会する。そこで沖の国の者達がシヌタプカウンクルに戦をしかけるために、この村に集まって酒宴を開いていることを知る。

 別な建物のそばへ忍んで行くと、中には若い女性たち(沖の国の首領たちの妹)がいる。女性たちはみな妖術を得意としており、シヌタプカウンクルの妻の座をかけて、術比べをはじめる。その中で最も幼い娘が、カネムック(鉄製口琴)を鳴らし始めると、他の女性たちは次々に眠気に襲われて倒れていった。その娘チュプカウンマッはシヌタプカウンクルがひそんでいることを知っており、秘かにそばに来て「兄たちが無法な戦いをしかけようとしているので貴方に加勢する」と告げる。

 チュプカウンマッの助けを得て、戦いを始める。妹たちも加勢にきて戦う。このとき、またチュプカウンマッがカネムックを鳴らすと、戦いのさ中にありながら憑神の弱い者たちは寝入ってしまう。あやうくシヌタプカウンクルまで眠ってしまうほどの威力だった。カネムックの力もあって戦いを終わらせ、妹たちとチュプカウンマッとともに、自分の城へ戻った。

 

 超人的な力を持つ少年が、敵方との戦いの中で美しいヒロインと出会い、その助けを得て凱旋するという、沙流地方の英雄詞曲に類例の多いストーリーです。そして、この話の中では、口琴の音色が敵方を眠らせる不思議な力を持つ楽器として描かれています。これと同じ様に、樺太アイヌの説話には、戦争があった時に女性がトンコリ(五弦琴)の音色で敵方を眠らせたという物があります。トンコリについて書かれた研究書には、こうしたエピソードを以ってトンコリを「シャマンの道具」だと書いたものがあります。しかし「MUKTUREMMAT」のように、トンコリの役柄を別な楽器が担っている伝承があることからみても、やはりトンコリを他の楽器から引き離して特殊な物と考えることは適切ではないようです[1]。むしろアイヌ文学においては、楽器全体がマジカルな力を持った道具として描かれる傾向があると捉えておくべきでしょう[2]

 

2.平取町にもあった擦弦楽器「カー」


 シンリッウレシパ第7回(2015年9月)では、リュート型(ネックと胴を別に作る)の擦弦楽器「カー」が美幌町で記録されていたことを紹介しました。この楽器は北海道内では類例がほとんどありませんが、増田又喜氏の著書『アイヌのふるさとに歌をたずねて』に、平取町にもカーのような楽器があったという証言がありました[3]。以下に、平取町の平村一郎氏の談話をまとめた箇所を引用します。

「一弦の楽器」について

 昔この平取に「一弦の楽器」があり、ムックリと演奏しているのを、若い頃によく聴いたことがあり、大変すばらしかったことを覚えているとのことである。この「一弦の楽器」は、木を丸くして継ぎ目はサクラの木の皮を縫って止めて、それに鮭の皮を張り、棒を渡してそれに鹿などの背筋を使った弦を張り、同じ弦を使用して作った弓を使う。そしれこれをこすって音を出した。昔のアイヌ民族はサクラの皮を釘の代用にしたといわれるので、この楽器は古いアイヌの人びとによって考案されたものに違いないだろう。(pp.171-172)

 

 この談話は1959(昭和34)年1月11日のものです。平村氏はこのとき64歳だったということで、1895(明治28)年頃の生まれだとすると、ここでいう「若い頃」とは明治末〜大正初期頃のことだと考えられます。

 地理的に隔たっており、言葉やイナウの作り方など言語的・文化的にも差異が大きい2つの地域にこうした類例があるのは、興味深いところです。近代に、平取町から美幌町への移住があったことも関係しているかも知れません。美幌町ではウマの尾と三味線の弦が使われていましたが、平取町では棹にも弓にもシカの腱を張っています。美幌町では木椀を転用して胴を作っていましたが、平取町のものはよりニヴフ民族のトゥングルンに近い作り方をしています。膜面にサケ皮が使われている点も注目されます。かつてはシカやアザラシなどの獣皮も豊富に手に入り、太鼓にはこれらが使われましたが、弦楽器にはもっぱら魚皮が使われたようです。

 口琴との合奏など、技巧的にも凝った演奏がされていたようです。 

 

3.厚岸神楽の三味線


 シンリッウレシシパ第7回(2015年9月)では、リュート型の撥弦楽器も取り上げました[4]。北海道アイヌには、三味線の起源譚は伝わっているものの、アイヌ自身が三味線を使っていた確実な記録は多くはありません。

 厚岸での使用例として、更科源蔵氏が次のような記録を残しています。1962(昭和37)年11月1日、厚岸町糸魚沢での聞き取りです。

 同地には「アイヌ神楽」と呼ばれる芸能があり、300年前(今なら350年前?)に南部の「カズマ」という漁場の親方が持ち込んだもので、昔は稲荷社の前で演じたということです[5]。当時使われていた獅子頭は2代目で、初代は漆を塗らない白木の物、正月3日から1週間の間、希望者の家をまわって演じたようです。

 演目は①通り笛、②助六舞、③獅子舞、④エビス舞、⑤剣舞、⑥狐だましよ(神楽のあとの余興)、⑦餅つき囃(餅つくときにやる)の7種で、このうち餅つき囃に三味線が加わると言います[6]。室蘭での餅つきを描いた絵画『モロラン之図・会所之餅ヅキ』にも三味線を弾く様子が描かれていますし、近年も上演される機会の多い「江差餅つき囃子」でも三味線を合わせるのが恒例となっているようです。

 厚岸の「アイヌ神楽」については、知里真志保氏の監修のもと、NHKが1948(昭和23)年7月14日に録音をし、わずかながら演奏の内容を知ることができます。この時の調査では「助六舞」、「獅子舞」、「恵比須舞」、「剣の舞」が収録され、残念ながら三味線を含む演目は入っていませんでした。ただ、南部の神楽や江差の演目を検討することで、往時の演奏の様子を探ることはできそうです。トンコリで歌の伴奏をする時に比べ、江差の餅つき囃子では歌と同じ旋律を演奏するようです。

 

 

4.終わりに

 

 シンリッウレシパ第4回(2015年6月)では、シャマンが用いる太鼓について、これまで良く知られた形とは異なる物が美幌町にあったことを紹介しました。これと似た太鼓を釧路市立博物館が所蔵・展示しているとのお知らせをいただきました。この資料についても調査の上、次回以降に取り上げてみたいと思います。

 

[1]また、こうした器物の力を借りて行う術と、シャマン自身の力によって行う術は分けて考えるべきでしょう。詳細は北原(2003)、北原(2017)を参照してください。

[2]シンリッウレシパ第5回(2015年7月)で鉄製口琴を紹介した記事について、日本口琴協会の直川礼緒さんからいくつかの問い合わせをいただきました。そのうち1点は、北海道で鉄製口琴が使用されてきた事例の詳細、特にNHKが1964(昭和39)年に制作した映画『北方民族の楽器』の中で、鉄製口琴を演奏している女性が屈斜路の方だとしたことの根拠を知りたいというものでした(リンク)。これについては、同作品を監修した更科源蔵氏の遺稿類に含まれる映画の台本よって知ったことでした。2001年に調査し、2016年8月に再確認しました。

[3]様似町教育委員会の大野徹人氏からご教示いただきました。

[4]同じ記事の中で、サハリンで松田伝十郎が記録した楽器を紹介しました。これはスメレンクル(ニヴフ民族)の集落で見た楽器してと書かれていますが、ニヴフ民族が自製した物かどうかは明確にされていません。同行した間宮林蔵は「蓋し、東韃の易へ渡す所なるべし」とあり、間宮林蔵はニヴフ民族の自製品ではなくアムール河河口付近の民族からの移入品と推測したようです。もっとも、アイヌ・ニヴフ民族を含むサハリン島民にはトンコリなどの弦楽器に加え、魚皮を使った太鼓やフイゴなどの作例もあり、こうした三弦楽器を作ることも技術的にはまったく問題なかったでしょう。

[5]この録音を含むレコードは、国立国会図書館や北海道立図書館などに『アイヌ歌謡集』第2集として収蔵されています。

[6]更科源蔵『コタン探訪帖』№17(pp.133-134)。なお、松浦武四郎の『近世蝦夷人物誌』によれば、ネムロ(根室)のチャシコツに住む男性は、廻船の船方から教わってエビス舞を身につけ、機会あるごとに披露していました。厚岸とごく近い地域のことですので、厚岸アイヌ神楽の成立になんらかの形で関わりのあるエピソードかも知れません。

 

 

参考文献

(財)アイヌ民族博物館
2005『西平ウメとトンコリ』。

沖縄県立博物館・美術館
2014『三線のチカラ―形の美と音の妙―』。

沖野慎二 
1994「アイヌ民族に“うなり板”は実在したか?」 『北海道立北方民族博物館研究紀要』3号、北海道立北方民族博物館。

帯広市図書館(編) 2015『帯広叢書№67 吉田巌資料集-33 アイヌ調査書 附録その三』帯広市教育委員会。

金谷栄二郎・宇田川洋1986『樺太アイヌのトンコリ ところ文庫2』常呂町郷土文化研究同好会。

北原次郎太
2003「tonkoriとシャマニズム」『itahcara』創刊号itahcara創刊号編集事務局。
2017「アイヌ口承文芸に見るシャマン儀礼の再検討」『口承文芸研究』第40号、日本口承文芸学会。

北原次郎太(編)
2013『和田文治郎 樺太アイヌ説話集』1、北海道大学アイヌ先住民研究センター。
2014『和田文治郎 樺太アイヌ説話集』2、北海道大学アイヌ先住民研究センター。

北原次郎太(ciwrantay)
2015「hemata kusu ene kacotaata=anihi」深澤美香・吉川佳見(編)『parunpe』第10号、パルンペ同好会。

金田一京助・杉山寿栄男
1996『アイヌ工芸』北海道出版企画センター。

篠原智花・丹菊逸治
2009「サハリンの口琴再考」『itahcara』第6号、itahcara編集事務局。

甲地理恵
2011 「アイヌ音楽の録音・録画のあゆみ 第1回 音楽学者・田辺尚雄氏による樺太アイヌ音楽の録音(1)」『アイヌ民族文化研究センターweb連載 フィールドから・デスクから』http://ainu-center.pref.hokkaido.jp/11_02_001.htm
2011 「アイヌ音楽の録音・録画のあゆみ 第2回 音楽学者・田辺尚雄氏による樺太アイヌ音楽の録音(2)」『アイヌ民族文化研究センターweb連載 フィールドから・デスクから』http://ainu-center.pref.hokkaido.jp/11_02_002.htm

平良智子・田村雅史ほか編2007『冨水慶一採録四宅ヤエの伝承 歌謡・散文編』四宅ヤエの伝承刊行会。

直川礼緒
1994「口琴の美8 ハバロフスク地方ウリチ地区、ロシア」『口琴ジャーナル』No.8 日本口琴協会。
2016「日本の博物館収蔵の樺太(サハリン)アイヌの金属口琴」『北海道博物館アイヌ民族文化研究センター研究紀要』第1号、北海度立北海道博物館。

谷本一之
2000『アイヌ絵を聴く 変容の民族音楽誌』北海道大学図書刊行会。

千葉伸彦
2011『久保寺逸彦の収録したトンコリ楽曲の基礎資料(五線譜を含む)』(財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構平成22年度研究助成事業成果品)。

知里真志保
1973(1948)「アイヌの歌謡(第一集)」『知里真志保著作集』2、平凡社。
1973(1952)「呪師とカワウソ」『知里真志保著作集』2、平凡社。

林誠
2007「北海道立図書館マイクロフィルム「金田一京助採録ユーアラ・ノート」の細目次」『北海道立アイヌ民族文化研究センター研究紀要』第13号、北海道立アイヌ民族文化研究センター。

藤村久和・平川善祥・山田悟郎(編)『北海道開拓記念館調査報告第5号 民族調査報告書 資料編Ⅱ』北海道開拓記念館。

増田又喜
2010 『アイヌのふるさとに歌を求めて』文芸社。

桝谷隆男
1997「楽器学から見た狩猟用具-鹿笛概説(その2)」『アイヌ文化』21号、(財)アイヌ無形文化伝承保存会。
1997「樹皮トランペット型鹿笛の一考察:動物の擬声を作りだす囮笛と音楽の起源」『北海道立北方民族博物館研究紀要』6号、北海道立北方民族博物館。

松浦武四郎
1969『近世蝦夷人物誌』(谷川健一(編)『日本庶民生活史料集成第4巻 探検・紀行・地誌(北辺篇)』所収)株式会社三一書房。

間宮林蔵述・村上貞助編・洞富雄・谷澤尚一編注
1988「北夷分界余話」『東韃地方紀行他』平凡社。

R.ヒッチコック著 北構保男訳
1985『アイヌ人とその文化』六興出版。

 

[シンリッウレシパ(祖先の暮らし) バックナンバー]

第1回 はじめに|農耕 2015.3

第2回 採集|漁労   2015.4

第3回 狩猟|交易   2015.5

第4回 北方の楽器たち(1) 2015.6

第5回 北方の楽器たち(2) 2015.7

第6回 北方の楽器たち(3) 2015.8

第7回 北方の楽器たち(4) 2015.9

第8回 北方の楽器たち(5) 2015.11

第9回 イクパスイ 2015.12

第10回 アイヌの精神文化 ラマッ⑴ 2016.1

第11回 アイヌの精神文化 ラマッ⑵ 2016.2

第12回 アイヌの精神文化 ラマッ⑶ 2016.4

第13回 アイヌの精神文化 ラマッ⑷ 2016.5

第14回 アイヌの衣服文化⑴ 木綿衣の呼び名 2016.6

第15回 アイヌの衣服文化⑵ さまざまな衣服・小物 2016.7

第16回 樺太アイヌのヌソ(犬ゾリ)-1 2016.12

第17回 樺太アイヌのヌソ(犬ゾリ)-2 2017.1

第18回 樺太アイヌのヌソ(犬ゾリ)-3 2017.2

第19回 樺太アイヌのヌソ(犬ゾリ)-4 2017.3

第20回 アイヌの衣服文化⑶「アイヌ文様は魔除け?」を検証してみた 2017.4

第21回 樺太アイヌの防寒帽 2017.5

 

 

 

 

 

《エカシレスプリ(古の風習)12》 刀帯作りあれこれ(6)完結編

 

 文:大坂 拓(北海道博物館アイヌ民族文化研究センター 研究職員)

 

はじめに


 刀帯作りの様々な技法を、資料の写真とともに紹介してきたこの連載も最終回。今回は、帯に刀を取り付ける「刀通し」の製作と、「房」の取り付けを紹介し、刀帯を仕上げたいと思います。
 刀帯作りあれこれ ▶(1) ▶(2) ▶(3) ▶(4) ▶(5)

 

 

1. 刀通しの製作

 

(1)資料に見られるバリエーション

 刀通しを作る際も、これまでの工程と同様に各地の博物館等に収蔵された資料を観察した結果を踏まえ、どのような形態を選ぶか考えてみました。資料241点を調査してみたところ、刀通しの作り方には経糸をどのように処理するかによって、以下の5つのパターンがあることが分かりました(写真1)。

▲写真1 刀通しの形態によるバリエーション

 この5つのパターンは決して無秩序に用いられているわけではなく、比較的古い時代に作られたと考えられる、文様部に木綿糸を使用していないタイプのものでは実に84%がⅠ「裏別布」(写真1-Ⅰ)なのに対し、より新しい時期に盛んに作られたと考えられる、文様部が全て木綿糸で編まれたものでは、Ⅱ「表別布」(写真1-Ⅱ)が79.6%を占めています。刀帯が作られた時代によって、刀通しの作り方にも流行があったのです(註1)

 今回は、文様部を全て木綿糸で編んできましたので、それに合わせ、刀通しはⅡ「表別布」のパターンを選ぶこととしました。

 なお、刀通しは刀の重みが直接加わる部分なので、破損し、補修された跡がしばしばみられます。1本の資料の中で、前後で二つ異なるパターンで作られたものもあり、これは多くの場合、Ⅱ「表別布」の一部が破損してしまい、Ⅴ「別作」に補修されたもののようです。現在では前後両方がⅤ「別作」になっている中にも、元々はⅡ「表別布」のものが含まれていたはずです。こう考えると、文様部が木綿糸で編まれたもののうち、刀通しがⅡ「表別布」の技術で作られたものは、本来はさらに多かったのだろうと考えられます。

(2)裏側の編み方

 刀通しⅡ「表別布」は、刀通しの裏側にあたる部分で経糸と緯糸を編み込んでから、表側に木綿などの布を取り付けて作られています(写真2・3)。
裏側にあたる部分の編み方は、現在では多くの製作者が文様部と同様に密に編み込んで製作していますが、博物館収蔵資料ではそのような例は極めて稀で(写真4)、ほとんど例外なく1〜1.5cmの間隔を開けて緯糸を絡ませてあります(写真5・6)。この編み方は、吊り下げて編むタイプのsaranipと呼ばれる編み袋の一種で見られる技法と同じです。

▲写真2 Ⅱ「表別布」の実例(市立函館博物館所蔵 1333 表面)

▲写真3 Ⅱ「表別布」の実例(市立函館博物館所蔵 1333 裏面)

▲写真4 裏側を密に編んだ稀な事例(市立函館博物館所蔵 H05-R110-01)

▲写真5 裏側を粗く編んだ事例(市立函館博物館所蔵 H05-R107-04)

▲写真6 裏側をやや密に編んだ事例(市立函館博物館所蔵 H05-R112-05)

 緯糸の素材は、文様部と同じく木綿糸を用いるものと、靱皮繊維を用いるものがあります。注意しなければならない点として、この編み方をする際にも文様部と同じく、ほぼ例外なく編み目が右下がりになることがあります。なぜそうするのか、はっきりとした証言があるわけではありませんが、アイヌ民族が自製する細い糸の大部分はZ撚りなので、右上がりにすると撚りが少し戻ってしまい、強度が低下する等の理由があるのかもしれません。

 一方の端から編み始め、反対側の端まで緯糸を編み終えたところの処理には、資料を見てみるといくつかの方法があります。私は、ジグザグに折り返していく方法(写真7)と、一度結び目を作り、やや間隔を設けてから次の段を編み始める方法をとりました(写真8)。

▲写真7 製作事例①

▲写真8 製作事例②

 

(3)表への布の取り付け

 表に取り付ける布には、紺色の木綿や、縞木綿、型染めの柄物など、いくつかのバリエーションが認められます。布は1枚で端を簡単に折り曲げてなみ縫いしたものや、2枚重ねにして袋縫いにされたものなどがあります(写真9)。

 編み上げた本体への取り付けにもいくつかの方法がありますが、今回は、文様表側の下端に裏返した状態で縫いつけ、下に折り返し、下端を縫い止める方法をとりました(写真10)。

▲写真9 布の取り付け事例(旭川市博物館所蔵 4215)

▲写真10 表への布の取り付け

 

2.房の製作

 

(1)房のバリエーション

 前後1枚ずつ取り付けられる房は、刀を吊り下げるという目的には直接関係しない部位ですが、装飾の目的でほとんどの資料に付されています(写真11)。

▲写真11 房の事例(市立函館博物館所蔵 H05-R107-05)

 素材は木綿布や、木綿布の裏側に和紙のようなもので裏打ちをされたものを素材にしたもの(写真12)、樹皮布で裏打ちしたものなどがあります。木綿布の場合、1枚のみのもの、2枚重ねにしたものなどのバリエーションがあります。現在では多くの製作者が、2枚の木綿布を袋縫いにした丁寧な仕上げをおこなっています。博物館収蔵資料では、1枚の木綿布を切りっぱなしにしているものや、端を簡単に折り曲げてなみ縫いしたものなど、より簡易な仕上げのものが多く見られます。

 今回は、文様部を全て木綿糸で編んだ資料の類例に倣って、木綿布を2枚重ねにしたものに、白木綿糸で刺繍をしました(写真13・14)。

▲写真12 裏側に和紙?の断片が残っている事例(市立函館博物館所蔵 H05-R113-05)

▲写真13 房への刺繍の製作事例①

▲写真14 房への刺繍の製作事例②

(2)房のとりつけ本体に房を取り付ける位置は、刀通しの木綿布の下端の部分で、房の中央に取り付ける場合と、外側に寄せて取り付ける場合があります(写真15)。文様部を木綿糸で編んだものの場合、取り付ける位置は外側に偏っているものが8割を越えていますので、今回はそれに倣いました。最後に、2枚の房を繋ぐ紐を取り付ければ完成です。

▲写真15 房の取り付け位置

 

 

3.さいごに

 

 今回の刀帯作りの紹介では、いくつかの伝承記録と、各地の博物館に所蔵されている資料の観察結果を照らし合わせながら、それぞれの工程を確認してきました。文章の中では、現在、各地で製作されているものの特徴が、必ずしも博物館に所蔵されているものと一致しない事にも触れてきました。しかし、こうした違いは、どちらが正しく、どちらが間違っているというものではありません。アイヌ民族の文化も、そのほかの多くの民族の文化と同じく、時代の中で素材や技術も変化しながら受け継がれてきたのです。変化の中には、より丈夫に、より丁寧に、より効率的に作ろうという工夫の歴史が見えてくるかもしれません。

 最近では「現在では失われたより古い技術を知りたい」、「自分の地域で先祖が使っていたものの特徴を知りたい」といった声も高まっており、かつてどの地域で、どのような技術が用いられていたのか、情報を分かりやすい形で整理しておくことは、博物館に勤務する私のような立場の人間にとって重要な仕事の一つです。今回の連載を続ける中では、掲載した写真を見ながら実際に編んでみたという方からご意見も頂きました。今後も、文化伝承に携わるアイヌ民族の方々や、アイヌ文様に心惹かれ製作に取り組む多くの和人の方々に向け、地道な情報提供を続けていきたいと考えています。

 次回はやや趣向を変え、「昔はどうだった?矢筒の使い方」と題して、狩猟用の矢を持ち運ぶための矢筒という道具の使用方法について紹介したいと思います。

註1 こうした年代差を推定する根拠について知りたい方は、前回紹介した「アイヌ民族の刀帯」(『北海道博物館アイヌ民族文化研究センター研究紀要』第2号=PDF)をご一読下さい。

 

参考文献

古原敏弘・村木美幸1998「エムシアッについて―アイヌ民族博物館が所蔵する児玉コレクションから―」『アイヌ民族博物館研究報告』第6号

財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構2007『アイヌ文化生活再現マニュアル 編む―タラ・エムシアッ』

財団法人アイヌ無形文化伝承保存会1986『アイヌ文化伝承記録映画ビデオ大全集 シリーズ(4)フチとエカシを訪ねて 第4巻〜織る・奏でる・祈る〜』

 

 

[バックナンバー]

《エカシレスプリ(古の風習)1》儀礼用の冠を復元する⑴ 2016.1

《エカシレスプリ(古の風習)2》儀礼用の冠を復元する⑵ 2016.2

《エカシレスプリ(古の風習)3》儀礼用の冠を復元する⑶ 2016.3

《エカシレスプリ(古の風習)4》木綿衣の文様をたどる 2016.4

《エカシレスプリ(古の風習)5》小樽祝津のイオマンテ 2016.5

《エカシレスプリ(古の風習)6》噴火湾アイヌの信仰-イコリの神 2016.7

《エカシレスプリ(古の風習)7》刀帯作りあれこれ(1) 2016.10

《エカシレスプリ(古の風習)8》刀帯作りあれこれ(2) 2016.11

《エカシレスプリ(古の風習)9》刀帯作りあれこれ(3) 2017.1

《エカシレスプリ(古の風習)10》刀帯作りあれこれ(4) 2017.3

《エカシレスプリ(古の風習)11》刀帯作りあれこれ(5) 2017.5

 

 

 

 

 

 

 

《図鑑の小窓24》カッコク カムイ ハウェ コラチ(カッコウ神の声のように)

 

 文・写真:安田千夏

 

 夏鳥のさえずりも後半戦ですが、山歩きの時に人気が高いオオルリ。その鮮やかなブルーのボディと、渓流のソングポストなどでの堂々たる歌うような美しいさえずりは、まさに幸せの青い鳥。バードウォッチャーの間で大人気なこともうなずけます。

 ところが意外なことにこの鳥のアイヌ語名は採録されていないのです。そしてそれは同じく人気のキビタキについても然りで、初夏を代表する美しい姿とさえずりを誇る鳥に限って記録がないのです。しかし「ない」と言ってしまえば話はそれで終わってしまいますが、ないことにも意味があると考えたいものです。つまりかつてのアイヌの人達はバードウォッチャーの感覚とは違う何らかの基準で鳥を見ていた、ということなのではないでしょうか。

写真1 オオルリ(5月10日) 写真2 キビタキ(5月27日)

 

 逆に、アイヌ口承文芸で鳥の神様がたくさん出て来る神謡というジャンルで、夏鳥の中で採録例が多い部類の鳥にカッコウがいます。アイヌ語名は「カッコク」「パッコ」「ポホコ」など、鳴き声に由来するものが採録されています。

 また「カッコウが鳴いたら畑に何をまいてもいい(静内34130 織田ステノ)」のように、生活の中でそのさえずりが何かの事柄に結びつけられるほど意識されていました。そのことを示す文献の記述を以下に列記します。

・カッコウが鳴くと、川にマスが遡上する(十勝)
・コタンの近くでカッコウが鳴く年は豊作、山奥で鳴く年は凶作(虻田)
・川縁に出て夜鳴くと大水がある。山ばかりで鳴くと干ばつ(名寄)
・夜鳴くと大水が出る(平取)
・夜鳴くとコタンに変事が起こる(十勝本別)
・カッコンカムイが家に入ると暮らし向きがよくなる(塘路)(注1

 

 アイヌ民族博物館の音声資料を精査すると、カッコウは例え話の中にも登場しています。

カッコク カムイ ハウェ コラチ ハウェ ピリカ ハウェ ホプニ(注2
(カッコウの神のように声が美しい、声が立ち起こる)

 

 これは朗らかにひびいてくる声を「カッコウの声のように」と表現しているのであり、意見を主張するときには小さい声では説得力が半減してしまうので、カッコウのさえずりのように朗々と述べるものだというたとえです。

 さらにカッコウの神はその特徴的な鳴き声のために人から真似をされやすく、それについての話が伝えられています。

 昔、川向こうの村の悪い子ども達がカッコウの鳴き声を聞いて、盛んに鳴きまねをしました。その村の大人たちは子ども達がまねをするのを放っておきました。すると作物が何もとれなくなってしまったといいます。川のこちら側の村ではカッコウの神に敬意を払って、子ども達がまねをするのを大人達が叱ってやめさせました。すると作物が沢山とれたものだといいます。(静内34130 織田ステノ)

 

 カッコウだけではなく鳴き声を真似されて怒った神が深刻なダメージを与えて来たという話は他にもあり、つまりエユカラ、エイコイサンパ(〜を声真似する)というのは、相手が誰であってもうかつにするものではないということなのです。神である生物に対する敬いの気持ちを持つこと、それはそのままアイヌ文化に特徴的な話であると言えます。

 アイヌ文化ではカッコウの声が様々なとらえ方をされていて、夏鳥の中で最も話題が豊富と言っていいかも知れません(注3)。「カッコウ神」の神謡のサケヘ(注4)「ハンカッコクカッコク」や「ハナカッコクカッコク」を見てわかる通り、やはりそのひときわ目立つさえずりにちなんでいて、そこに何かの意味を読み取ろうとし、時にはそれが神謡のストーリーとしても成り立っているという風にも見えて来ます。

 例えば以下の神謡は、カッコウの声はこんなことを伝えているのだというのです。

 ある女性が、どこからかやって来た男性と夫婦になって何不自由なく暮らしていました。するとある日…

kanto orwa 空より
hawasno kakkok 声のよく立つ郭公鳥
rekno kakkok よく鳴く郭公鳥
ran hine 降り来て
nusa ka ta a wa  (戸外の)幣壇の上に止まりて
e-shiso-un wa (nusa-pa un ma)  右の方から(幣壇の上手より)
e-harkiso-un (nusa-keshi un) 左の方へ(幣壇の下手へ)
tek o-ishi-tari (o-ishi-tari tek)  一寸尾羽を上げ
tek o-ishi-suye (o-ishi-suye tek)  一寸尾羽を打ち振り
nea kakkok かの郭公鳥は
kunne hene 夜も
tokap hene 昼も
rek na. 鳴きつづく.

 

 それ以来、夫は食事もせずにふさぎ込むようになりました。やがてカッコウの声も止みましたが、何日かして夫はこのように言いました。「これ妻よ、実は私は人間ではないのだ。天界の雷の神の6人兄弟の末っ子が自分なのだ。天界に自分の気に入る女性がいないので、人間界を見渡したところお前を気に入り、天界より降りて来て夫婦になったのだ。しかし誰にも言わずに来たので、兄弟達が私を探して居場所をつきとめた。そして…

Kakkok tono 郭公鳥の神
i-ko-charanke kusu 我に談判するため
kanto orwa 天つ空より
an-ranke. 降らしめられたり.

 

 おまえはただカッコウが鳴いて入るだけだと思っていたのだろうが、そうではないのだ。私が天に帰らなければひどい罰を受けるので、もう帰ることとする。おまえがこれから雷の音を聞くとき、一番最後に響く大きな雷鳴は、妻と引き離された私の憤慨する音であると知りなさい。おまえからは見えなくても、私からはおまえが見えているのだ。そして私を失った悲しみの日々を過ごした後、どこからかやって来る男と幸せに暮らしなさい」。

 夫はそう言って大きな鳥の姿になって飛び立ち、涙を雨のように落としながら天界へ戻って行きました。その後は夫を失ったことを嘆き悲しみつつ暮らしましたが、雷が鳴るたびに外に出て、自分には見えないけれど天界の夫は私を見ているのだろうと思い、それを支えとして暮らしました。そのうちに夫の言った通りにどこからかやって来た男と夫婦となり子宝にも恵まれました。子供達には雷の神の前夫の話をし、雷が大きな雷鳴を轟かせる由来を物語りました。(注5

 

▲写真3 ほぼカッコウ(5月28日)

 何かと話題豊富なカッコウですが、その姿を見たと言う人は意外に少ないかも知れません。この写真は、カッコウらしき鳥が偶然目の前に飛び出して来たときのものです。「らしき鳥」とはどういうことかというと、同じカッコウ科のツツドリも見た目が激似で区別が難しいのです。かろうじて胸に見える横縞の細さからカッコウらしいということがわかるのですが、それも確実とは言えません。さえずってくれれば違いは歴然とするものの、この時は突然の遭遇でお互いにびっくりしたのでそれも叶わず、残念ながらすぐに飛び去ってしまいました。

 ちなみにそのよく似たツツドリのアイヌ語名は、これも鳴き声にちなんだ「トゥトゥッ」。神謡や子守唄にカッコウとセットで出て来たり、カッコウの歌謡として伝承されている歌が別の地域ではツツドリに置き換わっていたりすることがしばしばあるので、姿が似ているということもアイヌ文化では先刻承知ということだったのでしょう。

 

(注1)全て更科1977より。一部言い回しや漢字を本原稿にあわせて改変しました。
(注2)伝承者非公開。
(注3)夏鳥で他に神謡や歌謡に登場するおなじみの顔ぶれはオオジシギ、ヤマシギ、キジバト、アオバト、ヒバリなど。どちらかというと見た目が地味な鳥ばかりですが、それぞれ鳴き声が特徴的であったり、ディスプレイフライトが目立っていたり。「アオバトはきれいなのでは?」と思った方、じつは新緑の中では緑色の羽は完全な保護色、意外に目立たないのです。
(注4)節のある神謡特有の「折り返しのフレーズ」。これを繰り返し語りに挿入しながら物語が進んで行きます。
(注5)久保寺1977、神謡90より。

〈参考文献〉

知里真志保『分類アイヌ語辞典 動物編』日本常民文化研究所(1962年)
更科源蔵・更科光『コタン生物記1 樹木・雑草編』法政大学出版局(1977年)
久保寺逸彦『アイヌ叙事詩 神謡・聖伝の研究』岩波書店(1977年)
アイヌ民族博物館『アイヌと自然デジタル図鑑』(2015年)

 

[バックナンバー]

《図鑑の小窓》1 アカゲラとヤマゲラ 2015.3

《図鑑の小窓》2 カラスとカケス   2015.4

《図鑑の小窓》3 ザゼンソウとヒメザゼンソウ 2015.5

《自然観察フィールド紹介1》ポロト オカンナッキ(ポロト湖ぐるり) 2015.6

《図鑑の小窓》4 ケムトゥイェキナ「血止め草」を探して 2015.7
《自然観察フィールド紹介2》ヨコスト マサラ ウトゥッ タ(ヨコスト湿原にて) 2015.8

《図鑑の小窓》5 糸を作る植物について 2015.9

《図鑑の小窓》6 シマリスとエゾリス 2015.10
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《図鑑の小窓》8 カッケンハッタリ(カワガラスの淵)探訪 2015.12

《図鑑の小窓》9 コタンの冬の暮らし「ニナ(まき取り)」 2016.1

《図鑑の小窓》10 カパチットノ クコラムサッ(ワシ神様に心ひかれて) 2016.2

《図鑑の小窓》11 ツルウメモドキあれこれ 2016.3

《図鑑の小窓》12 ハスカップ「不老長寿の妙薬」てんまつ記 2016.4

《図鑑の小窓》13 冬越えのオオジシギとは 2016.5

《図鑑の小窓》14「樹木神の人助け」事件簿 2016.6

《図鑑の小窓》15 アヨロコタン随想 2016.7

《図鑑の小窓》16「カタムサラ」はどこに 2016.8

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《図鑑の小窓》18 クリの道をたどる 2016.10

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《図鑑の小窓》21 わけありのラウラウ(テンナンショウの仲間) 2017.1

《図鑑の小窓》22 春待つ日々のサクラ4種 2017.2

《図鑑の小窓》23 タクッペ(やちぼうず)の散歩 2017.3

 

 

 

 

 

 

《映像資料整理ノート》川上まつ子さんのサラニプ(背負い袋)づくり

 

 文:木幡弘文

 

 

はじめに

 


 私は3年間の第三期伝承者(担い手)育成事業を修了し、この春からアイヌ民族博物館の映像・音声資料整理を担当しています。最初に整理したのが『川上まつ子さんのサラニプオシケ(ガマの撚糸による袋編み)』(資料20000P=アイヌ民族博物館アイヌ語アーカイブで公開中)で、その後も同氏のサラニプ製作方法を記録した一連の映像資料を見る機会を得ました。私自身、伝承者育成事業の中でサラニプを製作したことがあって、映像は興味深いものでした。本稿ではその後調べたことや川上まつ子氏製作の資料紹介も交え、サラニプについて紹介したいと思います。

 

サラニプ(背負い袋)とは

 

 樹皮の内皮や撚り糸などで編んだ袋で「背負い袋」などと訳されます。大きさや編み方によって使用用途が違います。即席で製作して使うものや貯蔵用に大きく製作するもの、穀類などを入れて持ち運ぶなど様々です。

 

ラシサラニプ(「硬い背負い袋」=木の生皮の袋)

 

▲写真1 ラシサラニプ(アイヌ民族博物館蔵) ▲写真2 ラシサラニプの底

 

 まずは木の生皮で作られるこのラシサラニプについて『アイヌの民具』(萱野1978)から引用します。

(略)直径五〜六センチの若いニペシニから皮をはぎ取って、その場ですぐに内皮をはいで取ります。これを一・五センチくらいの幅に裂いて、まだ湿り気のあるうちなら平編みにしてラシサラニプ(硬いサラニプ)という収穫用の袋を編むことができます。

(萱野茂 1978『アイヌの民具』より)

 

 このようにシナノキの内皮を1.5cm程の帯状に裂いて数十本作り、それらを平編みしたものをいい、写真1、2はその一例です。特徴的なのはやはり平編みしているため底が角底だということと、生皮を用いていることです。生皮を使用する理由は川上まつ子氏が言うように、一度乾燥した皮を再度湿らせ再び乾燥した場合、皮が内側に丸まって形が崩れてしまう事からでしょう。逆にいえばそのような状態にならないのであれば製作することは可能です。私も伝承者(担い手)育成事業のときに製作したのですが、そのとき使用したのが乾燥したシナノキの皮でした。しかもある程度硬さはあるものの薄く剥いだ皮であり、川上まつ子氏がいう生皮とは比べ物にならないぐらい脆いと思いますので、本来の穀類を入れる用途には多分耐えられないつくりだと思います。ですので、やはりラシサラニプを作る際には硬さがあり、皮が曲がらないもので作る必要がありそうです。

 このラシサラニプを川上まつ子氏は「ラッサ」と略称していて、『川上まつ子の伝承 -植物編2-』(アイヌ民族博物館2002)では次のように述べています。

(川上)このラシサ(rassa 木の皮のままで作った袋、ラシサラニプの略称)。なんでもシナの皮であればできるもんだと思って、焚いたシナの皮、うるかしたオヒョウで作ってくれ作ってくれって去年いうんだ。そんなもんで作れないんだ。シナの皮、生のやつで作らんかったら作れないんだから。生だよこれ。山から剥いできたばかりのやつ。これでないば、こういう物できないの。だって言えば、「したら行ってニペシ(シナノキの内皮)剥いでくるか、剥いでくるか」って言って終わったから、もし今年わしこっちに来なくても、「冬何も仕事ないで仕事しないでいたら、余計ボケてしまうから糸作りしていれ」って伊藤さん言って、シナ持って行ってあったもんだから、そのシナで機織りの玉五つこしらえてあったから、行かないだってその糸玉がいたましいば伊藤さん取りにいつか行った時にrassaっていう物こういうもんだっていうの見せてやりたいし、持たしてやりたいと思ったから、山へ行ってシナ剥いできて小さいラシサrassaふたつこしらえたの。」

(『川上まつ子の伝承-植物編2-』より アイヌ語カナ表記は筆者による。以下同)

 

 

チェオシケサラニプ(編まれた袋)

 

▲写真3 チェオシケサラニプの技法で製作したペットボトルホルダー(山田美郷職員製作)

 これは縦糸を束ねて、糸束の真ん中で縛り、一本一本を二つに折ります。そして円になるように広げて、その真ん中の穴に円盤がついた糸を通します(穴は写真5、6の中心)。その通した糸を吊り下げて下準備が完了します。このとき袋の底は上を向いています。あとは袋の側面底部つまり上から螺旋状に編んでいく(写真4)のがこのチェオシケサラニプとなります。

 

▲写真4 チェオシケサラニプの編み目 ▲写真5 底
 
▲写真6 底(内側から)  

 

 製作時には縦糸が編まれておらず、パラパラとバラけていることから、よくケナシウナラペ(木原のおばさん)という妖怪の髪型にたとえられます。以下にその一例を紹介します。

<34624>

(伊藤)(ケナシウナラペは)いつもはどんな姿をしているの?

(川上)分かんない、見たことないもん(笑)。タクッペ(ヤチボウズ)みたいなもんだっていうよ。

(伊藤)ああ、タクッペみたいな格好かい。

(川上)うん。タクッペみたいなもんでチェオシケサラニプ ヘウシ アペコロ アン(縄編み袋をかぶったみたい)っていうのは、あれ、わしコンダシ(小出し=植物製の袋)編んだら、へり編まないでバラバラになってぶら下がっているべさ、それをかぶっているみたいな格好に見えるもんなんだって。

▲ヤチボウズ=スゲ科の植物の根がもりあがってこぶ状になったもの。湿原などで見られる。

 

 と、このような話を聞いたとき私達担い手も試しにチェオシケサラニプではなく一般的な作りかけのサラニプを被ってみたのですが、改めて考えるとこのチェオシケサラニプの底は頭がスッポリ入らないにせよ、ある程度の広さがあり、縦糸が顔を隠す事ができる長さということになるのではないかと考えられます。

 現在では製作が簡単でペットボトルケースになっていたりもします。

 

サラニプ(背負い袋)とチェカカサラニプ(撚り糸の背負い袋)

 

▲写真7 サラニプ(丸底)の全体 ▲写真8 サラニプ(角底)の全体
(川上まつ子氏製作・アイヌ民族博物館蔵 

 

▲写真9 チェカカサラニプの全体 ▲胴体アップ
(アイヌ民族博物館蔵)

 

 次にいわゆる一般的なサラニプ(写真7、8=注)とチェカカサラニプ(写真9)について紹介します。この二つはどちらもゴザなどを製作する際に使用する織り機を使って製作します。まずは織り方ですが、下準備として編み糸を用意します。これは作る大きさによって本数は変わりますが、映像資料20000Pでは18本使用し、長さは二尋と約3mになります。その糸の両端を石で巻取り、編み機の溝に糸の真ん中がくるようにかけて編糸の準備が完了します。次にサラニプの材料となる内皮または繊維ですが、ここでサラニプとチェカカサラニプの違いが出ます。サラニプは内皮を撚らずに使用するものをいい、チェカカサラニプは撚った糸を使用したものをいいます。厳密にはサラニプでも撚る場面がありますが、基本的によらない状態のものをいいます。ではサラニプのどこでよるのかというと、編み機で一段一段を編み始めるときに袋の底となる部分を撚って編みます。これは丸底や壺底のサラニプ(写真7、10、11)に見られる技法で角底のサラニプ(写真8、12、13)の場合はこの撚る技法はありません。こうすることで底の仕上がりが綺麗になると川上まつ子氏はいいます。

 そして、丸底または壺底と角底の違いが次にあります。丸底または壺底を編む際には差し輪という足し糸または内皮(繊維)が施されます。このようにして作られるのがサラニプとチェカカサラニプです。

 また今回もう一つ注目してほしい点は三つ編みの部分であり、写真14、15を見ると三つ編みをするために縦糸を7本(写真14)と8本(写真15)で編まれており、映像資料20000Pでの6本で三つ編みするだけでなく、細さや本数の調整でこのように編まれていることがわかります。

▲写真10 サラニプ(丸底)の底 ▲写真11 サラニプ(丸底)の内部
▲写真12 サラニプ(角底)の底 ▲写真13 サラニプ(角底)の内部角
▲写真14 サラニプ(丸底)の三つ編み部1 ▲写真15 サラニプ(丸底)の三つ編み部2
(川上まつ子氏製作・アイヌ民族博物館蔵)

 

 

編み方や材料の違いによる名称

 

▲作り方や材料の違いによる名称表

 

 以上4種の編み方があり、それぞれに名称がありました。しかし、これだけではなく、大きさによる名称の違いがあります。

 

サラニプの大きさの違いによる名称

 

 次に大きさの違いによって名称が変わるのですが、作り手が変われば呼び名が変わるように一定しているわけではないようなので、今回は『アイヌの民具』(萱野1978)を参考に紹介します。

 最初に一番小さいもので「ポイサラニプ」(小さい袋)といい、容量が1.8リットル入ります。二番目に小さいものが一般的な「サラニプ」(背負い袋)で、容量が9リットル入り、もっとも利用範囲が広い袋です。三番目に「イサロイキプ」(それで働くもの)といい、容量が36リットルあり、穀類の収穫用に使われていました。四番目に「ポロサラニプ」(大きい袋)で容量がなんと108リットル入るそうです。これは主に貯蔵庫の貯蔵袋としての役割だったそうです。最後に「トッタ」(かます)です。これは630リットルの容量を持ち、完全に貯蔵用の袋として使われていました。以上のように5種の大きさがあります。

▼大きさの違いによる名称

 

袋の大きさの名前

容量

備考

小さい

ポイサラニプ
(ポンサラニプ)

1.8リットル

1升ビンが
約1.8リットル

普 通

サラニプ

9リットル

ガソリン携行缶が
10リットル

大きい

イサロイキプ

36リットル

家庭用ゴミ袋(燃えるゴミ)が
45リットル

特 大

ポロサラニプ

108リットル

一般的な浴槽が
約200リットル

超特大

トッタ

630リットル

家庭用灯油タンク(最大)が
約500リットル

   参考:『アイヌの民具』(萱野1978)

 

 

おわりに

 

 ここまでサラニプには4種類の編み方と5種類の大きさがあることを紹介しました。しかし、これは『アイヌの民具』(萱野1978)からの参考・引用であり、特に容量に関しては一概にこうであるとはいえません。ですが、編む材料、編み方、大きさによってサラニプの使い分けがあったことは事実ですし、そこがわかる表などがあれば今後アイヌ文化を学ぶ上で役立てるのではないのだろうかということでまとめさせて頂きました。また、文中で使用したサラニプの種類に関するアイヌ語名称は川上まつ子さんが使っていた言葉で、他の伝承者は別の呼び方をしている可能性があります。それについては今後調べて行きたいと思っています。

 

(注)「一般的な」というのは製法を指しており、赤、紫、緑などのカラフルな糸の色については市販の染料により着色しています。本来はオニグルミやハンノキ類の樹液などから抽出した黒や赤で糸を染めるというのが伝統的な手法で、この作品は川上まつ子氏が販売用にアレンジしたものです。

 

<参考文献>
財団法人アイヌ民族博物館 2002『アイヌ民族博物館 伝承記録6 川上まつ子の伝承 -植物編2-』
萱野茂 1978『アイヌの民具』株式会社すずさわ書店
萱野茂 1996『萱野茂のアイヌ語辞典』株式会社三省堂
田村すず子 1996『アイヌ語沙流方言辞典』株式会社草風館

 

 

 

《アイヌの有用植物を食べる1》オオウバユリ(前)

 

 文:新谷裕也

 

 

はじめに

 

 私はこの春まで3年間、伝承者(担い手)育成事業第3期生としてたくさんのアイヌ文化を学んできました。ここでは研修で実際に食用にした植物について連載したいと思います。第一回はオオウバユリについて紹介します。

 

 

1.オオウバユリ(トゥレプ)とは

 

 アイヌの有用植物の中でこの季節に目立ってくるのがオオウバユリです。

写真1:こぶし程の大きさの鱗茎

 

 オオウバユリは、ユリ科ウバユリ属の多年草です。

 春の雪解けとともに若芽を出し、大きなハート型の葉を四方に広げます。花は7月下旬から8月の中旬に咲きます。北海道、本州(北部、中部)の山地、原野、沢沿い、湿りの多い谷地の夏の林の中などに生え、南千島、樺太(サハリン)にも分布しています。

 アイヌが食用とするのは鱗茎と呼ばれる根の部分(以下「球根」とします)で、大きさは最大のもので径12cm、高さ18cmにもなります。これは大人の男のこぶし程の大きさです。(写真1)アイヌはその球根からデンプンを取り、食用・薬用としていました。

 トゥレプの球根から採ったデンプンは、かつての暮らしの中ではハルイッケウ(食料の要)と言われていて、キトピロ(行者にんにく)とともに重要な食料源でした。

 胆振国幌別(現在の登別市)にはこんな散文説話が伝わっています。

 私は立派な酋長で、妻とも仲良く平和に暮らしていました。するとあるとき、こんなうわさが耳に入って来ました。「東の方から小さな女が娘を連れて、村ごとに村長を訪ね歩いているという。女たちは村長からお椀を借りては、物陰に行ってそれに脱糞をし、それを酋長に食べろといって差し出す。汚がって食べないと、怒って散々に罵倒する」というのです。やがて少女たちは私のところにもやって来て、四方山の話をした上で、うわさの通り椀を貸せと言って物かげに行き、やがてどろどろしたものを椀に一杯に盛ってきて差し出しました。見たところは汚なそうでしたが、よい匂いがするので思いきって食べてみるとなかなかおいしく、妻にも分けて食べさせました。その晩女たちは私たちのところに泊まって私の夢の中に現われ、「私たちはウバユリとギョウジャニンニクだが、喜んで食べてくれて有難かった」とお礼の言葉をのべて消えました。それから私はそのことを部落の人々に教えたので、皆から感謝され尊敬されるようになりました――と浦士別の酋長が物語りました。(更科源蔵・更科光 1976『コタン生物記Ⅰ樹木・雑草篇』より)

 

 他にも「文化神の奥さんがこれを掘って来て川で洗っていると、球根の一つが川に流れ、海に行って亀になった」という昔話もあります。これらはオオウバユリが古い時代から馴染みのある植物であったことを物語っています。トゥレプ・ウシ(ウバユリの沢山あるところ)や、トゥレプタ・ウシ・ナイ(ウバユリをどっさり掘る沢)などと呼ぶ地名がいたるところにあり、これはオオウバユリが耕作された畑のように群生していたことを表しています。

 雌雄異株ではないので雄や雌といった区別は本来されませんが、オオウバユリは花を咲かせるまでに7年〜8年程の時間を必要としており、アイヌ文化で『マッネトゥレプ(雌のオオウバユリ)』と呼んでいるものは種から発芽して1年からだいたい6年目までの花をつけない時期のオオウバユリのことで、花をつけたオオウバユリを『オッカイトゥレプ(雄のオオウバユリ)』と呼んで区別しています。

 『オッカイトゥレプ』には球根はありません。また種を飛ばして子孫を残すためにも取らずに残し、『マッネトゥレプ』だけを採取します。

 

 

2.オオウバユリの利用法

 

 さてアイヌ文化では、上にも述べたように根からデンプンを取り、それを団子にしたり、おかゆに入れて食べたり、腹痛の時の薬にするというのが代表的な利用法です。この球根からデンプンを取る方法は地域によって違いがありますが、白老地方では6〜7月頃、雌のオオウバユリの球根を臼でついてつぶしてから水をかけてこし、デンプンをとるという方法をとります。使うのはデンプンだけではなくて、デンプンをとった後の繊維を発酵させ、ドーナツ状にしたものを干して保存しておきます。これを刻んで水につけ、こして臼でついてから団子を作り、それを汁物やおかゆに入れて食べたと言います。

 今から3年前の2014年6月に、伝承者育成事業第3期の研修でオオウバユリの採取から利用までを実際に行ったので、順次説明して行くことにします。

 

 

3.採取の手順

 

写真2:トゥレプタニ(オオウバユリの根を掘る木)

 

 使った道具はトゥレプタニ(オオウバユリの根を掘る木)(写真2)とカッターだけです。
服装は、林の中に入って行くので、長袖長ズボン、帽子、長靴、ヤッケ、手袋が必要です。
今時期はダニも活発に活動しているので、採取の際は気をつけたいものです。
 まずはオオウバユリのいわゆる雄と雌を見分けることから始めます。

▲写真3 オオウバユリの「雄」

▲写真4 オオウバユリの「雌」

 

 雄のオオウバユリ(以下雄とする)は茎が一本立ちになり、花を咲かせる準備をしています(写真3)。雌のオオウバユリ(以下雌とする)は茎の部分が株立ちです(写真4)。

写真5:左側:雄 右側:雌

 

 

 写真5のように比べて見てもらうとわかりやすいのですが、実際に生えている所を見ても最初はわからないので、わかる人と一緒に採取した方が良いでしょう。2〜3回見て歩けば、区別がつくようになると思います。

 まず雌を見つけて葉っぱをつかみます。1つの株からだいたい3枚〜4枚程葉っぱが出ているので、片手で全部の葉っぱをつかみ、もう片方の手でトゥレプタニを葉っぱが出ている場所の近くに刺します(写真6)。

▲写真6 トゥレプタニの使用法

▲写真7:地面から掘り起こした球根

 

 そして刺したトゥレプタニを倒していけば、トゥレプタニの先が球根に引っ掛かり掘り起こせます。(写真7)最初は力加減が分からないので、葉っぱだけを引き抜いてしまい、肝心の球根は地面の中…ということもありますが、諦めずに何度も挑戦して行けばきれいに掘れるようになります。

 採った株は葉っぱと球根をカッターで切り、球根だけにして持ち帰ります(写真8)。切った葉っぱはそのままにせず「トゥレプ サラ アシ ナンコンナ(オオウバユリの原っぱができますように)!」とアイヌ語で唱えながら地面にばらまきます。(写真9)これは様似町や浦河町に伝わる伝承で、いらない部分を捨てると言うことではなくて「また沢山のオオウバユリが生えますように」という祈りを込めて行うものです。

▲写真8:茎を切り離す

▲写真9:切った葉っぱをまく

 

 ここまでが採取の手順です。少し長くなってしまったので、採取した球根の利用は次回説明していこうと思います。

 

 

 

《伝承者育成事業レポート》プレ『私の一枚』

 

文・写真:伝承者育成事業第四期生一同

 2017年6月9日のアイヌと自然講座は好天に恵まれました。あえて前回と同じコースをたどり、季節の移り替わりに伴う自然の変化について見てみることにしました。鳴いていなかった鳥が鳴くようになっていたり、葉が出ていなかった木に葉が茂っていたり。そして印象に残ったことを前回と同様レポートにまとめてもらいました。写真は半分くらいが研修生自ら撮ったものです。

 

「タチギボウシ」

 

 タチギボウシは東北〜北海道に広く自生する山菜として知られており、アイヌ語でウクルキナといい、アイヌ文化でも食用とされてきたものです。茎や葉を刻んでごはんに入れて炊き込んだり、煮て油をつけて食べたり、干して保存もしていたと伝承されています。

 花期は7月中旬〜8月だと言われており紫色のきれいな花を咲かせます。今回の植物観察は6月の初旬でまだ花を観察することは出来なかったので、また次の機会にぜひ花の観察ができたらなと思っています。(篠田マナ)

 

「ヒバリ」

 

 ヒバリはスズメより少し大きな鳥で、空高くに飛んで行ったり、長いさえずりをするのが特徴的です。アイヌ語でも空高く飛ぶことからリコチリポ(高所へ行く小鳥)、長くさえずることからチャランケチカプ(談判する鳥)などと名づけられています。

 また、アイヌの伝承ではヒバリは太陽の神様に貸しているもの(お金という噂が)を返してほしいと文句を言いながら飛んで行くのですが、太陽まで飛んでいくことができずにあきらめて帰って来てしまうというお話もあります。(川上さやか)

 

「ミズバショウ」

 

 川沿いの美しい湿地に人間の足の長さほどはあろうかという大きく、太い葉脈の沢山走る大きな葉が塊になったミズバショウの個体が何か所にも生え、群生している光景を目にしました。アイヌ語名をパラキナと言い、冬眠明けの熊はこれを食べて腸内にガスを発生させ、体内の宿便を排出してから春の食べ物を食べ始めるのだといいます。熊が冬眠明けにこういった野草を食べて体の調子を整えるという本能を聞くと、自然や動物は本当に凄い、と感じます。(後藤優奈)

 

「バイケイソウ」

 

 ポロト自然休養林のバイケイソウに花が咲いていました。この花は何年かに一度しか咲くことがないと聞き、印象に残ったので改めて調べてみようと思いました。

 バイケイソウはアイヌ語でシクプキナといい「成長する草」という名前がつけられています。これは春先に元気にすくすくと伸びることに由来し、成長が遅くいつまでも立つことのできない子がいると「シクプ!シクプ!」と唱えながらお尻を叩くというような話が残っています。
自分自身、研修生という立場なのでバイケイソウで叩かれないよう頑張らなければと思いました。(早坂駿)

 

「オオセグロカモメ」

 

 ヨコスト湿原に鳥の観察へ行った際に浜辺でオオセグロカモメの親子がいました。成鳥の嘴は黄色で、下嘴の先が少し赤くなっています。足はピンク色です。幼鳥は、サイズがほぼ親と変わらない大きさです。はじめは違う鳥が近くにいるのかと思っていましたが、羽毛がまだ生え替わっていなかっただけでした。北海道アイヌはカモメ類を総称してカピウ、樺太アイヌはマシと呼んでいます。

 ちなみに、砂浜のことをアイヌ語でオタといいます。(米澤諒)

 

「シウリザクラ」

 

 ポロトの森でシウリザクラの花を見ました。アイヌ語でもシウリと呼びます。エゾヤマザクラの開花より少し遅く、6月始めあたりに花を咲かせ、花は穂のような形をしているのも特徴的です。

 アイヌ文化では、この木を猟具や櫂を作る材に使用します。また、実を生や塩漬けにして食べるそうです。どうやらクマもこの実をよく食べるそうです。実をつける時期になると、この木の上でクマが食事をしているかもしれませんね。(山丸賢雄/A.T.)

 

 

 

《伝承者育成事業レポート》イヨマンテでの祈り詞(平取地方)その7

 

 文:伝承者(担い手)育成事業第三期生一同(木幡弘文、新谷裕也、中井貴規、山本りえ、山丸賢雄)、北原次郎太(講師)

 

 

 ここに掲載するものは、名取武光氏が記録したイヨマンテの祈り詞です。名取氏の論文「沙流アイヌの熊送りに於ける神々の由来とヌサ」(『北方文化研究報告 第4輯』、1941年、北海道帝國大學)には、仔グマを連れ帰った場面からイヨマンテを終えるまでの一連の祈り詞54編と、その意訳が収録されています。名取氏の同論文は、1941年に最初に発表され(戦前版)、その後1974年に著作集『アイヌと考古学(二)』に収められました(戦後版)。著作集収録の際、浅井亨氏がアイヌ語の校正をしており、一部解釈や表記が変わりました。

 第3期「担い手」育成研修では、2016年1月頃からアイヌ語研修の一環として、これらの祈り詞の逐語訳に取り組みました。和訳にあたっては、新旧のアイヌ語原文を比較しましたが、ここでは戦前版での表記とアイヌ民族博物館で用いられている表記法(辞書で引けるような表記)で書いたものを並べ、戦後版については必要に応じて引用しています。なお、原典では改行せずに書き流していますが、ここでは、一般的な韻文の形式で、一行と考えられる長さごとに改行しています。それぞれの最後に、名取武光氏による意訳をのせています。

 今回は、そのうち17、18、19を掲載します。 (→その1 →その2 →その3 →その4 →その5 →その6

 参照した辞書の略号は次の通りです。

【太】:川村兼一監修、太田満編、『旭川アイヌ語辞典』、2005、アイヌ語研究所
【萱】:萱野茂、『萱野茂のアイヌ語辞典 [増補版]』、2002、三省堂
【久】:北海道教育庁生涯学習部文化課編、『平成3年度 久保寺逸彦 アイヌ語収録ノート調査報告書(久保寺逸彦編 アイヌ語・日本語辞典稿)』、1992、北海道文化財保護協会
【田】:田村すず子、『アイヌ語沙流方言辞典』(再版)、1998、草風館
【中】:中川裕、『アイヌ語千歳方言辞典』、1995、草風館

 

 

 

17)Nusakorokamui-ko-itak(Murukutanusa)
幣所の神への祈詞

 

戦前版の表記 新表記 和訳
Taneanakkune tane anakne 今は
medotushikamui metotuskamuy 山奥にいます神の
kamuiponbehe kamuy ponpehe 神なる稚児
ikoireshu ikoyresu の育成を
akirokkus a=ki rok kusu 私がして
pakorokuni pa kor kuni 年を越すとき
newakusu ne wa kusu ですので
taneanakkune tane anakne 今は
tapaniomande tapan iyomante この熊送りを
akitekisama a=ki teksama 我々がする一環として
shyoynuchipata soyun cipa ta 外の祭壇で
inauukkamui inawukkamuy イナウを受け取る神が
inneyakka inne yakka 大勢いるけれども
ikiripaketa ikir pake ta その上手で
kiannekamui kiyanne kamuy 年上である神
nusakorokamui nusakorkamuy 祭壇の神
kamuiekashi kamuy ekas  神の翁が
eneakushitap e=ne a kus tap 貴方であるので
tapaninau tapan inaw このイナウを
uweunnopo uweunnopo 全部揃えて
tonototura tonoto tura 酒と一緒に
aeekoongami a=e=koonkami 私が拝礼する
sekoranshiri sekor an siri という様子
newaneyakkune ne wa ne yakne であるならば
tapaniyomap tapan iyomap この愛子を
amandesama a=omante sama 私が送るその側で
chikopunkine cikopunkine 守護を
aiekarakarawa a=i=ekarkar wa 貴方が私にして
tankamuitennep tan kamuy tennep この神の赤子が
shinotteksama sinot teksama 遊ぶ側を
chikopunkine cikopunkine 守護することを
aekarakarahine a=ekarkar hine 貴方がして
chikopaoyara cikopaoyar 抗議をうけること
hoisamunopo koysamnopo 無く
pirikashinot pirka sinot 良い遊びを
kikunihi ki kunihi するように
chikopunkine cikopunkine 守護を
aekarakarawa a=ekarkar wa 貴方がして
shiramuyeyarakuni siramuyeyar kuni (貴方が)褒められるべく
aekopunkine a=i=kopunkine  守護を
kinankonna. ki nankor_ na. なさいますよう。

 

 

17.名取意訳

 神様は数々ありますが、一番年上の幣所の神よ(Nusakorokamui)、この仔熊を送る時に、心配な事は、若し人が怪我するか、人が殺されるか、そんな悪い事無い様に、幣所の神様気を附けて、仔熊は何も悪い事はしないで遊ぶ事が出来る様に、幣所の神様に頼みますから、何も間違いなく仔熊が遊ぶ様に、気を附けて下さる様お願申します。

 

 

 

18)Imoshikamui inonnoitak(Paseramunusa)
パセラムヌサの荒神に申す祈詞

 

戦前版の表記 新表記 和訳
Tappanakkune tap anakne  これは
oinakamui oynakamuy 偉大な神
epengekusu epenke kusu  その上手から?
koroupashikuma kor upaskuma   伝わる物語
newatappne ne wa tap ne   であって
kunineanbe kuni ne an pe   事情により
ainunipo aynu nippo   人間の子孫
kokimate pe kokimatek pe[1]   が恐れること
nehiorota ne hi oro ta   が起きたときに
kamuipasekuru kamuy pasekur 神なる尊い人
chitekeniship ci=tekenisuk.  を私たちの手で招いて願う。
ainunipo aynu nippo  これは人間の子孫
kitatuhu ki katuhu   がすること
shomotapanna somo tapan na.  ではありませんよ。
oinakamui oynakamuy  偉大な神の
monorokashipe monoro kaske   やり方に
aekoshikirup a=ekosikiru p   私たちが倣うもの
nehitapanna ne hi tapan na   ですよ。
tanbekushitap tanpe kus tap   このため
paseramunusa pase ramu nusa 尊い低い祭壇
akokorokunip a=kokor kuni p[2]  を私たちが設けるべき
imoshikamui imoskamuy 魔除けの神
kamuiekashi kamuy ekasi 神の翁
newakushitap ne wa kus tap であるので
kunineanbe kuni ne an pe 事情により
ainunipo aynu nippo   人間の子孫
hokimatepe kokimatek pe[3]   が恐れること
nehioruta ne hi oro ta が起きたときに
ukoshikiru ukosikiru 互いに向いて
anwakushitap an wa kus tap いるので
akoinaukorope a=koinaw kor pe 私たちが木幣を捧げる
kamuineaiyak kamuy ne an_ yak  神であるならば
eitapakno neyta pakno   いつまでも
seremakkashi sermak kasi 背後で
chikopunkine cikopunkine 私たちを守護して
aiekarkanna. a=i=ekarkar_ na. くださいよ。

 

18.名取意訳

 荒神様(Imoskamui)よ、どうぞお頼み申します事は、何かアイヌの家に、大変困る事ある時、何時でも頼むけれども、私自分一人の考へでなく、オイナカムイの古伝(Upashikuma)から初って居るので、其の力で頼むのであります。若し何か大変な災難のある時、頼みを引き受けて呉れる荒神様であるから、お頼みする事が時々ありますから、今迄の様にあくまで私を守ってください。お頼みします。

 

 

19)Hashiinauukkamui anure inonnoitak.
狩の神への祈詞

 

戦前版の表記 新表記 和訳
Hashiinauukkamui hasinawukkamuy 狩猟の神 
kamuipasekuru kamuy pasekur  神なる尊い方 
aekoitakkarawa a=e=koitakkar wa  私は貴方に対して話して
medotushikamui metotuskamuy  山奥にいます神の
kamuiiyomap kamuy iyomap  神なる愛子を 
aekotekamui a=hekote kamuy  私の頼みにしている神の 
kirisamuoroke kirsamorke  側で
aekoireshu a=ekoiresu  私が育てました 
itekkusama iteksama  その側で 
akoyaiaptetura a=koyayapte tura  心配しながら 
akoroireshu a=kor iresu  してきた私の養育 
nerokkusu ne rok kusu  であったので 
taneanakkune tane anakne   今は 
nishiashinoshukup nisasnu sukup  健康に育ち 
kamuiiyomap kamuy iyomap  神なる愛子が
kiiwatapne ki wa tap ne  成長して
taneanakku tane anak   今は 
tokorokuni to kor kuni  来るべき日がきた
newakushitap ne wa kusu tap  のであって 
taniyomante tan iyomante  このクマ送り儀礼 
akietokushi a=ki etokus 私がもうすぐ 
kishirihi ki sirihi  する様子 
newaneyakku ne wa ne yak であるなら
tapankamui tennep tapan kamuy tennep  この神の稚児が
shinottekkusama sinot teksama  遊ぶそば 
aekoiyayapte a=ekoyayapte   私は心配に思う 
kihimashikinka ki hi maskin ka  そのことも
chikopunkine cikopunkine  貴方が守ることを 
aiekarakarawa a=i=ekarkar wa  してくれて 
pirikashinot pirka sinot  良い遊び 
kikunihi ki kunihi  をなすとき
teksamuoroke teksamorke その側の所 
chikopunkine cikopunkine  貴方が守ることを 
aiekarakarawa a=i=ekarkar wa して 
aikoreyakkune a=i=kore yakne  下さったならば
hashiinauukkamui hasinawukkamuy  狩猟の神として 
eyaikotomuka e=yaykotomka   貴方はふさわしい 
kinankorona. ki nankor na.  でしょうよ。

 

 

 

19.名取意訳

 心配だから、この仔熊を養う其の前に、狩猟の神様(Hashiinauukkamui)にお頼みした事は、この熊の仔は、達者になって、病気しなく育つ様に、気を付けてたのみます、と云う事を前に頼んだ其の通りに、病気もしなく、達者になって今迄育ったのであった。けれども今送る時節になったから、今この熊の仔を送るのであるけれども、若しも人が怪我したり殺されたりする様な間違いが出来れば困るから、其の様な事の無い様にお願します。

 

 

[1]戦前版はkokimatepeですが、名取自身が「困る事」という訳をつけているので、そこから推測してkokimatek pe「恐れること」と解釈しました。

[2]kokorは直訳すると「~に対して~を持つ」。この場合は、imoskamuyに対して特別な祭壇を設置して祀ることをこのように表現しています。

[3]戦前版はhokimatepeですが、注1と同様に解釈しました。

 

 

 

《伝承者育成事業レポート バックナンバー》

女性の漁労への関わりについて 2015.11

キハダジャムを作ろう 2015.12

ウトナイ湖野生鳥獣保護センターの見学 2016.2

アイヌの火起こし実践ルポ(前編) 2016.3

アイヌの火起こし実践ルポ(後編) 2016.4

ガマズミ・ミヤマガマズミの見分けについて(山本りえ)2016.11

「ハンノキについて学んだ者が物語る」(中井貴規)  2016.12

イパプケニ(鹿笛)について(新谷裕也) 2017.1

サパンペ(儀礼用冠)の製作について(木幡弘文) 2017.2

 

 

イヨマンテの祈り詞(平取地方)その1 2016.12

イヨマンテの祈り詞(平取地方)その2 2017.1

イヨマンテの祈り詞(平取地方)その3 2017.2

イヨマンテの祈り詞(平取地方)その4 2017.3

イヨマンテの祈り詞(平取地方)その5 2017.4

イヨマンテの祈り詞(平取地方)その6 2017.4

 

 

 

 

 

《ポロトコタン私史3》アイヌ民族博物館デジタルアーカイブのいま

 

 文:安田益穂

▲新谷裕也さん(左)と木幡弘文さん(右)

 

 

はじめに

 

 この4月から私の職場に2人の新人が配属されました。新谷裕也さんと木幡弘文さん(写真)。この3月まで3年間、伝承者(担い手)育成事業の第3期生としてアイヌ文化を修め、当館のデジタルアーカイブ担当となりました。本誌今月号では2人がそれぞれ原稿を書いて、能力の片鱗を見せてくれています。この1年で博物館資料のデジタル化が一気に加速することを期待したいと思います。

***

 さて、6月3日・4日、慶応義塾大学湘南藤沢キャンパスにおいて、第41回日本口承文芸学会大会が開催され、私は非会員ながらシンポジウムのパネラーとして参加する機会をいただきました。シンポジウムのテーマが「口承文芸デジタルアーカイブの課題と展望」ということで、前号のトピックスでもとりあげた「アイヌ民族博物館アイヌ語アーカイブ」についてご紹介しました。学会発表といっても難しいことは私はにはできませんので、30分ほど実際にブラウザを動かして説明しただけですが、何とか役目は果たせたのではないかと思います。 以下、その概要を掲載します。(いくつかの表は今回追加しました)

 

(学会発表要旨)はじめに

 

 アイヌ民族博物館の安田と申します。私は博物館に勤めて22年になりますが、パソコン相手の仕事ばかりしてきて、人前で話すのは得意ではありません。今回も司会の中川裕先生(千葉大学教授、大会委員長)からお話があった時、即座に断ろうと思ったのですが、25年前、東京で社会人対象のアイヌ語教室で中川先生の教えを受け、学問に無縁だった私が博物館に勤め、定年の年にこういう機会をいただいたのも何かの縁かと思い、お引き受けした次第です。最初で最後の学会発表になると思いますが、どうか不慣れな点はご容赦願います。

 私の発表では、
1.アイヌ語アーカイブの成り立ち(資料と語り手、スタッフなど)
2.アイヌ語アーカイブの概要(特長と構成)
3.利用の実際(ブラウザ画面を使って)
4.今後の可能性
についてお話ししたいと思います。

 

1.アイヌ語アーカイブの成り立ち


⑴ アイヌ語資料と語り手→語り手のプロフィールなど

 アイヌ民族博物館では、1976年の設立から2000年ごろにかけ、道内各地、とりわけ日高地方のアイヌ語話者・アイヌ文化伝承者を対象に聞き取り調査を実施しました。聞き手は博物館の学芸職員らで、調査内容は録音・録画テープに記録しました。その後、伝承者は相次いで亡くなり、担当した学芸員もほとんどは退職、後には膨大な記録資料が未整理・未公開のまま残されました。

⑵ 資料のボリューム

 音声資料は全体で670時間。内訳は、
 ①アイヌ語で語られた口承文芸資料 103時間
 ②同じ物語を日本語で語り直したもの 34時間
 ③その他民俗調査が 533時間 です。

 また④儀式や芸能、建築、工芸技術などを記録した映像資料が約500時間分あり、これは現在整理中です。

 

①口承文芸

(アイヌ語)

②口承文芸

(日本語)

③民俗調査等

(聞取り調査)

④映像資料

合計

総 数 355話 105話     460話
103時間 34時間 533時間   670時間
      500時間 500時間
公開済 73件   16件 4件 93件
30時間   11時間 2時間 43時間

 

 今回はそのうち、日高地方のアイヌ語の物語を中心に93件、約43時間分の資料を公開しました。これは従来当館で出したA4判200ページの民話ライブラリ約20冊分に相当します。作った側からすれば結構な量に思えるのですが、このペースだと、民俗や映像を含めて全部公開するのに約28年間かかる計算です。

⑶ アナログ資料のデジタル化

 デジタルアーカイブの作成には、アナログ資料のデジタル化が前提になります。ここでいうデジタル化は、ハードディスクなどに入れてパソコンで再生できるデータを指していますので、そういう意味ではDATやDVminiなど、再生機器が失われつつある前世代のデジタルテープもデジタル化が必要です。

 先ほど述べた当館採録音声資料670時間はほぼデジタル化が済んでいますが、これはデジタル化が必要なメディアの約20%に過ぎません。まだ3000時間分が残っています。民間博物館にこれをデジタル化する予算はなく、現在は文化庁の〈アナログ音声資料のデジタル化〉事業の支援に頼っているところです。

▼デジタル化の推移

種別 原資料(アナログ) デジタル化1 デジタル化2 デジタル化3
音声資料

カセット、オープンリール

(1976〜)

DAT

(1990〜)

CD

(2008〜)

HDD(wav.aac)

(2011〜)

映像資料

16mm映画、35mm映画、

Uマチック、8ミリビデオ

DV

(1996〜)

DVD-Video

(2005〜)

HDD(mp4,mov)

(2015〜)

 

▼今後デジタル化が必要な資料数(2017年5月調べ)

  媒体 本数 収録時間(h)
音声資料 カセットテープ 637 730
DAT 413 772
映像資料 8mmビデオ 141 212
DVmini 390 390
DVCAM 115 256
DVCPRO 16 18
VHS 588 671
  2,300 3,048

 

⑷ 実施体制→詳細

 当館採録の音声資料670時間分については、聞き起こしはほぼ済んでいます。これは2011年度から3年間、文化庁の補助を得て実施しました。アイヌ語の口承文芸資料約100時間分の対訳はベテランが担当しましたが、アイヌ語混じりの日本語で語られている540時間分は、アイヌの若手3名が担当しました。彼女らは当館で実施した若手アイヌの研修プログラム「伝承者育成事業」の修了生らです。本来は親から子、子から孫へと受け継がれるべきアイヌの伝承ですが、録音を通じてとはいえ、3年間毎日アイヌ古老の話を聞いたことは、彼女らにとってもかけがえのない経験だったろうと想像します。

 彼女らの作成した文字データは、ベテラン学芸員や外部のアイヌ語研究者が校閲し、その成果の一部はその後「アイヌと自然デジタル図鑑」として当館ホームページで公開され(「アイヌの伝承」タブ)、人気コンテンツになっています。手前味噌になりますが、これだけの規模のアイヌ語資料を短期間で文字化したプロジェクトはおそらく他になく、若手とベテラン、アイヌと和人研究者の協働は、今後のモデルとなるのではないかと思います。

 

2.アイヌ民族博物館アイヌ語アーカイブの特長と構成

 

⑴ 特長

 次に、アイヌ民族博物館アイヌ語アーカイブの特長をあげます。

「非破壊アーカイブ」 音声や映像などメディアファイルを細切れにせず、一本のファイルのままアーカイブ化しています。
全文データベース 聞き起こした全文文字データにさらに対訳・注釈・文法情報などを加え、また音声・映像メディアとの連動を図るため行ごとにタイムコードをつけています。
同期再生 カラオケの歌詞のように、現在再生している箇所を文字データ上でハイライト表示し、自動でスクロールします。
ダイレクト再生 テキスト検索でヒットした単語を、検索結果画面から直接再生します。また全文表示に移行して任意の行から再生することもできます。
多様な検索機能 単語検索、資料検索、辞書検索が利用できます。
多様な表示方法 アイヌ語のカナ・ローマ字表記、逐語訳、グロスなどを表示・非表示することができます。
二次コンテンツへ その物語を原作とするデジタル絵本や挿絵など、二次コンテンツを表示します。


⑵ 画面構成

 次にアーカイブ全体の画面構成を図に示しました。

 基本的には単語や資料名などで検索し、結果一覧の中からどれかを選び、文字データを見ながらメディアを再生する、という流れです。


 ここからはブラウザを使って実際のアーカイブを見ていただきながら説明します。

 

3.利用の実際

 

⑴ トップページ

 URLにainugo.ainu-museum.or.jpを入れると、トップ画面が表示されます。

 左のメニューの下にアイヌ語表記法の選択ボタンがあります。アイヌ語にはカナ表記とローマ字表記がありますが、ここでどちらかを選べば、その後はいちいち選ぶ必要がありません。初めての人はカナ、アイヌ語学習者はローマ字が良いでしょう。ここではそのままにしておきます。

検索方法

 トップ画面は検索画面を兼ねています。

 検索は大きく分けて、「単語を探す」と「資料を探す」の二つがあります。単語検索では「辞典」「アイヌ語資料」「全文」のうちから対象を指定します。

 では試しに「コタン」で検索してみましょう。検索窓に「コタン」と入れて、実行します。

 検索結果が表示されました。

⑵ 単語検索結果画面


 「検索結果(全文から)」では、映像・音声資料の全文テキストから結果を表示します。「コタン」を含む行が106件ヒットしました。スクロールして全件確認できます。同様に「検索結果(アイヌ語資料から)」には667件、「検索結果(辞書から)」には部分一致も含め、23件ヒットしました。「コタン」は「村、集落」の意味だということがわかります。

 辞書は一番下に表示されますが、ヘッダーにも同じ検索窓があって、こちらは別の画面を表示中でも単語検索ができるように、別ウィンドウに検索結果が表示されます。

 今見た三つの検索結果から、最初に「アイヌ語資料から」、すなわち口承文芸資料を見てみましょう。

 行頭にスピーカーアイコンがついた行が並びました。スピーカーをクリックすると、その行の音声を聞くことができます。先ほど「ダイレクト再生」と呼んだ機能です。スピーカーのアイコンではなく、行の任意の場所をクリックすると、画面が左右2分割画面になり、右画面にその行を含むアイヌ語音声資料が表示されます。

⑶ 検索結果(左)とアイヌ語全文表示

 右画面には、「スズメの恩返し」という民話の、今選択した箇所が表示されています。この画面にもスピーカーがありますので、クリックします。現在再生中の行がピンク色にハイライトされ、5行ごとに自動でスクロールします。アイヌ語はカナ表記が選択されていますが、トップ画面でローマ字を選んだ人は、どのページもローマ字で表記されます。画面下にボタン類が並んでいますが、ここでカナ、ローマ字を選択することもできます。

 左の検索結果画面から、別の行をクリックすると、右のアイヌ語全文表示画面も変わります。

 ちなみに、「絵本」と書いてあるボタンをクリックすると、別画面が現れ、この民話を原作とするデジタル絵本がYOUTUBEから表示されます。

 先ほど見た3つの検索結果から、今度は(全文から)の行をクリックしてみましょう。

⑷ 映像資料の全文表示(右画面)

 右画面には、フィルムアイコンがついた行が並んでいます。

 20000番台は映像資料です。フィルムをクリックすると、別画面でYOUTUBEから儀式の映像が表示されました。葛野辰次郎さんという高名な伝承者の儀式映像です。映像資料も文字データとリンクして同期再生されているのがわかりますね。再生にあわせて文字がハイライト表示され、5行ごとに自動でスクロールします。

 検索結果画面(全文から)を下にスクロールすると、30000番台は音声資料です。

⑸ 音声資料の全文表示(右画面)

 34600をクリツクすると、右画面には、先ほどと同じ「スズメの恩返し」という民話が日本語で語られています。バイリンガルなのでこのようなことができるわけです。

 単語検索のあらましがご理解いただけたかと思います。

 

⑹ 資料検索

 一旦トップ画面に戻り、今度は資料検索を試してみます。

 検索窓に何も入れずに「資料を探す」をクリックすると、登録されている全件が表示されます。

⑺ 資料検索結果

 キーワードに「犬」と入れて検索してみましょう。
(音声資料から)には「川上まつ子の伝承 疱瘡神について」が1件だけヒットしました。 これをクリックすると、分割画面になり、左画面に資料カードが表示されます。目次の最初の行をクリックすると、さらに右画面に全文が表示されます。

⑻ 資料カード(目次)と全文表示

先ほどの「犬」の検索結果画面で、(アイヌ語資料から)には「白い犬の水くみ」という民話がヒットします。


アイヌ語全文表示画面の下には、いろんなボタンがずらっと並びます。
「挿絵表示」をクリックすると、場面に応じたイラストが表示されます。

⑼ アイヌ語全文表示と二次コンテンツ(挿絵)

 まだテスト段階で、この物語だけしか入っていませんが、物語の場面に応じて絵が切り替わります。一種の紙芝居ですね。今後ここに力を入れたいと思っています。

 ではブラウザ画面はこれぐらいにして、最後に今後の可能性についてお話しします。

 

4.今後の可能性

 

⑴ アイヌ語口演の復興

 デジタル口承文芸アーカイブは、様々な可能性を持っています。その一つが実演からアーカイブ、アーカイブから実演への循環、すなわちアイヌ語口承文芸の復興です。

 アイヌ民族博物館は2020年に国立博物館に生まれ変わります。そこでアイヌ語の口承文芸を実演するとしたら、何ができるでしょうか?

 写真は「オルシペ アヌ ロー」(お話しを聞きましょう)というイベントの一コマです。数年前から、隔週土曜の午後、伝統家屋の炉辺でアイヌ語の物語の実演をしています。聞き手はアイヌ語がわかりませんので、最初に物語の内容を解説し、アイヌ語の語りの間、聞き手はレプニと呼ばれる棒で囲炉裏を叩いたり、配布されたプリントを見たりします。

 これも良い試みですが、デジタル絵本のように、話の展開に合わせたイラストに日本語訳を入れてプロジェクターで映写し、音楽も入れる。そして実際に目の前の人がアイヌ語で語れば、本物のアイヌ語口承文芸がオリジナルの形で体験でき、より楽しく、より理解して聴けるのではないかと思います。

⑵ 新しいアイヌ語辞書へ

 もう一点だけ今後の可能性に触れておきたいと思います。それは新しいタイプのアイヌ語辞書です。先ほどご覧いただいたように、単語を検索すると、音声つきの例文がどんどん蓄積されます。また、アイヌ語テキストは単語レベルでデータベース化し、言語学者が文法情報(日本語グロス)をつけ始めています。また、今回のアイヌ語アーカイブでは、今後数冊のアイヌ語辞書を電子辞書化し、公開を予定しています。今までは言語学の専門家は館内にはいませんでしたが、今後は言語学の優秀な研究者が加わることになるでしょう。今までにないアイヌ語辞書が生まれることが期待されます。

 以上、とりとめのない話になりましたが、今後の展開にご期待ください。

(参考)アイヌ民族博物館アイヌ語アーカイブ 技術情報  
⑴ 開発環境
  オペレーションシステム(OS) FreeBSD 10.3 
データベース mysql56-server-5.6.34 
プログラミング言語 php56-5.6.25_1 
Webサーバソフトウェア apache24-2.4.25 
⑵ 利用環境
  インターネットを利用可能なパソコン、タブレット端末。(スマートフォンは未対応)
ブラウザ Google Chrome、Firefox、Opera、Safari
MS Internet Explorer(推奨しません)
⑶ データベーステーブル構成(MySQL)
  media 媒体情報 音声・映像資料の資料情報を管理する。
chapters 媒体_目次 音声・映像資料の目次データを収納する。
text̲lines 媒体全文_行 資料全文データを収納する。
contents コンテンツ情報 アイヌ語資料(口承文芸、会話、歌、祈り詞)のタイトル情報を収納する。
cont̲lines コンテンツ行 アイヌ語対訳表示のデータを収納する。
words コンテンツ_単語 アイヌ語資料を単語レベルで収納し、逐語訳、文法タグのデータを収納、表示する。
changes 新着情報 トップページの「新着情報」の表示データを収納する。
dict̲entries 辞書 アイヌ語辞書データ全文を収納する。
informants 話者・出演者 インフォーマントの情報を収納する。
m̲dialects 方言 検索条件の「地域」を管理する。
⑷ データベース構成
  MySQL1(公開用、サーバ上) ユーザーがブラウザを通じて自由にアクセスする。ログイン不要。
MySQL2(テスト用、サーバ上) 公開用と同じものだが、ログイン管理を行う。テスト用環境で、OKとなれば公開用に同じデータをアップする。
FileMaker(リモート) サーバ領域のwindows上にあり、filemaker(ローカル)とMySQLをODBCで中継する。
FileMaker(ローカル) 館内管理者がデータを作成、編集するために使用
⑸ WEB公開
  アイヌ民族博物館アイヌ語アーカイブ http://ainugo.ainu-museum.or.jp

 

 

[ポロトコタン私史 バックナンバー]

1.樹齢20年のカツラ 2017.1

2.1996-1997 チセ火災と再建の3カ月 2017.2

 

[トピックス バックナンバー]

1.「上田トシの民話」1〜3巻を刊行、WEB公開を開始 2015.6

2.『葛野辰次郎の伝承』から祈り詞37編をWEB公開 2015.9

3.第29回 春のコタンノミ開催 2016.5

4.アイヌ民族博物館アイヌ語アーカイブを公開 2017.5

 

【儀式見学の予備知識 バックナンバー】

1.式場とマナー 2016.6

2.祭神⑴ 家の神々 2016.7

3.祭神⑵祭壇の神々 2016.8

4.儀式の日程と順序⑴開式まで 2016.9

5.儀式の日程と順序⑵開式からの流れ 2016.11

 

[資料紹介]バックナンバー

1.映像でみる挨拶の作法1 2015.10

2.映像でみる挨拶の作法2「女性編」 2015.11

3.映像で見るアイヌの酒礼 2016.1

4.白老のイヨマレ(お酌)再考 2016.3

 

[今月の絵本 バックナンバー]

第1回 スズメの恩返し(川上まつ子さん伝承) 2015.3

第2回 クモを戒めて妻にしたオコジョ(川上まつ子さん伝承) 2015.4

第3回 シナ皮をかついだクマ(織田ステノさん伝承) 2015.5

第4回 白い犬の水くみ(上田トシさん伝承) 2015.7

第5回 木彫りのオオカミ(上田トシさん伝承) 2015.8

 

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