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休刊のお知らせ |
旧アイヌ民族博物館の合併・閉館に伴い、『月刊シロㇿ』はしばらくの間、休刊します。なお、バックナンバーは従来通り閲覧できます。(2018.5.14) |
文:北原次郎太(北海道大学アイヌ・先住民研究センター准教授)
▲道南バス「アイヌ語でご案内します」
HP(https://www.frpac.or.jp/event/direct/2018aynu_itak_ani_a=i=siramkire_kusu_ne/index.html)
リーフレット(https://www.frpac.or.jp/event/direct/2018aynu_itak_ani_a=i=siramkire_kusu_ne/bus01.pdf)
要旨
・アイヌ語を日常的に使用する上ではいくつかのハードルがある。
「学ぶ場の不足」「新しい語彙の不足」「使う場の不足」
・「アイヌ語アナウンス」は公共空間にアイヌ語が響く空間を作る試み。
・きっかけは「うちなーぐちの機内放送」。
・アイヌ語の存在感を高めるだけでなく、実践的に使うことが目的。
2018年4月1日から、道南バス株式会社が運行する路線バスの一部(平取町内を運行する区間)で、アイヌ語による車内アナウンスがはじまりました。アナウンス実施に至る経緯と狙い、実際のアナウンス作成までのあれこれを紹介します。
アイヌ語を学びたいという声は以前よりも耳にするようになりました。この10年ほどの間に、アイヌ語のデータベースも複数の機関で整備され、方言別・難易度別の教科書と副教材(カルタ・数字カード・陣取りゲーム・すごろく)が作られました。また、アイヌ語の物語・歌・言葉遊びを題材としたアニメーションなどが作成され、オンラインで遊べるゲームも作られるなど、以前に比べれば素材は増えてきました。学習法では、ニュージーランドとの交流を進めてきた方々により「テアタアランギ」というマオリ語のユニークな学習法が紹介され、いくつかの地域で実践されています。
方言別教科書の例 | |
・(公財)アイヌ文化財団「アイヌ語教材テキスト」入門・初級・中級 | |
(https://www.frpac.or.jp/web/learn/language/dialect.html) | |
データベースの例 | |
※アイヌ民族博物館、アイヌ文化財団は、現在は合併し「アイヌ民族文化財団」となっています。 |
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・二風谷アイヌ文化博物館 | |
(http://www.town.biratori.hokkaido.jp/biratori/nibutani/culture/language/) | |
・新「アイヌ民族博物館アイヌ語アーカイブ」 | |
(https://ainugo.nam.go.jp/) | |
・(一財)アイヌ民族博物館「アイヌと自然デジタル図鑑」 | |
(https://ainugo.nam.go.jp/siror/dictionary/) | |
・国立国語文化研究所HP「アイヌ語口承文芸コーパス」 | |
(http://ainucorpus.ninjal.ac.jp/corpus/jp/) | |
・アイヌ民族文化研究センター「ほっかいどうアイヌ語アーカイブ」 | |
(http://ainugo.hm.pref.hokkaido.lg.jp/generalSearch.aspx) | |
アニメーション・デジタル絵本の例 | |
・(公財)アイヌ文化財団「アイヌのお話アニメ オルㇱペスウォㇷ゚」 | |
(https://www.frpac.or.jp/web/learn/language/animation/index.html) | |
・(一財)アイヌ民族博物館「アイヌ語アーカイブス」 | |
(https://ainugo.nam.go.jp/takar/book/) | |
ゲームの例 | |
・千葉大学人文社会科学研究科地域研究センター「アイヌ語児童教材」 | |
(http://cas-chiba.net/japan/children.html) | |
新聞社によるアイヌ語表記導入と発音解説 | |
・北海道新聞社「アイヌ語小文字発音講座」 | |
(https://www.hokkaido-np.co.jp/movies/list/ainugo) | |
・子供向け新聞『まなぶん』のアイヌ関連記事 | |
(https://www.hokkaido-np.co.jp/manabun/mintara/) |
教科書は文法を項目別に学ぶもの、シチュエーションごとにそこで使えるフレーズを覚えるもの、物語などの長文テキストを読解するものなどが作られています。
書店にならぶ外国語教材を見ると、達成目的(「最低限通じる!」や「豊かな表現を身に付ける」など)や学習法、独習か講師が使うものかなどの違いによって、さらに様々な学習教材があります。例えば、おなじみの単語集、熟語集などに加え、イラストを主とした指さし会話帳、料理やマナーを対象言語で教えるもの、飲食、宿泊、販売、交通、医療や地域紹介など、目的別のフレーズ集、対象言語でメモ・日記を作成するマニュアルなどなど。アイヌ語教材についても、同じようにニーズに合わせた物が作られると良いでしょう。「アイヌ文化担い手育成事業」では、日記作成や飲食店での会話帳作成を試行していますが、ベーシックな文法学習や長文読解に「使ってみる」要素が加わることで、学習に活気が出ることを実感しています。
アイヌ語やほかの先住民の言語においては、現代の生活を表現する語彙の不足が共通の課題となっています。その社会で活発に使用されている言語では、生活の変化に応じておのずと言葉や言いまわしが作られていきます。例えば日本語では、近代に西洋から思想や技術を輸入し、生活様式が大きく変化するなかで、それらに対応する語彙や表現を急激に増やしました。
いっぽう、アイヌ語でも、新たな語彙を作る試みはありました。たとえば樺太方言には蒸気船を意味する「uncikoropencay(火を持つ弁財船)」がありますし、音声を録音することを「テープ onne uh(テープへ取る)」と表現します。北海道方言では「機械 or omare(録音機械に入れる)」と言った例があります。また、写真を撮ることをnokauk(像を取る)と言いますし、有線放送を「ahawkorep(声を与えるもの)」と表現します。また既存の語彙を応用した例もあり、旭川では英雄詞曲に現れるレーダーのような道具「ramatunsikso(魂のこもった目の表面)」を、テレビの意味で使った方もいます。
しかしながら、アイヌ語は行政上の手続きなど公的な場では使用できないうえ、アイヌ民族に対する差別が放置(差別を禁ずる法令や社会的な制裁が講じられない)され、事実上使用できない状況におかれてきました。このため、新しい言葉を作る試みはあったものの、それが普及し共有されることがありませんでした(1 。
そこで、近年は各地でアイヌ語を学ぶ人々が新語や、既存の語彙の意味を拡大した新しい表現を作っています。こうした表現を使いながら洗練していくことと、共有・普及が今後の課題です。
アイヌ語を学ぶには、今のところ独習するか、各地域で開催されている学習会や大学の授業を受けるしかありません。地域の学習会も大学の授業も、安定的に開かれている所はごくわずかで、アイヌ語を学びたい、アイヌ語で子供たちを育てたいという声にこたえられるものではありません。
これは、アイヌ語を「使う場」が限られるということでもあります。学習者は地理的に離れてくらしていることが多く、地域のなかでも少数派です。そして、アイヌ語学習は私的な時間を使って行われます。私的な空間の外、つまり学習者にとっての日常の大部分は、アイヌ語を使う場ではありません。語学習得のためには、留学などその言語が日常的に使われている場にくらすことが有効です。アイヌ語にもそのような空間を作ること、周囲からもアイヌ語が聞こえてくる、簡単な単語くらいは地域の人びとが知っている、そんな環境をつくることができれば、アイヌ語復興にとって大きな力になることは確実です。
その端緒として、学校という空間をアイヌ語が使用できる場所にすることが考えられるでしょう。学校はアイヌ語への圧迫が進んだ場所の1つでした(2 。教師は学校の中で圧倒的に強い立場にあり、教員による承認がなければ、あらゆる活動が抑圧を受けます。言い換えれば、教師による承認があれば、アイヌ語使用の心理的ハードルはぐっと低くなります。例えば、校長がアイヌ語にそっぽを向いている学校と、全校集会で校長がアイヌ語であいさつする学校では、後者の方がアイヌ語が使われやすいことは想像に難くありません。イランカラㇷ゚テキャンペーンなどのアイヌ語普及策は、社会全体に働きかけることと同時に、こうしたポイントを押さえた進め方をすることで効果を生むのではないでしょうか(3 。
なお、千歳市の末広小学校や平取町の二風谷小学校、札幌市の北九条小学校、東苗穂小学校、釧路市の明輝高校などでは地域からゲスト講師を招いてアイヌ語・アイヌ文化の授業を行っています(4 。これらは個々の学校や教員の個人的熱意によって支えられているものです。公教育の中にアイヌ語教育を正式に導入すること、そのために教員養成の過程にアイヌ語を正課として組み込むなど、教育行政全体の取り組みに拡大していくことが求められます。
アイヌ語アナウンスを考えたのも、上に述べたようにアイヌ語が使われる空間を作ることの必要性を感じたためでした。近年はアイヌ語弁論大会への出場者が増えたばかりでなく、各出場者の目標や実力も全体的に高くなってきたと感じます。また、各地で神事が行なわれ、アイヌ語で祈り詞があげられることも、一般的になりつつあります。これらはとても重要なことですが、それはやはり特別な空間でのアイヌ語使用です。さらに、普段のくらしの中でアイヌ語を使用し、話すことにも聞くことにももっと慣れる必要があります。
アイヌ民族博物館では2005年にアイヌ語場内アナウンスを開始しました。アナウンスは当時の伝承課職員の担当で、復元家屋付近の「案内所」から放送していました。1時間に1回の定時公演(15分程度の解説と舞踊・楽器演奏)前と、団体での入場があった場合には臨時に放送をしていました。
《日本語アナウンス》 お客様にご案内いたします。まもなくコタンの説明ならびに古式舞踊がございます。見学ご希望の方は一番前のカヤ葺きの家、サウンチセへお越しください。 |
これを次のようにアイヌ語に訳しました。
《アイヌ語アナウンス》 inkar kusu, ikosinewe utar, itak=an ciki nu wa i=kore yan. |
詳しい説明は省きますが、このときは、改まったスピーチの様式を意識した訳し方をしました(5 。前段は同じで、後半を「少々お急ぎください(ponno yaytunaska yan)」とするなど、いくつかのバージョンを作り、毎朝入場者が来る前の時間を使って、伝承課職員と練習しました。実際に、スピーカーを通してアナウンスが流れたときには感慨深いものがありました(6 。
2015年に、那覇空港発のJTAの飛行機に搭乗した際(7 、「ぐすーよう、ちゅーがなびら~~」という機内アナウンスが流れました。客室乗務員が「うちなーぐち」で一通りのあいさつをし、続けて「日本語(8 」であいさつしたのでした。離陸後、機長からもうちなーぐちのあいさつがありました。
ハワイでは交通機関や商店など至る所で「アロハ(こんにちは)」、「マハロ(ありがとう)」などハワイ語が使われ、沖縄でも「はいさい(こんにちは)」は何度も耳にしましたが、このときにはそれをこえる感動がありました。
この経験から、アイヌ語の車内アナウンスを考えはじめました。バスや列車のアナウンスは、録音したものを流すことが多いため、ライブの語りである機内アナウンスに比べて実現しやすいこともあります。
中川氏、札幌学院大学の奥田統己氏をはじめとするアイヌ語の専門家諸氏にご協力をいただき、2017年4月にアナウンス原案を作りました。さいわい、アイヌ総合施策室北海道分室や平取町の工芸家関根真紀氏のはたらきかけによって平取町や道南バスの協力を得ることができ、実現のはこびとなりました。実現に向けては、道南バスと平取町、関根健司氏(町立二風谷アイヌ文化博物館)、関根真紀氏と私で企画委員会を組織し、実施スケジュールやアナウンス内容、実施前後の周知方法を検討しました。そこで、乗客に趣旨やアナウンス内容がわかるよう、解説リーフレットとポスターを配置することになりました。そこで道南バスの車内アナウンスに合わせていくつかの表現を加除し、アナウンス案が完成しました。こうしたリーフレット印刷などの諸経費は、イランカラㇷ゚テキャンペーンの予算でまかなうことができました。
次に、全文を紹介します。アイヌ語は日本語の直訳のほか、その場面に応じた定型的な表現がある場合はそれを使用しています。新語には下線をつけました。
①日本語原文:道南バスより、お知らせいたします。 アイヌ語:irankarapte.道南バス ci=ne wa itak=as ciki nu yan. 日本語原文:このバスは、○○から○○の区間、日本語とアイヌ語でご案内します。 アイヌ語:tap anakne ○○ or wa ○○ pakno aynu itak sisam itak ani 日本語原文:詳しくは、座席ポケットに備え付けのリーフレット、またはポスターを アイヌ語:usa kampiop or oma uepekerkampi usa tumamkauspe nukar yan. ・説明 |
②日本語原文:次は○○です。 アイヌ語:ney tutanu ○○ or a=kosirepa na. 日本語原文:お降りの方はお知らせください。 アイヌ語:rap=an rusuy ciki un=nure yan. ・説明 |
③日本語原文:運行中、万一の急停車にご注意ください。 アイヌ語:バス hoyupu rapokke, nisapno as hi ka an kusu,yaytupare yan. |
④日本語原文:ここまでの区間は、日本語とアイヌ語でご案内いたしました。 アイヌ語:te pakno, aynu itak sisam itak ani a=i=siramkire hawe ne wa. 日本語原文:ありがとうございました。 アイヌ語:iyayraykere. |
⑤(車外アナウンス)日本語原文:○○経由○○行きです。 アイヌ語:tap anakne ○○ kari ○○ unno arpa p ne. 日本語原文:整理券をお取りください。 アイヌ語:ciurenkarep uyna yan. 説明 |
当初、この企画ではアナウンスをアイヌ語化することのみを想定していましたが、関根健司氏の発案により、バス停名も可能な限りアイヌ語化することになりました(アイヌ語バス停名リーフレット)。
バス停名は付近の地名を元に付けられていますが、中には旧来の地名と地点がズレていたり、まったく新しい地名や施設にもとづいている場合もあります。
「幌毛志」はもともとporokesomapだったと考えられます。ほかに「新幌毛志」と「幌毛志中央」があります。バス停名を見ると「幌毛志中央」がこの地名の中心地に見えますが、こちらは旧名がよくわからず、また「新幌毛志」の旧名はrokuntewetu「客船のへさき」という、まったく違う地名でした。つまり、porokesomapが行政上の地区名として幌毛志になり、これを元に幌毛志中央や新幌毛志が派生したようです。そこで、新幌毛志はrokutewetuに、幌毛志中央はporokesomap noskiとしました。
幌毛志 → porokesomap
幌毛志中央 → porokesomap noski
新幌毛志 → rokuntewetu
他も同様に旧名がわかるものは旧名を用い、「○○前」など付随する要素はアイヌ語に置き換えました。また、学校等は次の様に造語し、訳や造語が難しい場合は後ろにsekor a=ye usiをつけて「~という所」としました。こうして、52の停留所名も確定し、うち18のバス停については使われなくなっていた旧地名を掘り起こすことができました。これは専ら関根健司氏の丹念な調査の成果です。
○○前 → ○○kotcake
上○○ → ○○pa
下○○ → ○○kes
○○入口 → ○○apa
○○橋 → ○○ruyka
○○温泉 → ○○ yu
学校 → kampinukatcise「書物を読む建物」
小学校 → pon kampinukatcise「小・書物を読む建物」
中学校 → haykannu kampinukatcise「中・書物を読む建物」
高校 → poro kampinukatcise「大・書物を読む建物」 (9
役場 → yakukorkutcise「役職を持つ者の建物」
病院 → isacise「医者の建物」
神社 → sisamnomicise「和人が祈る建物」
車内配布リーフレットやポスターには、こうしてできたアナウンスやバス停名などを盛り込むことになりました。レイアウト等の作成作業は内閣官房アイヌ総合施策室が行ない、文様デザインは関根真紀氏が提供しました。配布物は印刷して車内や関係各所に配置するほか、web上でも配信することとしました。
アナウンスは、関根夫妻のお嬢さん摩耶さんが担当することとなりました。道南バス本社のある室蘭市で収録をし、編集の後、バスの機材にデータを入れます。収録は順調に進みましたが、路線バスであるため、平取町内に限定してもバス停名が多く、収録には数時間を要しました。これは当初想定しておらず、経験してみて初めてわかったことでした。
このようにして諸準備も整い、3月31日にスターティングセレモニーが行われ、翌4月1日からアナウンスがスタートしました。構想からこれほど短期間のうちに実現できたことは奇跡的なことというほかありません。関係の皆様のご尽力に感謝と敬意を表します。
報道の多くはアナウンスの意義を「アイヌ語を知ってもらうため」と表現しました。アイヌを知らない人々への普及や、それに付随して観光振興など経済面での効果があればそれは喜ばしい事ですが、本来の趣旨はアイヌ語を聞きたい・使いたい人々にとっての環境整備であることをもう一度強調しておきたいと思います。
こうした取り組みが、平取町内にとどまらず、他の路線へ、また他の交通機関へ拡大していくことを切望しています。今回は平取町内を走る路線のため沙流方言を用いましたが、やがて十勝や釧路、石狩川筋へと波及し、各地を旅すると、その土地の方言によるアナウンスが聞こえてくる。そんなことを夢見てしまいます。
参考文献
田村将人
2017 「【資料紹介】樺太アイヌ村落の生活および教育に関する視察復命書」『北海道博物館アイヌ民族文化研究センター研究紀要』第2号。
今後、他の交通機関で導入する可能性も考え、今回使用しなかったアナウンス例も紹介します。まだ多く検討の余地のあるものですが、導入にあたり、検討材料になれば幸いです。
●日本語原文:ご乗車ありがとうございます。
アイヌ語:a=i=kopuntek na.
直訳:皆様を歓迎します。
●日本語原文:みなさま今日も○○をご利用くださいまして、ありがとうございます。
アイヌ語: nispa utar katkemat utar. tanto ka ○○ a=numke wa iyayraykere.
直訳:紳士の皆さま、淑女の皆さま、今日も○○をお選びくださ
りありがとうございます。
・説明
eywanke「~を使う」による表現も可。
●日本語原文:走行中、ご用のない方は席をお立ちにならないよう、お願いいたします。
アイヌ語:バスhoyupu rapokke, ikkewe sak no,iteki hopunpa yan.
直訳:バスが走っているあいだ、用のない立ち歩きはおやめください。
●日本語原文:お座席では、シートベルトをお締めください。
アイヌ語:rok=an rapokke, ikumkut yaykoyupu yan.
直訳:ご着席中は、シートベルトをお締めください。
・説明
沙流方言では「座る」ことをa/rok(複数形)、「腰かける」ことをka oosorusiと言います(10 。椅子にはkasi a=oosorusipという訳語があります。これらを使うと「椅子に腰かける」はka a=oosorusip ka a=oosorusiとなり、たいへん長く、発音も難しくなります。
いっぽう名寄方言にはaを「腰かける」という意味で使った例があります。
suma kata a.「石に腰かける」
また、樺太方言にも腰かけを表すaatayという言葉があります。これはおそらく「腰かけ+台」で、やはりaaが腰かけるという意味で用いられていると考えられます。そこで、ここでも、a/rokを採用しています。
シートベルトは造語しました。八雲方言の古語に、船の腰かける部分を表すikumという言葉があったので、これとkut「ベルト」を合わせてikumkutとしました。
●日本語原文:車内は禁煙となっております。
アイヌ語:te ta tanpaku a=ku ka eaykap na.
直訳:ここでは煙草を吸うことはできません。
●日本語原文:車内はすべて禁煙で、4号車は指定席・Uシートです。
アイヌ語:tap epitta tanpaku a=ku ka eaykap. iyeeinep anak
hoskino ikum uk kur o kuni ne wa Uシート ne.
直訳:これら全体において、煙草を吸うことはできません。4号車は
先に席を取った人が座ることになる所で、Uシートです。
・説明
『アイヌ語沙流方言辞典』にはi-ye-eという見出しで「…番目」という表現が書かれています。下に、その項目を引用します。
iye-e- イイェエ 【接頭】[i-y-e-e もの・(挿入音)・(と一緒)で・で]…番目。(「二」以上の数詞と共に用いられる。) iye-einen イイェエイネン 四人目。 iye-einep ne イイェエイネㇷ゚ ネ 四番目の。 iye-einep ne ku=poho イイェエイネㇷ゚ ネ クポホ 四番目の息子。 iye-eiwan to イイェエイワン ト 六日目。(W神謡) iye-ere pa イイェエレ パ 三年目。(W民話) iye-erep イイェエレㇷ゚ 三番目。 iye-erep ne イイェエレㇷ゚ネ 三番目の。 iye-ererko イイェエレㇾコ[名][i-e-e-rerko もの・で・それで・三日] 三日目。 iye-etup イイェエトゥㇷ゚ 二番目。 a=o uske oro wa iye-erep oro ta ráp=an アオ ウㇱケ オロ ワ イイェエレㇷ゚ オロ タ ラパン 乗った所から三つ目で降りましょう。(S) ☆参考 電車に乗ってから次の次の駅で降りることを言っている。 乗った駅を一つ目として数えている。 ☆発音 二語のアクセントで発音される。 iyé-etú、 iyé-eré。 ☆参考 このように iye-e- イイェ エ を使って言う「…番目」の言い方はサダモさんのみから聞いた。 ワテケさんによれば「…番目」という言い方はなく、 hoski a=ye p, iyos a=ye p, na iyos a=ye p ホㇱキ アイェㇷ゚、 イヨㇱ アイェㇷ゚、 ナ イヨㇱ アイェㇷ゚《最初に言ったこと、 その後に言ったこと、 さらに後に言ったこと》のように言う。 しかしワテケさんも、 神謡の中では iye-eiwan to イイェエイワン ト《六日目の日》のようにこの形を使って歌っている。 (出典:田村、方言:沙流) |
これを応用して、iyeeinep「四つ目」で4号車を表します。以下に出てくる3号車、6号車等も同様です。なお、上記の解説には2番目以上の場合に用いるとありますが、ここでは1号車についてもiyeesinepと表すことにしました。「最初の、第1の」という意味合いはhoskiで表すこともできそうですが、列車の場合、進行方向によって「先頭車両が6号車」ということも起こります。そのような場合に混乱を避けるためには、やはりiyeeを用いた方が良いと判断しました。
●日本語原文:携帯電話も、他のお客様のご迷惑となりますのでご遠慮願います。
アイヌ語:tekorunpe neyakka mosma utar eranak pe ne kusu,iteki eywanke yan.
直訳:携帯電話であっても、他の人びとが困りますので、使用しないでください。
・説明
携帯電話は、英語でhandphoneですので、そこから発想してtekorunpe「手にある物」としました。
●日本語原文:本日は、○○をご利用いただきまして、ありがとうございます。
アイヌ語:tanto ○○ a=numke wa iyayraykere.
直訳:本日は○○をお選びくださり、ありがとうございました。
●日本語原文:お忘れ物のないようご注意ください。
アイヌ語:somo nep ka a=oyra kuni etokoyki yan.
直訳:何もお忘れにならないよう、お仕度ください。
●日本語原文:降車の際、運賃は、運賃箱へ直接お入れください。
アイヌ語:rap=an hi ta,ataye anak icenpako or omare yan.
直訳:ありがとうございました。
・説明
icenpakoはicen「お金」とpako「箱」を合わせた造語。
●日本語原文:この先、揺れることがありますのでお気を付けください。
アイヌ語:na ponno siran kor ○○ atapatap hi ka an kusu, yaytupare yan.
直訳:もう少したつと、○○(乗り物)が揺れることもあるのでご注意ください。
・説明
atapatapは、船が揺れる/かたむくこと。
●日本語原文:また、エゾシカなどの野生動物が多数出没する区間を走行いたします。
アイヌ語:ora,yuk neya usausa cikoykip inne uske a=kus wa hoyupu=an kusu ne.
直訳:それから、エゾシカや色々な動物が多い所を通って走行します。
●日本語原文:走行中やむを得ず急ブレーキを使用することがありますので、お立ちの際はつり革や手すりなどにおつかまりください。
アイヌ語:○○ hoyupu rapok ta nisapno ci=aste hi ka an kusu,
roski utar anak,torarusakam,cikismai kisma yan.
直訳:○○が走る間に、急に私達が止めることもありますので、立っている方々は
つり革、手すりを握っていてください。
・説明
つり革はtorar「革ひも」とakam「輪」からの造語。
cikismaiは「持つところ」からの転用。
●日本語原文:快速○○行きです。
アイヌ語:tanpe tunas hoyupu p, ○○ unno oman pe ne.
直訳:これは早く進む物(車)、○○まで行く物です。
●日本語原文:停車駅は○○、○○、○○、終着○○です。
アイヌ語:tewano ○○, ○○, ○○, ○○ or ta as kusu ne.
直訳:これから○○、○○、○○、○○に止まります。
●日本語原文:○○には止まりませんので、お乗りまちがえの無いようお気を付けください。
アイヌ語:○○ or ta as ka somo ki kusu, somo ehosino a=o yak pirka.
直訳:○○には止まりませんので、お間違えなくお乗りになると良いでしょう。
●日本語原文:列車は前が6号車、後ろが1号車です。
アイヌ語:ietok wa an pe iyeeiwanpe, iyos wa an pe iyeesinep ne.
直訳:前にある物が6号車、後ろにある物が1号車です。
●日本語原文:この列車では車内販売がありません。自動販売機もありません。
アイヌ語:tap or ta ieyyok=as ka somo ki, ieyyoksuwop ka isam.
直訳:これ(この車)では物販をしません。自動販売機もありません。
・説明
自動販売機はieyyok「販売」と箱「suwop」による造語。
●日本語原文:トイレは1号車、3号車にあります。車掌室は4号車にあります。
アイヌ語:asinru anak iyeesinep newa iyeerep or ta an.
sapanekur tumpu iyeeinep or ta an.
直訳:トイレは1号車、3号車にあります。
車掌の部屋は4号車にあります。
・説明
車掌の訳語として「取り仕切る者」を意味するsapanekurを応用しました。
punki「番人」、compa「マネージャー」を用いても良いかも知れません。
●日本語原文:そのほか車内のご案内はインフォメーションボードをご覧ください。
アイヌ語:mosma an pe anak,uepekennisos nukar yan.
直訳:そのほかのことは、インフォメーションボードをご覧ください。
・説明
uepekennisosは「インフォメーションボード」です。リーフレットに用いたuepekerをここでも使いました。nisosは木の剥片や板のことです。uepekerのrにnisosが続くと、発音が変化します。
●日本語原文:お客様にお願いいたします。棚の上の荷物は落ちませんでしょうか。
もう一度お確かめください。
アイヌ語:itak=as ciki nu yan. parka ka ta an pe,somo hacir nankor a.
kanna hotanukar yan.
直訳:私たちが話したら聞いてください。棚の上にある物は落ちないでしょうか。
もう一度様子を見てください。
・説明
日本語では「誰が」お願いするのかは明示されていません。ここでは、会社(団体)から利用者へのアナウンスを想定して、聞き手(利用者)を含まない「私たち」という言い方にしています。アナウンサー個人で利用者に話すと解釈すれば、ku=itak ciki~という表現に変わります。
●日本語原文:車内で不審な物を発見されたら、すぐに乗務員へお知らせください。
アイヌ語:nep ka a=oyamokte p a=nukar ciki, nani un=nure wa un=kore yan.
直訳:何か怪しむべき物をご覧なりましたら、すぐに私達に聞かせてください。
●日本語原文:席を離れる際は、貴重品や手回り品にお気を付けください。
アイヌ語:ikum a=hoppa hi ta anak,usa santoku, usa karipinki,
a=kor pe pirkano sikkasma yan.
直訳:席を離れる際は、財布やバッグなど、貴方の持ち物をしっかり管理してください。
●日本語原文:お客様にお願いいたします。この列車には優先席がありますので、
座席を必要とするお客様に席をお譲りください。
アイヌ語:tap or ta anak, iyeyam ikum an na. a=eyam kuni utar are yan.
直訳:これ(この車)には配慮席があります。配慮すべき方々を座らせてください。
・説明
優先席はeyam「~を気づかう」を元に、iyeyam「配慮」という言葉を作り、ikum「座席」と合わせて造語しました。
●日本語原文:携帯電話は優先席付近では電源をお切りいただき、
それ以外の場所ではマナーモードに設定の上、通話はおやめください。
アイヌ語:tekorunpe anak iyeyam ikum sam ta anak sinire yan.
mosma uske ta anak a=humsakka wa, ora somo itak=an yak pirka na.
直訳:携帯電話は、配慮席の側では休ませてください。
それ以外の場所では、音を消し、それから通話はなさらないでください。
●日本語原文:この列車は特急です。ご乗車には乗車券のほかに特急券が必要です。
アイヌ語:tap anakne etakasure tunas pe ne.
iyohunta newa etakasure tunas pe iyohunta hok yan.
直訳:これは特別に早い物です。乗車券と特急券をお求めください。
・説明
特急はetakasure「特別に」、tunas「早い」で表現しました。
乗車券はi「それに」、o「乗る」、hunta「札」です。特急券はこれらの組合せで、長くなってしまいました。
●日本語原文:それでは目的地までごゆっくりお過ごしください。
アイヌ語:yakun, a=opaye rusuy uske pakno ratcitara oka yan.
直訳:それでは、貴方が行きたい所まで、ゆっくりお過ごしください。
●日本語原文:停止信号です。しばらくお待ちください。
アイヌ語:itakpe i=aste na. ponno un=tere yan.
直訳:標識が私達を止めました。少しお待ちください。
・説明
itakpeは畑の境界や、仕掛け弓の位置を示す標識です。それを応用して「信号」に用いています。
●日本語原文:まもなく○○です。○○までの各駅においでのお客様はお乗り換えです。
アイヌ語:na ponno siran kor, ○○ a=kosirepa na.
○○ newa ○○uturke ta paye utar anak, te ta mosma anpe o yan .
直訳:もう少しすると、○○です。
○○から○○の間に行く人々はここで別な物(車)にお乗りください。
・説明
mosma ru kari paye yan「別な道(路線)からお行きください」とも表現できます。
●日本語原文:まもなく終着○○です。どちら様もお忘れ物の無いようお支度ください。
アイヌ語:na ponno siran kor, ru kes un ○○ a=kosirepa na.
nep ka somo oyra kuni, etokoyki yan.
直訳:少したつと、道の端にある○○に到着します。
何もお忘れにならないよう、ご支度ください。
●日本語原文:お降りの客様は、忘れ物の無いようご支度ください。
アイヌ語:rap utar anak, somo nep ka oyra kuni, etokoyki yan.
直訳:降りる方々は、何もお忘れにならないよう、ご支度ください。
●日本語原文:出口は右側(左側)です。お降りの際は足元にお気を付けください。
アイヌ語:simoysam(harkisam) un apa makke kusune na. yaytupareno rap yan.
直訳: 右側(左側)にある戸が開きますよ。お気を付けてお降りください。
●日本語原文:特にお子様連れのお客様は手を離さずにお降りください。
アイヌ語:po tura utar anak, potekanpa kane rap yan.
直訳:子供連れの方々h、子供の手をとってお降りください。
●日本語原文:またのご乗車をお待ちしております。
アイヌ語:suy arki yan hani
直訳:またお越しください。
●日本語原文:自動放送のご案内は○○でした。
アイヌ語:○○ itak hawe ne.
直訳:○○が申しました。
注1)国立アイヌ民族博物館設立準備室の田村将人氏によれば、樺太における初期のアイヌ子弟教育においては「土語訳解」という日本語文をアイヌ語訳する授業がありましたが、それはやがて取りやめとなりました。こうして、おそらくはもっと多くの語彙・表現が生み出されつつも、知られないままになっていることでしょう。
注2) 先に引用した田村将人氏の論考をはじめとするいくつかの資料により、近代の植民地教育においては現地語の根絶と日本語への転換が志向されていたことがわかります。
注3) 千葉大学教授の中川裕氏も、アイヌ語の復興のためには存在感と威信を高めることが必要だと述べています。「校長先生のひと言」はこの両面において効果的です。
注4) 報道によれば、白老町の白老東高校でも同様の取り組みが予定されているそうです。
注5) 「inkar kusu」は、祈り詞や物語で、相手に呼びかける冒頭にいう文句です。ci=や=asでなく、a=や=anを使ったのは、静内方言の祈り詞を参照したためです。
注6) 場内アナウンスは業務等の状況により、実施されなくなった時期もありましたが、閉館前の数年は復活しました。また、夜間公演の司会進行と解説もすべてアイヌ語訳しましたが、こちらは残念ながら定着しませんでした。
注7) 沖縄県那覇市で開催された文化庁国語課主催の「危機的な状況にある言語・方言サミット」に出席した帰路でした。
注8) 「うちなーぐち」を「日本語琉球方言」だとする立場もありますが、地域の人びとは九州以北の諸方言を指して「日本語」と呼びますし、文化庁による上記サミットや研究協議会に出席する言語学者の間でも「奄美語」、「琉球語」といった呼称が使われています。
注9) ちなみに「大学」の訳語としては、協議のうえkampinuyecise「書物を書く建物」」を考えています。
注10) 旭川方言ではoosorusi/eosorusi、十勝方言ではeosorusiと言います。
[シンリッウレㇱパ(祖先の暮らし) バックナンバー]
第1回 はじめに|農耕 2015.3
第2回 採集|漁労 2015.4
第3回 狩猟|交易 2015.5
第4回 北方の楽器たち(1) 2015.6
第5回 北方の楽器たち(2) 2015.7
第6回 北方の楽器たち(3) 2015.8
第7回 北方の楽器たち(4) 2015.9
第8回 北方の楽器たち(5) 2015.11
第9回 イクパスイ 2015.12
第10回 アイヌの精神文化 ラマッ⑴ 2016.1
第11回 アイヌの精神文化 ラマッ⑵ 2016.2
第12回 アイヌの精神文化 ラマッ⑶ 2016.4
第13回 アイヌの精神文化 ラマッ⑷ 2016.5
第14回 アイヌの衣服文化⑴ 木綿衣の呼び名 2016.6
第15回 アイヌの衣服文化⑵ さまざまな衣服・小物 2016.7
第16回 樺太アイヌのヌソ(犬ゾリ)-1 2016.12
第17回 樺太アイヌのヌソ(犬ゾリ)-2 2017.1
第18回 樺太アイヌのヌソ(犬ゾリ)-3 2017.2
第19回 樺太アイヌのヌソ(犬ゾリ)-4 2017.3
第20回 アイヌの衣服文化⑶「アイヌ文様は魔除け?」を検証してみた 2017.4
第21回 樺太アイヌの防寒帽 2017.5
第22回 北方の楽器たち(補遺1) 鉄製口琴で戦う乙女-ほか 2017.6
第23回 北方の楽器たち(補遺2) 千島? 釧路? のカチョ 2017.8
第24回 東アジアが誇る笑い話? パナンペ・ペナンペの謎(上) 2017.12
第25回 実はとってもえらい神? パナンペ・ペナンペの謎(下) 2018.1
第26回 これってどこの文様? ウイルタ文様・ニヴフ文様・アイヌ文様 2018.2
阪口 諒(千葉大学大学院博士前期課程)
カール・エッター(Carl Etter)による『Ainu Folklore(1』の中には、北海道だけでなく千島や樺太で著者自らが採録したアイヌの伝承がたくさん記録されています。樺太で採録されたものにはアイヌの伝承だけでなく、二ヴフやウイルタの伝承もすこしだけ含まれています。語り手が記載されていない伝承もありますが、さまざまな地域の伝承が比較的丁寧に記録されている印象を受けます。そこに記録されている樺太の物語を読んでいたところ、今まで採録された物語と似ている話がいくつか見つかりました。今回はその中でもカレイが登場する物語を(わき道にそれながら)紹介したいと思います。
樺太のある村に美しい娘が住んでいました。遠くの若者も近くの若者もその娘と結婚したくて宝物を持ってきたので宝物が山のように積みあがっていました。カレイの神様(The flatfish god)は(娘の結婚相手を決めるための)競技場(?)に入りました。そして娘が水を汲みに川に下りてきたときに、カレイの神様は柄杓の中に飛び込みました。娘がカレイをひろって、強く抱きしめると、カレイはハンサムな青年に変わり、そして彼女の胸にぴったりくっつきました。(結末部分まで飛ぶ)父親は、娘と結婚したがっている青年たちに「村を悩ませている2頭のクマを殺すことができた者に娘をやろう」と言いました。青年らはクマに出会うと、不安で逃げだしました。しかしカレイの神様はクマの口に飛び込み、ヒレで腹を切って、お尻から出ました。そうして2頭のクマを倒しました。カレイの神様はクマを殺して帰り、ハンサムな青年の姿となって娘の父親の家を訪れました。父親はカレイの神様に娘を与え、娘とカレイの神様は夫婦として幸せに暮らしました。〔Carl Etter 1949:84〕 |
この物語の類話にはPiłsudski(2002)の「Tuita3(カレイ男とカジカ男)(2」があります。この物語は1903年、タコエ(多古恵、Takoye)で記録されたもので、語り手はクスリコヤ(Kusurikoja)という当時19歳の女性です。以下にあらすじを紹介します。
小カレイ男と小カジカ男がいました。カレイ男は沖の国のカカンの娘の娘がとても美しいと聞いたので結婚したくて沖の国にいきました。娘が塩くみに浜の方に下りてきました。(以下カレイの自叙)私はひしゃくの中に入りこんでカカンの家に帰りました。娘はとても私を気に入りました。けれどもカカンはカレイ男を良く思いませんでした。(以下3人称叙述)ある日、家の外に男が来たのでカレイ男は一緒に薪取りに行きました。クマに出会ってカレイ男はクマの口に投げられました。カレイ男はトゲ(?)で胃袋を刺して殺して帰りました。カレイ男とカカンの娘は結婚して、クマの肉を料理して親戚を招きました。カカンは恥じて和解しました。カレイ男は妻となったカカンの娘を連れて村に帰りました。男のすること、女のすることを子どもに語り伝えました。小カジカ男の妻は女の子に語り伝えました(3。彼等が亡くなった後、子供たちはみんな幸せに暮らしました。〔Piłsudski 2002:286-288〕 |
物語の形式
内容に入る前にこの物語の形式について述べておきたいと思います。トゥイタㇵtuytah(4は、村崎恭子氏によれば、「比較的形式が決まっている昔話。主人公の名前は男はホロケイポ(horokeypo)、女はモニマハポ(monimahpo)で、たいてい兄弟三人が登場する。舞台になるのはサンヌピシ村(Sannupis)。伝統ある昔話で、語り口、筋なども原則的には定型がある。現実には存在しないウンカヨオヤシ(ウンカヨお化け)や動物に化けた神様などが良く登場する、架空のお話。語りの間に、節のついた、韻をふんだ歌がはさまれることがおおい」〔村崎1989:5-6〕ものだということです。
登場人物
物語の形式を簡単に抑えたので、次は登場人物の整理をしたいと思います。物語2の主要な登場人物は小カレイ男(pon kapariw ohkayo)と小カジカ男(pon sohkan ohkayo)、沖の国のカカン(kakan)とその娘です。その中でカレイとカジカ、カカンに注目したいと思います。日本語訳でカレイとカジカ、カカンとなっているんですが、原文を確認するに越したことはないので、ちょっと詳しく調べてみました。小カレイ男の原文はPon-kapáriu-óxkajoで、小カジカ男はpoj śoxkan-óxkajoです。沖の国のカカンはKakánです。ponとohkayoはそれぞれ「小さい」と「男」ですね(poyはponがsの前で音韻変化したものです)。では次に、kapariw, sohkanを見ていきましょう。
① kapariw
まず『方言辞典』で調べると、kapariwは「かれい(樺太・名寄)」〔191頁〕となっています。さらに『知里動物篇』では「カレイ類の総称」という項目に掲載されていて、「(2)kapariw (ka-pá-riw)「カパリウ」[kapar(うすっぺらな)iw(者)] 成魚⦅タライカ;トンナイ;オチホ;シラウラ;ニイトイ;マオカ;タラントマリ;テシオ;ナヨロ⦆」〔23頁〕とあります。kapariwはカレイの総称なので、どういう種類なのか名前からは分かりません。
②sohkan
sohkanは日高西部でesokkaと呼ばれているものだと思います。先ほども参照した『知里動物篇』では「§35.川に住むカジカ カジカ;カワカジカ(方言)§764 Cottus pollux (GUENTHER)」の項目にsoxkana, soxkannaが樺太の落帆の言葉として記録されています〔18頁〕。また「(14)sókkana(そッカナ)⦅タライカ⦆カジカ」〔20頁〕、「(15) soxkana(sóx-ka-naソㇹカナ)成魚⦅タラントマリ;マオカ;トンナイ;シラウラ⦆注.―産後悪いときは川カジカ。分娩促進剤にも(なぐし*)*魚名か? (5」〔20頁〕とあります。完全に語形が一致するものは見られないもののsohkanはカジカのことで間違いないでしょう。
念のため、村崎恭子氏による「カラフトアイヌ語語彙資料(1) 植物・魚介名」(6も見てみると、「kapariw カレイ」〔90頁〕、「sohkaana 大きいカジカ?ソウハチ?」〔89頁〕とありました。sohkanという語形が見当たらないのは、その後ろにあるohkayoが母音で始まっているからではないかとも考えられます。sohkana ohkayoだとa, oという母音が連続しますが、母音の連続するのを避けてsohkanaのaが脱落しているのかもしれません。ただ、本当にsohkanという語形がないかは検討の余地がありそうです。
なお、「5、6月中は海で鰈(カパリゥkapariŭ)、杜父魚(ソㇹカナsoxkana)を釣り」〔知里1973:151〕とあるようにカレイとカジカは同じ時期にとれる魚のようです。
③Kakan
この物語では小カレイ男と小カジカ男がカカンの娘に求婚したことになっていますが、カカンとは何でしょうか。ここで書きたいところですが、これは後に飛ばしましょう。
またまた物語の形式
またかいな!もうええって!という声が聞こえてきそうですが、重要だと思うので触れておきます。この物語、出だしは3人称で語られているのですが、途中でカレイ男の自叙に変わります。最後にはまた3人称に戻ります。アイヌ語原文があるとこういうことも分かるのですね(あ、なくても訳し分けていれば分かりますね)。人称が途中で変わるというのは樺太アイヌの物語に多く見られます。これに関しては知里真志保氏もすでに指摘していて、「本格的なアイヌ説話は総べて『俺が……俺が……』と第一人称説述体をとるので、三人称説述体で出来した説話も、うつかりすると途中で一人称説述体になりたがる傾向が樺太にはある」〔知里1973[1944]:317〕と述べています。知里氏が物語を一貫して1人称、もしくは3人称で語るのが理想だと考えていたことは他の著作からもうかがい知ることができます。例えば、樺太アイヌのオイナ「神謡」に関して知里氏は「『我は』『我は』と第一人称で述べて行くべきなのに、いつのまにか第三人称叙述になつてしまつた。自叙と側叙とがともすれば意味もなくもつれあつて現れるのが、壊滅一歩手前に於ける樺太アイヌの説話における現状である」〔知里1953:208〕と述べています。1人称と3人称が混在するという現象は北海道北東部の物語にも見られるようであり、一種の語りの技法として考えてよいかもしれません。この話はかなり短いにもかかわらず(ピウスツキ筆録資料で37行!)、人称が切り替わっています。
同じタイプのお話
カレイは登場しませんが、カカンの娘に求婚した男が難題を解決するという話があります。これは相浜出身の木村ウサルシマさんが1944年7月に語った物語です。以下にあらすじを紹介します。
サンナイペツに1人の首領がいました。あるとき、沖の国の太守の娘がたいそう美人で男たちが求婚しても誰一人成功しませんでした。それを聞いて首領はそこへ行きたくなり、良い身なりをして出かけていきました。途中で毛皮を着た男とあって一緒に小屋に泊まることにしました。毛皮の男が「ンノー フンキ ポㇹ」と歌うと首領は眠ってしまいました。目が覚めると、持ち物や服を盗まれていたのでした。仕方なく毛皮の男が残していったものを身に着けて太守の家に行くと毛皮の男が先に来ていました。太守は「モイカニ(合せ弓)を3つに折った者に娘をやる」と言い毛皮の男が挑戦しましたが駄目でした。首領が試すと弓は3つに折れました。次の「昔取り逃がしたクマに刺さったままの仕掛弓の矢を探し出す」という難題はクマ神(キムンカムイ)の協力で解決しました。最後に「昔、大時化を鎮めるためにアシンペ(賠償)として海中に投じた銀の鍔を探し出す」という難題はシャチ神(レプンカムイ)の娘の協力で解決しました。けれども太守が娘をくれないので首領は仕返しをしてから自分の村へ帰り、新居を建ててシャチ神の娘と結婚しました。〔知里真志保1973[1948]:405-408〕 |
この物語は「昭和19年7月、シラハマに於て木村ウサルシマ婆さん口述、知里筆録」(425頁)とあります。この物語には、採録した時のノートが残っており、『知里真志保フィールドノート(6)』154〜166頁に藤村久和氏の補注とともに翻刻が掲載されています。「沖の国の太守」となっている箇所は、ノートでは「レプンモシリ カカン」〔『知里真志保フィールドノート(6)』:155〕となっています。ここでもカカンが出てきました!ここでカカンは「太守」と訳されていますが、もともとは内陸アジアのトルコ・モンゴル系の遊牧民を中心にユーラシアの諸地域で広く使われた言葉で、君主の称号です。ハーン、ハガン、カン、カガン、カーン、カアンともいいます(7。こうした語を用いることによって異国情緒を醸し出しているのかもしれません。それにしてもこの物語の太守(カカン)は約束を守らず、サンナイペツの首領に娘を与えませんでした。先に紹介した2つの話では娘とカレイ男は結婚していたのにです。ひどい人ですね。
ところで、この物語では「ンノー フンキ ポㇹ」というよく分からない言葉が出て来たと思いますが、これはトゥイタㇵに良く出てくる「挿入歌」と呼ばれるものです。これに関しては丹菊逸治氏によってすでに研究されています(8。ここは地の文とは異なる調子で語られるようです。トゥイタㇵの多くにこの挿入歌が見られるのですが、先ほどの「tuita3(カレイ男とカジカ男)」には見られません。その理由は丹菊(2001)によれば、「tuita3」は動物の話であり「特殊な内容を持つtuytah」であるからだといいます。
カレイの骨?ヒレ?
ここでもう一度カレイの話に戻ります。カレイはクマの口に飛び込み、トゲ(?)もしくはヒレでクマを倒しました。口に飛び込んで退治するという一寸法師的な展開は樺太アイヌの物語に時々見られます(9。トゲ(?)でクマを倒すというのは分かりますが…いや分かりません(トゲがあるのはエイやないか)。そして、ヒレで(with his finsて書いてあります)お腹を切るというのはどんな感じなんでしょう。ヒレやのうてトゲやったんちゃうんか、という気もするんですが、分かりません。物語2でトゲ(?)とした部分の原文はohkari poniheです。poniheは骨だと思いますので、ohkariを調べてみましたが分かりませんでした。そこで念には念を入れてponiheも調べてみました。すると、pohiheは骨のことだとばかり思っていたのですが、「鱒の魚体各部名称」〔知里1973:177〕を見ると、「akus-poni背鰭」、「moxrax-poni胸鰭・腹鰭」、「mo-moxrax-poni臀鰭」と言うのがあり、ヒレもponiと言うようです。このponiheがヒレだとしたら物語1と同じです。ただ、これではどうやってクマの腹を切れるのか分かりません。ここでまたohkariに戻ってみます。
ohkariてなんやろ、わからへんなあと思ってたんですが、Piłsudski(1912)の中に「óxćari oxta, ka-ani ajśina(尾を糸で縛られて)」〔157頁〕という箇所を偶然見つけました。すこし語形が違いますが、どうもohkariと関係しそうな気がします。この尾はルイぺ「凍魚」に変身した上天の神のもので、炉鉤に逆さに吊るされている場面の表現です。同じ物語の他の箇所には「An-ramáthu an-óxćara oxta rikin(私の魂は私の尾の方へ登った)」〔157頁〕というようにohcaraと言う形でも出てきます。そこで辞典や語彙集で調べてみると、「しっぽ(尾)ohcara,-ha〜-ihi(獣の) ; sarakuh,-pihi(魚の)」〔樺太『方言辞典』:820〕とありました。魚の尻尾はsarakuh, pihiとなっています。方言差なんでしょうかね? 服部・知里(1960)の「尻尾」と言う項目にはohcara(落帆・多蘭泊・真岡・白浦・ライチシカ), otcara(内路)が掲載されています。そして、『知里動物篇』「§067 サケ あきあじ、あきやじ」と言う項目には「マスの魚体各部の名称」が掲載されていますが、尻尾の部分に「oxchara」という書き込みがあります〔45頁〕。「§150. お(尾)」と言う項目には「oxchara (oxchar-i)〔óx-ča-ra おㇹチャラ〕[ox(<o 尻?)+chara(<sar尾);おそらく『尻・尾』の義]《シラウラ, マオカ》」〔『知里人間編』:84〕。ちなみに、『バチェラー辞典』にも「Otchari, オッチヤリ, 魚尾. n A fish's tail.」〔370頁〕が出ています。
以上のことに従うと、ohkari poniheはしっぽの骨、もしくは尻ビレとなるかと思います。尻ビレはあるでしょうが、それではクマを倒せそうにありません。それではしっぽの骨でしょうか。しっぽにトゲがあるカレイなんておるんかいな?と思いつつ調べてみたところ、いました!しりびれにトゲのあるカレイが!イシガレイと言うカレイなんですが、このカレイ、サハリンにも生息しています。『原色魚類大圖鑑』には「しりびれに鋭い前向きのとげが1本ある」〔多紀ほか2005:920〕とあります。
イシガレイ(Platichthys bicoloratus(Basilewsky))(多紀ほか2005:920) |
ところで、採録者のピウスツキはohkari poniheの註に「胃や腸を傷めることがあるため、犬にさえ与えることが許されていない骨である。危険なのはカレイ(place)とカジカ(bullhead)、ローチ(roach―コイ科の淡水魚)の骨だけである」〔Piłsudski 2002:288〕と書かれています。ここでもカレイとカジカの共通点が見つかりました!
オニカジカ(多紀ほか2005:426) |
そして、物語2に出てくるカレイは、(カレイなので)沖の国まで泳いで行ったと考えられます。つまり海水の中で生活しているカレイなのでしょう。沖の国に到着すると、潮くみに下りてきた(śiśpo-ta kusu san)カカンの娘の柄杓の中に入ります。物語1だと娘は川に水汲みに下りてきます(came down to the river for a bucket of water)。物語2では娘は海水を汲んだようですが、物語1の方は川で水を汲んでいます。ここでなぜ川なのかという問題が出てきます。カレイは海におるはずやろ、と思ったんですが、海水と淡水の両方で生きられるカレイ、いるんですね。その中でサハリンにも分布しているものにはヌマガレイ(Platichthys stellatus(Pallas))やイシガレイ(Platichthys bicoloratus(Basilewsky))がいます(10。
ヌマガレイ(多紀ほか2005:924) |
詳しくは図を見ていただけると分かると思うのですが(やっぱり分かりにくいですよね)、ヌマガレイ(北海道などでカワガレイと呼ぶそうです。カレイなのに左側に目があるものが多い)は目のある側に粗雑な骨板(骨盤ではない)が散在しています。そして、イシガレイは目のある側に石のような骨板(名前そのままですね)が不規則に並んでいます。素晴らしすぎます。骨がありました!でもこの骨、危ないんでしょうか?食べたことがないので分かりません(ある方はご教示ください)が、調理する際には必ず取り除きます。この骨だと内臓が切れないような気もするんですが、ピウスツキの註にあるように内臓を痛めることは間違いないと思います。そしてどうでもいいことなんですが、ヌマガレイとカワガレイ、自然界でも交配種が存在します。それはオショロガレイ(最初に小樽市の忍路(おしょろ)湾で発見されたため)と呼ばれています。
ただ先ほどの、ohkari ponihe=しっぽにある骨と考える方がふさわしいかもしれません。というのも、背中の骨(正しくは目のある方の骨)ではクマの腹を切れそうにないからです。
なお、この物語とよく似たニヴフの伝承が北海道北方民族博物館収蔵の服部健氏のノートに記録されています。私自身は原ノートを実見していないのですが、丹菊逸治氏の論文にそのあらすじが掲載されているので、ここに引用します。
「(ニヴフ・東海岸ポロナイスク)ある女の子が川に遊びに行くと美しいカレイがいたので捕まえて帰る。母親に怒られて戻しに行く。途中で草小屋に泊まった。夜明け頃三人の男が現れカレイを奪う。男たちはカレイを木の洞に閉じ込める。カレイは木を切り薪を作って逃げ出し草小屋の女の子の元へ戻る。夜になるとまた三人の男が現れカレイを奪い、出会ったクマの口の中に投げ込む。カレイは棘でクマを殺し腹を裂いて出た。クマ肉と皮を女の子の元へ持って帰る。カレイは人間の男に変身し女の子と結婚する。両親の元へ帰る。両親は謝罪した。[服部ノート 整理番号T396・53]〔丹菊2013:64〕 |
このニヴフの物語は物語1とかなり似ています。服部健氏採録のニヴフの物語には娘に求婚するというモチーフが見られませんが、川でカレイを発見するというのは共通しています(物語2は海かもしれない)。そして、最後にカレイが人間の姿になりと娘が結婚するというのも共通しています(物語2は変身したことが語られていない)。また、クマの体内に入ったカレイがクマを殺すというのも共通しています。ここでもカレイはトゲでクマを殺したことになっています。
丹菊逸治氏は、物語2と服部健氏採録のニヴフの物語に関して「ニヴフの伝承ではカレイを虐待する『三人の男』の正体が語られずじまいである。アイヌの伝承では『三人の男』は登場しないが、やはり『一緒に旅だったカジカ』についてそれきり語られずじまいになっている。両方の伝承が不完全だということからは、ともに本来の伝承から何か脱落している可能性が考えられる」〔丹菊2013:58〕と指摘しています。これもやはり、もとは別の伝承だった可能性を示唆するものでしょう。物語1では物語2のカジカに対応するものは登場していませんが、省略された部分に出没していたのかもしれません。現時点ではやはり行方不明とするしかないようです。ニヴフの伝承に関しては事情が分からないのですが、少なくとも樺太アイヌに関して言えば、カレイのことを当然よく知っていたはずであり、カレイの特徴から大きく外れるものが語られるというのは考えにくいのではないでしょうか。たとえ元の伝承から変わっていたとしても、カレイの話として認識していたと考えられます。そして、樺太アイヌ・二ヴフ双方の伝承にカレイとクマが登場しますが、それらの関係については今後の課題としたいと思います。そして、ニヴフに伝わるエイとの異類婚譚ではエイと人間との間に生まれた子が「刀でクマを狩る」というモチーフが登場してきます。これもカレイとクマの関係の関係を探るうえで関わりがあるかもしれません。
物語の内容そのものというよりは樺太アイヌの物語の形式やカレイそのものについて述べた部分が多かったような気もしますが、「カレイ男」の話から読み取れることを私なりにまとめました。海に親しい樺太アイヌの物語に出てくるカレイには、現実のカレイの特徴が反映されているはずです。そして現実のカレイの特徴を細かく見ることでからクマを倒した凶器の推定を試みましたが、それを特定するには至りませんでした。魚類の専門家に鑑定を依頼した方が良いかもしれません。そしてクマやエイとの関係も視野に入れて再度調査してみたいと思います。こんなところで文章を終えたいと思いますが、最後に、これからの者たちよ、ゆめゆめカレイのトゲ(?)を食べるなかれ、とだけ言っておきましょう。
注1:Carl Etterに関しては「Guide to the Carl Etter papers and Ainu Folklore and Culture 1931-1932, 1949」という記事がWebで見られます(https://anthropology.si.edu/naa/fa/etter.pdf)。また、Joseph Kitagawa氏によるCarl Etter. Ainu Folkloreの書評は以下のURLから閲覧することができます。(http://www.journals.uchicago.edu/doi/pdfplus/10.1086/484016)
注2:この物語は村崎恭子氏によって日本語訳がなされています〔村崎2001:100-103〕。そこでのタイトル「カレイ男とカジカ男」をここでも用いました。ただし、あらすじは一部を除いて原文から作成しました。
注3:このような語りは他にも見られます。そうした語り方に関して知里真志保氏は「アイヌの血族に於ては、男系と女系とを区別してゐて、男の血統は男子に伝はり、女の血統は女子に伝はると考えている。従つて教育なども、男子には男親が授け、女子には女親が授けるのである」〔知里1973:364〕と記述しています。
注4:Bronisław Piłsudskiはtuitaと表記していますが、語末のh音を聞き落としていたと考えるべきかどうかは検討の余地があるでしょう。というのも、解説で引用した村崎恭子氏は樺太の西海岸を中心に調査を行っていますが、Piłsudskiが主な調査地点は東海岸だからです。東海岸富内(トンナイチャ)・落帆(オチョボッカ)の言葉をもとに「樺太アイヌの音韻組織」をまとめた金田一京助は「h音が語の終りには聞えないがちだけれど、語或は音(但し子音)が続く時には明瞭に聞こえる」〔金田一1993[1913]:26〕と書いています。
注5:これは『知里動物篇』の編集部が付けた註だと思われますが、「なぐし」は魚名ではなく和田文治郎氏の論文「樺太アイヌの『なぐし』物語―樺太アイヌの治病術―」(『樺太時報』50、1941年、90-107頁)を指していると思われます。実際、和田氏の論文の94頁には「樺太アイヌはお産が尋常に非ずと見るや、取り敢へず川鰍の煎した汁を飲ませる。これは分娩促進剤と思はれる」という記述があります。
注6:ニヴフ語の研究者であったアウステルリッツ氏が採録した語彙を同氏と村崎氏が樺太西海岸北部出身の数名の話者に再確認し、その後で更に浅井タケ氏にチェックをしてもらった資料だということです。
注7:西川ほか編(2001)756頁参照。
注8:丹菊(2001、2002)参照。
注9:たとえば、ウェネネカイペ物語は主人公の少年は化け物の口に飛び込み、刀で腹を切って化け物をやっつけます〔村崎2010〕。
注10:( )の中は学名です。標準和名と一般的な呼び名とが一致しないことが多いので書いておきました。
参考文献
Bronisław Piłsudski. 1912. Materials for the Study of the Ainu Language and Folklore. Cracow.
Bronisław Piłsudski. 2002. Ainu texts. The Collected Works of Bronislaw Pilsudski,Trends in Linguistics. Documentation 15, ed. A.F. Majewicz, Mouton de Gruyter. pp.251-331.
Carl Etter. 1949. Ainu Folklore: Traditions and Culture of the Vanishing Aborigines of Japan. Chicago: Wilcox & Follett Co.
金田一京助(1993[1913])「あいぬ物語附録 樺太アイヌ語大要」金田一京助全集編集委員会(編)(1993)『金田一京助全集 第5巻アイヌ語Ⅰ』三省堂、pp.367-391.
丹菊逸治(2001)「サハリンアイヌ散文説話の一ジャンルtuytahについて」村崎恭子編『少数民族言語資料の記録と保存―樺太アイヌ語とニヴフ語―(「環太平洋の言語」成果報告書A2-009)』大阪学院大学情報学部、pp.91-135.
丹菊逸治(2002)「サハリンアイヌの散文説話tuytahについて」『口承文芸研究』25、pp.37-48.
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知里真志保(1953)「樺太アイヌの神謡」『北方文化研究』8、pp.185-240.
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知里真志保(1973[1944])「樺太アイヌの説話(一)」『知里真志保著作集 第1巻』平凡社、pp.251-372.
知里真志保(1973[1948])「りくんべつの翁」『知里真志保著作集 第1巻』平凡社、pp.391-427.
知里真志保(1976[1954])『知里真志保著作集別巻Ⅱ 分類アイヌ語辞典 動物篇』平凡社.
西川正雄ほか編(2001)『角川世界史辞典』角川書店.
北海道教育庁生涯学習部生涯学習推進局文化・スポーツ課編(2007)『知里真志保フィールドノート(6)』北海道教育委員会
村崎恭子(1989)『樺太アイヌ語口承資料1』文部省科学研究費補助金研究成果報告書、北海道大学.
村崎恭子(1991)「カラフトアイヌ語語彙資料(1) 植物・魚介名」『言語文化部紀要』20号、北海道大学.
村崎恭子(2001)「B.ピウスツキ収録の昔話11編と民話1編―再転写によるアイヌ語テキストと日本語訳―」村崎恭子編『少数民族言語資料の記録と保存―樺太アイヌ語とニヴフ語―(「環太平洋の言語」成果報告書A2-009)』大阪学院大学情報学部、pp.91-135.
村崎恭子(2001)「浅井タケ口述 樺太アイヌの昔話』草風館.
村崎恭子編(2010)『樺太アイヌの民話(ウチャシクマ)―ウェネネカイペ物語(3編)―』東京外国語大学アジアアフリカ言語文化研究所.
服部四郎編(1964)『アイヌ語方言辞典』岩波書店.
和田文次郎(1941)「樺太アイヌの『なぐし』物語―樺太アイヌの治病術―」『樺太時報』50、pp.90-107.
多紀保彦・河野博・坂本一男・細谷和海(2005)『新訂 原色魚類大圖鑑』圖鑑編、北隆館.
(さかぐち りょう)
文:木幡弘文
しらおいポロトコタン・アイヌ民族博物館は、今年3月31日をもって半世紀余りの歴史に幕を閉じ、2年後の2020年4月に国立アイヌ民族博物館・国立民族共生公園として再出発します。
この3月には、閉館を惜しむ多くの方々が白老を訪れ、記念行事が執り行われました。
▼記念式典(3月21日) |
▼3月31日 企画展ポロトコタンウパㇱクマ・ファイナルトーク |
▼3月31日 最終公演(満席のため2回に分けて実施) |
▼3月31日 ハルランナ(餅まき) |
▼3月31日 祖先供養(シンヌラッパ) |
[バックナンバー](木幡)
サパンペ(儀礼用冠)の製作について(木幡弘文) 2017.2
《映像資料整理ノート1》川上まつ子さんのサラニㇷ゚(背負い袋)づくり 2017.6
《映像資料整理ノート2》サラニㇷ゚(背負い袋)についての新資料報告 2017.7
《映像資料整理ノート3》忘れられた野菜「アタネ」について 2017.8
《トピックス》第29回 白老ペッカムイノミ(初サケを迎える儀式)を開催 2017.9
《写真資料紹介》コタンコㇿクㇽ像がやってきた(1979年) 2017.10
《資料整理ノート4》アイヌ文化における「ラヨチ(虹)」について 2017.12《資料整理ノート5》アオバトに惑わされる?(前編) 2018.1
《資料整理ノート6》アオバトに惑わされる?(後編) 2018.2
《トピックス1》国立アイヌ民族博物館地鎮祭報告 2018.3
文:安田益穂
デジタル絵本の新作を紹介するこのコーナー、今回は『神謡 白鳥の知らせ(カポチカ)』です。この物語は日本語版とアイヌ語版の2バージョンを作りましたので、その両方をあわせてご紹介します。
[デジタル絵本1] 「神謡 白鳥の知らせ」アイヌ語語り(日本語字幕付き) アイヌ語語り:川上まつ子(1912-1988) |
[デジタル絵本2] 「白鳥の知らせ」日本語版 アイヌ語語り:川上まつ子さん(1912-1988) |
オリジナルのお話は、沙流地方のアイヌ文化伝承者川上まつ子さんがアイヌ民族博物館に勤めていた1986年、当館学芸員の聞き取り調査事業の一環として、博物館内で採録されました。2カ月足らずの間に2回採録され、2回とも物語(神謡)をアイヌ語で語った後に日本語でも語っていて、その後調査者の質問にも答え、さらに映像も残しています。数ある当館の調査記録資料の中でも、これほど記録が充実した口承文芸資料も珍しいと言えます。
今回のデジタル絵本は、これら複数の資料を総合して制作しましたが、全ての素材を十分に使い切ってはいません。たいへん短く使いやすい資料なので、今後教材や展示、口演等、さまざまな用途に再編集され活用されることが期待されます。
[原資料1] 媒 体:カセットテープ |
*映像資料(原資料1の同録) |
[原資料2] 媒 体:カセットテープ *アイヌ語口承文芸以外の媒体全体(34718A)は、2018年度以降アーカイブに公開予定です。 |
川上まつ子:自分は神様であるから何事あっても良く見える良く分かるので、大水害が出てアイヌの部落が流されること見えたので、アイヌがた流されたらかわいそうだ、助けてやらなきゃないと思って知らすのに、川なり(川に沿って)鳴き声で、もちろん鳥だから鳥の声より出せないものだから、言葉で水害出るっていうことを教えられなかったけども、声で合図して川のぼって行ったら、 サマユンクㇽの部落に行ったら、サマユンクㇽは「おかしな化け物が何ごとあるって騒いで来ているんだ。あれはコタン(村)の障りもの(=やっかいもの)、ろくてない(=ろくでもない)化け物だ。何騒いで歩く…行くんだ」って言って、悪口ばかり言って腹立ったから休まないで、そのまんま川なり声出し、鳴きながら川なり行って、 オキクㇽミカムイ(オキクㇽミの神)の部落に行ったら、オキクㇽミカムイは一生懸命になって、自分たちに拝みながら、「いやあ、大変なことだ。もう大水害が出るって鳥の大神様が教えて来たから、早くおまえたち逃げれ逃げれ。こばい速く(=素早く)何ぼか高いとこへ高いとこへと早く逃げれ逃げれ。今もうすぐ大水害が出るって、鳥の神さんが教えて来たので、ゆっくりしていられない。ほれ、早く早く」って言ったら、 オキクㇽミカムイの言うこと聞いて、部落の人たちみんな高台さ逃げて上がったの見る。 オキクㇽミカムイはいつまで自分の後を拝みながら、おかげで助かるにいいんだって言わんばかりに拝みながらオキクㇽミカムイも逃げて上がったのを見て、 やれやれオキクㇽミさんは言うこと聞いてくれて、部落全員助かるにいいんだなと思って、後戻ってきて、自分の住みどころに来てから振り向いて見たら、 なるほど自分の言うこと聞いてくれたオキクㇽミさんはひとりも欠かさず流さないで、みんな部落全員ともに元気で助かったけども、 サマユンクㇽっちゅうものは、自分は化け物だと言って悪口ばかり言って、自分の部落の人たちも逃がさない、自分でも逃げなかったばかりに、コタン(村)もそのまんま、部落の人全員ともに大水害に飲み込まれてしまって、部落の立った跡形ばかりもなくさらわれてしまったのを見て、たまげたり、 同じ兄弟であって、サマユンクㇽが兄貴でオキクㇽミカムイが弟であるのに、弟がそれだけ自分たちの声だけでも分かって自分の部落の人たちを助けるにいいのに、 兄貴のサマユンクㇽが何でそんな、自分たちの言うこと聞かなかったばかりに部落全員ともにサマユンクㇽも流されてしまったんだろうと思って、たまげたことを話しました。ペペㇱチカㇷ゚っていう鳥の神様でございます。 |
このお話は、今年度デジタル絵本にとりあげた5話の中で、唯一メロディをつけて歌われる物語です。話者の川上まつ子さん自身の説明では、この物語は「ペペㇱチカㇷ゚、ペペㇱ鳥という鳥のメノコユカㇻ(神謡)」と語っています。はじめに、この歌われる物語「神謡」という口承文芸のジャンルについて触れておきましょう。
メノコユカㇻはアイヌ口承文芸のジャンルの1つで、日本語では神謡、アイヌ語ではカムイユカㇻとかオイナと呼ばれることが多いのですが、川上まつ子さんの出身地である平取町荷負のペナコリや二風谷など沙流川中流ではメノコユカㇻと呼びます(以下、田村辞書②)。ただし、メノコユカㇻは近くの地域では別のジャンルの呼び名です(田村辞書①)。少しややこしいですね。
menokoyukar メノコユカㇻ 【名】[menoko-yukar 女・叙事詩] ①(沙流川下流で)女性の叙事詩、 (知里の名称では)婦女詞曲(女性が主人公になっている叙事詩、 女性が歌う)。 ②(沙流川中流で)神謡(神が主人公になって自叙する形式の叙事詩、通常は女性が歌う、沙流川下流および鵡川地域では kamuyukar カムユカㇻ と呼ばれる)。 ⦅テープ⦆ (田村 1996) |
神謡は、ユカㇻ(英雄叙事詩)やウウェペケㇾ(散文説話、民話)など他のジャンルに比べて短いものが多いのですが、「白鳥の知らせ」は特に短く(4分29秒)、アイヌ語アーカイブで公開中の川上まつ子さんの口承文芸資料77話の中で2番目、神謡11話中でも2番目に短いので(最短はC0164「沼貝を助けたオキクㇽミ」)、川上まつ子さんはポンポン メノコユカㇻ ponpon menokoyukar(ごく短い神謡)と言っています。なお、各ジャンルの物語の長短については、本誌2015年8月号の拙稿にデータを掲載しています。
「白鳥の知らせ」では、「カポチカ」という言葉がくり返し現れます。このくり返しの言葉は神謡の特徴の1つでサケヘと呼ばれます。物語を語る神さまのテーマソングのようなものですが、「カポチカ」が何を意味しているかは見当が付きません。意味不明なサケヘの1つだと思います。また以下の説明の通り、「白鳥の知らせ」でも終わりの方はサケヘもメロディもなしで散文として語られています。
sákehe1 サケヘ 【名】[所](概は sa サ) ①(神謡)の折り返し(リフレイン)。②(略) ☆参考 神謡を歌うときは最初に折り返しが歌われ、 そのあと1行おきに入る場合もあり、 数行に1回ずつ入ることもある。 折り返しの言葉もメロディーも入れる場所も、 それぞれの神謡によってだいたい決まっている。 神謡の終わりの部分は語りになるし、 神謡によっては途中で語りが入る場合もあるが、 語りの部分には折り返しはつかない。 折り返しの言葉の中には、 カッコウの神の神謡の han kakkok kakkok ハン カッコㇰ カッコㇰ、 熊の神の神謡の houwepahm ホウウェパフㇺ、 子犬の神謡の wo wo kar kanto kanto ウォ ウォ カㇻ カント カント のように、 自叙する動物神や動物のなき声を模したものが目立つが、 状況を象徴的に表しているらしいものや、 何を表しているかわからないものもたくさんある。 折り返しも、 歌詞の部分と同様、 伝わるうちに変化してきたと思われるものも多い。 (田村 1996) |
kamuyyukar カムイユカㇻ 【名】[kamuy-yukar 神・叙事詩] 神謡(神または動物が主人公で、その自叙になっている、歌われる叙事詩)。 ☆参考 主人公は動物神が多い。一行ごとまたは数行に一度、一定の折り返し(リフレイン)が入る。これを sákehe サケヘという。 ☆参考 沙流川中流の二風谷の人々はこれを menoko-yúkar メノコユカㇻ と呼ぶ。 |
神謡は節をつけて歌う韻文ため、原則として一行の母音の数(音節数)は4か5音節に揃えます。カポチカ kapocikaも母音の数は4つですね。
また、口語体ではなく、少し難しい言い回しで語られます。自分のことを言うにも口語のク ku=「私が」ではなく、チ ci=、アㇱ =as「われが」というような特別な人称を使います。
先述の通り豊富な資料がそろっているにもかかわらず、完成したデジタル絵本にツッコミどころがないわけではありません。それどころか、そもそも基本的なところから疑問だらけです。特に以下の点。
・主人公の「ペペㇱチカㇷ゚」とは何の鳥か。(絵本では「白鳥」としたものの…?)
・水害は、海から来たか、山から来たか。(絵本では「津波」としたものの…?)
話者の川上まつ子さん自身の説明では、この物語は「ペペㇱチカㇷ゚、ペペㇱトリという鳥の神さまの物語」です。どの資料でもペペㇱチカㇷ゚ pepes-cikap[?・鳥]と語っていますが、「何の鳥かは分からない」と答えています。
「え? 主人公なのに分からないの?」と思いますよね。では絵本で白鳥にした根拠は何かというと、川上まつ子さんはこの物語を録音テープを聞いて覚えたとのこと。テープを提供したのは中川裕氏(現千葉大学文学部教授)で、氏によれば、オリジナルの資料では「ペケッチカㇷ゚」と語っているとのことです(安田千夏1994)。ペケッチカㇷ゚peket-cikapは「白鳥」のことで、レタッチㇼ等とも言います。(知里真志保『分類アイヌ語辞典 動物編』)
話者自身が「不明」としているのですから本来はそれを尊重すべきですが、絵として具象化する必要からこの絵本では「白鳥」としました。
アイヌ語では、沖から来る津波をオレプンペ[o-rep-un-pe その尻に・沖・にある・もの]、山から来る津波(山津波、土石流)はオキムンペ[okimun-pe 山から来る・もの]と言いますが、この物語ではそれらの語は使わず、ポロワッカ[poro-wakka 大きい/多い・水]大水(洪水)と言っています。日本語でも「大水害」と語っていて、津波とは言っていません。
主人公の鳥の神は「川をさかのぼって」(pet turasi paye=as ayne)アイヌの村々に知らせたと語っていますので、下流から上流へ飛んだことが明らかですが、大水がどちらから来たかは不明です。大洪水を予見したのも、「自分は神様であるから何事あっても良く見える良く分かるので、大水害が出てアイヌの部落が流されることが見えたので」(話者の日本語語り)と言っていて、ヒントになりません。
また、大雨が降ったとか、大地震があったとか、ストーリーの中にヒントらしきものもありません。主人公が白鳥だとすると、渡りの時期は雪解け時期なので、雪解けによる増水で川が氾濫した可能性は考えられますが。
この絵本では、津波が川を逆流した設定で描いています。絵に具象化する必要からそのように「決めた」わけですが、明確な根拠はありません。「津波がそんなに川をさかのぼるものか」という意見もあるかも知れませんが、今号の北原さんの記事で沙流川流域のバス停「荷菜」の由来を「ニナ(ヒラメ)。大昔、津波で海の魚であるヒラメがこの辺りまで打ち上げられたという故事から」とあるように、神話・伝説ですから、現実にあり得るかを問うても無意味かと思います。また、物語の本筋ではなくどちらでも良いことなので触れていないとも言えるでしょう。
原資料1では、 | ||
クㇱ タ モン モン | kus ta mon mon | 川向こうに流れる流れる |
クㇱ タ レン レン | kus ta ren ren | 川向こうに沈む沈む |
原資料2では、 | ||
ピㇱ タ モン モン | pis ta mon mon | 浜に流れる流れる |
ピㇱ タ レン レン | pis ta ren ren | 浜に沈む沈む |
となっています。 この鳴き声を聞いたオキクㇽミとサマユンクㇽ兄弟の対応の違いがこの物語のキーポイントなのですが、どちらも水害の避難勧告にはなっているので、丸暗記でなくアイヌ語話者であるがゆえの言い換えで、これも大差ないと言えます。
本誌1月号の北原氏の寄稿「実はとってもえらい神? パナンペ・ペナンペの謎(下)でも触れられていましたが、この物語に登場するサマユンクㇽとオキクㇽミは神謡や伝説に登場する文化神兄弟です。この地方の神謡では、兄のサマユンクㇽが愚かな行いをして失敗し、弟のオキクㇽミが正しい行いをして成功するという展開が常で、この「白鳥の知らせ」もそうですし、先ほど最短の神謡として紹介した「沼貝を助けたオキクㇽミ」も同じ展開です。
川上まつ子さんによれば(34718A)、ウウェペケㇾ(民話、散文説話)では、ハヨピラ(現在の平取)を守っていたのがオキクㇽミで、サマユンクㇽはポロケㇱ(現在の平取町幌毛志)に住んでいたことになっているそうです。だとすれば、白鳥の神が沙流川の下流から行けば前後関係が逆な気がしますし、津波だとすれば沙流川中流域まで到達するとは考えづらいかも知れません。文化神については、北原さんが今後もとりあげる予定とのこと。期待したいと思います。
複数の原資料を当たってみると、微妙に異なる点があることに気づきます。ただ、これは口承文芸の特性です。2回語れば2回違う。違いがあるのは生きている証拠、違って当然なのです。口承文芸は一言一句丸暗記するわけではなく、文字通り口から口へと伝わる「一回性の文学」です。
その点、録音等の記録資料は「一回性」という特性に反する面がありますが、その一方で、川上まつ子さんもまた録音テープでこの神謡を覚えたように、記録資料によって止まった時計の針が再び動き出すこともあり得ます。今回のようなデジタル絵本などの試みもまた、アイヌ語やアイヌ口承文芸の復興に一役買えればと願っています。ぜひ多くの人に利用していただければと思います。
参考文献
アイヌ民族博物館 2017:『アイヌ民族博物館アイヌ語アーカイブ』https://ainugo.nam.go.jp
伊藤裕満 1989:「川上まつ子さんの神謡」『アイヌ民族博物館研究報告 第3号』
田村すず子 1996:『アイヌ語沙流方言辞典』草風館
安田千夏 1994:「川上まつ子さんの神謡2—ペペㇱチカㇷ゚のカムイユカㇻ—」『アイヌ民族博物館研究報告 第4号』
[今月の絵本 バックナンバー]
第1回 スズメの恩返し(川上まつ子さん伝承) 2015.3
第2回 クモを戒めて妻にしたオコジョ(川上まつ子さん伝承) 2015.4
第3回 シナ皮をかついだクマ(織田ステノさん伝承) 2015.5
第4回 白い犬の水くみ(上田トシさん伝承) 2015.7
第5回 木彫りのオオカミ(上田トシさん伝承) 2015.8
文:安田千夏
この時期の北海道の風景は、まだ針葉樹の濃い緑以外は枯れ色に支配されていますが、とはいえ何も動きがないということではなく、確実に少しずつ春の訪れを感じることができます。
川辺ではオノエヤナギ、イヌコリヤナギなどのヤナギ類が次々に芽吹き、これからどこよりも早く淡い緑色に埋め尽くされていきます。春は水辺から始まるといったおもむきです。
写真1 芽吹き始めたイヌコリヤナギ | 写真2 川辺でヨシなどより先に芽吹くヤナギ類 |
そしてポロト湖畔でポピュラーなハンノキの仲間であるヤチハンノキが、葉が出るより先に開花して花粉を飛ばし始めるのです。
写真3 ヤチハンノキの開花 |
さてここで紹介したヤナギ類とハンノキ類にはある共通点があります。それは荒れ地にも真っ先に生える先駆樹種であるということ。それらは山野のあちこちで群生し、植物群落の優占種になっている状況がごく一般的にみられるのです。
そのような特徴はアイヌの口承文芸にもしっかりと描写されていますというと、でき過ぎた話のように聞こえるかも知れませんが、実際に神謡などで、空を飛ぶ雷や鳥の神様が人間界を見下ろした様子を語るときの常套表現に次のようなものがあります。
スス ニタイ susu nitai | 柳の木原は |
ホサオチウェ hosaochiwe, | 岸辺に茂り, |
ケネ ニタイ kene nitai | 榛の木原は |
ホマコチウェ homakochiwe, | 丘辺に茂る, |
シュㇷ゚キ サリ shupki sari | 茅原は |
ホマコチウパ homakochiupa, | 丘辺に茂り, |
シキ サリ shiki sari | 葦原は |
ホサオチウパ hosaochiupa. | 岸辺に茂る.(注1) |
アイヌ文化では浜手や川辺を「前」、山手を「奥」と表現します。ホサオチウェは「ホ(尻)サ(前の方)オチウェ(に刺す)」。反対にホマコチウェは「ホ(尻)マㇰ(奥の方に)オチウェ(に刺す)」。
ここに出て来るスス(ヤナギ)、ケネ(ハンノキ)は特定の一種類を指すわけではなく、色々な種があるので、ヤナギ類、ハンノキ類というような一般名称と考えてみることにしましょう。
まずヤナギの仲間は写真2でみた通りその多くが川辺に群生します。山地や林内でのヤナギ類はバッコヤナギのような特定の種がところどころで見られるという程度なので、上空からはっきり識別できるというわけではありません。やはり見えるのは川辺に群生するヤナギ類であり、文字通りヤナギ類の分布はホサオチウェと表現されるにふさわしいといえるわけです。
ハンノキ類については、ヤチハンノキは川辺に分布しますが、最も広く分布するケヤマハンノキは平地から山地、ミヤマハンノキはおもに山地から高山にかけて分布します。それを端的に言い表すとすると、ヤナギに対してホマコチウェと表現されるのは、これもまた妥当であるといえるでしょう。
原野に群生するススキと水辺のヨシについても、同様に群生する傾向と分布の違いが認められます。
写真4 ススキ | 写真5 ヨシ |
アイヌ口承文芸では、何気なく種が選ばれているように見えて、それは決してどの植物でもいいわけではない、正しい植物に関する知識に裏打ちされた、実際の情景を知っているからこそ生まれた表現ということになるのです。今回取り上げたフレーズのように、口承文芸中で植物が主たる働きをしていない、単なる情景描写であるためさらっと通り過ぎてしまいかねないさりげないフレーズも、その気になれば現実の風景が目の前にありありと浮かんで来るものであるということをご理解いただけましたら幸いです、というお話でした。
(注1)久保寺逸彦『アイヌ叙事詩神謡・聖伝の研究』岩波書店(1977年)所収、神謡77「雷神の自叙」より(カナ表記は筆者による)。同様の表現は他の口承文芸資料にもしばしば見られます。
[バックナンバー]
《図鑑の小窓》1 アカゲラとヤマゲラ 2015.3
《図鑑の小窓》2 カラスとカケス 2015.4
《図鑑の小窓》3 ザゼンソウとヒメザゼンソウ 2015.5
《自然観察フィールド紹介1》ポロト オカンナッキ(ポロト湖ぐるり) 2015.6
《図鑑の小窓》4 ケㇺトゥイェキナ「血止め草」を探して 2015.7
《自然観察フィールド紹介2》ヨコスト マサㇻ ウトゥッ タ(ヨコスト湿原にて) 2015.8
《図鑑の小窓》5 糸を作る植物について 2015.9
《図鑑の小窓》6 シマリスとエゾリス 2015.10
《図鑑の小窓》7 サランパ サㇰチカプ(さよなら夏鳥) 2015.11
《図鑑の小窓》8 カッケンハッタリ(カワガラスの淵)探訪 2015.12
《図鑑の小窓》9 コタンの冬の暮らし「ニナ(まき取り)」 2016.1
《図鑑の小窓》10 カパチットノ クコラムサッ(ワシ神様に心ひかれて) 2016.2
《図鑑の小窓》11 ツルウメモドキあれこれ 2016.3
《図鑑の小窓》12 ハスカップ「不老長寿の妙薬」てんまつ記 2016.4
《図鑑の小窓》13 冬越えのオオジシギとは 2016.5
《図鑑の小窓》14「樹木神の人助け」事件簿 2016.6
《図鑑の小窓》15 アヨロコタン随想 2016.7
《図鑑の小窓》16「カタㇺサㇻ」はどこに 2016.8
《図鑑の小窓》17 イケマ(ペヌプ)のおまもり 2016.9
《図鑑の小窓》18 クリの道をたどる 2016.10
《図鑑の小窓》19 くまのきもち 2016.11
《図鑑の小窓》20 エンド(ナギナタコウジュ)のつっぺ 2016.12
《図鑑の小窓》21 わけありのラウラウ(テンナンショウの仲間) 2017.1
《図鑑の小窓》22 春待つ日々のサクラ4種 2017.2
《図鑑の小窓》23 タクッペ(やちぼうず)の散歩 2017.3
《図鑑の小窓》24 カッコㇰ カムイ ハウェ コラチ(カッコウ神の声のように) 2017.6
《図鑑の小窓》25 トゥレプ(オオウバユリ)とトゥレプタチㇼ(ヤマシギ) 2017.7
《図鑑の小窓》26 オロフレ岳と敷生川のミヤマハンノキ 2017.8
《図鑑の小窓》27 ムㇰという名の野草について 2017.9
《図鑑の小窓》28 ヤイニ ヤクフ(ドロノキの役目) 2017.10
《図鑑の小窓》29 植物のアイヌ語名から読み取れること 2017.11
《図鑑の小窓》30 カラ類たちの窓辺(安田千夏) 2018.1
《図鑑の小窓》31 シマフクロウとフクロウ(安田千夏) 2018.2
文:新谷裕也
待ちに待った春がやってきました。まだまだ風は冷たいですが、暖かい日差しが気持ち良いですね。フキノトウやツクシといった山菜や、ギョウジャニンニクも芽を出し、大きく成長してきています。前回はギョウジャニンニクとアイヌ文化の関りと山菜取りの注意点、ギョウジャニンニクの採取方法を書きました。今回は採取したギョウジャニンニクの処理と調理法を紹介します。
採取したギョウジャニンニクの処理法と保存法を紹介します。保存するギョウジャニンニクは、春先に採取した茎が柔らかいものではなく、成長しすぎて茎が固くなったものを使うのが良いとされています。昔は取ったまま、ざく切りにして乾燥させ、サラニプ(編み袋)に入れてプ(食糧庫)で保存していました。ここでは様々な保存方法を紹介します。
①洗う
ギョウジャニンニクについている土を水で洗い流します。この時に茎の根元の方についている固くて赤い皮を取ります。
②切る
茎と葉を切って分けます。
③干す
ザルやすだれに葉と茎を並べて干します。カビが生えないように注意しながら乾燥させましょう。茎は葉よりも水分を多く含んでおり、乾燥するのに時間がかかるので、特に注意します。
④保存する
乾燥した葉と茎は分けて、袋に入れて保存します。
①洗う
乾燥保存させるときと同じように洗います。
②ゆでる
鍋に水を入れて沸騰させ、30秒〜1分程ゆでます。
③冷凍する
ゆでたギョウジャニンニクの水気を切り、フリーザーパックに入れて冷凍庫に入れます。この時、食べやすい大きさに切っても良いし、細かく刻んでから冷凍しても良いです。
1-3醤油漬け
①洗う
上記と同じように洗います。
②切る
食べやすい大きさに切ります。
③漬ける
切ったギョウジャニンニクを瓶に入れてから醤油を入れてふたをします。この時、お好みで酒やみりんを混ぜてもおいしいです。1週間くらい冷蔵庫で漬けて完成です。
ギョウジャニンニクは様々なアイヌ料理に使われます。ここでは2種類のアイヌ料理を紹介します。
〇材料
・大根 ・ニンジン ・ジャガイモ ・ギョウジャニンニク ・ニリンソウ ・昆布 ・塩 ・サラダ油
〇作り方
①大根とニンジン、ジャガイモを切ります。(大根とニンジンは乱切り、ジャガイモは大きいイモなら4つ切り、小さければ2つ切り)
②鍋に水と昆布を入れて沸かし、沸騰したら昆布を取り出して大根、ニンジンを入れて煮ます。
③大根が柔らかくなったらジャガイモとギョウジャニンニクとニリンソウを適当な大きさに切って入れて煮ます。
④ジャガイモに火が通ったら、先ほど取り出した昆布を細く切って入れて、塩を入れて味を調えます。
⑤最後にサラダ油を回し入れて完成。
〇材料
・ギョウジャニンニク ・ジャガイモ ・豆 ・乾燥したトウモロコシ ・タラの油 ・塩
〇作り方
①下準備として、乾燥したトウモロコシと豆を水でもどし、豆は煮ておきます。
②ギョウジャニンニクとジャガイモを適当な大きさに切って、豆、トウモロコシと一緒に煮ます。
③煮た材料を混ぜてからすり鉢に入れ、すりこぎで突いて、タラの油と塩で味つけます。
④完成。
ここで紹介したものだけではなく、アイヌはギョウジャニンニクを日常的に食べていたので、お米と一緒に炊いたり、キナオハウ以外の汁物にも使われていました。現代でも汁物に入れたり、卵とじにしたり、焼き肉の時に一緒に焼いたり、天ぷらにしたり、様々な食べ方がされます。今も昔もギョウジャニンニクは生活の傍らで私たちの食を支えています。
今回私は乾燥したギョウジャニンニクとヤブマメを炊き込んだご飯を作りましたので紹介します。
〇材料
・お米 ・イナキビ ・乾燥させたギョウジャニンニク ・乾燥させたヤブマメ ・塩
・サラダ油
〇作り方
①乾燥させたヤブマメを水で戻します。
乾燥保存したヤブマメはひからびているので、水に入れて戻します。乾燥させた時間や程度にもよりますが、一晩水に浸けておくと戻ります。量はお米3合に対して、1合分(お米1合計るカップで1杯分)入れると全体にまんべんなく混ざります。
【写真1:水で戻しているヤブマメ】
②お米とイナキビをとぎます。
イナキビの量は決まってはいませんが、筆者はヤブマメと同じく1合くらい入れます。イナキビはお米のようにとぐというよりは水を入れてかき混ぜる感覚でとぎます。
③お米とイナキビ、水で戻したヤブマメを混ぜて、塩を加えます。
塩は一つまみ入れます。塩を入れすぎると塩辛くなってしまうので、気をつけましょう。(炊きあがって塩気が足りなかったら、その時に塩を混ぜると良いです。)
【写真2:お米に混ぜたイナキビ、黄色い粒がイナキビ】
【写真3:お米にヤブマメを混ぜる】
④お米を炊く。
お米を炊きます。水は少し多めに入れて、火加減は、最初は中火で10分、鍋が沸騰してきたら弱火で15分火にかけます。
【写真4:お米を炊く】
⑤ギョウジャニンニクを混ぜる。
お米が炊き上がったら、乾燥したギョウジャニンニクとサラダ油を入れて、お米がつぶれないように混ぜます。この時味見して塩気が足りなかったら塩を少々足します。混ぜたら10分程蒸らします。
【写真5:炊き上がったお米に乾燥したギョウジャニンニクを混ぜる】
⑥完成。
乾燥したギョウジャニンニクが柔らかくなったら完成です。
【写真6:ギョウジャニンニクとヤブマメの混ぜ込みご飯】
〇味
ギョウジャニンニクの香りと塩の程よい塩気、イナキビとヤブマメの食感がとても良いです。筆者はギョウジャニンニクの料理の中でも、このギョウジャニンニクのご飯が一番好きで、このご飯と汁物があればいくらでも食べていられるくらいおいしいです。熱を通したギョウジャニンニクは甘味と香りが強くなるので、多少塩気が強くても気になりませんし、塩気がお米とイナキビの甘味を強めてくれるので、筆者は少し多めに塩を入れます。ヤブマメを入れなくても十分おいしいので、入手できなければ入れなくても良いのですが、ヤブマメは歯ごたえが良く、ご飯と混ぜて炊くととても美味しいので、入手出来たら入れてみましょう。乾燥したギョウジャニンニクがなくても、洗った生のギョウジャニンニクでも作ることができます。
北海道に住んでいると食卓に並ぶことが多いギョウジャニンニクの調理法を紹介しました。伝承されているアイヌ料理の材料としても、現代の料理の材料としても、数多く使われていて、とてもおいしいギョウジャニンニクですが、ニンニクのようにとても香りが強いので、休日の前の日にしか食べられないという人も多いですよね。明日仕事なのにギョウジャニンニクを食べてしまった…。そんなときはリンゴジュースを飲むと良いらしいです。なんの根拠もない話ですが、筆者は実際にやっています。(ギョウジャニンニクのにおいが苦手な人には敏感なので気づかれましたが、他の人には気づかれませんでした。)
今まで当たり前のように食べていた山菜ですが、口承文芸に出てきたり、アイヌ料理に使われているという事が、今回改めて調べてみて分かりました。今回紹介した料理の中でも、プクサラタㇱケプ(ギョウジャニンニクの混ぜ煮)はまだ作ったことがないので、今度ギョウジャニンニクが手に入ったら作ってみたいと思います。味と感想は追記しますのでお楽しみに。
参考文献・データ
・知里真志保『分類アイヌ語辞典 第1巻 植物篇』日本常民文化研究所(1953年)
・更科源蔵、更科光『コタン生物記Ⅰ樹木・雑草篇』法政大学出版局(1976年)
・『日本の食生活全集 聞き書アイヌの食事』社団法人農山漁村文化協会(1992年)
・アイヌ民族博物館『アイヌと自然デジタル図鑑』(2015年)
《伝承者育成事業レポート》イパㇷ゚ケニ(鹿笛)について 2017.1
《アイヌの有用植物を食べる》1 オオウバユリ(前) 2017.6
《アイヌの有用植物を食べる》2 オオウバユリ(後) 2017.7
《アイヌの有用植物を食べる》3 ヒメザゼンソウ 2017.8
《アイヌの有用植物を食べる》4 ヒシ 2017.9
《アイヌの有用植物を食べる》5 キハダ 2017.10
《アイヌの有用植物を食べる》6 チョウセンゴミシとホオノキの実 2017.11
《アイヌの有用植物を食べる》7 コウライテンナンショウ 2017.12
《アイヌの有用植物を食べる》8 保存食 2018.1
《アイヌの有用植物を食べる》9 ナギナタコウジュ 2018.2
《アイヌの有用植物を食べる》10 ギョウジャニンニク(前編) 2018.3
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